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「○○されたのですが、それって体罰ですか」という書き込みの多いことに驚かされます。体罰は、読んで字のごとく、罰の一つに過ぎません。
体罰を禁止しても、校庭100週、腕立て伏せ100回、暴言、横柄な態度、レギュラーから外す、部活動の停止、指導の放棄など、罰を与えようと思えば、いくらでも方法はあります。現に子供達は、体罰以外にも指導と称して、上記のような様々なハラスメントに苦しんでいます。
 
本当にそれが指導なのか、それともハラスメント(体罰を含む)なのか、その判断基準を明確にすることがスポーツ指導では重要です。
 
■これをやったらパワハラ(パワー・ハラスメント)だ!
以前に「これをやったり言ったりしたらパワハラだ」という弁護士の記事を紹介しました。
・・・・・・・・「指導には相手を成長させる狙いがある。一方パワハラは、相手の自尊心を傷つけたり、排除しようとしたりする。たとえば、何やってんだ!、お前なんかいらない!や、机をトントン叩くなど、怒りやいらだちを表現してしまうという。」・・・・・・・・
 
体罰も怒りを表現しているので、ハラスメントのひとつです。
子供達の自尊心を傷つけ、心と身体にダメージを与えます。
 
■「部活を辛くてやめたい」という子供達も多い
部活が辛くてやめたいと思った経験のある方も少なくないでしょう。そんな時、本当に練習が辛いのか、それとも自尊心が傷つけられ、ハラスメントで辛いのか、見極めが肝心です。
理にかなった練習メニューや練習量で辛いなら、頑張って続けていれば得るものもあるでしょう。しかし自尊心を傷つけられるような暴言や態度、排除しようとする言動、さらには指導者の怒りなど、ハラスメントで辛いなら、それは競技と関係ありませんので、耐えても成長しません。
ハラスメントは、選手達に非はありません。指導者自身が、指導とハラスメントの違いを認識し、改めなければなりません。また学校やスポーツ団体も、この視点で指導者を監督する必要があるでしょう。
 
■体罰を是正する3つのポイント
いまだに答えが曖昧な「何をやったら体罰か」は、体罰の文字をハラスメントに置き換え、「何をやったらハラスメントか」にすると見えてきます。
そしてハラスメントは、パワハラが示すように、すでに基準が明確になっているので、ハラスメント的な言動を正すことが体罰の抑制につながると思います。
 
繰り返しになりますが、「何をやったり言ったりしたらハラスメントか」は、①子供達の自尊心を傷つけたり、②子供達を排除しようとしたり、③子供達に怒りをぶつけたりする。これらに触れる言動は、「指導ではなくハラスメント」です。
このような認識を子供達、保護者、指導者、組織、協会、さらには世間が持ち合わせることで、体罰も是正されていくことでしょう。
先日、桜宮高校の体罰事件後、生徒から教諭に対して「しばけや」「体罰や」などの挑発・揶揄が増え、生徒指導がやりにくくなったと感じる教諭が増えたとの記事が掲載されました。(下記参照)
 
過去に体罰が問題になった指導者達は、一様にあれは指導の一環だったと言っていましたが、ここにきて、“体罰は威圧のために必要だ”とも取れるアンケートがでてきました。
体罰が、指導の一環で振るわれたのであれば、子供達のためとも言えなくもありませんが、“威圧”の意味合いがあったなら、それは組織の規律に従わせるために使った暴力です。
生徒側からしても、相手が殴ってこないとわかると、横柄な態度に出ているようです。詰まるところ、体罰は、双方にとって、指導の意味合いより、殴られる恐怖による威圧的意味合いが強かったと取れます。
 
体罰の問題を聞くにつけ、原爆の問題と重なります。
原爆の被害の大きさは計り知れませんが、兵器の一つに過ぎません。原爆を放棄したとしても、いくらでも代替の兵器は存在します。
もちろん人道的意味合いから、大量破壊兵器使用の議論はあってしかるべきですが、いくら原爆の是非を議論しても、結果として、その兵器を使って良いか悪いか、使うか使わないかの結論しか出ません。
たとえ原爆を使わないとなっても、それだけで、両国間の争いが消えた訳ではありません。やはり和解に向けた話し合いが必要です。
 
