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プロローグ
眠れぬ夜が続いている。
疲れ果てた身体は布団に身体を深く沈め、うつろになった頭の中に今日起きた出来事から遠い記憶まで、ぐるぐると渦巻いていた。
そんな耳には遥か遠くから迫り来る爆音が届いていた。
金属の車輪が高速回転で転がる音、その車輪がレールの継ぎ目で跳ねる音、鋼と鋼の連結がきしむ音。
いくつもの金属音を束ね、徐々に近付いて来て、やがてその金属音が僕の頭の中を殴りつけ、そしてはるかどこかへと遠ざかって行く…。
うっすら眼を開けると貨物列車が汽笛を鳴らし消えていった。
溜息ばかり出る。僕はどこへ行こうとしているのだろうか?僕は何をしようとしているのかさえ分からなくなった。
もう年齢も28歳にもなると、いい加減自分と言う底が見えてくるものだ。
あの頃の描いた夢は…努力すれば現実になる…なんて夢はもろく崩れ去ってしまった。
“国破れて山河あり…”という漢詩があったが、夢破れた僕には帰る場所など無かった。
何かに取り憑かれたように自分自身を恨み、何度この東北本線の線路の上に立ったろうか?
北へ南へとこの細長いクニの果てに延びていく2本の軌道。
映画の主人公のように貨物列車に飛び乗り、どこか知らない世界へ逃げ出そうと何度思っただろうか。
でも僕の身体は現実と言う糸でがんじがらめに繋がれていた。
第一章 地上に舞い降りた天使
10月4日(水)
閉ざされたシャッターが目立つ小さな街、営業している店はほんの数軒だけ。もっとも平日の昼間なのに通りを歩く人は見当たらなかった。
そんなひなびた街の片隅にある老巧化したアパート。そのアパートを突如の振動で大きく揺らいでいた。
窓の外では何十両も貨車を連ねたJRの貨物列車が通過し、深夜から明け方まで働き、やっと眠りに就いた男の身体を揺さぶっていた。
「頭が重い…でも、やらなきゃ…」
鉛のように重い身体を布団から引きずり出すと、男は眠い目をこすり時計を見た。
「三時間しか寝てない…」
六畳一間の狭い部屋は昼間なのにカーテンが締め切られ、そのカーテンの隙間からは温暖な日差しが差し込み、男を外の世界へと誘っていた。
だが、男はそんな誘惑に背を向け、ちゃぶ台に置かれたノートパソコンの電源を入れ、そしてキッチンへ向かいコーヒーを入れ、再び台へ向かった。
「ちっ…」
男の口から出た舌打ち、その視線の先にはまだ立ち上がらぬパソコン画面。
それはノートと言うより、電話帳と言った方が似合っている、数世代前の無骨なものだった。
男は無口にパソコンの脇に散乱した栄養ドリンクの茶褐色のビンを避けると、そこへコーヒーカップを置き、ちゃぶ台に肘付き、親指の爪を噛みながら立ち上がらぬパソコン画面をただ見ていた。
やがてカップのコーヒーが無くなろうとした頃、やっとパソコン画面にフォルダが散らばり、待ちかねた男は忙しくキーボードを叩き始めた。
だが、忙しく動く両手は間もないほどに止まり、その手は頭を抱え込んでしまった。
「だめだ、この先の展開が詰まってしまった…」
男の名は三沢和也、今年で28歳になる。
三年前この街に引越し、この地区では1、2の規模を誇る工場でシフト勤務で働いていた。
毎日懸命に働いているけど生活は良くならず、一日一日をギリギリでしのいでいる日々を送っている。
“いったい僕はどうしたいのだろう?この原稿を書き上げて評価をもらい、こんなみじめな生活をサヨナラさせる…”
“何を言っているのだ…いまさら一発逆転なんてない…そんな事分かっているはずじゃないか…それより今の仕事のスキルを上げた方が…”
自問自答を繰り返す口からは溜息が出た。
うな垂れる頭を上げ、再びパソコンに向き合った瞬間。僕の目は点になってしまった。
「えっ!何?どうした?」
思わず大きな声が出た。
その視線の先には、真っ白な映像だけを映し出しているパソコン画面。
先程まで打ち込んだ文書はそこから消えていた。
何がどうなったのか分からぬ僕。あらゆるキーボードを叩き、シャットダウンを試みるが、事態は変わることなく、気持ちだけが焦り。たまらずパソコンをリックに押し込み、慌てる手付きでグローブをはめアパートを飛び出すと、自室前に停めているバイク。TW200に飛び乗った。
