クラシック音楽とうさぎの日常

久々に。秋が深まるのでしばらくブラームスで。

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ブルックナー
交響曲第5番変ロ長調

ザールブリュッケン放送交響楽団
指揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
REC:1996(ARTE NOVA BVCC-6052)

 NAXOSレーベルと双璧をなす廉価版レーベルARTE NOVA。NAXOSレーベルがティントナーを擁してブルックナーの全集に取り掛かったほぼ同時期にARTE NOVAからはスクロヴァチェフスキを擁して全集に取り掛かることとなった。
 
 スクロヴァチェフスキはティントナーやアイヒホルンよりもかなり速めのテンポ設定でぐいぐいと音楽を進めていく。ザールブリュッケン放響の音色は筋肉質でがっちりとしたものである。リズムや音楽そのものに弛む部分が全くなく高度な集中力を持った名演といえる。
 
 1999年1月に来日した際にインタビューを受けその記事がレコード芸術の1999年7月号に掲載されている。その中でスクロヴァチェフスキはブルックナーをはじめとする大規模な交響曲の演奏について「・・・セクションのバランスに特に留意をして・・・細部の構造を聴衆に明確に聴き取れるようにする・・・私はこの種の音楽をやるには、レントゲン写真のようにすべてが明確に聴こえるということを常に心がけている・・・」と述べている。

 このブルックナーの第5交響曲はまさにその通り、すべてのセクションがきわめて良好なバランスのもとに整然と響いており、あまり聴き取る事の出来なかった細かな音が明瞭に聴こえてくる。そのためによりこのブルックナーの楽曲の多重的な構造がよりリアルに感じられはっと驚くことがある。

 このバランス感覚が特に成功している部分はフィナーレの最後の本当に最後の部分。他の演奏ではまず聴き取る事のできない木管楽器のフレーズを金管楽器の強奏を一瞬さっと消して浮き立たせるところである。絶妙としか言いようがない。金管楽器が上昇していく旋律を奏でた後、通常であれば金管による同音におけるリズム打ちが数小節あるのだがここをすっと落として木管楽器の上昇の音をはっきりと浮き立たせるのだ。これは本当に素晴らしい。感心してしまう。これを聴いていると金管の上昇の後木管による上昇を挟んで最終音へとすすむわけで、理屈に合う気がする。要するにスクロヴァチェフスキのこの演奏のほうが自然に思えてくるのだ。
 
 きびきびとした音楽運びと絶妙なバランスでスコアを見事に浮き立たせる卓越した指揮、質感のあるザールブリュッケン放響の肉厚で筋肉質ンなサウンド、そのすべてが新鮮かつ説得力をもっている。
 
 個人的には今のところ同曲におけるベストな演奏である。

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ブルックナー
交響曲第5番変ロ長調

ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
指揮:ゲオルク・ティントナー 
REC:1996(NAXOS 8.553452)

 アイヒホルンのブルックナー選集を聴くに当たりやはり色々対抗馬も聴いたほうがいいかなと思い、誉れ高いティントナーの全集も参考に聴いていこうと思った。

 第5交響曲はロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管が演奏を担当している。アイヒホルンの演奏よりもテンポは速めでありサウンドはさっぱりと淡白。音の立ち上がりが非常にシャープで切れ味がある。弦楽器に関してはざらついた感じを受ける。金管楽器も強奏の場面になると雑然とした薄い響きが残念である。この硬質なサウンドはどうしてもブルックナーにはふさわしくないと考えてしまう。

 であるが・・・この演奏に魅せられ引き込まれてしまうのだ。それはおそらく響きが薄いだの硬質だのそういった表層的なものとは異なるロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管の尋常ならざる演奏への集中力を感じざるを得ないからだ。金管の吹っ切れたようなさっぱりとしたストレートな強奏に代表されるようにティントナーのタクトに必死にくらえつこうという滲み出る必死さがこの演奏から感じられてならない。余裕など微塵もない、120%持てる力のすべてを叩き込むような必死な演奏に心底感動する。

