クラシック音楽とうさぎの日常

久々に。秋が深まるのでしばらくブラームスで。

今日のCD(トピックス)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調作品125

メキシコ州立交響楽団
指揮:エンリケ・バティス
REC:1996


 あまりに直線的な第9である。叩きつける粗野なアタックとまるで弦を削るような激しいアーテュキレーションに全面に染まっている。

 第1楽章と第2楽章はあまりにどぎつい配色の油絵を見ているような錯覚に陥る。第2楽章に至っては、とにかく一瞬たりとも「人間的な感情」が入り込む余地がないほど何かに取り憑かれたような、常軌を逸した狂乱状態の演奏といえる。何にも例えようもなく、ただただ呆然とするだけである。

 第3楽章は他の演奏だとぼやけてただなんとなくという雰囲気があるがこのバティスの演奏は線のしっかりとした音楽になっていてわかりやすい。ただし色気や優しさなどの情緒は全くない。

 有名な第4楽章は激しくきつい演奏であるが、なんとか聞くに堪えうる音楽なっている。それでも攻撃的な演奏は続き合唱が入ってもこのスタンスは変わらずである。力強い独唱陣と合唱団はなかなかの腕前だ。どこまでも豪快な「合唱」交響曲である。

イメージ 1

ベートーヴェン
1.交響曲第7番ヘ長調作品68
2.交響曲第8番ヘ長調作品68

メキシコ州立交響楽団
指揮:エンリケ・バティス
REC:1996

交響曲第7番ヘ長調作品68



 この交響曲第7番はただでさえ賑やかな音楽なのにバティスの手にかかると完全に暴れ馬である。常軌を逸したようにたたきつけられるリズム、疾風怒濤の超快速テンポ、まるで締め上げるような妥協のない音楽運び。言葉がない。
 深い苦悩とは全く縁のない超即物的な第2楽章には唖然とするしかない。ここまで非人間的に演奏された第2楽章は稀である。第3,4楽章は酔っ払って乱闘している音楽である。勢いいいが乱雑すぎる。 まさに鬼才の放つ爆演である。梅雨も吹っ飛ぶ。


交響曲第8番ヘ長調作品68



 なんとも強烈な第8交響曲である。聴いていて痛い。大迫力、大パノラマな演奏である。野太いサウンドと激しいアタックで埋め尽くされたぶっちぎりの怪演。
 基本的に第7交響曲に感じたときと同様、濃い油絵の具で塗りたぐったように濃い演奏で戦車であたりを蹂躙するような強烈、激烈な演奏。従来のこの音楽に対する常識を完全に覆した奇演といえよう。



 画像は、エンリケ・バティス。

開く トラックバック(1)

イメージ 1

ベートーヴェン
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

メキシコ州立交響楽団
指揮:エンリケ・バティス
REC:1996

 この演奏は絶対に「田園交響曲」ではない。「工業地帯交響曲」である。暖かな雰囲気はなくただ、現実的な音の羅列が永遠に続いているのだから。

 第3交響曲のときに感じた「鋭く入り何の余韻も残さずパッと終わる」というニュアンスが「田園交響曲」ではより徹底されていてアクセントの極めて鋭い音楽になっていて大変攻撃的な印象を持つ。管楽器の、本来音色が温かくなる部分でも、野太く、穏やかさのかけらもない。荒野を疾走する暴れ馬か、日々工場の生産ラインに乗る機械を想像してしまう。

 圧巻は「嵐」の部分の第4楽章。これは「嵐」ではない。地球滅亡の天変地異の音楽である。まさに「地獄」ともいうべきか。

 まったく「田園」からは乖離しすぎていて別次元の音楽になっている。バティスという指揮者はいったいなにものなのであろうか?

 この画像のおっさんはおそらくベートーヴェンでしょう。

イメージ 1

ベートーヴェン

交響曲第5番ハ短調作品67「運命」

メキシコ州立交響楽団
指揮:エンリケ・バティス
REC:1996

 即物主義の最先端を突っ走る、豪腕、鋼鉄、な「運命」。そこには感情の付け入る隙もなくただただ音楽がぐいぐいと流れていくだけである。
 
 鋼のようなサウンドが音塊となって縦横無尽にこの運命交響曲を形作っていく。まさにトスカニーニの再臨であり、地をも揺るがす、豪快、強引な運命に翻弄されるのは聴き手であろう。
 
 第1楽章の鉄のような音楽が凄まじいスピードと形相で突き進む演奏には度肝を抜かれるであろうし、全く心の休まない、脅されているような感覚に陥る第2楽章。野獣のような第3楽章や、その野獣の雄叫びにも似た終楽章。
 
 「運命交響曲」のなかにあって極めて稀な演奏であり、他のどのカテゴリーにも収まらない。あえて言うなら、トスカニーニのスタイルを野獣化させた演奏。厳重な檻の中にしまっておかないと怪我をする。危険度重大。

イメージ 1

ブラームス
1.交響曲 第4番 ホ短調 作品98
2.大学祝典序曲 作品80

ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:マレク・ヤノフスキ
REC:1985

 ブラームスのこの第4交響曲はすべてにおいて「深み」が存在していて、この「深み」をいかにも人間らしく心の底からえぐるように演奏しなければこの音楽の真髄はないと私は思っている。
 
 その意味においてこの演奏は中途半端でいけない。第1楽章はオケの響きが明らかに薄く深みに欠ける。ヤノフスキは所々でテンポの変化をもって音楽の深みや意味を訴えているのがわかるのだが響きがついてこない分このような細工に関しても白けてしまう。
 
 清流のように透明で清らかに演奏される第2楽章もブラームスの本流からは完全に外れた音楽との印象を強く与えるし、響きが放射状に放てられる第3楽章もディズニー映画やハリウッドの映画音楽を髣髴とさせ音楽が完全に流れてしまうように思う。

 終楽章も第1楽章同様、キンキンとした響きで深みに欠けやや焦点のぼやけた感のあるはっきりとしない演奏にフラストレーションがたまった。

 部分的には集中力があっていいところもあるのだけれど、ふと緊張感が途切れてしまう部分もあり全体のまとまり、統一感に欠ける。
 
 しかしこういったマイナスの印象は録音にも原因があるのではないだろうか?もっと各セクションの音が分離していれば、もう少し聴ける立派な演奏になっていたに違いない。
 
 指揮というか音楽のつくりはかなり深いところに切り込んでいっているように思えるのだがつめが甘く、さらに録音状況が散漫としているためかはっきりしない印象を与えるのかもしれない。
 
 大学祝典序曲は丁寧で入念な演奏である。サウンドはきびきびとして爽やか。立派な演奏だ。

.
ちぇり
ちぇり
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事