「急げ!」
思いっきりアクセルを開けた。エンジンは一気に高回転まで回り、悲鳴を上げた。だがその音に反し、TW200の速度はのんびりとしか上がらなかった。
「ちっ!何でこんな奴と…」
捨て去られた言葉。その言葉の意味を辿る訳も無く、ただひたすら走った。
僕が乗っているバイク、ヤマハTW200。
でかいライトに貧弱なタンク、前後のタイヤは異常に太く、そのアンバランスなスタイル…それは砂漠を優雅に歩くラクダ…と言った感じが似合うバイクだった。
やがてTWはこの周辺の片田舎の中核を担っている街、 迫町 の郊外に達した。
その街の中心部へと向かう街道沿いには派手に看板を掲げた大型店舗が沿道にずらりと並び。右往左往しながら辺りを探ると、やがてその中でも、一番大きく、派手に彩られた店舗へと入って行った。
「あのう…」
所狭しと電化製品が並べられた店内。その中で神経質に商品を陳列をしている店員に声を掛けた。
「どう致しました?」
事務的な笑顔が返ってきた。そんな笑顔でも僕は安心した。
「このパソコン見て欲しいのですが…」
「えっ!これ?」
「このパソコン、画面が真っ白になったまま動かなくなってしまったのです」
言葉を早口に押し付け喋っていた。
しかし、パソコンを見た瞬間、先ほどまで浮かべていた事務的な笑顔が一瞬にして困惑の表情へと変わった。
「これですか…この年代のものは…メーカー修理になりますねー。二週間くらい見てもらえば…」
歯切れ悪く答える店員に噛み付いた。
「にっ、二週間も!中のデーターは?」
「さー、消去されているかもしれませんねー」
“消去…一年以上かけて苦労して作った作品が…”
背後では最新のパソコンがきらびやかに輝き“ソンナノステテ、ワタシヲエランデ…ワタシヲカッテ…”と言わんばかりに僕を誘惑していた。
頭がうな垂れた…ポケットの中の小銭をギユッと握り、故障したパソコンを押し付けるように預けると、店を飛び出し、TW200 に飛び乗り走り出した。
「走ろう…今は…この気持ちが晴れるまで…」
十月の秋の空はとても青く澄み切っていた。
ここ 迫町 は宮城平野の北部、 仙台市 から離れた場所に位置し、稲作が盛んな地域である。
古くからこの周辺の中核の街として栄えていたが、近年大型店舗の出店により街の郊外は商業地や住宅地へと次々と開発がされ、のどかだった周辺の緑は切り裂かれていった。
でもそんな街から少し離れて行くと、稲が刈り取られたばかりの田園風景と、その田園の奥にはまだ開発の手が及んでいない丘陵地帯がこんもりと広がり。その手付かずの場所へ向かいアクセルを開けた。
杉の木がうっそうと茂る中を突き抜ける、荒れた細い道。
TWの速度もぐんぐんと上がり、砂利を蹴っ飛ばし、後輪を激しく滑らせながらどこまでも走った。
“感情が支配するままに…”
流れゆく景色の中、一人つぶやいていた。
「くそーっ!絶対もっと上の生活を手に入れてやる!そしたらパソコンや何もかも手に入れてやる」
溜息と愚痴が出た。
やがて杉林を抜けると、数軒の民家が肩寄せ合う集落へと抜けた。
その集落の前にバイクに跨って、地図を必死に見ているライダーが一人佇んでいた。
よれよれの黄色いジャンパーに擦り傷だらけのフルフェイスのヘルメット。
跨っているオフロードバイクの後部シートには、荷物が高くそして両脇がこぼれんばかりに溢れ、それをゴムネットが必死に括っていた。
「なんだ、こいつ!」
ライダーの脇を通り抜けた瞬間、そのライダーが頭を下げ何かを訴えた感じがしたが、僕は視線を反らし走り抜けた。
“関わらない方が…”
だが、数メートルも走らぬうちに道は途切れ、途切れた道の前に立ち止まってしまった。
「すいませーん!」
そこに単機筒の軽快な排気音と共に、高く澄んだ甘いハスキーな声が乗ってきた。振り向くと民家の前に居たライダーそこにいた。
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小説 第一章・二章
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“女の子!?”
