|
この頃時間があれば、
結婚式のDVDばかり観ている。
そこには若かりし頃の生きて動いているダンナの姿があり、
声が聞ける。
配偶者を亡くした女子会に何回か出席した。
彼女たちは写真なんて哀しくて見られないと嘆く。
私は逆で、
生きているときはあちこちに散らばっていた
写真や手紙をかたっぱしから集めて、
飾り、持ち歩いている。
ダンナのいない人生なんて考えられない、
生前もそういう思いだったが、
現実にいなくなってみると、
想像を絶する孤独感に襲われている。
亡くなって1年が経とうとしているが、
よく生きているなあと思う。
私は昔からあまり男性は得意ではない。
昔からモテまくっていた同級生の女子は、
相変わらず男性の扱い方がうまく、同期会に出ると周りに侍らせている。
私は得意でないから、男性のあしらいが下手で、ただならぬことになりかけたこともある。
ダンナはぱっと見は派手で、女性にはモテた。
誰にでも優しいから、私は出会った時からこの人とは
関わることなどないだろうと思った。
格別な愛の告白もなく、気がつけばライブに行ったり
ドライブしたりという始まりだった。
男性が苦手な私を扱うのは長けていた。
当時、私には結婚寸前の教師の恋人がいて、
彼もある意味、あからさまにベタベタするのは嫌いだったが、
私に対しては自分の彼女という態度は取った。
ダンナは結婚してからも、周りに他人がいるときは
私とは距離を取り、カップルという体勢を崩した。
それが極端な照れからくるものだったのか
どうかもわからない。
「私のことどう思っているの」と問うと「好きに決まってるだろう」と返ってくるが、
それも仕方なく言わされたという感じで、若い頃は焦れた。
昔ダンナが、私のことを嬉しそうに、それも他愛のないことを
語っていたと
ごく親しい人から聞いた。
「◯◯は(私の名前)甘いもの食べないんだ」
「◯◯が最近帰りが遅くて心配だ」
「◯◯がいないと、僕はダメなんだ」
名前を面と向かって呼ばれたことがなく、
親しい人や義弟には呼び捨てしていたらしい。
どうも私が元々男性が苦手だったこともあり
心が読めなかったのだろう。
でも
ダンナが私との間に置いた距離感には
2人にしか見えない熱い血の通ったもんだったのかなって。
そういう確かな思いがここのところ湧いている。
好きだも愛してるも惚れてるも
ほとんど言われたことのない私だが、
夜空の星を
耳にする思い出の曲を
また時折出てくる夢の中通して
生前口にすることのなかった気持ちを
送ってくれているような気がする。
|
日々の雑感
[ リスト | 詳細 ]
|
ダンナが死ぬまで
和解することがなかった三男は、
お参りにすら来ない。
次男に言わせると
「兄貴が来させないのだろう」と。
義母の介護と遺産での揉め事、
その上ダンナが患っていた膀胱癌治療への「口出し」
「アドバイス」ではなく口出しだ。
適切な意見ではなく、持論を押し付けて
自分の思い通りにしないと逆ギレして
「死ぬぞ」と恫喝。
ダンナや次男はすぐにキレてヒステリックになる
この性質に手を焼いていた。
母の介護をやるからと会社を辞めたくせに、
困った時だけ長男を呼びつけて哀願。
間違った薬の投与で義母を殺しかけ、結局お手上げになって、
彼にとっては運良く降ってきた友人からの再就職の紹介に乗り、
義母の介護どころではなくなった。
その後は義母が住んでいた団地が、老朽化のために壊されることとなり、
ダンナが引き取るかという話になった。でもモンスター三男は、近くに置いときたいからと
私たちの提案を却下。それならとちょうど近くにあった民間のケア付き住宅をダンナが
見つけて契約した。モンスターは全て丸投げ。義父の遺産だけはガッチリ握っていた。
義母が亡くなるまで入居していた2年3カ月、最初の頃は土日に来て備品の補充とかやっていたが、
医師との面談、介護士さんとの打ち合わせ等、全てダンナに任せっきり。そのうち全くと言っていいほど来なくなった。一番近いのに。
最後の看取りも
「仕事が忙しい」とすぐには来なかった。
実の母の危篤に、忙しいから帰さない会社があるだろうか?
