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ふと気付くと、立ち上がつてゆく湯気の向こうに、肌が青白く脂肪を身に纏った巨体の男の姿が湯船の隅に見え。それが、時折こちらを見て、不敵な笑みを浮かべていた。
“なんだこいつ…気持ち悪い…”
「ふうー、のぼせちゃいそうだから上がろうか?」
その男の存在に気付いた僕は、彼女に悟られぬようにそっと言った。
「うん、私ものぼせる寸前だよ」
風呂から上がっていく二人。紅潮している彼女の顔がとても艶っぽく、僕はその姿に息呑みながら脱衣所へ向かっていた。
その彼女は胸と腰に巻いたタオルを気にして、再び視線が彷徨っている僕は石畳につまづいていた。
“彼女の健康的な肌の色…それに比べ僕はなんて弱々しいのだろう。やはり、もっと外へ出て行ったならきっと彼女と釣り合いが取れたはず…”
隣を歩く彼女をまばゆく見ていた。
そしてそれぞれ脱衣所へ分かれて入り、着衣を身に着けてゆくと、落ち着いてゆく気分が通り過ぎて脱力感にまでに達し、脱衣所を出るとそのまま軒下に座り込んでいた。
「おまたせー」
その声に見上げると、よれよれのイエローのジャンパー姿の彼女が居て、ちょっぴり複雑な感情を抱き、最後の目的地へと立ち上がった。
さっき二人が歩いた長い廊下の窓には、再び雨が激しく打ち付けていた。
「今日は最悪の天気だね」
「でも、栗っこくんの出会いがこの旅の中で一番の印象的な思い出だなー」
その彼女の純真な言葉に、僕は下を向き、平静を装いつつも口元には押し止めも無いほどに微笑が浮かんでいた。
「ところで栗っこくん!」
“!”
突然、睨みつけてきた彼女に、僕はきょとんとした。
「私の裸見たでしょう!これは高いわよー!」
「えっ?そんなにすごかった?こーんな感じだったなー」
いたずらに微笑む彼女に、僕の両手は胸元を垂直に動かした。
「それはどういう意味!」
次の瞬間、彼女の拳が僕の肩口に飛び、その痛みにのけぞり肩をさすった。
「いってーなー」
しかし、そんな二人の顔は笑顔で溢れていた。
“彼女とこうしているのもあとわずか、もう数時間後には仕事が待っている”
雨具を着込み、バイクの元へと向かう二人を、鉛のような重く冷たい雨が打ちつける。もう逃れることの出来ない現実へと向かって走って行っていた。
まるで砂時計の砂が落ち切る寸前みたいで、時が残り少なくなっていた。
“出来る事なら時をひっくり返し、もう一度この時間を過ごしていたい!”
ヘルメットを被り、あご紐をしめて、グラブをはめ、バイクに乗る支度を始めた。
つい最近まではわずらわしかった行為が、今では彼女と同調するために大事な儀式みたいで、その一つ一つを大切に決めていた。
バイクに乗ると僕達は滑川温泉から下り、樹林帯の中を少し走ってゆくと、緑に囲まれた静かな山間にこじんまりとした木造平屋の建物が現れた。それは今日の最後の目的地、峠の茶屋。
砂利が敷き詰められた駐車場へ水溜りをひらりと避け、バイクを停めると、二人は茶屋へと向かい歩き出した。
「あれっ?こんなところに大きな建物」
後ろを振り返る彼女の先には、工場のような巨大な屋根が見え、それは灰色にすすけ木々の上から顔を出し、その静かな場所の雰囲気からは浮いた存在だった。
「あれは山形新幹線の駅だよ」
「こんな山奥に新幹線が停まるの?」
「うん、僕もまだ新幹線が停まっているとこ見たこと無いけど、そうらしいよ」
彼女は不思議な顔をしながら駅の方をしきりに見ていた。でも、そう思うのは無理も無い事で、この寂しい山の中腹には民 家は無く、駅舎の近くにある建物は茶屋の一軒だけ。
二人は歩き出した。くすんだ小さな木造の建物の茶屋の軒を潜り、店内へと入ると灯りは無く薄暗い場所にテーブルが四つ並べられ、そのそれぞれのテーブルに食事を取っている家族連れやカップルが座っていて、僕達は壁一面に貼られた色褪せた手書きの品書きの前に立った。
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小説 第十二章その6
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