旦那と私の最終章

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“脱原発”を叫ぶ河野太郎議員 自民で囁かれる厳しい評判

「安全神話はおとぎ話だ」、「自民党がやるべきことは謝罪だ」と、東京電力福島第一原発の事故に関して、過激な言葉を連発している自民党の河野太郎衆院議員。「東電は一度、解体すべき。逆立ちしても鼻血が出ないぐらいまで賠償金を払わせるべきだ」と東電の責任を追及しつつ、経済産業省からマスコミまでを「鉄の五角形」と一刀両断だ。
 国民の鬱憤を晴らすような歯切れのいい言葉に、政界で拍手喝采、すわ次の総裁候補かと思えば、党内で河野氏を支持する声はいっこうに広がっていない。
「河野氏はエネルギー政策に精通しているのがウリで、かねて原子力行政のあり方を批判し、核燃料サイクル政策は破たんしていると指摘してきました。原発事故の後、自民党で『エネルギー政策合同会議』が発足し、甘利明元経済産業相ら原発推進派が幹部に名を連ねると、河野氏は『推進派が並ぶ人事はおかしい』とかみつくなど、大暴れしています」(政治部デスク)
 党内の評判は芳しくなく、「威勢のいいことを言うが、最後は腰砕けになる」、「自分のポストを欲しがるだけ。あれでは誰もついていかない」と手厳しい。
 河野氏は祖父が大物党人派だった一郎氏、父・洋平氏は元衆院議長と名門の血筋で、二年前には念願の総裁選への出馬にこぎつけた。インターネットの活用にも当初から積極的で、英語も堪能だ。父・洋平氏の地盤が小選挙区制になって二つに分かれると、親子で同時に衆院議員になった「ハイパー世襲政治家」でもある。
 四十八歳になった今でも続けるメールマガジンのタイトルは、「ごまめの歯ぎしり」。
「総裁選にまで出た人が、いまだに『ごまめ』と言っているのが情けない。政治家として力がないと告白しているようなものです。これでは首相候補たり得ない」(自民党新人議員)
 言葉遣いも、外務省を「害務省」と言ったり、衆院本会議で口汚くヤジるなど、周囲が眉をひそめることが多い。そのくせ一匹オオカミに徹することもできず、昨年、幹事長代理を打診されるとすぐに引き受け、総裁選で河野氏を推した人たちを失望させた。
「菅首相の浜岡原発停止要請を評価し、後押ししなければならない」とメルマガで記したが、同様に浜岡原発を停止すべきだと考えていた閣僚経験者曰く、「あいつにだけは言われたくない」。


気をつけろ。自民党内なりすまし保守に。
 
マスコミが自民党議員を呼ぶときには必ず出てくる男。
 
かつては、加藤紘一にコメントを聞きに行くのが目立ったが、
自民はマスコミ、とくにテレビメディアには極力議員を出すのはやめたほうがいい。
 
この男は民主と通じている。絶対に怪しい。
 
週刊新潮6月2日号より転載


それでも「滅びの神輿」を担ぎ続ける保身の政治家4人衆
 
嘘とペテンに塗れ、国民を見殺しにし、無責任してパフォーマンス三昧──。これまで見てきた菅総理の実像をまとめると、とどのつまり、「総理失格」ということになろう。それでも、この「滅びの神輿」を担ぎ続ける保身の政治家4人衆が存在するのだった。
 
 
 まずは細野豪志・総理補佐官。昨年の民主党代表選で小沢一郎・元代表を支持していたのに、菅官邸で要職にありついた変わり身の早さから、
「『風見鶏』『米つきバッタ』などと揶揄されている」(政治部記者)
 この軸が定まらない彼の“真価”は、今回の海水注水停止騒動でも、如何なく発揮された。
 5月21日、細野氏は「(斑目委員長の)海水を注入すれば再臨界の危険性がある」との発言が注水停止の原因と示唆したにも拘らず、抗議を受けると、斑目発言は「再臨界の可能性はゼロではない」というものだったと訂正。要は発言の内容を微修正することで、注水停止の責任がだれにあるのか有耶無耶にしようとしたわけだが、その心は、
「細野氏自身の保身でしょう。そもそも注水停止騒動は、彼が斑目氏の発言内容を明かしたことで拡大。穏便に決着させなければ、自分に火の粉が降りかかる危険があった。彼は原発に関してオフレコで話した内容が週刊誌に漏れると、ビビって懇談を止めたような御身大切の人ですからね。結局、火消しは失敗に終わりましたが……」(同)
 
言い逃れに関しては天才的
 
 続いては枝野幸男・官房長官。彼も細野氏と同じでオフレコ懇談の漏洩に神経を張り巡らせる、体面を重んじる人物だ。
「震災直後、菅総理に代わって矢面に立ち、評価を上げましたが、彼にしても細野氏にしても、一見、菅総理を擁護しようとしているかに見える政権の面々は、実のところ菅総理に恩義を尽くしているわけではない。菅政権の先が長くないことは分かっているので、後のポスト争いに備えて今の目立つポジションを手放さずに、自分の存在感を高めようとしているだけ」(政治評論家の浅川博忠氏)
 さらに福山哲郎・官房副長官は、
「“原発に詳しい菅さんが総理で本当によかった”と、公言して憚らない茶坊主。菅総理に都合の良い話しか上げず、情報が彼のところで堰きとめられてしまうため
『福山ダム』と評されています」(民主党関係者)
 茶坊主である点では、『菅総理の精神安定剤』と言われる寺田学・元総理補佐官も負けておらず。
「週に何度も、官邸に呼ばれて話の聞き役を務めている。でも、“菅総理の実績は歴史が評価してくれます”などと、お追従を言うばかり」(官邸関係者)
 トップの器量に相応しい取り巻き連中が菅官邸には集まっているようで…。
 自らの非を認めようとせず、すべてを天災のせいにする言い逃れに関しては天才的な菅総理。度し難き人災は、一体いつまで続くのか。


