辺境の宇宙より・・・

日々の出来事をつらつらと・・・(コメント遅れてすいません)

心情吐露

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生と死と・・・

プライベートが落ち着かないままに年末年始を超えて、とうとう3月を迎えました。
個人的にはまだまだブログに向かう心情ではないのですが、どうしてもこの事についてだけは備忘録として書き記しておかなくてはいけないような気がしました。


先日、長年仕事を共にしてきた方の訃報に接しました。
大動脈瘤破裂で亡くなったとの事でした。

今は訳あってその方と一緒に仕事をする環境ではなくなっていましたが、たった数ヶ月前には一緒に語らい、酒を飲み、同じ仕事で目標に向かって歩いていた方でした。
聞く所によれば殆ど前駆症状もないままに急な胸の痛みから最寄りの病院に夜間診療という形で診察を受け、検査の結果そのように診断されたようです。
しかし、そこでは対応が出来ず引受先の病院を探している最中に急変し、帰らぬ人となったとの事。


奇しくもその日は大阪の梅田でも大動脈解離で急変した方の運転した乗用車が次々と人を跳ねた上に自分を含む数人の死傷者を出すに至った事を思うと、色々考えさせられました。


私自身も自分の意図しない形で苦境にあります。
日々の生活や家族の事を考えると焦燥に身を焦がして良からぬ事も脳裏をよぎります。
しかし、苦境に追いやられた私が息災で過ごし、他方ではそこに残った人が突然不本意な死を迎える。
これ程皮肉な事があるものかと思いました。


今の自分の立場上、葬儀までは出席出来ませんでしたが、通夜には駆けつける事が出来ました。
私も生まれてから色んな人の死を見送ってきました。
勿論今回の上司・同僚という方よりももっと近しい人との別れも経験してきました。
しかし、今回の事は本当に心に堪えています。
柩に眠るように横たわる姿、そして顔を見ると胸が締め付けられるような思いがしました。
そして何よりも自分が今こうしてこの人を見送る事。自分は苦しい状況ではあっても生きている事の『奇跡』を思わずにはいられませんでした。

訃報を聞いた次の日の朝、起き抜けに自分の胸に手をやり、鼓動を感じた時に言い知れぬ恐怖を覚えました。
生きている喜びよりも、何故自分は生きていられるのだろうかという事を思っての恐怖でした。
今まで何れ程近しい人を失っても感じた事の無かった感情でした。

それをどのように表現していいのか分かりません。
ただ、その時に浮かんだ言葉はこれでした。

『万事塞翁が馬』

禍福は糾える縄の如しとはよく言ったものですが、自分の事しか見えないと、とかく人間というのは自分の作り上げた思考の螺旋にはまり込んでしまって悪感情を拡大再生産するものです。
しかし、思いもよらない形でその甘えにも似た自分の感情に冷水を浴びせられた様な気分になりました。


人は例外なく死にゆく定めを持っています。人だけではなく生きとし生けるもの全てに当てはまる、逃れられない運命です。
その中でいびつな形ではなく、曽祖父の世代を見送り、両親を見送り、自分が逝く・・・・。このような事が粛々と営まれていくのが理想ではあります。しかし、必ずしもそのように行くとは限りません。
そして私と幾らも年が違わないその上司・同僚がこのような形で逝くというのは自分だけは順番に逝けるのだという漠然とした期待を打ち砕くものでもありました。


このブログを立ち上げた当初、私は自分の死についてとても鈍感だったと思います。
自分の存在価値を見い出せず、無為に生き長らえる事は無駄とさえ考えていました。

しかし今は妻が居て、子供が居て、その生活の中で子供の成長を長く見守りたいという思いが今の自分を作っています。それが或る日突然潰える事も他人事ではなく考えなくてはいけないのだなと思い知らされました。


明日死んでも悔いのない人生を送る・・・なんて事は凡人の私には難しい事です。
でも、最悪の事態が自分に降りかかった時にどう自分の身を処すかという事は頭の片隅に置いておきたい。
そんな風に思いました。
そして今ある生を精一杯使い切る事が大事なのだと思っています。

