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プロコフィエフ
1.ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調 作品80
2.ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 作品94
3.ヴァイオリンとピアノのための5つのメロディ 作品35bis
4.無伴奏ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 作品115
竹澤恭子(Vn)
アレクサンダー・マッジャー(Pf)
REC:1994[1〜3]1995[4]
ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 作品94bis
1943年に作曲されたフルート・ソナタをD.オイストラフの助言を得てヴァイオリン・ソナタに改作されたのがこのヴァイオリン・ソナタ第2番である。
構想からかなりの時間を経て出来た第1番のソナタが作曲される前に完成していた。初演も(原曲のフルート・ソナタとしては1943年)1944年である事からどうして第1番と第2番が(作曲も初演も出版も第2番のほうが早いのに)逆なのか良くわからない。
確かに作曲が始まった時期は第1番のほうが早いのだが(完成は第2番のほうが早いのに)。
第1番より分かりやすくて聴きやすい。第1楽章の繊細で心をえぐられるような美しい旋律は一度聴いたら忘れられない。第1番よりはるかにリラックスして聴くことが出来る。
確かに内容の濃さは第1番の尋常ならざる集中力には遠く及ばない。第1番と第2番を天秤にかけると聴き易さから言ってこの第2番だろう。ただ音楽として体現されたときの衝撃は第1番が圧倒的だ。その意味において重いのが第1番。軽いのが第2番。きっと様々な人から支持されるのはこの第2番のはずだ。
ちなみに、この楽曲は年初にアンネ=ゾフィー・ムターのヴァイオリンで聴いたことがあった(http://blogs.yahoo.co.jp/qq473ms9/24838688.html)。
ムターの演奏は表情が豊かで強烈な印象が今でも残っている。今日聴いた竹澤の演奏は模範的で完璧だ。だがムターのむせび泣くようなヴァイオリンの音色と攻撃的とも思える力強さのイントネーションの対比がこの音楽の持つ激情を強烈に描き出していて私は圧倒的にムターのライヴ盤を支持したい。
竹澤のヴァイオリンは正確無比であるのに感情が伴わない。だからつまらないのかもしれない。第1番で聴かせてくれた極めて内向的で暗鬱とした重苦しく繊細な演奏とこの音楽の性格は確かに違う。そう、竹澤は同じように演奏してしまっている。第2番は明らかに持っている性格が違うのだ。ムターのような天真爛漫な過激さがこの第2番のソナタには欲しい。この第2番は激情を持って演奏すべき。激しい感情の浮き沈みが表現できているのがムターのヴァイオリン。単純に正直に譜面を従順になぞってしまったのが竹澤の演奏といえる。
プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番を聴くときに今年の2月に聴いたCDを記憶にとどめておいたのはそれだけムターの演奏が強烈な印象として心のどこかに残っていたからだろう。この記憶こそ素晴らしかった証左だろう。改めて今日聴き直したがやはり生命の宿った演奏。名演だ。
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