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toudou455のブログ 火縄銃 ときどき山登り
火縄銃と歴史について書いています。ときどき山登りもします。

仙台の10匁玉火縄銃

          仙台の10匁玉火縄銃

人間の想念には,磁力があるらしい


今,仙台の鉄砲について調べている。仙台藩は,表高62万余石だが新田開発を進め幕末には実収100万石と言われた東日本随一の大藩である。宝暦6年(1756年)の時点で,仙台城二の丸兵具蔵に4匁玉火縄銃6435挺,6匁玉筒300丁,十匁玉火縄銃390丁が保管されていたと仙台藩秘録』は,記録している。

     仙台の4匁玉火縄銃
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だから,仙台の鉄砲の中でも4匁玉火縄銃のような小筒は,今も市場でたくさん取引されている。だが,口径19ミリの十匁玉火縄銃は,そうはいかない。当時でも390丁しか仙台城にもなかったのだから,今,これを手に入れるのは至難の業である。物がないから骨董市場に出てこないのだ。これでは,いくら欲しいと思ってもどうにもならぬ。
仙台の鉄砲を詳しく調べるようになって半年が過ぎたが,驚くべき現象が起こっている。ここ3か月の間に4丁もの十匁玉火縄銃が私の手元に集まってきているのだ。まるで磁石に引きよさせられる鉄粉のようである。人間の想念には,驚くべき力があるのかもしれない。

     仙台の10匁玉火縄銃
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第二代仙台藩主の伊達忠宗は,伊勢流の弟子だった。

今,図書館や博物館に通ったりして,伊達藩の砲術を調べている。伊達藩の砲術や鉄砲に大きな影響を及ぼし,伊達の鉄砲好みと言われる気風を作ったのは,初代藩主の伊達正宗と二代目の忠宗だと,私は確信している。その忠宗がどんな砲術を修業したのか分からないで困っていた。なにしろ仙台市博物館に問い合わせも,判明しないのだから,手の施しようがない。

 仙台藩主所用と考えられる個人用弾薬箱
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  弾薬箱の隣にあるのは、防水用の革製覆い。竹に雀の金家紋
  が5面全てに施された格式の高いものである。 伊達本家の直
  臣で、小姓組,郡奉行、軍事奉行などを歴任した某家に伝わ
  ったもの。

調べ初めて一か月半が過ぎた先週のことである。要流という砲術流派を調べていたら,偶々,秀忠が伊勢流砲術に入門したという記載が目に飛び込んできた。寝っ転がって,醤油煎餅をバリバリ喰いながら,前から持っていた本を読んでいた時のことだ。まさに,これこそフーテンの寅さんが,「東大の根っこは暗いよ。」と言った通りだ。
その本は,占部日出明さんという人が書いた「日本の砲術流派」という大作で,素晴らしい本だ。占部さんは香川の人だが,四国には凄い人や怖い人が何人もいるので,これからも足を向けて寝てはいけないし,この本を煎餅のカス受け代わりにするのは,もうやめようと思う。
伊勢流砲術を興したのは,毛利伊勢守高政という秀吉子飼の叩き上げの戦国武将だ。毛利高政は,佐伯藩二万石の藩主でキリシタン大名でもある。伊達忠宗が毛利高政に弟子入りしたのは,元和7(1621)のことだ。その前年には,正宗の命を受けヨーロッパに行っていた支倉常長が,仙台に戻ってきた年でもある。伊達家というのはどうも胡散臭い。謀反の匂いがする。

そういえば,支倉家の家紋は右卍だけれど,その右卍家紋の入った20匁の仙台筒を誰かが持っていたのを思いだした。僕に譲りたくなってくれないかなぁ〜。

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      右卍家紋の入った20匁の仙台筒。
   所有者に許可を得てないので,家紋部分のみ。
   しかも知られると非常にまずい。
   私より先に手を出す人がいるにきまっている