取り留めのない文章を取り留めのないままに書きなぐってみました。
ただ、この頭にある感情を今のままに書き連ねて、いつか上手く自分の中で消化出来るようにするために。

故人の冥福を心から祈りつつ・・・


久々の・・・

最後の投稿から随分間が空いてしまいました。
偏に多忙の為せる業だったのですが、それにしてもこれ程間を開けた事は余りなかったように記憶しています。

余りのブランクにタイトルさえも平凡極まるものとなりました。

昨年の10月から多忙を極め、野球やサッカー絡みの記事で辛うじて繋いでいたものが、年末でついに力尽きてしまったようでした。
それまで文書をこうして『書く』事を難しいと思ったことはありませんでした。
頭に浮かんだ言葉をそのままここに転写すれば良かったのですから。
しかし、それが出来ないだけでなく、疎ましいとさえ思う程に消耗してしまっていました。

他の方が書かれた記事には何とか訪問出来ていたものの、自分が文章を起こすという作業からは完全に離れていました。運動をするにあたって大事な体力的なスタミナがあるように、精神的なスタミナというのを実感したこの数カ月でした。
文章を打つ腕が痛いのもどれだけ文章を打っていないかと言う事を教えてくれています。
そしてリアルで追い込まれると文章さえも打てないのだとも。
そもそもこのブログを始めた頃であっても決して順風満帆の時期に書いた訳ではないのに・・・です。
その事実に自分の消耗を思って一層落ち込んだりもしました。

ライフワークとまではいいませんが、行きつけのお店に通うようにして楽しんでいたMMO型のゲームさえも遠ざけて出来るだけ負担の掛からない事で気分転換を図るように勤めていました。何よりも一つの事に長時間拘束される事が苦痛になっていました。

そんな自分のバイオリズムの低下などお構いなしに世の中はすごい速さで動いています。
時にその一つを掻い摘んで記事にしたいなと思ったりもしましたが、その事を取り上げている別のブロガーさんの記事を見てそれで終わる事が多くなりました。

『自分がわざわざ書かなくてもこうして自分の心情に近い事を書いている人がいるんだから』

そんな気持ちでした。

2月に入り、少し状態が持ち直して来た事からようやく文章を書く元気を回復しました。

タイムリーさに欠けるカテゴリについては敢えて書く事はしないとは思いますが、中途半端になっている『お隣の国』の事や時事問題についてもこれから随時書いて行こうかと思っています。


辺境にあるこの小さな小さな場所ではありますが、人生で一番のどん底にあった時に開いたこの小さな窓から再び文章を連ねて行こうと思います。

今日はリハビリのつもりで、取り留めのない文章を少し書いてみました。
次はもう少し具体性のある文章を書いていきたいなと思います。
そうした中で新たな縁が作れたらそれはすごく幸せなことだろうなと思います。
そうした縁にささやかな期待を込めて再始動します。

私信という名の・・・

本当は昨日書く予定でしたが、一人になれる時間が無くて、一日遅れてしまいました。

今年もまた一年あの日から過ぎたのですね・・・。

これを書く前に数日かけて交わした言葉の数々を紐解いて読んでいました。

時間や状況とは常に一秒毎に無情なまでに過ぎ去って行きます。

あの時、どうしていたら良かったのか。
そしてこの選択をしていたらどうなっていたのか。
今でもこの思いが胸にスッと降りてくる瞬間があります。

そんな時に脳裏によぎるのはこの歌です。



今はお互い違う地で、同じなのは見上げる空だけ。
今年もまたあの日を思い返しながら、この記憶を共有する人とだけ繋がれる気がする日。
幸多からん事を祈ることしか出来ないけれど・・。
そして喪われたものへの挽歌を。
8月に入りゲリラ豪雨酷暑季節となりました。
今日もゲリラ豪雨影響で大渋滞に巻き込まれる羽目になりました。
あちこちで豪雨災害影響も出始めていますので、今後も気をつけなくてはいけませんね。