 その意味においてもティントナーという指揮者の神がかり的な力量を感じさせられる演奏である。音楽家として指揮者として生涯のほとんどが不遇であったティントナーが晩年にようやく手にした活躍の場、その集大成であるブルックナーの交響曲全集の第1弾となったこの交響曲第5番。遅すぎた栄光の始まり。その魂が凄まじい音塊となって聴くものの心にぶつかる。

 これぞ音楽。魂が揺れる。心が揺さぶられる。

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ブルックナー
交響曲第5番変ロ長調(ノヴァーク版)

リンツ・ブルックナー管弦楽団
指揮:クルト・アイヒホルン
REC:1993(CAMERATA CMSE-436,7[080823-4998DUK])

 今日はブルックナーの交響曲の中でも個人的に非常に好きな楽曲である第5交響曲を聴く。

 この演奏を端的に表すとすれば虚飾のない誠実で素朴な雰囲気に彩られつつも入念な演奏といえる。劇場型の指揮者らしく随所に微妙なルバートやリタルダンド、アッチェルランドを取り入れ旋律のニュアンスを微妙に変化させるところなどは素晴らしい。特に第3楽章でその傾向は顕著である。オーケストラもよく反応している。

 サウンドも重心の低いしっかりとした音でさすがはブルックナーを冠するオーケストラといえる。隅々まで音色の深みが染み渡っていて味わい深い。

 フィナーレ楽章ではやや緊張感が散漫となってリズムに単調さをきたす部分がある。フィナーレにおける急激なテンポのブレーキにも個人的にはやや疑問を感じてしまう。

 細かい点においてはいろいろあるとはいえ、全体的におおらかで力みや虚飾のない枯淡の極みともいえるアイヒホルンの解釈と深く味わいのあるリンツ・ブルックナー管の音色が絶妙のバランスを醸し出しており、なんともいえないブルックナーとなっている。第4楽章後半の金管楽器によるコラールの荘厳さ、神々しさは他に類を見ない。

 テンポは全体的にゆったりとした感じでとうとうと流れる大河のように悠然と大きなスケールですすんでいく。

 ギュンター・ヴァントやオイゲン・ヨッフムらと並び称されるアイヒホルンの到達したブルックナーの真髄をここに聴くことが出来る。
 
 ちなみにアイヒホルンは同曲をこの録音より前の1990年にバイエルン放送交響楽団を指揮した聖フローリアン教会におけるライヴ録音も残している。私は未聴であるが評判がいい。

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 今となってはブルックナーの交響曲全集はそれほど珍しいものではなくなってきた感がある。古くはヨッフムや朝比奈の録音、最近になってインバルの全集を皮切りにスクロヴァチェフスキやヴァント、ティントナーの全集やチェリビダッケの選集などが発売され様々な演奏を耳にする事が出来る。
 
 その中にあって比較的地味な存在でありながらきらりと光る全集がある。長らく劇場畑を歩んできたクルト・アイヒホルンの指揮による選集である。アイヒホルンが80歳代になって挑んだブルックナーである。もともと全集を企図したものであったがアイヒホルンの死去によって全集の録音は実現しなかった。演奏はもともとリンツの劇場オーケストラであったリンツ・ブルックナー管弦楽団。
 
 結果としてアイヒホルンは第2番と第5番〜第9番の録音を残した。残りの第1,3,4番を1992年から2000年まで首席指揮者を務めていたマルティン・ジークハルトが受け継ぎ、第0番を1975年から85年まで首席指揮者だったテオドール・グシュルバウアーの指揮による過去の録音を転用し一応の全集として発売された。
 
