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わたしは、「スポーツ指導」と「生徒指導」を混同しないように、分けて考えるようにしています。
そして今思えるのは、指導者が振るう暴力のほとんどは、「指導の一環」などではなく、「自分の怒りが抑えきれず、ただカッとなって暴行に及んでいるだけではないだろうか」と言うことです。 昔からよく「今日、先生機嫌悪いぞ!」などと友人らと話したことがあったと思いますが、それは戦術・戦略で殴っているのではなく、感情で殴っている証だとも言えます。 ■「スポーツ指導(生徒指導ではありません)」において、普段どんなに熱心な指導をされていても、殴る瞬間の感情・殴ると決めた判断は、DV(ドメスティック・バイオレンス)加害者の心理と、かぶって見えます。
■今回事件を起こした顧問も、御多分に洩れず「厳しい指導をした」と釈明しています。「指導という言葉を使っている以上、子供達のためにやった(主語は子供)」と受け取れますが、本当にそうなのでしょうか?(以前のブログ参照)
DV加害者の言い訳で、「しつけのためにやった」「今回はやり過ぎた」「このくらいで音を上げる子供達の方が弱い」という発言・認識とかぶります。
■DV加害者も、優しい時と暴力を振るう時の二面性を持っています。
暴力を振るう指導者にも同じことが言えないでしょうか。熱心な指導をしている時を、とやかく言うつもりはありません。暴力を振るうその瞬間の判断に問題があると言っているのです。その行為は何としても改めなくてはいけません。
わたしの知る複数のスパルタ指導者達も、学校では生徒指導をしていたり、授業では冗談を言って笑わせたり、生徒にも保護者にも評判の良い方が多いのですが、
こと部活指導だけは、人が変わったように暴君に変貌します。
DVでも、「家の外では評判がいい」、「家と外ではまるで別人」「会社で抱えたストレスを家で爆発させている」などとよく言われますが、それと非常に似ています。暴力指導者にとって、ストレス発散の場が部活指導ではと、いやでも想像してしまいます。
■DV加害者の場合、実際はカッとなり、自分の怒りが抑えきれず暴行に及んでいるに過ぎません(主語は自分)。なのでDVは犯罪として扱われているのです。
暴力指導者の場合も同じではないでしょうか?
指導者が振るう暴力は、「指導の一環」などではなく、自分の怒りが抑えきれず、ついカッとなって暴行に及んでいるだけとするなら、その防止策は・・・・
要するに問題に直面した時、その指導者は、暴力で解決する傾向にある人なのかどうかが争点になります。言わば性格を問われているのです。簡単に言えば、怒りっぽい人・切れやすい人なのかどうかです。
そしてそれを治してほしいと言っているのです。DVと全く同じ認識です。
誰が考えても、その性格を治さなければ、また事件を起こすだろうと思うはずです。
子供達をこういった事件・事故から守るためには、このような性格の人を指導者に就けてはいけません。DV加害者と結婚するようなリスクだけは避けなければならないのです。それが一番の防止策だと思います。
■暴力の争点が、「指導内容の是非」にすり替わっては、問題解決から遠のいてしまいます。「指導の一環だった。子供達のためにやった。行き過ぎた指導だった」という加害者側の主張と、「指導内容が適切だったか・理にかなったものだったか」という検証側のやり取りでは、いつまでたってもこの様な事件を防ぐことはできません。なぜなら、DV加害者と同じで、ただカッとなって手が出てしまうだけで、本当は殴るのに、たいした理由などないのだから。 ■ただカッとなり殴っているだけなので、「愛があれば殴ってもいい」・「愛のムチ」・「信頼関係ができていれば殴ってもいい」と言ったことは、殴ってしまった行為を、後から正当化するだけのものにしか過ぎません。
「愛がある暴力」というのは、後に良かったと思える場合もあるでしょうが、それは後で判断した時の話であって、殴る瞬間にそんなことまで考えて殴る人はいないでしょう。これもDV加害者の言い訳と一緒です。
■また、子供達は「悪いのは先生の言ったことをできない自分」と思っていることでしょう。これもDV 被害者と同じで、「殴られるのは私が悪いから」と思い込んでしまう心理と重なります。これでは追い詰められるばかりで、スポーツを辞めるしか逃げようがありません。
さらに悪いことに「指導という衣(ころも)」に包まれているのが、暴力を正当化させることに、拍車をかけているように見えます。
■暴力は性格に寄るところが大きいので、言われたからと言って簡単に治るものではありません。簡単に治るのならDV問題も簡単に片付くはずです。しかしDVの専門家も、加害者が更生するのは難しいと仰っています。もちろん更生プログラムに参加して、怒りを抑える努力をしている方もいらっしゃいますが、感情を抑えるのに大変苦労なさっているようです。確かに大人になって性格を変えるのは、たやすいことではないと想像に難くありません。
よって、口頭注意や停職だけで治るような安易なものではないはずです。一定期間、更生プログラムに参加することを復帰の最低条件とするなどしないと、同じ指導者が繰り返し事件を起こすことになり兼ねません。既にそういう事例も発生しているようです。