“体罰”も、子供達にダメージを与える強力な罰の一つです。
しかしその使用の是非で、指導者と子供達の間で、アンケート結果のようなわだかまりができるのは悲しいことです。
それこそ、強力な体罰を使うことで、より子供達の反発も大きくなるのかも知れません。
 
いつまでも、「体罰の有無・体罰の方法・体罰の定義」など、“罰”の議論ばかりでなく、お互いについて理解しあえるような話し合いがなされることを期待したいと思います。またそれが体罰をなくす近道であるように思います。
 


 産経ニュース 2014.4.29 http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140429/wlf14042907450009-n1.htm
「しばけや」「体罰や」…増長くっきり 生徒が教諭挑発「増えた」4割
大阪市立中桜宮体罰事件の余波
 
大阪市立桜宮高校の体罰事件が発覚して以降、同市立中学校の生徒指導担当教諭の約4割が生徒から「しばけや」「体罰や」などと言われる挑発・揶揄(やゆ)が増えたと感じていることが、市立中の校長らで作る研究班の調査で分かった。約6割が「生活指導をやりにくくなった」とも回答。桜宮事件をきっかけに全国的に体罰撲滅が進む水面下で、生徒の一部が増長し、教諭が萎縮している現状が浮かび上がった。
桜宮高校で平成24年12月、男子バスケットボール部の男性顧問=懲戒免職=から繰り返し体罰を受けていた2年生の主将が自殺。文部科学省が緊急の全国調査に乗り出し、各地で体罰を行った教諭の処分が相次ぐなど社会問題化した。
こうした中で市立学校の現場から生徒の挑発行為に悩む声が上がるようになった。
生活指導の経験が長い市立弘済中学校の赤間英松校長を中心に現状把握のための研究班を発足。昨年11月に市立中にアンケートを行い、128校の生徒指導担当教諭から回答を得た。
桜宮の事件以降、挑発・揶揄があったと回答したのは約5割の62校。具体的には、生徒から殴るそぶりをされた際に手を振り払うと「体罰や」と言われた▽喫煙をした生徒から「何を言われても変わらない。変えたかったら、しばけや」と言われた−などがあった。
約4割の48校がこうした行為が「(桜宮事件の)以前よりも増えた」と回答。「以前は0回だったが月10回ぐらいに増えた」や「ほぼ毎日」「事あるごとに挑発行為が起こる」などの申告があった。「生活指導がやりにくくなった」と答えたのは約6割の81校。「教諭が手出しできないという感覚で平気で物を壊したり、傷つけたりすることが増えた」という指摘や、「暴力や危険行為を防ぐための行為でも体罰と言われかねない」「状況や背景に関係なく体罰の言葉でくくられる」などの悩みも寄せられた。
赤間校長は「想像していた以上にひどい状況」としており、今後は研修会などを通じて挑発行為への毅(き)然(ぜん)とした指導を求めていく。
 
【用語解説】大阪市立桜宮高校の体罰事件
平成24年12月23日未明、男子バスケットボール部主将だった2年の男子生徒=当時(17)=が自宅で自殺。顧問の男性教諭から体罰を受けていたことが判明した。教諭は懲戒免職となった後、傷害などの罪で在宅起訴され、懲役1年、執行猶予3年の有罪判決が確定。遺族は体罰が自殺の原因だったとして、大阪市を相手取り、総額約1億6500万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしている。
文科省の有識者会議が、部活動における指導名目の体罰を防ぐためのガイドラインを策定されたそうです。
 
記事抜粋------------------------------------------------------------
■ガイドラインでは、運動部活動が学校教育の一環として行われるもので、勝利や技能向上だけを目指すのではなく、豊かな学校生活を送るために重要だと定義。
■「体罰に当たる事例」として、「長時間にわたる無意味な正座」や「水を飲ませず長時間ランニングさせる」など
■一方で「認められる指導」の具体例として、「生徒に練習の意味を理解させたうえで、バレーボールで反復してレシーブをさせること」など。----------------------
 
