クラシック音楽とうさぎの日常

久々に。秋が深まるのでしばらくブラームスで。

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ブルックナー
交響曲第6番イ長調
シカゴ交響楽団
指揮:サー・ゲオルグ・ショルティ
REC:1979(DEC 448 917-2)

 ショルティとシカゴ響によるブルックナーの交響曲全集における最初の録音となったものが第6交響曲であった。意図は不明であるがまたマイナーな楽曲から録音したものである。

 第1楽章の冒頭における付点のリズムにショルティは相当入れ込んでいる。いわゆるウィンナ・ワルツのようにつまった様な独特のリズムを要求しているように感じる。これには私も賛同しない事もないが、何せオーケストラがなんだか戸惑ったような感じで上手い事そろわないのが聴いていてもどかしい。ティンパニはずばり見事にたたいているのに!第1楽章の最後のティンパニは本当に素晴らしい!!!

 録音のせいもあるだろうかその後も演奏が非常に平面的でブルックナーの立体的な構造美を体現するのに欠けている。金管の強奏も無味乾燥に感じられ最後までちぐはぐな第1楽章である。

 第2楽章は相当鳴っていて厚みはあるが深みにかける。ブルックナーは難しいのだろう。「今」が良く聴こえても「次」を予感させる「何か」がないと、どんなに上手くても非常につまらなく聴こえてしまうのだ。この演奏がその通り。どんなにおいしい料理を食べたとしても雰囲気が全くダメ。高級なフランス料理を場末の居酒屋で食べているような感じだ。

 第3楽章、第4楽章も同様あまりに現実的過ぎて面白くない。楽譜がやたらに小難しく書いてあるマーラーなどを演奏すればすごい演奏を聴かせてくれた同コンビであるが、ブルックナーの交響曲、特にこの
第6交響曲は騒々しいだけで意味が良くわからなかった。

 個人的には首を傾げてしまう演奏であった。

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ブルックナー
交響曲 第6番 イ長調(原典版)
ベルリン放送交響楽団
指揮:ハインツ・レークナー
REC:1980(DS TKCC-30617)

 旧東独を代表する指揮者、ハインツ・レークナー。決して派手な存在ではないが特徴のある音楽を作る指揮者である。

 今日聴くブルックナーの第6交響曲はサウンドが澄み渡っており非常に明快な音楽に仕上がっている。総じて速いテンポでさっぱりと進められるが、そこで奏でられる音楽全てが明晰で意味深くバランス感覚に鋭い感性をもった指揮者であるといえる。
 
 第5交響曲を聴いた時はなんだかあまりにも忙しすぎる嫌いがあったが第6交響曲ではこのあっさりとした感じが非常に良く作用しているように感じる。要するにあっさりとしていながら意味深いのである。音楽に深みがあり説得力がある。
 
 チェリビダッケの遅いテンポとは全く異なる。またスクロヴァチェフスキやヴァントほど厳しくない。アイヒホルンほど田舎臭くない。かといってラッセルほど都会的でもない。むしろティントナーに感じられた流線型の自然な音楽の流れに近いものがある。
 
 第6番においては一番に挙げてもいい演奏である。
 
レークナーのグルックナーは第4〜第9まであるようだ。全て聴いてみたい。


参考
レークナーの指揮によるブルックナーの第5交響曲
http://blogs.yahoo.co.jp/qq473ms9/59479467.html

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ブルックナー
交響曲第6番イ長調

大阪フィルハーモニー交響楽団
指揮:朝比奈隆
REC:1977(JeanJean JJGD-2007)

 録音状態もひどく、オーケストラが下手すぎる。

 第1楽章、冒頭から妙に遅いテンポで始められるが、ヴァイオリンにおけるシンコペーションのリズムのラインがめちゃくちゃ。トランペットは音をはずすし、のっけからがっかりである。おまけにゴツゴツした録音で強奏では音が潰れて濁る。非常にフラストレーションがたまる演奏であり録音である。

 第2楽章は辛うじて音に深みが感じられるが、他の楽章は全くいただけない。弦楽器は健闘しているが管楽器の決定的な技術不足が散見される。

 残念ながら全曲を聴き通すことができなかった。それほどに聴くに堪えない演奏、録音である。

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ブルックナー
交響曲 第6番 イ長調(原典版)

ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)
指揮:オイゲン・ヨッフム
REC:1978(EMI 5 73905 2)

 オイゲン・ヨッフム。チェリビダッケが独特の世界観をもっていたとするならばこの人は徹底したリアリストであったと思う。前回、第5交響曲を聴いたときも感じたのであるが「ヴァントやスクロヴァチェフスキの流れの源流」とも据えることのできそうな、愚直とも思える直線的で具体的な「純音楽」としてのイディオムが徹底して「とうとう」と流れ感じられるのだ。

 ある意味、トスカニーニなどに感じられる「即物主義的音楽」を髣髴とさせる。特に第2楽章を聴けば一目(耳?)瞭然であるだろう。そこには徹底した現実を積み重ねていく事によってのみ体現される、ある意味において非常に説得力のある音楽が存在していくのだ。この手法はチェリビダッケで感じられた神々しいほどの哲学的な演奏とは完全に一線を画する。

 感動というよりは感心させられ納得させられる。これこそヴァントやスクロヴァチェフスキと同じ系譜に立つと思う証左であると感ずる。

 どこまでも厳格で流されない鉄の意志を感ずる「剛演」である。

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ブルックナー
交響曲第6番イ長調(ハース版)

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:セルジュ・チェリビダッケ
REC:1991(EMI TOCE-9805)

 独特の世界観をもってブルックナーに挑むチェリビダッケの哲学の全てを凝縮してまるで結晶となったかのような名演である。テンポは遅いのであるがそれほどの遅さを感じさえない。フレーズ一つ一つに意味を持たせ、サウンドが有機的に絡み合いまるで生きているかのように迫ってくる。
 
 ミュンヘン・フィルの傑出した技量にも驚かされる。全てが完璧に近いサウンドである。リズムも非常に厳しく決して緩まない。極度の緊張感の中にもはやこの世のものとは思えない世界が存在している。
 
 チェリビダッケという、どの指揮者とも相対的な評価など出来ない独特な世界観をもったその世界がミュンヘン・フィルという信じられないほどの技術を持った演奏家たちによって体現されたこのブルックナーの音楽における奇跡の前に言葉を失う。
 
 このチェリビダッケとミュンヘン・フィルによるブルックナーの第6交響曲、これは音楽を超越しているようにも思える。音楽を越えた何かである。
 
 好き嫌いがはっきりと分かれる演奏であることも前提として申し上げておきたい。ある人は私のように奇跡的な名演というかも知れなし、ある人は愚にもつかない変態な演奏とののしるに違いない。それほどの稀有な世界観をもった演奏といえる。
 
 前回聴いた同コンビによる2種類のブルックナーの第5交響曲同様、腰の抜けるような衝撃的な感動を覚える名演奏である。少なくとも私はそう思う。


 参考
 チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルとのブルックナーの第5交響曲(1993年のEMIへの録音)
 http://blogs.yahoo.co.jp/qq473ms9/59224283.html

 チェリビダッケ、ミュンヘン・フィルによるブルックナーの第5交響曲(1986年サントリーホールライヴ録音)
 http://blogs.yahoo.co.jp/qq473ms9/59652505.html

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