クラシック音楽とうさぎの日常

久々に。秋が深まるのでしばらくブラームスで。

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ラウタヴァーラ
1.交響曲第7番「光の天使」
2.天使と訪れ

ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団
指揮:ハンヌ・コイヴラ
REC:2001(NAXOS 8.555814[080823-368DUK])

 エイノユハニ・ラウタヴァーラは1928年生まれのフィンランドの現代作曲家。シベリウスの後フィンランドでは最も代表的な現代作曲家のひとりである。

 この交響曲第7番は1994年にアメリカのインディアナ州にあるブルーミントン交響楽団のために作曲された作品で「ブルーミントン交響曲」といわれていた。

 これに先立ち自身の作品に「天使」と銘打った作品を複数作曲しておりこれを「天使」シリーズとしていた。後日この第7交響曲も「天使シリーズ」に加えられ副題に「光の天使」と命名される。現在この交響曲はラウタヴァーラの代表的な作品となっている。どことなく宗教的な色彩のある幻想的で非常に美しい作品である。

 シベリウスの後半の交響曲同様、輪郭がはっきりしない非常に抽象的な雰囲気に満ちた幻想的な音楽である。第1楽章の幻想的で不思議な雰囲気は実に印象的である。第2楽章はモルト・アレグロとありショスタコーヴィチやストラヴィンスキーを思わせるサウンドで無機的な感じをうける。

 「夢のように」と題された第3楽章も聴きものである。相変わらず輪郭ははっきりしないものの協和音と不協和音が出ては消える不思議な、つかみ所のない音楽はまさに夢である。終楽章はオルガンの音のように金管楽器による強奏で始まり重厚な音楽となっている。

 第7交響曲に併録されているのは「天使と訪れ」。1978年の作品で前述の「天使」シリーズの最初の作品となる。ちなみにブックレットによるとラウタヴァーラの「天使」シリーズとは以下の4作品である。

「天使と訪れ」(1978)
コントラバス協奏曲「黄昏の天使」(1980)
交響曲第5番(1985)
交響曲第7番「光の天使」(1994)

 「天使」シリーズ最初の作品「天使と訪れ」はやや20分に及ぶ大規模な管弦楽作品でやはり協和音と不協和音が複雑に入り混じった難しい現代楽曲である。幻想的な雰囲気は堪能できるが、少し間延びしてしまう感もある。
 
 演奏はロイヤル・スコティッシュ管。歯切れのいいシャープなサウンド。指揮を担当しているのは1960年生まれのフィンランドの若手指揮者ハンヌ・コイヴラ。手堅い演奏で好感が持てる。

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ブルックナー
交響曲第5番変ロ長調

大阪フィルハーモニー交響楽団
指揮:朝比奈隆
REC:1978(JeanJean JJGD-2005/2006)

 朝比奈隆壮年期の記録。この録音を含む全集は長らく入手が困難なものであったが最近復刻されたことで評判になっているもの。

 さてこの第5交響曲は1978年1月の大阪フェスティバルホールにおけるライブ録音である。この時代の大阪フィルの技術、力量は現代にあって決して聴者を満足させるものではない。録音もゴツゴツとしたもので響きや艶に乏しく乾いた感じのするものでブルックナーの奥行きのある立体的な構造美を聴くことは出来ない。

 ただ、晩年の朝比奈にはない切り込んでいくような推進力があってシャープな音楽になっている。その一方で恣意的とも取れるテンポのゆらしがどうもわざとらしく感じられてしまい残念な一面もある。

 若き朝比奈を知るのにはうってつけの演奏である。1970年代という時代にあって決してメジャーな存在でなかったブルックナーに真摯に取り組んでいることに指揮者やオーケストラに何よりもまず敬意を表したい。

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ブルックナー
交響曲 第5番 変ロ長調(1878年版)

ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)
指揮:オイゲン・ヨッフム
REC:1980(EMI 7243 5 73910 2 3)

