巡礼倶楽部 <にっぽん巡礼改め/エキゾチック・ジャパン見聞録>

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@山梨・韮崎市

◇由緒ある武田八幡神社について二回に分けてお届けします。

◇武田の里を訪ねて〜「武田八幡神社」は、甲斐源氏の尊崇厚き神社なり〜

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武田八幡神社は、もと武田八幡宮と呼ばれた。


社記によれば、往古この地に武田王をまつる宮社があったところへ、弘仁13年(822)2月勅命により、


九州宇佐八幡宮を勧請して王の宮社に合祀し、武田八幡宮と称したのが起こりで、


のち貞観年間(859〜876)に京都石清水八幡宮を社中に勧請した。新羅三郎義光以来甲斐源氏の


尊崇が厚かったが、ことに義光の曾孫信義は武田の郷に居館を定めて武田の太郎と名乗り、


当社を氏神とあがめて崇敬のかぎりをつくした。


のち300余年を経て、天文10年(1541)、武田晴信(信玄)が甲斐の守護になると、当社本殿の造営に


着手し、同年12月23日に早くも落成した。本殿は三間社流造・桧皮葺で、身舎は桁行三間・梁間二間、


柱は円柱を用い、組物は通肘木つきの和様出組として軒支輪を設け、組物間の中備は間斗束である。


頭貫の先端は木鼻をつけ、室町期の特色を見せる。正面三間は幣軸構えとして金箔押しに八双金具で飾る


両開きの板唐戸をつけ、扉の両脇の方立面を埋める松・竹の透彫装飾は豪華絢爛である。壁は板で周囲には


刎高欄つきの縁をめぐらし、両側に脇障子を備える。正面には昇高欄つき階段を設け、向拝前面に浜床を張る。


向拝三間は面取り角柱で、組物は桁行外方にだけ二手先となる通肘木つきの連三斗組をおき、中備えに


透彫の装飾を入れた蟇股を飾る。妻飾りは虹梁大瓶束で、屋根は桧皮葺の切妻造りで、前方の流れを


延長して向拝屋根とした、いわゆる三間社流造りをなす。本殿全体は木割が雄大で、しかも装飾的意匠に


すぐれた室町時代の特色を示し、武田氏興隆の力強さを誇る遺構として貴重な有形文化財である。


―山梨県教育委員会/韮崎市教育委員会(昭和54年3月)―


■重要文化財〜「武田八幡神社本殿」〜

 三間社流造、屋根檜皮葺、付棟札5枚、旧巻斗1箇、天文10年武田信玄が再建

■山梨県指定有形文化財〜「武田八幡神社末社・若宮八幡神社本殿」〜

 一間社流造、屋根檜皮葺

■山梨県指定有形文化財〜「武田八幡神社石鳥居(付 正面石垣)」〜

 石造明神鳥居、石垣
 長さ6.6叩高さ1.788

■韮崎市指定天然記念物〜「武田八幡神社境内の樹叢」〜

 社地正面の杉、大小合せ54本の樫

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@埼玉・寄居町

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◇鉢形城跡

鉢形城は、荒川に臨んだ絶壁上に位置し、
南には深沢川があって自然の要害をなしています。
文明8年(1476)長尾景春が築城し、その後上杉家の持城として栄えました。
室町末期に至り、上杉家の家老で、この地方の豪族であった藤田康邦が、
北条氏康の三男氏邦を鉢形城主に迎え入れ、
小田原北条氏と提携して北武蔵から上野へかけての拠点としました。
城跡は、西南旧折原村を大手口とし、東の旧鉢形村を搦め手としています。
本丸、二の九、三の丸、秩父曲輪、諏訪曲輪等があり、西南部には侍屋敷や
城下町の名前が伝えられ、寺院、神社があり、土塁、空掘が残っています。
天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家・上杉景勝・本多忠勝
真田安房守らに四方から攻撃され三ヶ月の戦いの後、落城しました。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/80/42/qazxswedcvfr2004jp/folder/1471387/img_1471387_41138771_48?2007-02-01

◇鉢形城の位置


鉢形城は、北緯36度08分09秒、東経139度11分54秒付近に位置し、標高は最高点(三の曲輪)で122です。


荒川右岸の河岸段丘上に立地し、荒川の断崖と荒川に流れ込む


深沢川の深谷に挟まれた天然の要害を巧みに利用して築城されています。


城の東方には鎌倉街道の赤浜の渡しがあり、また秩父方面への街道である秩父往還の釜伏峠を下ると


鉢形城の正面に当たるように、交通の要衝に占拠しています。


城の三方を外秩父山地と上武山地の丘陵が取り囲み、城からの視界は良くありませんが、


周囲の丘陵の主要な高台には物見台狼煙台が置かれて、監視や防衛に当てられていました。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/80/42/qazxswedcvfr2004jp/folder/1471387/img_1471387_41138771_48?2007-02-01

