シベリウス
1.交響曲 第6番 ニ短調 作品104
2.交響曲 第7番 ハ長調 作品105
3.交響詩「タピオラ」作品112
ラハティ交響楽団
指揮:オスモ・ヴァンスカ
REC:1997(BIS 1697/1700 CD4)
交響曲 第7番 ハ長調 作品105
シベリウスの第7交響曲は、1924年に完成された。作曲開始は、初演は同年の3月に、ストックホルムの楽友協会コンサートで作曲者自身の指揮で初演された。
初演時は「交響的幻想曲」と名付けられて演奏され、交響曲として番号が与えられたのは翌年の出版時である。
(*:フリー百科事典『ウィキペディア』より一部引用)
シベリウス最後の交響曲。単一楽章で23分ほどの長さ。同世代のシンフォニストであるマーラーやブルックナー、R.シュトラウスがその作品を肥大化させていったのとは対照的に簡素に凝縮させていったのがシベリウス。
まさに北国の人の考えそうな事だ。マーラーやシュトラウスが肥大した耽美性を追及したのとはまったく逆に凝縮した耽美性と構成美を追求した究極の結晶(それはまるで雪の結晶のごとく自然の紡ぎだす完璧な美しさのよう)がこの第7交響曲といえる。
マーラーの第9交響曲やシュトラウスのメタモルフォーゼンに似ている気がする。求める者は同じでもその方法が全く違う。
ここで演奏しているヴァンスカ/ラハティ響の明晰な演奏、端整で清楚な音色はこの楽曲の純粋さに裏打ちされた耽美性がはっきりと感じられる名演といえる。極めて客観的なは演奏で聴く人によっては物足りなさもあるかもしれない。
交響詩「タピオラ」作品112
タピオラは、フィンランドを代表する叙事詩「カレワラ」に登場する森の神「タピオ」の土地という意味である。カレワラ中に直接登場する神ではなく、呪いや呼びかけの対象としてのみの存在である。従って『タピオラ』は、『4つの伝説曲』や『ポホヨラの娘』のようにカレワラ中の物語を表現した作品ではなく、より抽象的なフィンランドの森の雰囲気を表現した作品とみるべきである。
作曲は、交響曲第6番・交響曲第7番とほぼ同時期に進められた。初演は1926年12月、ニューヨーク交響楽協会コンサートで、ワルター・ダムロッシュの指揮による。
なお出版譜には、以下の4行の散文がドイツ語・英語・フランス語で掲げられている。
『北方の国の暗く陰鬱な森林がはてしなく広がる。古代の神秘的で殺伐とした夢をいだき続けている。そこには強大な森の神「タピオ」が住む。そして森の精霊たちが暗闇の中でうごめく。』
(*:フリー百科事典『ウィキペディア』より一部引用)
楽曲も大変抽象的で一度聴いただけではほとんど印象に残らない。第7交響曲をもっと抽象的にしたような感じだ。ただその緻密な構成と完成度から、シベリウスの交響詩の最高傑作とされる。
あまり耳に馴染みがいいということはない。「抽象的なフィンランドの森の雰囲気」を厳密な構成の枠組みの中でより抽象的な雰囲気で表現した作品。
ヴァンスカ/ラハティ響の演奏はここでも客観的な演奏で味はない。後半に管楽器の強奏の部分がやや乱雑に感じる。この「神秘的、幻想的なフィンランドの森の雰囲気」を描き出すにはやや至らない。もっと演奏にメッセージがあってもいいのではないだろうか?と感じた。
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6番、異常に好きです。早くこの盤も聴きたいんですが、まだBOX安くなってませんねー
2007/2/14(水) 午後 11:41
オデオン様>コメントありがとうございます。ヴァンスカの演奏は客観的で聴きやすいのですが、もっと奥にあるものが欲しいかなと、贅沢な欲求が出てきます。
2007/2/15(木) 午後 9:46
確かに7番は、そもそも淡々とした控えめな作品なので、仰る通り、客観的演奏では物足りなさが残りますね。一方で、カラヤンなどは、やり過ぎの感を否めず、つくづく、演奏が難しい曲だと思います。
2007/2/21(水) 午後 6:15
KA:AZ様>コメントありがとうございます。カラヤンの演奏も聞いてみたいです。確かにシベリウスは演奏が難しいと思います。
2007/2/21(水) 午後 10:37