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ブラームス
1.交響曲第3番ヘ長調作品90
2.ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
トーマス・ツェートマイヤー(Vn)[2]
クリーヴランド管弦楽団
指揮:クリストフ・フォン・ドホナーニ
REC:1988(1),1990(2) (TELDEC 8573-84068-2)
さて、本日はドホナーニによるブラームスの交響曲第3番を聴く。
ドホナーニ、クリーヴランド管によるブラームスの交響曲第3番。
全4楽章の最後がすべて弱音で終わるというユニークな作品である。ブラームスの交響曲の中でもこの作品は、先日のクラリネット五重奏曲とともに秋にふさわしいしっとりと味わい深い音楽である。特に第3楽章は映画のサウンドトラックに使用されるなど郷愁を誘う大変印象的な音楽である。
蛇足であるが交響曲の作品の中における楽章音楽の中でこのブラームスの交響曲第3番第3楽章のようにきわめてメロディアスな隠れた名作がほかにもあるので少しだけ紹介したい。
1.それなりに有名なのが初演時に何度もアンコールで演奏をされたといわれる、
ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章。
2.イギリス交響曲というニックネームのついた濃厚なボヘミアン・ワルツが聴くことのできる
ドヴォルザークの交響曲第8番第3楽章。
3.ラブロマンス映画のワンシーンに流れていそうな
ラフマニノフの交響曲第2番第3楽章。
などなど。思いつくものを列挙してみたが、意外に知られていないのにこんなに美しいメロディを効かせてくれるとはと思う名曲がある。
さて演奏のほうであるがまず第1楽章。淡白な響きのもと引き締まったサウンドである。意識的に感情を抑えたような(第2交響曲のときからの印象そのままに)極めて抑制されたような音楽になっている。
第2楽章における緩徐楽章においてもやや速めのテンポでややともすればとてもそっけない歌い方でそろりと始まりふと終わってしまう。ただこの楽章を過度に感情移入して入念に演奏しようとすると、かえってしつこくなってしまうかもしれない。これくらいのほうがいいのかもしれない。この楽章で聴くことのできるクリーヴランド管の木管の音色が非常に美しいということを付記しておきたい。
さて件の第3楽章であるがやはり感情に流されずにメロディを全体の音楽の枠の中で捉えている感じがする。それゆえメロディが前に出すぎずに旋律外の音が極めてクリアに聞こえてきて骨格のはっきりとした音楽になっている。
第4楽章においてもこの演奏スタイルは継続されオーケストラがフォルテになるところにおいても計算された盛り上がり方という感じでどことなく冷めた印象を覚える。しかしこのようなスタンスが第3楽章同様、やはり全体の構成をはっきりとさせることに成功していてスコアなどを見ながら聴いてみると意外な充実感に浸れるのではないか?
全体を通してあくまで冷静にしっかりとした「音楽」を形作っている。とにかく安定感抜群で上手い演奏だ。しかし・・・。この演奏から「上手い」ということを取ったら一帯何が残るというのだろう?と少しだけ疑問が残ったのも事実である。
さて、今日はまだ続く。この疑問に大変参考となりそうな記事があったので簡単に触れておきたい。
今日(11/12)の日本経済新聞の文化面に「クラシック演奏響け臨場感・人間味」と見出しがあり最近のクラシック音楽界についての特集記事が組まれている。
詳しくは記さないがこの中で「聴衆は・・・完璧な技巧を求める曲芸趣味から脱し、味のある演奏を求めている」と述べた上でテスタメントから発売されたクレンペラーが1968年にウィーン・フィルを指揮した演奏のCDの売れ行きの好調ぶりを書いている。
「几帳面な演奏を喜ぶ・・・価値観が崩れゆらぎや乱れを伴うライヴ録音の素晴らしさにファンが目覚めた」(山崎浩太郎氏によるコメント)ともいっていて、これを読むと最近大人気のフジ子ヘミングによる、あの個性むき出しの特有な音楽などが聴衆に広く受け入れられる現実もうなずける。
確かにこのような流れの中にあってはドホナーニの指揮によるこの演奏は少々肩身が狭いかもしれないなあと思った。だからといってこの演奏の価値が少しでも損なわれることはなく、そういう意味においてはある種、貴重な演奏といえるかもしれない。
興味津々のツェートマイヤーによる協奏曲の方はまた後日。
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