あっ,そろそろ酒を飲む時間になった。
続きは明日のお話だ。

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尾張藩 要流の鉄砲 力薬9匁の火縄銃   その3

 というのは,困った生き物である

要流砲術は,尾張藩に伝承された地域的な砲術流派のようであるらしい。世子が学ぶとされる御流儀鉄砲は,尾張藩では稲富一夢流であるが、要流砲術も藩校や郷学で教授される藩公認の砲術流派だった。尾張藩は,砲術家を広く求めたようで,要流と同様に藩公認の砲術流派は30を超え公認以外もふくめれば,全部で58流があったという(占部日出夫著 日本の砲術流派)

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                       東南隅櫓から見た本丸御殿と大小天守

種子島に鉄砲が伝来して以降,日本には確認されているだけでも583流の砲術流派が誕生した(武芸流派大辞典) というから,尾張藩にはその10分の1が伝承されていることになる。愛知県には,尾張藩のほかに岡崎藩など多くの藩があるから,愛知県は古式砲術の博物館とも言えそうだ。

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さて,私の要流の鉄砲は,先週から業者さんに検査入院している。かりに若手会員に譲るとしても,完全で安全なものを渡さなければならない。火縄銃演舞は,安全第一が要だ。それに,どうせ点検料は無料だし,おまけにサービスで油をひいたりして奇麗にしてくれる。
昨日,その業者さんから,電話があった。点検したら,雨覆いがハンダ付けだったというのだ。「どうする?」と聞かれた。声が明らかに笑っている。人の不幸が楽しいのだ。また騙されやがったなとでも思っているのであろう。仕様がないので,修理をお願いした。骨董品にはこういうことが多いのだ。骨董屋さんは,手っ取り早く儲けたいから,いい加減な修理をしてしまう。

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           火皿の上に写っている鎌形の部品が問題の雨覆い。
      ただし,これは別な鉄砲の写真。
      要流の鉄砲は明日のお昼に退院予定である。

よく考えたら要流につい ては,まだ調べていないので,この鉄砲は譲らないことにする。無名の六匁の火縄銃があるから,それを譲ることにしたい。これは,空包演武済のものだが骨董品としては品が下がる。でも,これで我慢してもらうしかない。これならタダ同然の値段にできるから,若い人にはピッタリだ。とは言ってみたものの,本音を言えば,とてもいい鉄砲だから惜しくなっただけのことである。人というのは,困った生き物であるなぁ〜。しかし,よく考えると,今回の一番の被害者は私ではなかろうか。譲るか譲るまいか,かなり悩んだ末,修理代まで支払うことになったのだから。
 

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尾張藩 要流の鉄砲 力薬9匁の火縄銃   その2

江戸時代の火薬について考える。

昨日お話しした力薬9匁と彫られた要流の鉄砲のことについて考えている。9匁とは約34gの重さになる。この鉄砲の口径は16.5ミリで,7匁玉を射出できる。

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現在行われている前装銃競技の経験談を聞いたりすると,このサイズの鉄砲の実弾射撃には火薬
6g7gあれば十分ということだ。そうであれば,「力薬9匁」(34g)の銘文を信じる限り,通常の実弾射撃5倍の火薬を詰め込むことができるという計算になる。はたして,そんなに大量の火薬を本当に装填できるのだろうか。約34gの火薬なら30匁大筒(口径2.8ミリ)の空包演武も十分行える火薬量だ。
この難問を解決するために,飾り棚にしまっていた大型の火薬入れを出してきて調べてみた。赤色皮張りで,写真で見るよりも,実際は,もつと美しい品物だ。後ろには,細工彫りされた水牛の角製の帯留めが取り付けられている。戦場や屋外に持っていくような品物ではない。いわば大名道具といって差し支えないだろう。