その声色と風貌のギャップに一瞬耳を疑った。すると、ライダーは曇ったシールドをゆっくりと上げた。
「あのう…ヘイリョウヤマキャンプ場を探しているのだけど…」
その瞬間、僕の時間は止まった。
そこからは長くきゅっとカーブした睫毛、そして生き生きとした大きな瞳が覗き、そのあまりの綺麗さに僕の目はそこに釘打たれた。
「女の子!旅しているの?」
「うん、日本一周の旅しているの!」
何と言葉にしたら良いのか?表現なんてとても出来ない程の新鮮な感動が、僕の中を突き抜けた。その感動に照れながら答えるライダーから出た“日本一周”という言葉に条件反射するかのように、TWから飛び降り、ライダーのナンバープレートを覗いた。
「えっ!!鹿児島!!鹿児島から来たんだ!凄い!!」
ここ宮城県は東北の南部に位置するとはいえ、鹿児島までは遥かに遠い。ましてやバイクだ。さらに女の子の一人旅だ。
一つ一つ噛み締め、考えれば考える程、僕の中で感動は更に高まっていった。
「あれっ?そーいえば道を探しているのだよね」
ふと我に返り、彼女のバイクのタンクに広げられた地図に近付いて、探している場所を確認した。
「ヘイリョウヤマキャンプなんだ…」
そう言いながら彼女が指でなぞった場所は兵糧山と書いてヒョウリョウヤマと地元では呼ばれている場所だった。
そこはかなり前に行った事がある場所だが、うっそうとした樹林が生い茂った所にキャンプ場があり、昼間でも余り人が寄り付かないような場所のはず。ましてやそこには灯りも無く夜になると幽霊が出てきそうな不気味な場所のはずだ…。
「このキャンプ場はなーんにも無いよ。それよりも、近くに設備が整ったオートキャンプ場があるよ!」
「うん!でもヘイリョウヤマにするよ!」
「えっ!そこに?」
「そこは何もないから良いのだよ!」
心配する僕に、何の澱みも無い返事を返った。
ヘルメットの隙間から僅かに見える澄んだ笑顔を見た瞬間、僕は素直に案内する気持ちになってしまった。
「じゃあ、道案内するから後を付いてきて」
TWを再び跨ぎ、彼女の方を見て頷くと、彼女も頷き、二台のバイクは走り出した。
バックミラーに映る彼女の瞳は吸い込まれるよう大きく、キラキラと輝き、バイクに乗る姿も背筋がピンと伸び、とてもりりしく、僕の目は奪われっぱなしばった。
“遅すぎないように…早過ぎないように…”
妙な緊張感と共に僕は走っていた。
そして、これが僕という地上にワイルドな天使が舞い降りた瞬間だった。
僕の人生は新たな展開へと動き出すのだった。
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第二章 旅人達の空
細く寂しげな道を走る二台のバイク。
目指すは兵糧山キャンプ場。
樹林がうっそうと生い茂る、薄暗い緩やかな坂道を登り切ると。そこからはパッと視界が開け、360度展望が見渡せる場所へ辿り着いた。
キャンプ場の駐車場に二台のバイク場到着した。
彼女が乗るバイク、ヤマハセロー225。
小さなライトに小ぶりなタンク、細く大きな車輪。
その流れるようなデザインと、細く長い足…セロー(ヒマラヤカモシカ)の名の通り、急峻な岩場を跳ね飛び回るような無駄の無いしなやかなバイクだ…。
そしてここは兵糧山…と言っても標高もさほど無く、山というより、緩やかに盛り上がった丘と言った方が正しい場所だ。
ヘルメットを脱ぎ去ると、先程の緊張感から開放されたせいか大きな息が出た。
そして彼女の方向を見ると、今まさにヘルメットを脱ぎ去ろうとしていた。
“どんな感じの娘なんだ…”
思わず息を呑んだ。