 
そもそも「勝利や技能向上」を追求するがゆえに、「体罰」が起きるのか?
 そうだとすれば、学校スポーツよりプロスポーツの方が、体罰問題が深刻化しても良さそうなものですが。記事だけでは納得し難いところがあります。
 たとえば「長時間にわたる無意味な正座」や「水を飲ませず長時間のランニング」といった行為は「技能向上」の観点からすれば、マイナスでしかありません。
 一方「認められる指導」にある、「生徒に練習の意味を理解させたうえで、レシーブの反復練習をさせる」は、まさに「技能向上」に乗っ取った練習と言えます。
 このように、「技能向上」を追求するほど練習メニューが洗練され、無意味な「体罰」が減っていくと考えた方が自然ではないでしょうか。
 よって記事にある、「(部活動で体罰を減らすには)勝利や技能向上だけを目指すものでははい」とするのは視点が違うように思えます。
 逆に「体罰を減らし、豊かな学校生活を送るには、スポーツ競技の「技能向上」に重点を置き、洗練された練習をしろ!」とした方がしっくりきます。
 そして、これは言うまでもありませんが、選手達が指導者に求める最も重要な部分でもあります。下手な指導は誰だって受けたくありませんから。
 
では、「体罰」を誘発しているものは何か?
大きくは2つ考えられます。
 1つめは、プレイヤーズ・ファースト(選手優先)の意識で、指導していない・してこなかったこと。
 どうやって指導すれば子供達が理解してくれるかを常に考えている指導者や、子供達の個性を受け入れられる指導者は、子供達に合わせて練習を工夫したり、対応を変えたりするのは普通なことです。
 一方、自分のやり方に子供達を合わせようとする指導者は、どんな特徴・どんな性格の子が入って来ても、自分に子供達を合わせようとします。「プレイヤーズ・ファースト(選手優先)」に対して、
「コーチャーズ・ファースト、ティーチャーズ・ファースト(指導者優先)」とでも言うのでしょうか。
 言い方を変えると、プレーのミスを、教え方が悪かったととらえるか、選手達のせいにするか、どちらの傾向が強いかです。
 体罰禁止が叫ばれる今、問題となっているのは後者の方だと思われます。
 前者からすれば、「体罰」は指導法の一つに過ぎず、その一つが禁止されても、他の方法でいくらでも対処できると考えるでしょうが、後者は選手達を自分のスタイルに合わせようとするため、どうしても修正や否定の言動が多くなりがちです。
 そこでは体罰や暴言・威圧・しごき・罰といった手段が有効な場合も多く、これらを日常的に使ってきた指導者にとって、体罰が禁止されることは指導の崩壊を意味してしまいます。
 これらが使えなければ、今までのキャリアもまったく役に立ちません。
よって「体罰必要論」を説かざるを得なくなります。
 体罰が禁止になった今、彼らは指導がしづらくなったと感じていることでしょう。
 しかし考え方を変えない限り、体罰はしなくなっても「悪いのは、できない選手の方で、私ではない(指導者優先)」という姿勢は変わりません。
 これではいつまでたっても選手達は不毛です。
 
 2つめは部活動で、礼儀や規律・しつけをやり過ぎてしまうこと。「行き過ぎた挨拶・礼儀・規律・しつけ・罰」といった、いわゆる生徒指導・生活指導の横行。
 「長時間にわたる無意味な正座」や「水を飲ませず長時間ランニングさせる」といった行為は、「スポーツ技能向上」より、「規律・しつけ・罰」といった意味合いが強いと感じます。
 多かれ少なかれこれらを選手に課そうとするのは、個々の指導者の性格にほかなりません。
 日本人全体に言えることですが、このような性格形成には日本古来から続く「儒教の教え」や「家父長制」の誤った解釈や悪しき慣習、さらには「親からの厳しいしつけの連鎖」などの影響
が背景にあると思われます。
 「年長者を敬え」という意識は日本人なら誰にでもありますが、だからと言って年長者は後輩を軽んじて良いと言うことにはなりません。
 この後輩(選手)に対してのリスペクト(敬意)が、スポーツ環境下では希薄になってしまう事が大きな要因ではないかと考えます。
 「年長者だから偉い」という意識の下で指導が行なわれていることに「体罰」を誘発する土壌があるように思います。
また指導者の高過ぎる(偏った)プライドが、時に必要以上の規律やしつけを選手達に強いているようにも思えます。
 ネット上でよく目にするのが、生徒が宿題を忘れるとか部活を休むなどしたことに顧問が腹を立て、連帯責任で部活が何日も休みになったり、その子に対して長期にわたり暴言を浴びせるなど、結果として生徒が部活を辞めるもしくは辞めたいと考えるようになる。このようなことが全国で頻繁に起きているようです。ちょっとしたミス(罪)が部活を辞めるにまで発展してしまうのが極端すぎて違和感を感じずにはいられません。こんなことで大切な部活動という経験や思い出を子供達から奪っているのです。これは文科省が推奨する豊かな学校生活の実現からも添わないように思います。日本は法治国家なのですから、もう少し罪と罰のバランスを考えて欲しいものです。
 さらに「師弟関係・上下関係とはこうあるべきだ」・「挨拶はしっかりすべきだ」・「規律を持って行動すべきだ」・「指導者に対して敬意を払え」・「スポーツを通じて礼儀作法を教えるのは当然だ」などの意識が強過ぎるのも問題です。
 苦しいと思っていた練習が、実は指導者の規律やしつけ的言動が辛かっただけで、練習自体は普通だったなんてことになり兼ねません。
 これではスポーツ本来の楽しみを味わうこともできません。
 スポーツは、ゲーム性という遊び的要素を含んでおり、規律や礼儀だけでは、部活動を通して豊かな学校生活は営めません。
 いつも挨拶や礼儀に厳しい指導者が、試合中に突然、「もっと楽しめ!」なんて言われて戸惑うのはこのためです。
 「規律や礼儀」に偏っている部活指導では、楽しもうにも楽しめないのです。
 
