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潘安

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 また中国の美男子に関する文章です。
 
 今回の主人公は潘安(本当の名前は潘嶽)で、字は安仁です。紀元247年(西晋)に河南省に生まれたので、私の同郷です。

 潘安はただ容貌が綺麗ではなく、風采も抜群でした!年少の時に洛陽道へ出かけて、いつも婦人らに囲まれちゃった。さらに、婦人らは争って潘安にお菓子を投げたので、潘安の馬車にはいつも大きい収穫があった。

 面白いのは同時期の左思と言った人がいった。左思は大変醜かったが、潘安の通りの真似にして遊びに出掛けて、いつも老婦人に石を投げられちゃった。笑い話になっちゃった。

 同時期の夏侯湛には綺麗な容貌があった。両人がいつも同行し、「連壁」と言われてた。
 
 残念ながら、潘安の人柄がよくなかった!政治闘争のため、皇帝に殺された。


-------中国語版------
  潘嶽妙有姿容,好神情。少時挾彈出洛陽道,婦人遇者,莫不聯手共縈之。左太沖絕醜,亦複效岳遊遨,於是群嫗齊共亂唾之,委頓而返。
  潘安仁、夏侯湛並有美容,喜同行,時人謂之連璧。

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蘭陵王

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 蘭陵王(紀元541年〜573年)、名前は高長恭または高孝瓘で、中国の南北朝の北朝・北斉の二番目の皇帝の四番目の息子であった。

 蘭陵王は著名な美男子で、史書によって「音とか容貌とか、全て綺麗だ」の評価がある。でも、二枚目であったが、実は勇ましい男であったね!

 蘭陵王は常に将軍として敵国と戦った。でも、冷兵器の時代に、軍隊の領袖の相貌は常々重要なことで、敵軍の気勢を圧制し、敵軍の心理を震え上がらせられた。蘭陵王がとても綺麗であったので、敵軍は全然彼を恐れなかった。

 だから、毎回軍隊を率いて出征した時、蘭陵王はいつも一つの特製の仮面をかぶって自分の美しい容貌を覆った。たくさんの勝利を得たが、一番有名なのはいわゆる「芒山大勝利」であった。

 「芒山大勝利」によって、戦士は蘭陵王のストーリを基づいて歌舞を創作し、つまり有名な『蘭陵王入陣曲』であったね。

 『蘭陵王入陣曲』は唐代の時に日本へ伝えられた。その後、この曲の伝承は中国に絶えちゃったが、ずっと日本で雅楽の一つとして存在し続く!


 写真は順番に蘭陵王の想像図、『蘭陵王入陣曲』(歌舞)であるね!

一期一会

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 日本の茶人・千利休は「一期一会」のことわざを出した。でも、2500年前の孔子はもうこの思想を提出した。

 『孔子家語』第二巻の中で下の内容がある。

 孔子は郯国へ行き、途中に程子と逢った。両人は一日中話し合い、皆嬉しかった。孔子は生徒の子路に絹を取らせて程子を贈りたかった。子路は「士人にとって紹介者がなければ会うべきではない」と言って孔子の要求を断った。しばらくすると、孔子はまた同じ要求をし、子路はまた同じ理由で断った。孔子はこう言った、「『詩経』の中で「一人の高尚な人がいる。その人と会うのは私の願望である」の言葉がある。今の程子は天下の賢い士人ですね!もし今回贈らなければ、後には会う機会がありませんね!早く!」、と。

 だから、もし誰かのことが好きなら、ぜひできるだけ早く彼女/彼に自分の思いを言い出してね!擦れ違ったら、後悔しても追えませんね!


---------中国語版-----------

孔子之郯,遭程子於途,傾蓋而語,終日,甚相親。顧謂子路曰:“取束帛以贈先生。”子路屑然對曰:“由聞之,士不中間見,女嫁無媒,君子不以交禮也。”有間,又顧謂子路。子路又對之如初。孔子曰:“由,《詩》不雲乎:‘有美一人,清揚宛兮;邂逅相遇,適我願兮!’今程子,天下賢士也,於期不贈,則終身弗能見也,小子行之!”

銭塘蘇小は同郷です

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写真は順番に袁枚の肖像画、『随園詩話』の表紙、袁枚の書道、随園の写真である。

 清代に袁枚といった人がいった。字(あざな)が子才で、実は有名な才子であったね!南朝・斉朝(紀元479年〜502年)の名妓・蘇小のように銭塘(今浙江省杭州)の出身であった。

 三十歳から、袁枚は父親の他界で退官して南京へ来て随園を建て五十年の閑静な生活を送っていた。『随園詩話』の本を書いた。下の話しは正に『随園詩話』から採ったん出すね!

 「私は詩人の印章を刻んだ。上の内容(印文)は「銭塘蘇小は同郷です」の句である。ある尚書(各省の長官)は南京へ来て私の詩集を請求し、私は意のままにその印章を用いた。尚書は怒って私を叱った。始め私は自分の軽率のため尚書に謝ったが、尚書はまた叱り続けた!私は厳しい顔付きでこう答えた、「尚書はこの印章が不真面目だと思いますか?今から見れば、尚書は一品の高官で、蘇小は卑しい人ですね!恐らく百年の後に、人々はただ蘇小のことがよく知って、尚書のことが全然知りませんね!」皆さんが笑っちゃった。」

 この世で生活したことがある人として、どうして自分の名前を後人に知らせますか? 高い社会地位を得ることあるいはお金持ちになることですか?私はそうだと思わない!


----------中国語版------------
  余戲刻一私印,用唐人“錢塘蘇小是郷親”之句。某尚書過金陵,索餘詩冊。余—一時率意用之。尚書大加訶責。余初猶遜謝,既而責之不休,餘正色曰:“公以為此印不倫耶?在今日觀,自然公官一品,蘇小賤矣。誠恐百年以後,人但知有蘇小,不復知有公也。”一座囅然。

衛玠を見殺する

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 前編の温嶠という人と同じ時代の士族、西晋の丞相とした衛瓘の孫・衛玠という人がいった。

 河東安邑出身で、今の山西省出身です。

 衛玠には一番美しい容貌があった。後世の中国に衛玠の名前はもう美男子あるいは二枚目の象徴になった。

 王武子は衛玠の母方のおじで、美男子の名誉も持ったが、衛玠を見た後、こう嘆いた、「珠玉は傍にいった時、自分が汚いだという感覚がある」、と。

 でも、二枚目だったが、衛玠の体の調子が不足だったね。東晋の王丞相(王導)は衛玠を見て、「羅綺を堪えないね」と言ったことがある。

 西晋が北方の少数民族に滅ぼされた後、衛玠も建康(東晋の都、今の南京市)へ来た。建康についた日、人々が衛玠の美男子の名声のため街へ出かけて衛玠を見たかった!人の群れは壁のようだったので、衛玠の車が移動し難かった。

 衛玠の体はもとは弱かったので、今は疲れを堪えなくて、病気になってすぐに他界しちゃった!

 それは正に中国の歴史上の「看殺衛玠(衛玠を見殺する)」のストーリですね!

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