シベリウス
1.交響曲第5番 変ホ長調 作品82(1915年版:初稿版)
2.交響詩「エン・サガ(ある伝説)」作品9
ラハティ交響楽団
指揮:オスモ・ヴァンスカ
REC:1995(Bis CD-800)
交響曲第5番 変ホ長調 作品82(1915年版:初稿版)
この交響曲第5番は1915年のシベリウス生誕50年を記念した祝賀演奏会のために初演される交響曲として作曲された。
シベリウスはこの交響曲について散策の中で感じる春の気配にインスピレーションを得て作曲したと書き記している。このようにこの作品は春の喜びに満ちたような明るい色彩の楽曲となっている。
ただ作曲中に第一次世界大戦が勃発するなど現実は春の喜びとは程遠く厳しい世相の中で作曲された。
初演は1915年12月にシベリウス自身の指揮により行われ大成功を収めた。しかしシベリウスはこの初稿に満足せず、翌1916年の秋に改訂を行い、初版初演の1年後の誕生日である12月8日トゥルクにおいて自らの指揮で改訂稿の初演を行った。さらなる改訂を1917年に着手するもフィンランド独立宣言前後の政情不安を避け避難するなどして改訂の筆はなかなか進まなかった。この第2改訂稿が完成したのは1919年秋になってからで、この年の11月にヘルシンキでシベリウス自身の指揮により演奏された。
現在シベリウスの交響曲第5番はこの最終稿(第2改訂稿[第3稿])に基づき演奏されるのが通例である。
以上は最終稿(第2改訂稿[第3稿])を聴いたときの記述。第5交響曲について整理してみると3つのバージョンが存在した事になる。
1.初稿:1915年版
2.第2稿:1916年版
3.最終稿(第3稿):1919年版
このうち第2稿(1916年版)はコントラバスのパート譜しか残っていないらしくその全貌は知ることが出来ない。したがってこの楽曲に関しては1915年版の初稿と1919年版の最終稿のふたつが存在している。
さて今日聴いた初稿であるが、この楽譜を管理する遺族は演奏や出版を頑なに拒否してきたわけであるが、どういういきさつで実現したのかは推し測るべくもないが「一度だけなら」という条件で楽譜が公開され1995年にオスモ・ヴァンスカ指揮のラハティ交響楽団によって初めて録音されこの作品がはじめて公の場に登場したわけである。
当然作曲者としては満足していなかったバージョンであるのでこのような形で日の目を見た事はシベリウス自身にとっては不本意なことかもしれない。
さっそく聴いてみたのだが決定稿が3楽章であったのに対しこの初稿は4楽章からなっている。様々な論評を見るとこの初稿は冗長なところがあって最終稿の洗練された構成を評価する声が多いようだ。
最終稿では第1楽章の冒頭にホルンのハーモニーが出てくるのに対しこの初稿では木管楽器がいきなりテーマを吹き始めるなど印象が全く違う。フィナーレに関してもホルンや弦楽器がおおらかにテーマを演奏しているのを背景に前面に出てくる木管楽器のテーマも最終稿とは異なっていてやや印象に薄く感じる。もっと驚くのはこのテーマの部分で突然不協和音を奏でるトランペットが唐突に出現する事。何か意図があるのだろうか?なんとも不可解。
さてこのフィナーレ楽章、初稿は679小節であるのに対し決定稿は482小節とかなり洗練されスリムになっている。
この第5交響曲の代名詞ともいえる 最後のゲネラル・パウゼが初稿にはない のも少し驚いた。
シベリウスの名曲、第5交響曲を聴くにあたって初稿の存在は興味をそそられるものであったが決定稿の1919年版が圧倒的にいい。決定稿においてはこの楽曲の持つ本質が凝縮されてこれ以上ない洗練された均衡をもった作品となっている。
初稿を聴いて逆説的に決定稿の素晴らしさが証明された。
交響詩「エン・サガ(ある伝説)」作品9(1982年版:初稿版)
第1交響曲よりも以前に作曲された初期の出世作のひとつ。1982年に初稿が完成され、1900年から翌年にかけて改訂されている。
開始部とフィナーレは初稿も改訂稿もほぼ同じであるが中間部が異なる。
初稿では様々な楽想が出ては消え錯綜していてややまとまりがない印象を受ける。
初稿が22分ほどの長さであるのに対し、改訂稿は18分ほど。改訂稿のほうが第5交響曲同様、各楽想間に統一性があって整理されており聴きやすい。
オリジナル版の両曲の資料的価値は非常に大きい。ここでもヴァンスカ/ラハティ響の演奏は素晴らしく明晰な演奏だ。非の打ちどころがない。
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