この一件でダンナは激怒した。
そのくせ遺産にだけは執着を見せた。
残念なことに、次男が相続を放棄すると言い出し関与しなかったのも
モンスターの暴走に拍車をかけた。
うちは自営だったので収入が不安定で、おまけにダンナが膀胱癌を患い
前ほどは働けなくなった。医療費のこともあるし、早く相続の話し合いをしようと言ったが、
これは母の金だから一銭も渡さんと抱え込んでしまった。
ダンナが亡くなる1カ月半ほど前、突然預金の凍結を解くために戸籍謄本を取れと言ってきた。
今まで一切話し合いに応じなかったのに急かすように。
母の医療費で預金が半分に減ってしまったと言い訳をしていたが、
ダンナは遺産の金額を当初把握していたので、半分以下になるなど考えられん、明細をもらうと言ってたが、体調が著しく悪化して、モンスターとやりとりする気力が無くなっていった。
ダンナは三男を恨んで死んでいった。
わたしにも
「あいつのことは恨んでいいからな。俺の葬式には呼ぶな。
絶縁だ」と吐き捨てた。
かれはモンスターブラザーそのものだ。
母方からの先天性の遺伝子異常の難病を引き継いだらしく、
両親は、特に義父は腫れ物に触るようにして扱ってきたらしい。
高校時代は軽犯罪で警察のお世話にもなったことがあったとか。
だから弱者を振りかざしてなんでも思う通りに主てきた。
そして最後は小さい時には可愛がってもらった
兄貴を精神的に殺し、
自分は遺産をほとんど独り占めして
今わが世の春を謳歌している。
私はこの一連のダンナの一族の病を観てきたが、
私の母の妹である叔母もそうだった。
今彼女は84歳
因果応報の渦中にある。
今50の三男は今後どういう人生を送るやら。
私が生きている間はじっくりと観察するつもり。
歳を重ねて
人恋しさが転じて
人の裏を読んでいる自分。
私の人生も
大したことないな。
そして最愛の夫には
救ってあげられなかった懺悔の気持ちでいっぱいである。
|
|
ラブラブで幸せだったんだからマシ
仲の悪い夫婦はたくさんいるんだから
と言われると
返す言葉がありません。
確かに
フリーランスになってからの
資金繰りの苦労など、辛いことは多々ありましたが、
ダンナとの30年は
本当に楽しい結婚生活でした。
もっと生きていてくれたら
いい仕事をさせてあげられるように努力したかった、
今となっては
何を言っても虚しいです。
独り言が
増えました。
私は16年前に母を送り
9年前に父を送り
昨年旦那を送りました。
SNSで繋がっている人は多くいますが、
親しい人との会話はありません。
私の独り言と
血縁や配偶者のいる人の独り言は
別物です。
私は自分が一番辛いなどとは思ってません。
でも
幸せの実感って
過ぎ去って初めてわかるものですね。
|
|
ダンナが亡くなってから
私は精神の安定を求め続けているが、
8ヶ月経った今になってもかなうことはない。
おそらく生きている限り無理だと思う。
早くそばに行きたいと思うのに
毎日仕事をして、
お腹が空いたらたべ、酒を飲み
表面上はルーティンワークをこなしている。
でも、達成感もないし満足感もない。
ダンナが亡くなった直後、あるブログに出会った。
にほんブログ村の死別のカテゴリーで
いつも一位の人気を保っている奥様を亡くされた男性のブログだ。
ほとんど毎日読ませていただいてる。
そこに書かれてある苦悩に満ちた文面に
私はほとんどと言っていいほど腑に落ちるものがあった。
「君と僕はどっちが欠けてもダメなんだ」
生前ダンナはよくそう言っていた。
私は今ひしひしとそれを感じている。
片方が欠けてしまった今、
私は魂の故郷に還る日が来るまで
どういう風に自分自身の始末をつけるか
考えている。
確かにここのところ
親しい人と会話をしていない。
独り言が増えました。
SNSは会話とは言えませんから
|
|
こんな時間に食べて飲んでます。
私を取り巻くものへの
不快感に押しつぶされそうです。
娘の受験がどうした
孫がどうした
息子がどうした
定年後はゆっくりと趣味に
それがどうした
好きにやってくれ
そして末弟
兄貴に勝利したと思ったら
お門違いだぞ
|