【まとめ】
 あまり「礼や挨拶・規律」などにこだわらず(こだわり過ぎず)、スポーツ本来の理にかなった練習に重点を置いて、かつ選手達へのリスペクト(敬意)を忘れず、プレーヤーズ・ファースト(選手優先)の意識で指導することが、部活動を通して子供達が体罰のない豊かな学校生活を送るための最良の接し方ではないでしょうか。 
 
 


「無意味な正座」は体罰=部活動指導ガイドライン策定―文科省
学校の運動部活動の指導方法について検討してきた文部科学省の有識者会議は27日、指導名目の体罰を防ぐためのガイドラインを策定した。体罰に当たる事例として、「長時間にわたる無意味な正座」や「水を飲ませず長時間ランニングさせる」などを例示している。文科省は6月にも全国に配布する。
ガイドラインは、まず運動部活動が学校教育の一環として行われるもので、勝利や技能向上だけを目指すのではなく、豊かな学校生活を送るために重要だと定義。外部指導者らと連携して適切な指導体制・計画をつくるよう求めた。
その上で、体罰に当たる行為として、殴る蹴るやパワーハラスメントに当たる発言のほかに、限度を超えて肉体的、精神的負荷を課すことなどを列挙。正座やランニングに加えて「受け身ができないように投げる」などを例示し、「指導者と生徒との間で信頼関係があれば許されるとの認識は誤り」と指摘した。
ガイドラインは、大阪市立桜宮高校の体罰自殺問題を受け、3月から弁護士やスポーツ界の有識者9人で検討してきた。座長の友添秀則早大教授から受け取った下村博文文科相は「各学校で活用してもらい、部活動現場から体罰が根絶されるように努力してまいりたい」と述べた。
時事通信 5月27日 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130527-00000029-jij-pol
 
部活動指導でガイドライン
文部科学省の有識者会議は、体罰を巡る問題が相次いだことを受けて、「勝つことのみを重視し過重な練習を強いることがないよう求める」などとする部活動指導のガイドラインを取りまとめました。
文部科学省で開かれた有識者会議で、下村文部科学大臣は、「体罰によらなくても世界に通用する人材は育成できる。ガイドラインによって、現場で、これまでより積極的、効果的な指導が行えるようにしたい」と述べました。
このあと、座長を務める早稲田大学の友添秀則教授が、部活動指導のガイドラインの最終案を示し、了承されました。
それによりますと、部活動について、「勝利を目指すことは自然なことであり、それを学校が支援すること自体が問題とされるものではない」とする一方で、「勝つことのみを重視し、過重な練習を強いることがないよう、バランスの取れた指導が求められる」としています。
そして「許されない指導」の具体例として、熱中症になることが予想されるような状況で水を飲ませずに長時間ランニングをさせることや、特定の生徒に対して、独善的に、執ようかつ過度に負荷を与えることなどを挙げています。
一方で、「認められる指導」の具体例として、生徒に練習の意味を理解させたうえで、バレーボールで反復してレシーブをさせることなどを挙げています。
文部科学省は近く、このガイドラインを、各都道府県の教育委員会などを通じて全国の学校に通知することにしています。
NHKWEB 5月27日 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130527/k10014863681000.html
昨日のNHK「仕事の流儀」という番組で、麻薬探知犬育成の仕事ぶりを観ました。
そこには言葉が通じない相手だからこそ、本気で犬達の気持ちを察し、どんな犬でも一流へと導こうとするプロ達の葛藤が描かれていました。

