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RUSH Story Part1の追記
 RUSH Storyの書庫を追加しました。
ぼちぼち追記していこうと思ってます…
 
イメージ 1
 
こんな動画があった。「ビヨンド…」では出てこなかった部分だねぇ。
 
アレックスが17歳の時に、長男が誕生してる…。
 
バンド活動の傍ら、高校を辞めて、ガソリンスタンドで働いたり、
 
お父さんの鉛管工事を手伝ったりして
 
生活費を稼いでたそうな。
 
40年前のこの時にアレックスと共に全く先の見えないミュージシャンに
 
寄り添ってきた奥さんのCharleneさんの存在は大きいよねぇ。
 
 
 
アレックス 「母乳で育てとらんのかい?!」
シャーリーン 「そやねん、ミルクの方がいいってお医者にもいわれてん…」
そんなん言ってないか…?^^; 
タバコ!!赤ちゃんの前でママあかん〜っ!
 
でも、この若い二人にBabyがいたからこそ、今のRUSHがあるのかもよ〜 
 
Fancy Dancer (unreleased)‘74
 
「The Fifth order of angels」
このブート探してるんやけど…どなたかオークションに出してくれはれへんかなぁ♪
 
 
Never Alone

“Best I Can” RUSH

ラッシュ・ストーリー・パート1はこちら↑
 
 
イメージ 3
 
RUSH Story part2
 
イメージ 2
「VISIONS」Official Biography、 「sarieさん」のブログから抜粋させて頂いています
 
イメージ 1
 
69年の終わり頃、カナダでもLed Zeppelinが人気となり、
 
それまでCreamのようなブルーズ・ロック・バンドだったRUSHも、Zepの洗礼を浴び、
 
1stアルバムで聴けるような、アグレッシヴなギターや、
 
R・プラント風の金属的ハイトーンを用いたものへと変化を遂げます。
 
学業とバンドを順調にこなし、活動を続けていたメンバーは、
 
(この頃アレックスに赤ちゃんができて、生活の為に学校を辞め、
バンド活動の傍ら、バイトで稼ぐ日々だったそうです)
 
オリジナルのレパートリーも増やし、忠実なファンも増やしながら、
 
RUSHの人気がオンタリオ州内で高まってくるにつれ、
 
高校時代からのマネージャーであるレイ・ダニエルスは、彼らを何とか
 
メジャー・デビューをさせようと本格的に動き始めます。
 
でもその頃のカナダではソフト路線が主流で、
 
ハードロックに興味を示すレコード会社はありませんでした。
 
唯一、「配給だけなら。」とロンドン・レコードから配給、自主レーベル(Moon Record
 
のちにAnthemと改名)リリースでの、自主製作のファーストシングル
 
「Not Fade Away」(Buddy Hollyのカヴァー)も全く売れず…、
 
それでもめげない彼らは、全てオリジナル曲の自主製作アルバムを作るという
 
思いきった冒険に出ます。クラブでのギグを終え、コストを抑えるため、
 
スタジオの使用料が安い真夜中に機材を運び込み、朝までレコーディングをする。
 
若さゆえに成しえたハードワークでしたが、起用した無名プロデューサーは
 
結果的に失敗で、メンバーは出来上がったサウンドに失望します。
 
そこで、レイと相棒のビックは何とかお金を捻出し、
 
もう少し名の通ったプロデューサー、テリー・ブラウンを起用します。
 
ジャケットデザインにかける予算もなく、レイが手がける別の、たまたま絵心のある
 
ミュージシャンにデザインをしてもらったのが、あのジャケットです。
 
しかし、契約してくれるレコード会社はなく、やはりロンドン・レコードが
 
「配給だけ」、シングル同様、自主レーベルからのリリースとなりました。
 
でも自主製作盤はプロモーションもできず、バンドはただ今まで通りギグを続けて、
 
自分達の音楽に興味を持ってくれる人を増やしていくしか手段はありませんでした…。
 
 
続く…。
 
 
 “Best I Can”  
early 1974 (John Rutsey on drums)
 
 
 
 
Never Alone
 
 
 
RUSH John Rutsey
イメージ 1
 
夢を実現した人の歴史を辿れば、その努力と誠意と、
 
恵まれた運に出会う必然性が
 
見えてきて、より感銘を受けます。
 
そして夢の実現がゴールではなく、それを続けていくことの困難さ。
 
RUSHはそれをやってのけている。
 
私がRUSHにとりつかれた理由の一つです。
 
 
 
ゲディ(Vo、B、Key)、アレックス(G)、ニール(Dr)の、
 
今も不動の、鉄壁のメンバーですが、
 
RUSHのファースト・アルバムのみ参加の
 
ジョン・ラトジー(Dr)のことを忘れてはいけません。
 
近所同士で幼い頃から仲の良かった、14歳のロック好き少年の
 
ジョンアレックスはバンドを組み、それまでお祭り騒ぎ程度のギグだったのが、
 
1968年のある日、バンドは初めてお金をもらうギグ(週一のライヴ)に出ることになります。
 
(「ビヨンド…」でも出てきたCoff-Inという教会の地下のライヴハウスです)
 
ストーンズやクリームのカヴァーバンドにすぎなかった彼らですが、
 
2回目のギグ当日に、ヴォーカル兼ベーシストが事もあろうにドタキャンをし、
 
急遽ピンチヒッターに呼び出されたのが、
 
中学の頃からのアレックスの友達、ゲディでした。
 
ひょんな事から、ここにファーストアルバムのメンバーが揃っての
 
RUSH初ライヴが行われたわけです。
 
(「ビヨンド…」にもあった)そのライヴの後、もらったわずかなギャラを分け、
 
一緒に食事に行き、このメンバーで活動していくことを決めるのですね。
 
 
この3人で学業と共に順調にいっていたRUSHでしたが、
 
アレックスの学校の友達、ナンシーのお兄さん、リンディが
 
バンドメンバーとして加わることになります。
 
ところが色々な楽器を操るマルチプレイヤーだったリンディの加入で、
 
バンドの人間関係が少し崩れ始めます。
 
そして、ゲディがリードシンガーとして必要以上に注目を集めることが
 
気に入らなかったジョンが、ゲディを追い出しにかかったのです。
 
(と書くと、ジョンが悪者みたいですが、ジョンはとてもいい人で、
 
ファンの間でも良い評判ばかりです。
 
持病の若年性糖尿病で、2008年に他界しています。)
 
 
それでもゲディがこのバンドメンバーと交流があったのは、
 
その頃リンディの妹、ナンシーと付き合っていたからなんです。
 
現在もナンシーはゲディの奥さんです。
 
結局そのバンドも長続きはせず、ふたりはゲディに戻って来てくれるように頼み、
 
RUSHが再結成されるのです。
 
 
長くなるので…
 
その後のRUSHメジャーデビューや、
 
ニール加入のストーリーはまた今度…^^;
 
 
 
“Working Man”
early 1974 (John Rutsey on drums)
 
Never Alone
 

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