旦那と私の最終章

最愛の旦那が逝ってしまった。再び会える日を待ちながら

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モンスター2

私は東京で大学に進学した。
女子大の栄養学科で、寮があった。
今にして思えば、寮に入った方が良かったのかもしれない。
しかし自由を満喫したかった私は、一人暮らしを希望した。
ところが、母が叔母と住むことを強制した。
当時は、叔母のことがよくわかってはいなかったこともあり、
私は叔母と住むことにした。

叔母は泊まりの家政婦をしていたので、アパートにはほとんど帰らなかったが、
契約が切れるとずっとい続けた。その期間が長ければ長いほど、
私は叔母の言行に反発を感じるようになった。

叔母が家政婦として働きにいく家は、芸能人、医者や大学教授、
会社の経営者などで、いわゆるブルジョア家庭だった。
高学歴が多く、学歴コンプレックスの叔母は相当なストレスを抱えながら
仕事をしていたと思われる。

叔母は、私の友人もボロクソにこき下ろした。
他人には聞かせたくない暴言や汚い言葉の羅列。
口から真珠が出てくる童話があったが、叔母の口から出てくるのは蛇やカエルだった。
例えば、
私の友人にあまり顔色のよくない人がいた。
「ヤクでもやってんじゃないの?」
叔母はそう言った。
私はさすがにたしなめた。だが、本人に面と向かって言っているわけではないからと開き直る。
外面はいいからだまされる人は多かった。
2年住んで嫌気がさし、大学から遠いことを理由に引っ越したいと両親に訴えた。
母には叔母の言動を散々訴えたが、一緒に住んでいないからわかってはもらえなかった。
「あんたのことを心配してるから多少言い方がきつくなるのだ」
と的はずれなことしか言わなかった。
母が叔母の本性を思い知ったのは、晩年一緒に住むようになってからだ。
そんな時に「死ねば」と言われたのだ。

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モンスター1

母は5人兄弟の長女で、弟が3人、妹が一人いる。母は十六年前に他界、
3人の弟もすでに他界し、妹だけが生存している。

この妹である叔母が、困った人なのだ。
84歳の現在まで独身を貫いてきた。それはそれで、彼女の人生だから良しとして、
問題は素行と性格にある。

母は祖母から「一人だから見守ってくれ」と頼まれた。叔母は高校を出てから、
どう言う経緯かわからないが、少し地元で勤めて上京した。
東京では美容部員をしたり、水商売の世界にもいたらしい。

私が小学生の頃の記憶では、時々帰ってきては実家にい続け、
私の家にも長逗留していた。父とは仲が悪く、よく喧嘩をしていた。
父と母は東京の学生時代に知り合い、母が大学を中退して田舎に
帰ってしまった時、父は母を追いかけて北海道に渡った。

叔母と父は反りが合わなかった。父が叔母にお金を貸したことがあるらしく、
「返してくれ」と言う父に向かってお札を叩きつけた記憶が鮮明だ。
父に向かって「あんたはダニだ」とか、とにかくカッとなると口汚く罵る。
叔母は私のことは猫可愛がりし、甥や姪は他にもいるのに、私への執着は異常だった。
小さい時は何でも買ってくれる叔母にそれほどの敵意は持たなかった。子供だったからかもしれない。
ただ、父の悪口ばかり言うところには辟易した。

母は正義感の強い人だったが、叔母と一緒に悪口を言うこともあった。
東京での職を捨てて、知り合いもいない北海道に母を追いかけてきたほどの
夫をなぜ叔母と一緒になって悪口を言うのか?