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高さが25センチほどあり,容積計算してみたところ約2リッター以上の容積がある。ただし私の計算だから,正確とはいえない。
どんな火薬入れでも,蓋は,その銃1発分の火薬を測れる枡となるよう作られている。そこで蓋に火薬を入れてみたところ,すりきり一杯でピッタリ20gの火薬が入ることが分かった。そして蓋の内側には,二重線が彫り込まれていて,そこまで火薬を注ぎ込むと10gの火薬を計量できるしくみになっていた。つまりこの蓋は,10グラム単位で,火薬を計量できるよう設計されてあるらしい。ただ,この蓋に一杯いっぱいに,火薬を注ぎ込むと,どうしてもこぼれしまうから,目分量で1718gの火薬を計るためのものなのかもしれない。
関流砲術の伝書では,6匁や10匁の中筒と呼ばれる鉄砲には,玉目半分といってその弾丸重量の半分の重さの火薬を使用するよう教えている。つまり,10匁の鉄砲なら,18.75gの火薬を使用するということだ。そうであれば,この火薬入れは10匁の鉄砲専用の火薬入れと推定して間違いなさそうだ。
私は実弾射撃の資格もないし経験もない。実弾射撃の経験者の話を聞いたり,そのブログを調べたりすると,10匁の鉄砲の実弾射撃には,現在では7gから8gの火薬で十分間に合うらしい。とすれば,江戸時代の火薬は,現代の火薬と比較してかなり威力が劣るということになると考えられる。ただ,関流砲術は遠距離射撃を得意とする砲術流派で,他流よりも優秀な鋼で鍛えた鉄砲を使用していたから,鉄砲に装填する火薬量も多かったはずだ。これらのことを総合・勘案して考えると昔の黒色火薬は,今のそれと比較して,少なくとも3割以上は威力が劣っていたと考えてよさそうだ。
江戸時代の黒色火薬と現代のそれとでは,その性能に大きな差があるから,「力薬9匁」の銘文を鵜呑みにして,大量の火薬を装填してはいけないということだけは,確実に言える。火縄銃演武は,安全第一でなければならない。それが伝統を引き継いでゆく者の使命である。

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尾張藩 要流の鉄砲 力薬9匁の火縄銃   その1

先日,火縄銃の会の若手会員から,10(口径1.9センチ)の鉄砲を譲ってもらいたいとの話があった。この若会員は鉄砲を持っていないから,欲しいという気持ちは,私にもよく分かる。しかし,空包演武ができる10匁の鉄砲というのは安くない品物だ。若い人にそんな高価の品物を譲るのには,若干の躊躇がある。それに私が持っている鉄砲は研究資料であるからなかなか手放せるものでもない。
ただ後進の育成も大切なことであるし,私もそうして育てていただいた。とてもありがたいことだ。だから我欲ばかり張ってもいられないだろう。迷い迷った末,要流の7(口径16.5センチ)の鉄砲を譲ろうと思う。
       尾張藩 要流の火縄銃
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  口径 5分5厘  銃身長 2尺5分2厘  愛知県登録
     銘 二重巻張 国友小池故藤二春房 力薬九匁 

  愛知県登録昭和30年文化財保護委員会登録のため全長の記載はなく,
  単位も尺貫法記載となっている。
 
口径は小さいものの,これとて素晴らしい鉄砲だ。銘には力薬
9匁と彫られている。このサイズの鉄砲の実弾射撃には火薬6g7gあれば十分だ。9匁とは約34gだから通常の5倍の火薬を詰め込むことができるということになる。この鉄砲の重さは約5.1㎏しかない。34gの火薬を入れて空包演武したならば,鉄砲自体が真後ろめがけて飛んでいくに決まっている。火薬量に比べて鉄砲が軽いから反動も大きいのだ。かなり鍛錬したものでなければ,この衝撃を受けきることは難しいだろう。そんな経験をしたことがないので,「だろう」としか書けない。火縄銃を伝えていく者は安全第一を考えなければいけないからだ。

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     銘には,力薬9匁と彫られている。

まぁ,そういう鉄砲だということであり,10匁の鉄砲と比べてもなんら遜色はない。しかも尾張藩士が所持していたという来歴まで分かっている鉄砲なのだ。たとえて言えば,氏素性の正しい力持ちのお嬢さんということだ
これなら安く買ったので安く譲れるから,経済的な躊躇をしなくてもすむ。本音を言えば譲りたくはない。しかし,後進を育てるという義務も果たさなければならない。私にとって,これは苦渋の決断なのである。
要流については,まだあまり調べていない。そのうち調べようと思いながら,ついつい後回しになってきた。多くのこととは語れないが,この鉄砲の観察結果だけは,書いておこうと思い筆をとることにした。

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