さて、本来であれば先に引用した麻生副総理問題について書きたかった所ではありますが、その前にどうしても看過出来ない事が目に飛び込んで来ました

タイトルにもあるようにその人物とは安藤選手です。
今日弁護士を伴って記者会見で自身を取り巻く環境についての過熱報道苦言を呈する内容であったとニュース伝えています
また別の記事には一問一答という方式今の環境が望ましくない事を訴えていました。

これはあくまでの私の私感ですので、賛否はご自由に頂ければいいです。

その上で述べさせて頂くならば彼女の手法はこれに尽きます

『炎上商法』

彼女はアスリートです。まごうことなく一時代を築いた一流アスリートとして認識されている人物です。
その彼女をして今の手法は正にマスコミを煽って自身の誇示でしかありません。

そもそもバレてもいない妊娠と出産を何故自ら暴露したのでしょうか?
そしてその後の彼女の行動を見ていて目に余ります

先の大会に於いて自身の育児環境に望ましくないという理由で会場に苦情を訴えたり自身の出産と育児をまるで社会全体子育て実現のモデルケースのように持て囃してそれを受け入れないのは日本社会が未成熟であるかのように訴える
そし自身の身辺の変化を告白するならば必ず衆目を惹かずにおけない父親問題さえも曖昧に誤魔化して事ある毎にそれを自身の関心への道具にしているとしか見えない態度に辟易します。

こうした反論に対してフェミニズム立場から擁護する声が上がっています

確かモラルを問題にするのは致し方ない部分があるのも事実ですが、多くの人が彼女に対して良くない目を向けているのは男女差別からでも、未婚出産への差別でもありません
向けられた批判に対するカヴァーの為にそれを訴えているに過ぎません
反感を買っている一番の理由は『子供をダシにしている』というこの一点に尽きます。


女性アスリートの多く女性特有の生理現象によってコンディション維持苦労している事は周知の事だと思いますその為に薬に頼ったコントロールが祟って後年取り返しのつかないダメージを追ったケースも珍しくないでしょう。ですがそれ故に一種の逆差別のような形で脚光が浴びせられるというのもまた事実です。

今回の安藤選手と似たケース近年で見つけるとすれば全日本バレーボール代表大友さんそれに近いかも知れませんが、彼女の場合は結婚して堂々ママバレーボール選手二足のわらじを履いたという大きく異なっていますそれでさえも私の目に子供がどうしても蔑ろにされているように映ったのも事実ですが。彼女は後年離婚されていますから余計にその気になりました。


安藤選手を擁護する人達に共通するのは『マタハラ(マタニティ・ハラスメント)』には断固反対するという論調とそれを許容しないが故に少子化にも歯止めが掛からないし女性の社会進出が進まないのだという一種の大義を掲げています。未婚出産を差別するような論調は女性の人権侵害であると。

しかし、こうした論調には残念ながら大きな欠陥があります。
それは自分の人権や主義主張を誇示するが余りに本来は一番護られなくてはいけない存在が損なわれているという事です。

そう・・・『子供』という存在がスッポリと抜けてしまっているのです。

こうした動きに近いのは普天間基地に於けるそれととても類似しているのですが、そこは本旨と少しずれるので主張だけにとどめますが。

人権団体や女性団体がいくら声高に叫ぼうとも多くの場合偏見の目を向けるのは男性ではなく女性・・・それも一定の年齢を超えた人であればある程その傾向は顕著であろうと思いますどんなに未婚の母頑張っていようともその人たちの地位向上を目指そうとも両親がいる子供といない子供という絶対的な差は埋まる事はありません。そうした厳然たる事実を無視してそれを受け入れろとだけ口にしても一体耳を貸すでしょうか。叫べば叫ぶほど違いだけが浮き彫りになっていくのです。

私は仮に安藤選手が一時的に未婚出産を選んだにしても、キチンと体裁を整えて堂々と出てこられる環境を整えた上でアスリートとしての再出発を目指すのだという立場に立っているならば少なくとも今の反感抱く事は無かったと考えます実際結婚をして子供を授かりその後アスリートとして再起した幾らでもありますし、それを受け入れ土壌は既に日本にはあると思います