両手がかけられたヘルメットはゆっくりと持ち上がり、上がってゆくヘルメットと共に髪がフワリと舞い上がり、パラパラとバラけていった。そのバラけた髪を後ろにキュッと束ねると、僕へ暖かな笑顔が送られた。
その光景はまるでスローモーションで見ているかのように、眼の前で展開し、まるで映像かと錯覚に陥ってしまった。
小麦色に焼けたきれいな肌。くりりとした瞳に、凛とした顔立ち。それは南の島を思わせるものだった。でも彼女の雰囲気は、この東北の長閑な風景に妙にはまっていた。
“僕が思っていた通り…いやそれ以上綺麗な娘だ…”
ゆっくり周囲を見渡す彼女、久々にこの場に来た僕も一緒に見渡した。
そこは僕が思った場所とは正反対に太陽の光が燦々と溢れていた。
キャンプ場は手入れが施された芝生が一面に張られ、そこには桜の木が点々と植えられ、丘から見下ろした場所には湖が広がり、遥か向こうには緑に彩られた丘陵地帯が延々と広がっていた。
ふと側に眼をやると、赤レンガで作られた洋風レストランがいつの間にか建てられ。余りの変わりように僕は驚き、そして同時に安心してこの場から去ろうとした。
「ねえ!道案内のお礼にジュースおごるから、飲も!」
彼女がバイクから降り、駐車場の片隅の自販機へと歩き出し、慌てて後を付いて行った。
「いいよ!僕がおごるから…」
旅する彼女の財布を気遣ったが、彼女はくるり僕を向いた。
「こんな汚い格好でも、旅しながらバイトしていたから、ちょーっとはリッチだぞ!」
そう言って、得意げで無垢な笑顔を浮かべた。
その笑顔を見た瞬間、僕の中のまばゆく暖かいものが吹き込み、その厚意を素直に受け入れる事にした。
自販機へコインを入れ「どれにする?」と一言聞いて、彼女はそっとボタンを押した。
“このままじゃ男がすたる!いいとこ見せなきゃ!!”
受け取り口にジュースが落ちる音がした瞬間、僕は速攻でしゃがんで、受け取り口に手を伸ばそうとした、その時。
“ゴッン!!”
頭に激痛が走り、その場に座り込み、思わず頭をさすりながら顔を上げた。するとそこに同じように座り込み頭をさする彼女の姿があった。
事の次第が理解できた。
“格好つけたばかりに…”
申し訳ない気持ちになっていた。だが…。
「変な顔になっているぞー」
「うるせー、生まれつきだよ!」
そんな僕を彼女は無邪気に笑い飛ばし、僕の顔も満面の笑みになっていた。
「はいどーぞ」
「どうも…」
彼女の手からひんやりと冷たい缶が渡された。
それは重々しい濃紺から清々しい大空の色へと鮮やかにグラデーションしていく缶コーヒー。
それは忘れる事が出来ない程綺麗だった。
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自販機の脇で腰掛ける二人。缶コーヒーの栓を開けると、自分の心もいつの間にか開いていくような感じがした。
「私、街中を走るの苦手だから、街中を通らないように抜け道を探しながら走っていたんだ。そしたら、道に迷っちゃって…その時に君が来たから助かったよ!」
「そーか、だからあんな所に居たんだ」
異性の前だといつもぎこちないのに、彼女の前だとなぜか自然で居る事が出来た。
「学生?」
「社会人だよ」
「えっ!仕事は?」
「この旅の為に辞めちゃった」
穏やかに流れていく時間。彼女への興味は尽きる事無く、次から次へと興味はかき立てられ、そのたわいのない僕の興味に答える彼女の顔からは笑顔が溢れて止まなかった。
「たくさん走って、いろんなものを見て、ゆっくり鹿児島に帰るんだ」
「いいなー、そんな束縛のない旅って…」
彼女の自由奔放の旅に、仕事や時間に追われて生きている僕の裸の言葉が出て、そんな僕に彼女はニコッと微笑んだ。
