百四季

暑くなってきました

日本の美と伝統の壺

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 図書館に作家白洲正子さんが1963年2月に『主婦の友』に書いた着物エッセーで十日町のことを書いていたので抜粋します。

「越後にも古くから織物の伝統がありました。小千谷のちぢみ、塩沢のかすりなどとともに、十日町の明石は有名でしたが、小千谷と塩沢が昔ながらの手工芸を守っているのに反して、十日町だけはあっさり明石を捨て、近代的な機械工業に転身し、特に戦後はお召しその他多面な生産力で、目覚ましい発展をとげました。
 私の興味も、ほかならぬそこにありました。古い伝統を持ちながら前向きの姿勢で進歩している。これは理想的な形といえます。が、実際に行ってみて、私は感心もしたが、失望もしました。感心したのは、手仕事という非効率的な、だがそれ故に機械の出せない味とか風合いというものを、可能な範囲で生かしていること、失望したのは、それでいながら、あまり多方面にわたりすぎたためか、一目で十日町の織物とはっきりとわかる特長がないことです。このことは、長い間には致命的な欠陥となりそうで、人ごとながら心配になりましたが、今更明石でもありますまい。古いものに匹敵する、堅実で真面目な織物が、この雪国からいつの日か、生まれ出ることを私は願ってやみません。
 町はずれを流れる信濃川も、みぞれまじりの空も、空しく突き出た町の軒も(これは大雪の為にあるそうです。)それは冷たく淋しい眺めでした。生みの苦しみ。雪のない十日町は私に、何かそんなことを思わせます。」

以上、『平成18年発刊「主婦の友」90年の知恵 きものの花咲くころ』より

沈丁花の香が芳しく

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 沈丁花の花が、この何日かの暖かさでやっと咲きました。とても芳(かぐわ)しい香が漂い始めました。

 

 沈丁花 いまだは咲かぬ 葉がくれの くれなゐ蕾 匂ひこぼるる

 沈丁花 みだれて咲ける 森にゆき わが恋人は 死になむといふ     (2句とも若山牧水)



遠景が殺風景なこと、お許しを・・・・・。

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 今日は仕事が休みでしたので車で群馬県館林市へ出かけました。ローカルな話題ですが、昨日、FM群馬で館林市で2月14日から3月4日までの期間で『第8回 お雛さままつり』が開催されているということを聞き、それを見るためでした。市内の4軒ほどの施設に市民から寄贈された雛人形が展示されているのです。(茂林寺たぬきお雛さままつりは3月1日〜8日)市内に到着後、館林市役所前の道路を渡ったところにある芸術ホール、そこの広い駐車場に無料で車を停めることができました。
市役所内にも、雛人形が展示されているとのことでしたが、本日は閉庁でしたので、隣接する図書館内にある第1資料館へ。こちらは、参古資料や館林城絵図などの歴史資料、最後の藩主であった秋元家の資料展示がされています。その中で、一番目を奪われたのは、やはり秋元家所蔵の大正時代に作られた雛人形でした。男雛、女雛の1対のみでしたが、すべて手作りと思われる立派、かつ美しいものでした。現在の雛人形の機械で織られた装束と違い、手織りでかつ、美しく刺繍された装束はまるで本物の装束をそのまま小型化したよう。女雛の十二単のかさねも、本当に美しく自然で、とてもおどろかされました。現在の機械で織られた装束は、どうしても膨らんで嵩張って見え、人形の体にピッタリ、フィットしている感じがないものですから・・・。写真撮影ができなかったのが残念です。

 館内で、『お雛さままつり』の会場となっている他の施設が記載された地図をもらい、次は東武線館林駅方向にある武鷹館へ。こちらは市役所から10分ほど歩いた距離にある市の指定重要文化財になっている旧館林藩士の住宅です。1番目の写真がここです。こちらには大正時代のお雛様等が展示されていました。2枚目、3枚目の写真が、それらの人形です。こちらを出て、もう少し町中を散策しようと思ったのですが、晴れではありましたが、群馬名物のとても強いからっ風、手持ちにしていた資料がすべて吹き飛ばされそうなので、1ヶ所のみですが4枚目の写真にある青龍神社へ。いただいた資料によると、清竜権現が姿を現したといわれる井戸を囲む社。かつて、ここの青龍の井戸と館林城の城沼は続いていたと言われているとのこと。さて、ここから、また市役所へともどり、次は市役所から、先に10分ほどまた歩き、館林市第2資料館歴史の森へ。途中に館林生まれの宇宙飛行士向井千秋さんの偉業を記念して創られた『向井千秋記念こども科学館』、小説家田山花袋の資料を展示した『田山花袋記念文学館』がありますが、今回はスルーしました。

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 明日12日、やっと休みになるので、コメントいただいていた方々へは明日返信いたしますのでよろしくお願いします。
 先日の、続きです。『土屋文明記念文学館』を出たのが12:00頃、13:00から行なわれる『日本絹の里』での辻村寿三郎さんのギャラリートークショーへ急ぎます。車だと、10分ほどなので、やはり群馬県での交通は、バスより便利です。駐車場は、『日本絹の里』に隣接する会社が休日の為なのでしょう、臨時駐車場になっていました。館入り口に着くと、丁度辻村さんのお乗りになったタクシーが止まり、車内から降りていらっしゃいました。そして館内に氏がお入りになると同時に、出迎えの人たちが拍手で迎えていました。氏のサイン会でサインがいただけるのは、氏の関連商品を購入した人のみのため、館内ではすでに買い物をされるたくさんのお客さんがいらっしゃいました。
ちなみに、『日本絹の里』と『土屋文明記念文学館』は入館すると、お互いの館の入場料20%引きの券を発行しているので、それを使い、特別展入館料400円が320円でした。

