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中国の東晋(紀元317年—紀元420年)の初期に、温嶠と言った人がいった。温嶠の妻は早く他界した。
東晋はもとの西晋の漢民族の皇族に建てられた王朝でした。西晋の都は洛陽にあったが、後は北方の少数民族が長江の北の領土を占めたので、西晋の皇族と貴族などは長江の南に逃げた。温嶠の家族もその時期に南へ来た。
温嶠の叔母の家には一人の綺麗な娘だけがいったが、家は戦乱のせいで衰えたから、その娘の縁談はずっと定められなかった。だから、温嶠の叔母は温嶠に自分の娘のために夫を探すのを頼んだ。
温嶠は自分の従妹を娶りたかったので、こう答えた、「優秀な婿を探し当てにくいから、嶠の等級はいかがですか?」叔母は「戦乱の下、家が衰えたので、生きていくことができれば、幸いですから、あなたとどうして比較するんだろうか?!」と言った。
何日かが過ぎた、温嶠が叔母に「もう佳婿を探し当てました、婿の官職とか名声とか嶠より欠けません!」同時に男側から叔母の女側に一つの玉の鏡台を贈り物として送った。温嶠の叔母が非常に喜んで承諾した。
後は婚礼が行われてお互いに礼拝した時、温嶠の従妹は頭を覆う赤い布を捲って、婿が温嶠だのを発見したと、すぐに拍手して笑った、「老奴だのを疑った!やっぱり!」、と
玉の鏡台、北方の匈奴の漢を討伐した時に得た宝物だね!
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温公喪婦。從姑劉氏家値亂離散,唯有一女,甚有姿慧。姑以屬公覓婚,公密有自婚意,答雲:“佳婿難得,但如嶠比,雲何?”姑雲:“喪敗之餘,乞粗存活,便足以慰吾餘年,何敢希汝比?”卻後少日,公報姑雲:“已覓得婚處,門地粗可,婿身名宦盡不減嶠。”因下玉鏡臺一枚。姑大喜。既婚,交禮,女以手披紗扇,撫掌大笑曰:“我固疑是老奴,果如所蔔。”玉鏡臺,是公為劉越石長史,北征劉聰所得。
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