 クルト・アイヒホルンは、1908年ミュンヘン生まれ。長らくミュンヘンの地方劇場で指揮をし、バイエルン放送局の第2オーケストラ(第1オーケストラは有名なバイエルン放響)ミュンヘン放送管弦楽団(1967〜75)の指揮者を務めた。1984年からこのリンツ・ブルックナー管弦楽団の名誉指揮者となりこのブルックナーの録音を開始したようだ。

 ドイツにおける典型的な劇場指揮者であったためか長らく日本での知名度は非常に低かったが、このブルックナーの録音で一躍その名を挙げた。この意味においてはティントナーのそれと似るところがあるといえよう。

 ブルックナーゆかりの地のオーケストラと劇場のたたき上げの指揮者、アイヒホルンの指揮を中心にブルックナーの全集をじっくり聴いていきたい。

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ベートーヴェン
1.バレエ音楽「プロメテウスの創造物」作品43 序曲
2.「コリオラン」序曲 作品62
3.交響曲第10番から第1楽章(編曲:バリー・クーパー)
4.交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」〜第4、第5楽章(リハーサル)
5.交響曲第10番から第1楽章(リハーサル)

バーミンガム市交響楽団
指揮:ヴァルター・ヴェラー
REC:1988(Chandos CHAN 8717)

 さてワルター・ヴェラーの指揮するベートーヴェン全集は一応の終わりを見たわけであるがこの全集にはおまけがついている。おまけといっていいのかどうかわからないけれど2つの序曲とイギリスの作曲家で音楽学者バリー・クーパーの編曲したベートーヴェンの交響曲第10番という珍品が収められている。

 まずは序曲2曲である。「プロメテウスの創造物」序曲と「コリオラン」序曲である。演奏は豪快でスケールが大きくなかなか聴き応えがある。リズムが躍動しサウンドが引き締まっており集中度の高い佳演である。

 さて、珍品の交響曲第10番。この楽曲は第9交響曲「合唱」とともに作曲が企図されていたものであったが結局、構想で終わってしまった楽曲である。

 この際にあった様々なスケッチをもとにイギリスの作曲家で音楽学者バリー・クーパーというひとが編曲(というよりほとんど作曲に近い)したものがこの第10番の交響曲。実際のところはいくつかの楽章があるらしいが録音で残されているのは第1楽章のみである。

 この交響曲第10番の第1楽章は3つの部分からなっていてそれぞれアンダンテ−アレグロ−アンダンテという構成になっている。最初のアンダンテの部分はまるで第9番の第3楽章や第8番のピアノ・ソナタ「悲愴」の第2楽章を思わせる。

 中間部のアレグロ部は「田園」交響曲の「嵐」の部分やふとブラームスを感じさせる雰囲気でもある。最後のアンダンテの部分は最初のアンダンテの部分が再現される。

 結果としては長たらしいだけで内容に薄くベートーヴェン風の音楽がここに再現されただけかもしれない。でも決して悪い音楽ではない。「合唱」交響曲、「田園」交響曲、「悲愴」ソナタが薄く交じり合ったポエムのような随想のようなそんな楽曲である。ちなみにヴェラーはこのバリー・クーパーによる楽曲を初演している。そのような経緯から全集にこの楽曲をいれたのだろう。

 最後に「田園」交響曲と第10番の交響曲のリハーサル風景が収録されている。ヴェラーはフレーズを徹底的に声に出して歌い、団員に旋律の情緒を伝えている事がよくわかる。この練習を通じて音楽がまとまっていく風景を感じられるとてもいいトラックである。
 
 このCDはとてもいい。序曲2曲は名演だし、珍品のベートーヴェンの第10交響曲が聴けるし、ヴェラーのリハーサル風景も聴ける。
 
 最後にベートーヴェンの交響曲全集の余韻を聴ける感じ、エピローグを聴く感じですごく印象がいい。
 
 ゲテモノ扱いされているクーパー編曲の第10交響曲もヴェラーの演奏で聴くとさすがにベートーヴェンの作品とは思えないにしてもその時代のその周辺の楽曲のように感じられてくる。

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