 常設展示は、すでに去年9月7日に訪問した時、見ていたので直接、特別展示の辻村さんの人形展示コーナーへ。こちらで氏のトークショーも行なわれることもあり、すでに多くの人でいっぱい。『雨月物語』をモチーフにした人形や昔懐かしい『新里見八犬伝』の八犬士、玉梓が怨霊、ゆっくりとは見ることができませんでしたが、感無量です。人形だけでも、あとで時間をかけて再度見にいくつもりです。

 そして、いよいよ氏のトークショーがはじまりました。はじめは、氏の今回の人形展の中心となっている『雨月物語』から『白峯』の話でした。氏が、この物語を題材に、人形制作を始めるにあたり、『雨月物語』の本を出版社から取り寄せようとしたところ、現代の人に読まれていないという事情の為でしょう、絶版ばかりで、資料を得るのに大変ご苦労されたとのことでした。

 『白峯』の内容を簡単に紹介すると・・・。讃岐(四国、香川県)の崇徳上皇陵(現代の崇徳天皇白峯陵)に詣でた西行が崇徳上皇(http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%B4%87%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87/)の怨霊に出会い、皇位継承について議論を闘わせる。最後に、上皇は魔霊の姿を現し、復讐の実現を予告して消え去るというものです。
崇徳上皇、西行はともに歌人としても有名なので、ご存じの方は多いと思います。
上皇は小倉百人一首の中で

 『瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ』

の句が多くの人に愛されていますし、西行は、諸国をめぐり多くの句を遺した大歌人。また寿三郎さんによると、弓道に秀でていて武芸の達人でもあったようです。西行には多くの句があるので特に取り上げませんが、未だ多くの文芸(能や落語、長唄など)に彼の功績を取り上げた作品が残っているのも、凄いことです。また作家の白洲正子さんや瀬戸内寂聴さんも彼をモデルにした小説を書いていますし。
そして、こちらは崇徳天皇の怨霊伝説についてですが、明治天皇が即位するにあたり、天皇家に禍い
が訪れないことを祈り、使者を讃岐に送り、崇徳天皇の霊を京都に迎え、白峯神宮を創建したエピソードは有名です。

 辻村氏は、これらの人形の制作をした後、毎日悲惨、無情な暗い話題が続く、現代平成の時代にも、崇徳天皇の呪いが続いているのではないかと私情を述べていらっしゃいました。




 

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今日は仕事のほうが休みだったので、先日お話したように群馬県へ観光に。朝からグリーンドーム前橋で行なわれる『大三国志展』へ。開場時間の10:00には駐車場に着き、会場となるサブアリーナへ向かったのですが、警備の人が、「設営の方ですか?」という奇妙な問いかけを。何と、その時点でわかったのですが、チラシに載っていた開会の日付を見間違えていたようで、始まるのは11日(水)の建国記念日からでした。この日は休みじゃないので、泣く泣く予定を変更。そこから8kmほど西にある高崎市の『絹の里』を目指すことに。しかし、この予定変更が思わぬ良い展開となりました。『絹の里』で行なわれる辻村寿三郎さんのトークイベントは13:00からでまだ随分時間があったので、去年11月に高崎駅からバスを使い、『絹の里』を訪れた時に、帰りのバスで、見た『土屋文明記念文学館』(http://www.bungaku.pref.gunma.jp/)へ。

 10:30過ぎに、文学館駐車場に降りると寒風がすさまじくとても、手足がとても冷たい。赤城おろしかと思いましたが、榛名山のほうが近いから榛名おろしとでもいうのでしょうか。館の写真はカメラを車に置いてきてしまったので、パンフレットの写真のみを。立派な施設で、展示品も充実しているのですが、県立の為、常設展示観覧料は200円という低料金。今回は企画展として、『川柳とマンガ』の展示が行なわれていたため、400円の入館料でした。江戸を中心に誕生した川柳の文化は一昨年に、250年を迎えたそうで、その名前は江戸の前句師・柄井川柳からとられているそうです。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%9F%B3)群馬県内にも未だ多くの川柳グループがあるそうで、それらの方々の作品も展示されていて、とても楽しい企画でした。

 特別展示場を出て、常設展示コーナーにある『土屋文明ひとすじの道』に移ると、これが本当に素晴らしい出会いだったのですが、老齢のご婦人がいらっしゃって、丁寧に説明をしてくださいました。このご婦人、あとで知らされたのですが休日にいらっしゃっているボランティアの方で御年80歳という元教職の方です。土屋文明の生家は、この館から、それほど離れていないとのことで、そのゆかりがあって、この館が開館されたとのことでした。文明の生い立ち、人生、友人知人との出会いなど、展示物では決してわからないことをたくさん教えていただきました。また館の中には、東京にあった住宅の一部、書斎が復元展示されていて、その窓から見える庭木も、東京にあった自宅のものを移植したものだということを知らされました。今では一番、彼の思いいれのあった橙(だいだい)の木も実をつけるそうです。橙の木は、万葉集の頃は(文明氏は万葉集研究家でもあります)代々とも呼ばれていたそうで、代々栄えるという意味が含まれていたとか。また、これには、とても驚いたのですが、文明の墓は奥さんとともに、埼玉県ときがわ町にある坂東札所第9番札所都幾山 慈光寺(じこうじ)に葬られているそうです。こちら、去年12月7日に訪れたお寺でした。これも仏縁なのでしょうか、本当にびっくりしました。知っていたら、お墓参りもしたのですが。夢中でお話を聞いて館内をまわり終わると間もなく12時。お礼を言い、また再訪問させていくことを約束し、館を後にしました。

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