■指導者の中には、暴力は有効な手段だから使っていると思い込んでいる方もいらっしゃいますが、これは性格に起因するものだという認識を持つべきです。
ためしに、普通の態度で指導しようとしてみてください。手段だと言うなら簡単に変えられるはずです。しかし残念ですができないでしょう。
以前、スパルタ指導者に「暴力的な態度は取らずに指導しては如何ですか?」と問いかけたら、後にその指導者が「怒らずに指導するなんて、どうやって指導してよいか分からない」と言っていたと、人づてに聞かされたことがありました。(苦笑)
それでもその方は5か月ほど怒らずに指導しようと努めていたそうですが、結局「やはり私にはできません」と言ったそうです。
スポーツの場でも、暴力を振るう指導者に対して、世間が同じ認識を持ってもらえれば、抑止力になると思います。
■以前のブログにも書きましたが、心ない言葉や暴力で、自尊心を傷つけたり人格を否定されたりすることは、とても辛いことです。それはスポーツの辛さとは別のものです。
どんなに熱意がある指導者でも、人として「それを言ったりやったりしてはいけない」という言動があるはずです。それを理解している方にこそ、スポーツ指導をしていただきたいと切に思います。 制服ネクタイで…桜宮高2自殺 バスケ部の試合ミスで平手の体罰
昨年12月下旬、大阪市立桜宮高校(都島区)2年の男子生徒=当時(17)=が自宅で自殺をしていたことが8日、分かった。市教委によると、生徒は男子バスケットボール部の主将で、同部顧問の男性教諭(47)から自殺前日、体罰を受けていた。市教委は自殺と体罰の因果関係などについて調査している。 ◆強豪バスケ部の主将、成績も上位 市教委によると、男子生徒は昨年12月23日午前6時半ごろ、自宅の自室で制服のネクタイで首をつっているのを母親が発見。病院に搬送されたがまもなく死亡が確認された。 遺書とともに教諭に宛てた手紙がみつかり、手紙には教諭からの厳しい指導と体罰に苦しんでいたことや主将としての責任に苦しんでいたという趣旨の記載があった。手紙は自殺の数日前に書かれており、市教委が調査したところ、自殺前日にも教諭から体罰を受けていたことが判明した。 この教諭については昨年度にも「体罰をする傾向がある」という情報が市教委に寄せられたが、調査をした学校は市教委に「体罰はなかった」と報告していた。 自殺を受けて、市教委は同日午前に記者会見を開き、長谷川恵一委員長が「顧問教諭による体罰があったことが判明した。誠に申し訳ございません」と謝罪した。 市教委の調査によると、顧問は両方の平手で顔を挟むようにして複数回たたいていたという。自殺の前日に行われた練習試合でも、男子生徒がミスを繰り返したことなどについて同様に平手打ちしたという。男子生徒は責任感が強く、まじめで成績も上位だったという。 同校のバスケットボール部は全国高校総体(インターハイ)にこれまで3回出場している。 2013年1月8日配信(産経新聞) http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/620317/ 【続報】
高2自殺で体罰の顧問、府警が立件の可否判断へ 大阪市立桜宮(さくらのみや)高校(大阪市都島区)の2年男子生徒(17)が、所属するバスケットボール部の顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた翌日に自宅で自殺した問題で、大阪府警は顧問の体罰行為について顧問や他の部員らの事情聴取を進め、立件の可否を判断する。 府警や同市教委などによると、男子生徒はバスケ部のキャプテンで、昨年12月23日早朝、自室で首をつっているのが見つかり、病院で死亡が確認された。同22日の練習試合中にミスがあったとして顧問から両手で頬を複数回たたかれる体罰を受けていた。 府警は自殺当日に顧問から事情を聞いた。顧問は「キャプテンなので厳しい指導をした」と話したという。 聴取は自殺の動機を調べるのが目的だったが、市教委の調査などから、顧問の体罰が日常的に行われていた疑いが浮上し、府警は体罰行為そのものを詳しく調べる必要があると判断した。 2013年1月9日配信(読売新聞) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130109-00000142-yom-soci 体罰で処分された教職員、年400人…文科省 文部科学省は、2006年度、体罰について「いかなる場合も行ってはならない」と通知するなど、体罰禁止を打ち出している。 通知では、「体罰による指導により正常な倫理観を養うことはできず、むしろ児童生徒に力による解決への志向を助長させ、いじめや暴力行為などの土壌を生む恐れがある」と指摘。体罰にあたる行為として▽殴る、蹴るなどの身体に対する侵害▽正座などの特定の姿勢を長時間にわたって保持させるような肉体的苦痛を与える行為――を挙げている。 同省によると、全国の小中高校と特別支援学校で、体罰を理由に処分された教職員数は02年度以降の10年間、年400人前後で推移。 11年度は404人(うち126人が当事者として懲戒処分)で、内訳は〈1〉中学校180人(44.6%)〈2〉高校139人(34.4%)〈3〉小学校81人(20%)〈4〉特別支援学校4人(1%)。このうち110人が部活動に絡むものだった。 2013年1月8日配信(読売新聞) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130108-00000876-yom-soci |