 ブルックナー指揮者といえば、チェリビダッケ、朝比奈隆、ギュンター・ヴァントという巨匠がいる。その後にティントナーやスクロヴァチェフスキなどが続くわけだが、その先駆的存在としてオイゲン・ヨッフムの存在を忘れるわけにはいかない。

 ヨッフムは1975〜80年にかけてブルックナーの交響曲全集をEMIに録音している。オーケストラは世に名高いシュターツカペレ・ドレスデンである。

 今日聴いた第5交響曲はこの全集からのものである。

 背筋のピンと張った極めて厳しい演奏である。音楽の折り目が終始きちんとしており鞭打つかのようなピリッとした音楽になっている。それはまるでフリッツ・ライナーやジョージ・セルを思わせるものだ。

 後に続くヴァントやスクロヴァチェフスキの流れの源流ともいえる骨のある演奏である。オーケストラがシュターツカペレ・ドレスデンであることも一因であるだろうが弦楽器の艶やかさには目を(耳を)みはるものがある。

 特に第3楽章のきびきびとした熱っぽい演奏には肝を抜かれる。終楽章の集中力も尋常ではない。ただならぬ気配であり、ぎりぎりまで研ぎ澄まされた緊張感がある。

 この楽曲は大曲だけあって大味になりそうであるが細かな部分に関するこだわりも感じられ細かな楽節を際立たせている点などは非常に感心する。

 ヨッフムがここまでタイトなブルックナーを展開していたとは思いもよらず目から鱗であった。前にライナーの指揮によるものだったかセルの演奏によるものだったか忘れてしまったが、そのときに感じた「明治生まれの爺さんにガツンと怒られて背筋がぴんと張るような感覚」そのものである。

 ちなみに画像は分売されている国内盤のジャケットである。

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コルンゴルト
1.ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
ゴルトマルク
2.ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品28

ヴェラ・ツウ(Vn)
ラズモスキー・シンフォニア
指揮:ユー・ロン
REC:1995(NAXOS 8.553579[080823-294DUK])

 エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは1897年、現在のチェコのブルノに生まれた。若い頃から神童と謳われウィーンを中心に活躍する。1938年にナチス・ドイツの侵攻を受けアメリカに亡命し映画音楽の作曲をしながら亡命生活を送った。
この「ヴァイオリン協奏曲」は1945年に作曲され、マーラーの未亡人アルマ・マーラー=ヴェルフェルに献呈された作品。
 
 世紀末ウィーンの官能的で退廃的な雰囲気を漂わせたロマンティックな楽曲となっている。それはまさにクリムトの絵画を髣髴とさせるものであり輪郭があるようでないようななんともいえない特徴的な楽曲である。全曲を通して自作の映画音楽から旋律は引用されているようだが、それはマーラーやR.シュトラウスに通じるような、抒情的で濃厚な音楽である。
 
 有名なヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツの積極的な演奏、録音活動に支えられながらこの楽曲は現在でもコルンゴルトの最も有名な作品という確固たる地位を固めることができたといえる。
 
 第1楽章と第2楽章はウィーンの世紀末の香りを漂わせた濃厚で官能的な楽曲であるのに対して第3楽章はまさにアメリカはハリウッドの映画音楽そのものの快活さと賑やかさを兼ね備えた楽曲となっている。

カール・ゴルトマルクはコルンコルドよりも一世代上でハンガリーの作曲家。ブラームスなどと同じ世代という事になる。このヴァイオリン協奏曲第1番はゴルドマルクの作品中最も有名なものであり、第1楽章などはどことなくブラームスの作品を思わせる。また特に「エア」と題された第2楽章の旋律の美しさは極上である。
 
 終楽章はハンガリー舞曲のようなロマ舞曲風の快活な旋律が印象的である。

 コルンコルドやゴルトマルクはほぼ同時代を生きたマーラーやブラームスのような大作曲家の陰に隠れ、いまひとつマイナーな作曲家であるがここで聴くヴァイオリン協奏曲は彼らの実力が遺憾なく発揮され、ユニークであり印象的である。もっとふたりの作曲家の作品は世に知られるべきであると思う。折に触れてチェックしたい作曲家である。