「ちょっといい?」
そう彼女が一言尋ねると、腰に下げた革のシガーケースから煙草を一本取り出し、一方の手にはライターとアッシュトレイ、唇には煙草。
ゆっくりと上昇する青い煙。両膝が擦り切れたジーンズ。
“まるで時間が逆流している感じ…不思議な空間だ…”
僕は煙草を吸わないせいか、煙草を吸う女性には嫌悪感があった。だけど、彼女にはそんな嫌悪感は無く、むしろその光景をずっと眺めていたいと思った。
「じゃあ、かなりの長旅していたの?」
「うん、六月に旅を始めて、北海道に三ヶ月のんびりしていたなー」
思い出をしみじみと思い返す彼女を、羨ましく見ていた。
「でもそんなのんびり旅をしていた時、雨の日にバイクで走っていたら転んじゃった!その日から雨の日はバイクに乗らないって決めたんだ!」
悲惨だった思い出なのに、その笑顔は途切れる事は無く、むしろ輝いていた。
「そしたらずーっと雨の日が続いて、北海道のキャンプ場で一週間も足止めされたなー」
「一週間も!」
「うん、その間は毎日セローちゃんを磨いていたなー」
「ふーん」
“彼女に大切にされ、なんか羨ましいな…”
彼女の愛車“ヤマハセロー”そのあっちこっちの擦り傷も、剥げかけた塗装も勲章のように輝いていた。
だが、バイクを停めている方向に目をやると、一人の中年男性がTWとセローの周りをうろうろと回っていた。
その怪しい様子に何事かと思った僕と彼女はバイクの元へと戻った。
「何か?」
「この鹿児島ナンバー、君のバイク?」
その中年男性はたくましい風貌をし、長く伸ばされた黒い髪は後ろに束ねられ。タンクトップから剥き出された肩や両腕、胸は真っ黒に焼け、その筋肉は隆々としていた。
“でも、以前どこかで見た事がある感じだ…”
「いえ、彼女のバイクです…」
彼女のバイクと言う事実を知ると、男性は目を丸くして驚いた。
しかし、突然の男性の乱入を僕は素直に受け入れる事は出来なかった。
続いて男性は僕の愛車、TW のナンバーを覗いた。
「…と言う事は…このバイクも九州の…みや…ざ…き?」
「いえ、地元の…宮城です…」
「あっ!そうだ!!宮城だ〜」
眼をこすり男性はナンバーを見直し。その滑稽な様子に僕と彼女はクスクスと笑った。
「ところで二人は彼氏と彼女なの?」
突然の男性の質問に二人は焦った。
「い、いえ…そ、そんな…」
「いま道案内してもらって…」
僕と彼女は一斉に否定をし、男性はニヤッと笑った。
「その荷物と格好だと彼女はかなりの長旅をしているな〜」
「分かる!」
「俺も、そこのキャンピングカーで日本を周る旅をしている最中だよ」
ふと駐車場の片隅を見ると、2トントラックを改造したキャンピングカーが停められていた。
気付くとその男性からも彼女と同じ風が僕の中へと吹き込み、いつの間に僕等は輪になって、日本各地での旅の話で盛り上がっていた
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綺麗に手入れされたブドウ畑を感心して見ていたら、ブドウ畑の農家から両手で抱えきれないほどのブドウを分けてもらい、毎日ブドウだけの食事が続いた山梨。
誰も居ない広々としたキャンプ場に昼間到着して、酒を飲み早々と寝込んで、朝眼が覚めたら、周囲一面足の踏み場が無いほどテントが張り巡らされ、しばらく身動きが取れなかった夏の北海道。
山菜を採取しながら旅を続ける旅人と仲良くなったら、お礼に数種類の薬草を教えてもらった、四国での旅。
閉鎖されて藪だらけになったキャンプ場で、原始の生活をしている人が居ると言う、石垣島。