それを敢えて選ばずか選べずか彼女が多くを語らない以上推測する術もありません。

しかし、中途半端に特定のメディアにだけ自身の変化を公表してしまった以上追いかけるという意見に唯々諾々と承認与える訳には行きません彼女はアスリートであって芸能人ではないという意見もあるかも知れませんそのボーダーを彼女が自ら超えてしまった以上それを止める手立てはキチンと自分で説明をして理解を求める以外に最早沈静化方法は残されていません
それを倫理に反する言った所で人間のサガとして隠されれば暴きたくなる性分の人間も居ますしそれを知りたいと願う野次馬また多くある以上避けられないです。しかも自身それを暴露した以上反駁の余地は本来ありません。

彼女は世間から忘れ去られてしまった感があり、『過去の人』というレッテルが貼られつつある自分自身の看板をもう一度光の当たる場所に戻す為に一番やってはいけない方法を採ったのです。


今後どのような華々しい成果を上げたとしても一人の女性として、母として我が子を道具のように使った事実消える事はないだろうと思いますし、今のような状況それを望めないのも自身が一番良く分かっている事でしょうそしてその理由をいつか自身の責任ではなく、環境を整えなかった自分以外の外側に求める日もそう遠くないでしょうそれが今日発表された記者会見の内容一問一答現れています

晩節を汚すというのは正に今の彼女にこそ遺憾ながら相応しい言葉となりつつあります。
どうぞその評判を覆す成果を得られますように
例えそうなっても尊敬賞賛が得られるかどうかは分かりませんが・・・。
私自身は素直にそれを示す事は最早ないでしょう。
父の日に寄せて息子が初めてまともに顔らしいものを書いてプレゼントしてくれました。
これから歳を重ねるにつれてどんな幸せを貰えるかなと思うと楽しみです。



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『いつもありがとう』
と、書きたかったようですが、上手くいかなかったみたいです。
日々の成長をこうした形で見る事が出来るのは幸せであると同時に、一層の親としての責任を思って心が引き締まる思いです。


先週の土曜に自分の父と妻の父に宛てたプレゼントも購入。
商売に見事に乗せられてと思われるかも知れませんが、私は出来るだけ感謝はわかる形で示したいと思っています。先だっての母の日にも勿論プレゼントは欠かしません。
妻はこうした習慣を持っておらず、最初は懐疑的でしたが、回を重ねるにつれその意味を分かって貰えたかなと思いますし、今年は自分自身もカーネーションを贈られてその重みを一層感じた事でしょう。


最近、両親・義両親の老いや衰えを肌で感じるようになりました。
ここ数年の両親・義両親の相次ぐ体調不良を思うと、数年先がどうなるのかと凄く考えるようになりました。 
自分の城たる家を構えるにしても、以前なら自分達を主体に考えていたのですが、今は両親との同居まで念頭に入れて考えるようになっています。
そして両親との話題で出るのは自分が死んだ後の供養の話。
春先に訪れた妻の実家でも言外に当てにされているのを強く感じました。
私は彼岸や節目での慣習行事には余程の事がない限りは参加していますし、それを苦に思ったこともありません。ですが、遠く離れた地に眠る事になるとするならば、物理的に限界があります。


『親孝行、したい時に親は無し』という言葉も聞く事がありますが、幸いにも今こうして節目毎に感謝を伝えられる事が出来ています。それがいつまで続くかは分かりません。

老い行く両親たち。そして今までは感謝を伝えられる事のなかった私達が息子からそれを受ける立場となる。
自分の立ち位置が順繰りに上がっている事を思いながら、今一緒にこの時間を過ごせている事の意味を噛みしめて、これからも両親達やそれに連なる人達との関わりをキチンと伝えていかなくてはいけない年齢になったのだと思います。

今ある事が当たり前だと自然に思える日が長く続くことを願いつつ、一日を大事に、大事に。

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