1つ言えることは
叔母は排他的で身内びいきが尋常ではないということ。母のなにげない愚痴を全て父のせいにした。
「あんたのお父さんのせいで、お母さんは苦労が絶えない」子供のわたしはいつもこんなことばかり聞かされた。

叔母にとっては、母はすごい人であり、
「あんたの家はお母さんで持っている。亭主は酒飲みのボンクラだけど」
が持論だった。

叔母は父にだけではなく、母の弟3人の嫁にも突っかかった。
ひどかったのは叔母の弟である三男の嫁に対する対応だ。
三男夫婦はギクシャクしていた。共働きで、嫁はスナックに勤めていた。
しかしあくまで仕事であり、叔父も納得して外に出していたはずだと思うのだが、
帰りが遅いと、今で言うDVがひどかったらしい。
その後三男夫婦は別れ、一人娘を連れて嫁は出て行った。
叔母は離婚の原因を全て嫁のせいにし、
「あんたなんか出てきなさい」と口を挟み、嫁がコツコツと買い揃えた高級な着物を
全て掠奪した。
そのことに対する恨みつらみを長男の嫁に手紙で訴えたということだ。

叔母にとって身内は味方、義理は敵であった。
どんな人格者でも、義理は敵以外の何者でもない。
悪口の数々を聞くのは私や母だった。

続く


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区切り

1周忌を終えた。
次弟と二人で納骨を済ませ、
家にある仏壇もコンパクトなものに買い換えることにした。

ダンナが亡くなって
私がこれほどダンナを愛していたことに
驚くとともに、
やっぱり運命には抗えないことがわかった。

感謝とともに
もう2度と会えないことを思い知らされ
落ち込む。

末弟は予想通り
線香をあげるどころか連絡すらしてこない。

次弟も
もう末弟はツンボ桟敷に
置く算段らしい。

「二人で支え合っていきましょう」と
言ってくれた。

末弟には人の心がない。
自分の母に対しても、
最後の看取りを放棄したくらいだ。
兄の死などどうでもいいことなのだろう。

おそらく私の方が先に逝くだろうけど、
せめて末弟が大往生しないことを願う。

次弟は
私が全力で守りたいが。
人の道に外れた輩は地獄に落ちてほしい
と切に願う。



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あるブログ

毎日
ふと呆然とする一瞬がある
わたしにはもう
身内と呼べる人も
心を打ち明けられる人もいないのだ、
と思う瞬間。

にほんブログ村の死別のカテゴリーで
毎日一位になっているブログがある。
「いつか迎えにきてくれるまで」というタイトルで、
20年連れ添った奥様を乳がんで亡くされた男性のブログだ。
私はここのところ、長年の友人と絶交したり、精神状態があまり良くない。
昔のように浮上できないのだ。
ダンナがいないから仕方がない。
どんな状況でも、ダンナがいてこその人生だったのだと思い知らされている。
だからこのブログに自分の現在の迷走の答えをもらっている。
こういう経験をしていない人は
いつまで落ち込んでいるのだ、辛いのはあなただけではないと思っているのだろうが、はっきり言って出口がない。
わかってもらおうなどとも思っていない。
だから私は
「いつか迎えに来てくれるまで」に
自分を確かめに行く。

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閉じていく心

ここ一年
いろいろなところに行き、
いろいろな人と交流した。

配偶者を亡くした方の交流会にも出ている。
彼らはここだけが気持ちをさらけ出せると言った。
私もそう思った。
でも、配偶者を亡くした人もそれぞれ事情が違う。
家族構成、どういう状況で配偶者を亡くしたか?

私がよく出ている会で、一人退会された人がいる。
彼女はお子さんがいない。
つまり私と一緒だ。
他の人にはお子さんがおり、孫のいる人もいる。
子供がいても関係ない、と口々にいうがそうだろうか。

例えば、私は一人っ子で、両親は他界、そしてダンナが亡くなり
子供はいない。
皆それぞれ置かれている状況がちがう。

私にはもう身内はいない。

義弟は他人だ。

どんなにに知り合いが増えても
途方にくれている自分がいる。

どんな会にも話したがり屋の人がいる。
場を支配し、自分の主張を延々と貫く。
人数が多いほど、「話したがり屋」を押しのけて話すことは困難になる。
私は押しのけてまで話す性格ではない。
本来はおしゃべりなのだが、
自分ばかり話していることは他の人の目が気になる。

自分の行く末が見えない。
配偶者を亡くした人の会に出て来る人たちは
状況が普通ではない。
みんな辛くて気持ちを吐露したい。
そのために来ているのだ。
普通の家庭生活を送っている人とは、
分かり合えないからここに来る。

事実私もそうだ。
でも、ここでも私は自分の気持ちを吐露できない。
聞いてもらいことはたくさんあるのに。






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