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仁が龍馬に「こんな方法しかないのでしょうか。新しい国を作るには戦争しか・・」と疑問を投げかけた瞬間、薩摩の負傷兵がたまたま通りかかります。長州の兵士はそれを見つけると即座に薩摩の兵士を切り倒します。そして、龍馬は仁に「これが戦じゃ。先生も行こう」といって立ち去ろうとします。
しかし、仁は負傷兵を助けようとします。そして・・・・
仁「やっぱり龍馬さんは変わりましたよ。前の龍馬さんなら敵味方関係なく助けたと思います。でも今は薩摩と長州のことしか考えていない。」
龍馬「先生、それは違う。」
仁「やっていることだって武器商人じゃないですか。人殺しで金稼ぎをしているだけじゃないですか。あの人たちだって龍馬さんが売った銃で撃たれたのかもしれないんですよ。」
龍馬「わしゃ、この国を思うからこそやっとるがじゃ。何べんもいうけれど、これはどうしても必要な戦じゃ。」
仁「戦だけが国をまとめる手段なんですか。そんな方法でまとめるしか脳がないんなら、政権を取ったってうまくいくはずがない。うまくいかなくなったらまた戦を繰り返すだけなんです。暴力は暴力を産むだけなんです!」
龍馬「先に殺されたらそれでしまいなんじゃ。わしゃ寺田屋で殺されかけて思ったがじゃ。どんなええ考えを持っていても、ばっさりやられてしまったらそれでしまいやがじゃ。まず相手を力で従わせんと考えを述べることもできん。世を動かすことはできんがじゃ。」
仁「戦争する人は、みんなそういうことを言うんです。」
龍馬「先生は特別な人じゃけん、綺麗ごとばかり言えるがじゃ。」
仁「龍馬さんから見たら私は特別なのかもしれません。だけど私だって国を良くしようと思って戦っているつもりです。私なりにですけど」と言って薩摩の負傷兵を助けようとする。
竜馬はその場を一旦離れるが、やはり仁の「暴力は暴力を産む」という言葉が気になって引き返してくる。
ストーリー的には、この仁との会話から龍馬は薩長連合へ動くのでしょうか。私的には龍馬の考え(軍備で圧倒的強さを見せて大政奉還を実現する方法)が最高の方法と思えるわけではないのですが、少なくともアメリカに聞かしてやりたい仁の言葉です。
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無題
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ウサマ・ビン・ラディンが、米軍の襲撃を受けて死亡しました。アメリカは当然の権利だと堂々と世界に向かって報告し、日本もそれを肯定しました。
しかし、どうなんでしょう。確かにテロはよくないと思います。しかし、日本もアメリカも一応法治国家ですよね。抵抗したといっても、ウサマ・ビン・ラディンは武器を持っていなかったらしいじゃないですか。しかも、12歳の娘の目の前で射殺する必要があったのでしょうか。北朝鮮もとんでもない国ですが、だからといって金正日を殺害したりしませんよね。
また、今回の出来事が再びテロを誘発する可能性はアメリカも認めています。暴力が暴力を呼び、泥沼化する危険性はないでしょうか。正義の戦争というものを肯定するなら今回のことはアリでしょうが、私は戦争に正義も不義もないと思っています。太平洋戦争を経験した母が「どんな理由があっても私はもう戦争はコリゴリだ」と言ったのを私は忘れることができません。
たいていのドロボーは自分のやっていることが悪いことだと分かっているので、つかまったら裁きを受けますが、ウサマ・ビン・ラディンは自分のことを正しいと思っているわけなので、そうした意味では価値観の相異ともいえます。
話は大分違いますが、兄弟喧嘩をしている子どもに対して大人は「どんな理由があっても暴力はダメ」と叱りますよね。だったら大人も同じです。自分の意見が通らないからといって取っ組み合いをする野球選手や政治家もいますが、恥ずかしい限りです。
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菅総理はさきほど安全性を理由に浜岡原発の停止を要請しました。そこで、記者から「今まで浜岡原発は安全だと言っていたのになぜ停止しなければならないのか」との質問が。