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痛ましい事件です。
同じバスケットに携わる者として、心を痛めています。
強ければ何をやっても許されるという風潮が、一部にはありますからね。
暴力に頼らなければならない指導は、指導力が未熟だという事を思い知るべきです。
2013/1/10(木) 午後 8:24 [ post ]
postさん
いつもありがとうございます。
暴力はいけないと、教育法でもスポーツ協会の倫理規定でも謳っているのに、なぜそれが浸透しないのか甚だ遺憾です。
教育の現場では上からの指示には絶対に従うと言われていますが、この件に関してだけはなぜ教師達は言うことを聞かないのか不思議でなりません。やはり性格の問題なので変えられないのかと思ってしまいます。
2013/1/11(金) 午前 9:53 [ 真摯って? ]
初めまして。
力でねじ伏せて服従させる手法が一種の「マネジメント手法」として、スポーツの世界のみならず多くの一般企業でも用いられている今の日本の状況を危惧せざるを得ません。
元々は、戦前の日本軍が戦争したがらない人を強引に戦争に駆り出すために編み出した手法なので、自発的に何かをしようとする人をマネジメントするのに適した手法とは思えません。
そして、暴力を振るう本人だけでなく、スポーツの世界に携わる周りの人もこの手法は正しいと思い込んでるのが何より問題だと思います。
(今回の事件でも、暴力を振るった先生が一部の関係者に擁護されています)
「強ければ何をやっても良い、弱い者は力でねじ伏せれば良い」が通用するスポーツの世界は一般社会の常識・道徳から外れているので、スポーツの世界で実績を上げてもまともなマネジメント手法は学べないでしょう…。
今のスポーツの世界を見ていると、教育的にむしろ悪影響を及ぼしている気がしてなりません。
スポーツの世界で生きてきた人を見ると「そういうマネジメントしかできない人なのか、この人上司としては通用しないな」と思ってしまいます。
2013/1/14(月) 午前 5:59 [ はまっちゃった人 ]
もちろん、暴力に頼らない真摯な指導をしてくださる方もスポーツの世界にいらっしゃることは理解していますし、自分自身スポーツの世界に偏見を持ってしまっていることも理解していているのですが…今の日本の現状を見ていると…。
スポーツの世界にも正しいマネジメント手法が広まることを願ってやみません。
力でねじ伏せて服従させる手法では、(強制力を持ってメンバーをかき集めている場合を除いて)メンバーの実力を最大限に引き出せず、試合でも勝てなくなるはずなので、「勝てれば良い」というスポーツの世界の法則でこのような手法が自然に淘汰されるのでは、と希望的な観測を持っています。
2013/1/14(月) 午前 6:15 [ はまっちゃった人 ]
はまっちゃった人さん コメントありがとうございます。
以前にスパルタ教育のメリット・デメリットというブログを書いたことがあるのですが、それと少しかぶります。
ブログご参照ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/qfcfymn75826/4407365.html
「力でねじ伏せて服従させる手法」で指導するのは、何につけ本当にやめていただきたいですね。
2013/1/14(月) 午後 8:00 [ 真摯って? ]
真摯って?さん
(呼び方これでいいのかな…)
参考記事も教えていただきありがとうございます。
やっぱりスパルタ教育が有効なのって一般人を兵士に仕立て上げる時ぐらいのものですよね…。
2013/1/14(月) 午後 10:08 [ はまっちゃった人 ]
はじめまして。訪問ありがとうございました。父親が予科練経験者でギリギリ終戦で命を救われて、結果今私がいます。小さい頃はそういう軍隊の話をよく聞きましたが正に殴る叩くの連続ですね。当然軍隊で人格者はあまり必要ないですね。もちろんそれは教育ではなくある意味訓練なのかもしれません。対戦相手を殺傷する団体ですから・・。
生徒の心と人格を育成することが、学校教育の柱であるべきなのに先生が暴力を用いてどうするのか。何の効果があると思っているのでしょうか。教育者として程度が低すぎます。話になりません。
2013/1/16(水) 午後 3:24 [ Ryo ]
Ryoさんへ こちらこそコメントをいただきありがとうございます。
ブログ読ませていただきました。指導の場での暴力について、スタンスが似ていると感じております。今後も参考にさせていただけると幸いです。よろしくお願いします。
2013/1/16(水) 午後 6:02 [ 真摯って? ]