まさに、 トップに相応しいひとたちです。
「福山と福耳」、福が2人もいるのに、福から見放されつつあるアキカン総理。
 
味方がゼロになっても「俺は悪くない、悪いのは天災だー、自民だー、国民だー」と叫び続けるのでしょうか。
 
一般社会では、責任転嫁は評価されないものです。堂々とそれをやって表向き(マスゴミに)は許されているのは民主党と菅と星野だけ。
 
団塊の世代をすべて悪いとは言わないが、こいつらのおかげで、非常に肩身が狭いのでは。
 
(以下一部転載です)
「正論」6月号より
日本の宿痾〜「想定外」と戦後体制が招く国家の危機
中西輝政(京都大学教授)


「国難」の本質
 東日本大震災は「国難だ」と言われる。しかし、今がもし国難であるとしたら、それはこのような政権が居座っていることであろう。たしかに震災の被害は甚大であり、復興するまでに相当な時間がかかるであろうが、震災自体は決して国難ではない。日本人には、これまでもあまたの大災害に耐えて、その被害から雄々しく立ち上がってきた経験と知恵がある。震災発生当初に「国難だ」と言ったのはまさに菅首相なのだが、国家意識のかけらもない人物が「国難だ」と騒ぎ立てた裏には、「首相の交代が許されない非常事態だ」ということをアピールすることで、内閣支持率が1割台に落ち込み、しかも在日韓国人からの不正献金が発覚して、いわば首の皮1枚でつながっていた自らの立場を延命させようという政治的思惑があったことは明らかである。真の国難とは、「蒙古襲来」や「黒船来航」といった、菅首相の念頭には一切ない、外からの安全保障危機を指すのである。
 震災後の4月10日、自民党との「直接対決」だった東京都・北海道・三重県の3知事選で民主が完敗した統一地方選挙(前半戦)の結果を見ても、国民がこの政権に100%ノーを突きつけていることは明らかである。ところが、この選挙に先立って、4月初旬、民主と自民両党の大連立構想が浮上した。最終的にこれに乗らなかった自民党の決断は当然だが、党内には前のめりになった一部の「ベテラン」議員たちがいた。膨大な復興予算の編成に関与し、何とか利権の分け前にあずかりたいという彼らのさもしい魂胆はみえみえであった。民主党の菅・仙谷指導部が投げ与える復興利権というエサの前に欲望の抑えがきかなくなり、政権の延命に利用されるだけで最後には放り出されるということが見えなくなっていたのである。この自民党の一部に残る「汚濁」の勢力は、民主党内に色濃い左翼的な「反権力・反国家」の体質とワンセットの、戦後政治の忌むべき残滓と言わなければならない。
 今回の震災を契機に、国民の精神は大きく変わるはずである。国家が本来果たすべき役割が果たされなかったことを、国民は痛切に感じたであろう。他方で、津波で孤立した被災者らを約2万人も救出して被災地を支え続けた自衛隊に対するアレルギーは完全に解消しただけでなく、かつてない厚い信頼感さえ持つようになった。ここで必要なのは、国家が本来の役割を果たせるよう、憲法の改正を高々と掲げて国家を担う意思と能力のある政党である。それが出てこない限り、今回の震災をさらに上回る悲劇に日本は繰り返し見舞われることになる。


 
 
(月刊「WiLL6月号」 HEADLINE『判決!』いしかわじゅん)より一部転載


 先日、テレビのスポーツニュースを見ていたら、プロ野球楽天が、仙台の被災者を慰問に行っていた。スター選手たちが避難所で暮らす人たちを励ましていたのだ。結構なことである。彼らには、人を元気にする力がある。
 気になったのは、星野監督である。星野監督も一緒に被災者たちを励ましていたのだろうか。
 星野仙一氏は、原発推進のテレビコマーシャルに出ていたが、あれはどうなったのだろう。何か総括は会ったのだろうか。星野氏は、福島の避難所に行ったら、なんと言って被災者たちを励ますのだろう。
 いろんな人が原発の広告に出ていた。それに出るには、彼らなりの何か納得できる理屈があったのだろう。それを攻めるつもりはない。しかし、その結果起きたことに関して、彼らは何か言うべきではないのか。発言するべきではないのか。口を拭って被災者の激励に行っていていいものなのか。その辺、ちょっと疑問に思わないでもないのである。
 判決である。
 原発のシーエムも、いろんな人が出ていた。勝間和代嬢とか朝の番組の司会やってる薬丸裕英氏とか、かなり大勢がやってたと思うが、彼らは現在、平和な気持ちで眠れているんだろうか。

 少しは良心の呵責に苦しんでいる、と思いたいものである。


 

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