◇鉢形城の構造


鉢形城は、深沢川が荒川に合流する地点に立地しているため、地形上、東南北側は堅固ですが、


西側は開けており防衛上の弱点となっています。そのため、城主の居館や上級武士の館のあった


本曲輪から西側に何重にも深い堀切りを行い、二の曲輪・三の曲輪などの曲輪をいくつも造成しました。


さらにその外側には寺院を密集させて寺町とし防備を厚くしました。


大手の位置は、城の西側で、城の拡張とともに移動しましたが、


最終的には現在の諏訪神社の南側付近にあったと考えられています。


各曲輪は、堀と土塁で囲まれるほか、主要な出入口には方形の馬出を備えており、


曲輪ごとに部将が定められ管理を任されていました。


また、城の外側は周囲の小河川を上手く取り込み、水掘としていました。


深沢川の南側には、後に城を拡張して外曲輪を造成し、下級武士の住まいなどとしたほか、


さらにその南側に城下町を形成し、城の守りを兼ねさせていました。

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♨ ゆびその湯(足湯)

@群馬・利根郡みなかみ町湯檜曽

◇ゆびその湯(足湯)〜気安く入れて、何と "手湯" まであるんですよ〜♫ ^^v


国道291号線が湯檜曽の集落に入った中ほどに、この足湯がありました。


行きには気が付かなかったところが、帰路にはたまたま目に留まったので、


ちょっと寄って行くことに〜♪ 壁には近辺の景色等の写真が飾ってあります。


"湯舟"は六角形で、手摺りも付いています。源泉そのままの掛け流しでGood!


源泉は、写真のお堂(薬師如来)のすぐ裏手とのこと。料金は寸志でOKです。


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※利用源泉名及びゆう出地=湯檜曽温泉 東証の湯

※所在地=利根郡水上町大字湯檜曽字湯島

※名称=湯檜曽足湯

※泉質=単純温泉(弱アルカリ性低張性温泉)

温泉を用い足を温めることにより、局所的な温熱効果と全身の血行がよくなり、

筋肉などの新陳代謝を高めます。なお、皮膚の過敏な方は注意してください。

平成16年8月20日(温泉利用許可証発効)

以上〜沼田保健所による利用許可証などから抜粋〜
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/80/42/qazxswedcvfr2004jp/folder/1471387/img_1471387_41138771_48?2007-02-01

足湯(あしゆ)とは・・・


足だけ温泉に入浴するための浴槽、およびそれが設置してある場所のことである。


服を脱がずに手軽に温泉を楽しめるので、温泉街の街角に設置されることが多く、


他にも、鉄道の駅、道の駅、公園など、観光客が多く集まる場所でもよく見かける。


ほとんどの足湯は無料で利用できる。但し、一部では寸志または料金が必要なことがあるが、


いずれも200円未満の金額で楽しめよう。全身で入浴する通常の温泉と違って、足湯だと膝下だけしか


お湯に浸からないのでのぼせにくい。また、足には太い血管が通っているので全身を温めることができる。


当然、靴はおろか、靴下類を脱ぎ、裸足で入る必要がある。したがって、その場で脱げる靴下がよい。


鳴子温泉や城崎温泉のように、"下駄"を履いて歩くことを前提とした温泉地もある。


◇著名な足湯

*銀山温泉(山形県)
*日中温泉(福島県)
*上諏訪温泉(長野県諏訪湖畔)
*城崎温泉(兵庫県)「さとの湯」
*湯村温泉(兵庫県)「ふれ愛の湯」
*道後温泉(愛媛県)
*湯田温泉(山口県)
*山鹿温泉(熊本県)
*東日本旅客鉄道上諏訪駅1番線ホーム(長野県/ホームへの入場券が必要)
*東日本旅客鉄道鳴子温泉駅(宮城県)
*京福電気鉄道嵐山駅(京都府)
*道の駅たるみず(日本一の長さの足湯がある)
*新北九州空港3階
*鹿児島空港(空港内の足湯としては日本初)

※以上〜出典:フリー百科事典 『ウィキペディア(Wikipedia)』〜

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