 演奏はヴェラ・ツウという上海出身の中国人ヴァイオリニスト。善戦しているものの、楽曲が超絶技巧を要求される作品のため、なんとか形にしているというレヴェルの範疇を脱しえないというのが本音。これらの楽曲における超絶技巧の向こう側にある作品の本質を描き出すには程遠い。このヴァイオリニストの年齢はよくわからないが録音から察するに彼(彼女?)は若すぎるのかもしれない。楽譜に書かれた音符をなぞる事にはある一定の成功を収めている(これだけでもすごいことなのはよくわかるけれど!)がもう一歩深みが欲しい。
 
 とはいえ廉価版でこれらの素晴らしいマイナーな楽曲をある一定のクオリティーで聴けるのだからいい時代になったと思う。

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ブルックナー
交響曲第5番変ロ長調(ハース版)

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:セルジュ・チェリビダッケ
REC:1993(EMI TOCE-9803/4)

 ブルックナーといえばチェリビダッケを忘れてはならないであろう。ギュンター・ヴァントと双璧をなすブルックナー指揮者であるがそのスタイルは全く異なる。
 
 一つ一つの音やフレーズへの意味付けが非常に濃くて説得力があるというより説き伏せられる感覚。禅に興味を持ったチェリビダッケらしい悟りの境地のような世界観がこの演奏にはある。
 
 確かにテンポは遅めであるが強靭なリズムが各所で冴え渡っており淀んだり間延びしたりする事は決してない。集中度の高い稀有な演奏である。

 さらにこの時代におけるミュンヘン・フィルの技術の高さには驚かされる。ライヴ録音のはずなのに全く傷がない。極度の緊張状態がこれほど長く続き一点の淀みも感じないのだから改めてチェリビダッケという指揮者の偉大さを感じる次第である。

 チェリビダッケは相当偏屈な人間であったらしく録音を嫌悪し存命中には正規の録音はほとんど皆無(映像はあったが)であった。そのためかなりの数の海賊盤が高値で売買されていた。私もこの幻の指揮者のブルックナーが聴きたくて何枚となく(紫色や緑色のジャケットだった!)粗悪品のCDを買っては感動していた。

 1996年にチェリビダッケが没した後、1999年にEMIから正規録音が発売された。海賊盤でしか聴けなかったチェリビダッケのブルックナーがすばらしい音質で聴けるに及びとてつもない感動を得ることが出来たのは昨日のように思い出す。

 その後、ヴァントやスクロヴァチェフスキ、ティントナーなどの録音が取り上げられるようになり今改めてこのチェリビダッケの録音を聴くにつけて、その音楽性の深さと説得力、そして何よりミュンヘン・フィルのとてつもない技術の高さに、心の底から感心している。

 テンポの遅さで奇人変人と思われている節のあるチェリビダッケであるが、この第5交響曲は第2楽章の特異すぎる遅さを除けば、はかねがね一般的なテンポ設定の枠を外れないものである。

 とにかく隅から隅まで研ぎ澄まされた完璧な音楽である。ここでの完璧はチェリビダッケの理想とするブルックナーの音楽がそこの再現されているという点で完璧という意味である。

 深く強く柔らかくすべての意味で完璧なサウンド。本当に言うことなし。素晴らしすぎるミュンヘン・フィルの音色には言葉はない。

 さらに特記すべきはティンパニの正確かつ豪快な打ち込みであろう。音楽を引き立て、ただでさえ遅いテンポであるチェリビダッケの音楽をよどみなく前へ前へ持っていくリズム感の素晴らしさは名状しがたいものがある。

 その名はペーター・サドロ。ミュンヘン・フィルの有名なティンパニストである。

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