彼女と男性の口からは次から次へと日本全国での出来事が飛び出し、僕は聞くことで精一杯だった。
だけど、僕にとってその未知の土地の様子や光景を、彼女はそっと優しく手に取るように教えてくれた。
“もっと旅していたなら…”
自分の口からは後悔が出た。
でも、この二人の間の空間はとても心地良い居心地だった。
空席だらけのレストランの窓から暇をもてあましたウェイター達が、物珍しそうに僕等を眺めていた。
今知り合ったばかりなのに、何十年も付き合いがある友と出会ったかのように、僕等の間を暖かな時が流れていった。
“この中年男性…どこかで見たような…”
「あっ!マイクさんだ!俳優のマイクさんにそっくりだ!」
突然の僕の思い出しに、彼女と男性の目は丸くなっていた。
俳優のマイクさんはかなりの年配の方で、純然たる日本人だが、風貌はどこか日本人離れしていて。
本業の俳優や音楽活動に止まらず、サーフィンや料理に至るまでその趣味もどれも超一級で、男の優しさと強さを持ち合わせた人だ。
「俺があんなに格好良くないだろう」
「あっ!言われてみたらよーく似ている」
照れる男性。彼女は男性の顔を覗き込むと、首を大きく縦に動かした。
その瞬間、何故か僕等は笑い合っていた。この時から男性を“マイクさん”と呼ぶようになった。
「あっ!もうこんな時間だ。そろそろ帰らなきゃ…」
「えっ!もう?そう言えば空が紅くなり始めている」
こんなに楽しい時間を過ごしたのは何十年振りだろうか?…笑顔が止まる事がなかったせいか頬が痛い。
「ちょっと待って!」
バイクへ向かった足を止め振り返ると、息を切らした彼女がカメラを持ってそこに居た。
「旅の思い出に出会った人を撮っているんだ!」
「えっ!僕も?」
「君も大切な思い出だよ」
満面笑みを湛える彼女に、ほんの僅かの出会でしかない僕は戸惑った。
「じゃあ俺が撮ってやるから、彼氏と彼女…並んで」
“彼氏と彼女って…”
マイクさんの気遣いで、彼女とのツーショットを撮る事になり。TWとセローをバックに僕と彼女は並んだ。
「ほらほら!二人もっと側に寄って!」
マイクさんの指示に従い側に寄ると、肩と肩が触れ、風でふわり舞った彼女の髪が頬をくすぐっていった。
「さー微笑んでー!撮るぞー!」
その言葉以前に顔はほころび、笑顔の二人はフレームの中へ納められた。
「じゃあ、ここに住所と名前書いて!私の住所これに書いておくから!」
渡された厚い手帳。そこにはいくつもの筆跡で記された無数の住所と名前が綴られ、その残されたページに僕の名が加わった。
「これが私の住所と名前だよ」
“ 鹿児島県名瀬市 …奈村エリカ…”
「 名瀬市 って、鹿児島のどの辺りなの?」
「鹿児島からずーっと離れた南の島。奄美大島だよ…」
「アマミオオシマ!?凄い!」
その奄美と言う地名に、どこまでも突き抜ける青い空と、財宝のような珊瑚礁が眠る海がどこまでも果てしなく広がっていくエメラルドブルーの光景が浮かんだ。
「そうでもないよ…奄美は何も無いところだよ…」
「でも、いつか行ってみたいな〜」
その時、彼女は一瞬沈んだ表情をした。だが単純に喜んでいる僕を前に、すぐにいつもの笑顔に戻った。
TWを跨ぎ、帰路へと就こうとした時。
「ねぇ…君って独り者のフリーなの?」
「うん、そうだよ」
ちらり伏目がちの横目で僕を見る彼女に、くすぐったい感じがした。
そしてキャンプ場を去って行く僕を彼女は見送ってくれた。
“チラリ見るバックミラーには彼女の姿がいつまでも…”
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