そこで菅総理は、「静岡県は今後30年以内に87%の確立でマグニチュード8の地震が起きるから」と回答。
でも、それは今までもわかっていたことなので、理由にはなりません。
ホントの理由は、「安全性は今までと何ら変わりないのですが、皆さんが不安に思っているので、一応停止するのです」でしょ。
原発の風評被害もそうですが、人間は理屈では動きません。基本は感情です。頭ではわかっていても、嫌なものは嫌なのです。理屈は後からつくものです。
そもそも世の中に「絶対」なんてものはないのですから、「100%安全」なんて信じる方がおかしいと思います。たとえ高さ100mの防波堤を作ったって、たまたま宇宙から隕石が落ちてきたらアウトです。私たちは常にそんなリスクを覚悟の上で原発を作るしかないのです。
私が思うに、原発はもしものときのリスクが大き過ぎます。なので、多少お金がかかろうと効率が悪かろうと、やはり万が一のときでもリスクの小さなものを選ぶべきかと思います。
人間って愚かなもので、飛行機は落ちる可能性を常に秘めていますが、確率が低いというだけの理由で、まさか今日落ちるとは思っていないのです。まあ、そんなことを考えていたら車にも乗れませんけどね。でも、だからこそ保険に入っているわけですよね。
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最近、昔の食べ物(飲み物)の復刻版なるものが売られているのを時々見ます。昭和世代としては給食のソフト麺とか脱脂粉乳とか子どもの頃食べたり飲んだりしたものを再び食すと郷愁とともに昔の記憶がまざまざと蘇ってきます。同じく昔食べていた物でも、ずっと売られ続けているチキンラーメンとかかっぱえびせんではイマイチなのですが。
昨日、出張先のキオスクで写真のようなパッケージのグリコプリッツの「復刻版パック」をみつけました。懐かしく思い、躊躇なく買い求めたのですが、家に帰っていざ食べようとすると表面に小さく「中の商品は、現在販売されているプリッツ<ロースト>です。」の文が・・・。えー!?、そんなアホな。ちゃんと表示してあるわけなので、決して詐欺ではないのですが、なんかしっくりこないものがあります。ここまでやるなら味も昔の味にしてくれないと意味がないでしょ。
でも、そこでちょっと思ったのですが、この文を読まずに食べたとき、果たして昔の味でないことに気がついたかどうかです。人は見た目に騙されます。特に食べ物はそうです。そこで妻に「どう、これ昔のプリッツの味がする?」といって食べさせたところ、「そうそう、こんな味だった」とすっかり信じていました。信じることは救われる!? |
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石原都知事は大相撲の八百長問題について、「あんなもん、昔から当たり前のこととしてあったんだよ。歌舞伎の大見えを何度も見るように、だまされて見て楽しんでいればいいんじゃないの」と述べたとのこと。
いつもは横柄な態度が癇に障る石原都知事なのですが、今回の発言にはスカッとするものがあります。それに比べ、放駒理事長の「今回新たに出た問題。過去には一切なかった」との主張は全く説得力ないですよね。
ところで、日本人は昔から本音と建前をうまく使い分けて生活してきました。ゼネコンの談合問題しかり、公務員の闇給与問題しかりです。特に大相撲の場合は、あの石原慎太郎でさえかつては謝罪させたほどの強固な社会システムだったわけですが、最近の社会は他者の落ち度は徹底的に追及する方向に変化しているようです。
だからといって私は人情相撲を賛美しているわけでもなく、悪いことは悪いとはっきりさせたい方なのですが、それは私の思考が多分に発達障害的だからです。もしかしたら本音と建前を使い分けしない社会(裏を考えなくてもいい社会)は、ある意味発達障害者が生きやすい社会かもしれませんね。
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