ワクワク感が集中力を引き出す
犬達は麻薬発見後の度に「遊び」がないと、すぐに訓練意欲が低下してしまうと言います。
そのためモチベーションを上げるため、毎日、毎回、犬をワクワクさせなければならないそうです。
「遊び」が楽しいと、犬は麻薬を必死に探そうとし、夢中になると自然と集中力が養われ、かすかな匂いも見逃さない優秀な麻薬探知犬になっていくそうです。

できないのは犬のせいではなく、
その犬にピッタリの訓練方法を人間が編み出せていないから
人間と同じで、当然犬それぞれに性格があります。
臭覚だけでなく視覚を頼りに探そうとしてしまう犬や、落ち着きがない犬など様々です。
訓練師は、視覚に頼ってしまう犬には、暗闇の中で探させたり、落ち着きのない犬には、より興味を引くような遊び道具を与えたりと趣向を凝らし、
常に犬達を高みへと導いていきます。怒って従わせるようなことは一切ありません。
 
犬達は、人間のように、怒られて怒られてそれでも最後に満足感を得られるようにはできていないのだそうです。
 
よって訓練師は、犬の性格や好みに合わせて、常に仕掛けや工夫をしていかなければならないので大変です。
 
しかしそこに流れる共通の思いは「悪いのは犬ではなく能力を開花させてあげることができない人間の方」と言う考え方です。
一つ一つの訓練から、その瞬間の犬の気持ちを感じ取ろうとし、すぐに次の訓練に工夫を加えて犬の集中力を引き出そうとするその姿勢は、究極の「プレーヤーズファースト(選手優先)」の姿のようです。
一見、スポーツの現場とは関わりのないところで、本物達が究極の選手優先の考え方を黙々と実行している事に、驚きと称賛を隠し得ませんでした。

 
※下記日程で再放送予定らしいです。ご興味のある方はどうぞご覧ください。
再放送予定:2013年4月26日(金)午前0時40分〜 総合
番組ホームページ:
http://www.nhk.or.jp/professional/2013/0422/index.html
 
 
追伸 今回は麻薬探知犬の育成でしたが、その他の動物の訓練ではどうなのでしょうか。サーカスなどでライオンを鞭で叩くシーンなどがイメージとしてあります。
また番組内では「調教や調教師」と言う言葉は使われませんでした。
一般に犬や馬、猿、イルカなどの動物を訓練する場合には「調教」と言う言葉が使われてるように思います。…
各々の動物と、どう接しているのか興味のあるところです。
 
今日のYahooニュースで、「米大学バスケット監督が体罰で解雇」の記事が掲載されました。
 
体罰の是非は言うまでもありませんが、画像を見て私は、やはり今回も指導の一環などではなく、怒りの感情を制御できず、選手達にぶつけているだけという印象を強く持ちました。
 
論点が、
①「体罰は有効であり効果があるvs有効ではなく効果も乏しい(体罰は有効か否か)」のように、指導者が振るう体罰は、あくまでも指導のために振るわれたものとして論じていては、選手達のためにやったが結果上手くいかなかったで収まってしまい問題解決には至りません。
②見るべきは、今振るった体罰は「指導として振るわれたものか、それとも怒りを制御できず子供達にぶつけただけか」だと思います。
怒りで殴ったのが、選手達のためであるはずがありませんので、問題点がはっきりします。
 
そしてスポーツ指導において、体罰を「有効な手段・指導のテクニック・子供達のためにやった」と言っているうちは体罰はなくならないでしょう。
 


米大学バスケット監督が体罰で解雇
2013.04.05 Yahooニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/suzukitomoya/20130404-00024235/


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