旦那と私の最終章

最愛の旦那が逝ってしまった。再び会える日を待ちながら

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許せないんだよ

生前、だんなに暴言を吐き、心無いメールを送りつけてきた三男は
お参りにすら来ない。
別にきて欲しくもないし、来れるわけないだろう。

母が肺がんで闘病中、食事の世話をしていた叔母は、
腐りかけた食材を平気で使い、母にそんな古いものを出さないでくれと言われても
「私は平気だから」と使い続けた。
母は「あんたは平気でも私は困る。考えてほしい。このままでは寿命が縮まるから」
叔母はそれに対して「じゃあ死ねば」と言った。
後日、母にとんでもないことを言ってしまった」と私に言った。
母はそれから半年も経たぬうちに亡くなった。
叔母のせいだとは言い切れないが、
その後がっかりしたことは間違いない。
何年か経って、叔母は私に
そんなことは言ってないと断言した、言うわけがないと。

ダンナも母も闘病していて辛い時に
精神的に相当なダメージを受けた。
私は三男と叔母だけは許せないのだ。
叔母は今度は私に依存しようとした。
私はきっぱりと断った。


1年近く

一人になって一年近くが経った。
日に日に寂しさが増していく、
というより寂しさの質が変わってきたようだ。

ダンナが亡くなった当初は、やることがいっぱいあり
無我夢中でひとつひとつこなしていた。

少し経つと、人の言葉のひとつひとつに敏感になり、
過剰に反応するようになった。
昨年のお彼岸、ダンナが仲よかった従姉妹のお一人様の女性に
世界中にはあなたよりももっと辛い人がごまんといるのだから
自分だけが辛いと思うな。と言われ、ショックに言葉も出なかったが、
そのショックは義弟には伝わらなかった。

修行だ、ダンナが亡くなっても結婚生活が幸せだったんだからいいじゃない。
結婚生活が不幸な人はたくさんいるんだから、などと友人にいろいろ言われた。
まるで結婚生活が幸せなのは罪のように。
その友人とは絶交した。

じゃあ
あんたたちも同じ目にあったらどう?
幸せって何?
そんなの自分の尺度だろう。

同期会に関係ない自分の妻や夫を連れてくる人もいる。
こちらとしては見たくない光景だ。

でも
お隣の娘さんが赤ちゃんを産んで里帰りしている。
赤ちゃんの泣き声が毎日聞こえる。
それには心が和む。
何故だろう。
もっと泣いてもいいんだよ、声が聞きたい。
弱っている自分に
赤ちゃんの泣き声は無限のパワーとなって降りかかる。

この気持ちはお一人の義弟にはわからないだろう。
家の中に哺乳類がいるのは耐えられないという義弟には。

出会うべくして

私もダンナも浪人して1年留年した。
そんなことは偶然でもなんでもなく、よくあることかもしれない。
でも、最初はお互い眼中になく、少しずつ仲を深めていったのは
ダンナが初めてだった。
私は結構惚れっぽく、自分から好きになり、振られることが多かった。
ルックスで人を好きになることもない。
みんながステキだという人はあまりピンとくる方ではない。
まして男で色気があるなんて真っ平御免だ。
だから何故だろうと考える。

昨年ダンナが亡くなってからしばらく、右手の小指の付け根に
何かが巻きついているような違和感を覚えた。
他人から見れば体の調子が悪いのではと言われるかもしれない。
事実今でも体調がいいとは言えない。
でも私には赤い糸ではないが、ダンナの肉体が亡くなった今でも
不思議なつながりを感じる。

私は特に霊感があるわけでもないし、気のせいと言われればそれまでだが。

私とダンナの第1章

私は教師の彼氏と相変わらず会っていた。
彼は結婚を望んだが、私の気持ちはダンナの元にあった。

問題はダンナが無職だったこと。
大学を出てから恩師の助手をやっていたが、
ある大手の造園会社がダンナを
正社員としてうけいれたいと言ったらしい。
ダンナは助手をしながら、この造園会社でアルバイトをしていたが
正社員の要請を蹴った。
やはり出版社に入りたいという気持ちが強かったようだ。

私は大学は栄養学科だった。1社だけ受けたとある食品会社で
書かされた論文を見た採用担当者に
「あなたは文系のタイプだから、研究職には向かない」
とダメ出しされて、不採用になった。
母の希望もあり潰しのきく学部に入れと言われて入った栄養学科だったが、
もともとが理数系が苦手だったので学校の勉強自体は苦労した。
ゼミの教授に相談すると、
「それならば出版社を受けたらどうですか? あなたはきちんとした文章を書く。
そちらの方が向いてるのでは」
私は背中を押された。




私とダンナの第1章



私は大学時代に高校の先輩から紹介された人と付き合っていた。
のちに彼は教師になった。その彼と付き合い始めて約3年経った頃、
編集の専門学校でダンナと出会った。
最初の印象は、女性慣れしていて、色気の漂う
はっきり言って好きなタイプではなかった。
付き合っていた人は、無骨な男で無口、居酒屋のカウンターで一人盃を傾けるようなイメージだった。二人とも酒が好きだったので、それはそれで楽しかった。

ダンナも彼女がいたらしくて、お互い専門学校のただの同期生の領域を
超えなかった。というか、色っぽくて、少しちゃらくて、学校でも女性の注目をすぐに集めたので、私とは違う世界に住む人だなと引いていた。
ダンナも格別、私を意識することはなかったようだ。
私たちが徐々に接近していったのは、講義の後のお茶会や飲み会で
好きな音楽が似通っていたり、今何を読んでいるかなどで話が弾むようになってから。
ダンナへの思いが決定的になったのは、学校で仲良くなった女性が、
ダンナに惚れたらしくて、
私にかっこいいとか素敵だとか頻繁にいうようになったことだ。
そうすると意識せざるをえず、かといって素直に好意を表す性格でもないので毒舌に走った。
それを、ダンナは面白がった。
そして私をからかう、それに乗って私がまた毒舌を吐く。
そんなことを繰り返すうち、ある日の飲み会で、私の前で飲んでいた旦那が
「そんなに熱い目で見ないでよ」とつぶやいた。
私はその言葉に、ふざけてると思い、何か言い返したと思うが、
思い出せない。でもその時以来私はダンナの虜になった。

付き合いが深まり、ダンナの素の顔は、色気はあるが
決してちゃらくはなく、むしろ硬派であることを知った。
それでも時折、街を歩いているとすれ違いざまに女性が見つめるとか、
高校時代にはジュリーと呼ばれてたとか、モテた話をさりげなくするところは嫌だった。でもそれは事実だった。

私が過去に出会った男性とは違う、不思議な魅力の人だった。
とはいえ、好きだ、付き合ってくれと言われることもなく、
何となく一緒にいるうちに離れられなくなった。私には彼氏がいたので結局二股になってしまった。その期間が2年、ダンナは別れろと迫ることもなく、一見淡々としていて、感情が読めなかった。
でも私がもう彼氏には冷めていることをよくわかっていた。わかっていて、もう会うなと強制することはなかった。我慢していたのだと思う。

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