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父方の従姉妹が亡くなりました。
70歳、私は一人っ子だったので
姉のように慕ってました。
旦那の通夜と葬儀に来てくれて、49日は体調が悪くて
行けないというショートメールをもらいました。
父が一番可愛がっていた従姉妹でした。
彼女は高校の家庭科の教師で、
赴任先で結婚し、子供を二人 もうけたのですが、
同僚の教師と道ならぬ恋に落ち、子供を夫の元へ残し離婚しました。
最後を看取ったのは
事実婚のパートナーでした。
彼女はいろいろあったかもしれないが
情の厚い
ものすごく思いやりのある人でした。
父は私に
「お前は兄弟がいないし子供もいないのだから
何かあったら相談しろ」と常々言ってました。
さらに
子供を残して離婚したことを
批判してましたが、北海道に彼女が逃げてきたときは
苦言を呈しながらもかくまいました。
何はともあれ
合掌
辛いです
今年は
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日々の雑感
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私が旦那と知り合った時
私には結婚寸前の恋人がいたが、
旦那の方に気持ちが傾くにつれ、距離を置くようになった。
彼と知り合ったのは大学時代で、私の一目惚れだった。
誠実な印象で無口、でもお酒を飲むと楽しく
ジャズが好きで博学だった。
とても大事にしてもらった。
家庭的な人で、料理もよく作ってくれた。
居心地は良かった。
でも、旦那が私の前に現れた。
旦那はおよそ安定とは程遠い生き方をしていた。
大学を卒業してから、教授の助手をしていたが、
その後決まりかけていた造園会社を蹴って
編集の勉強をするために昼はたまにバイトをしながら
夜学校に通っていた。
そこで私と知り合った。
目標を立てて
それに向かって
雑音を無視して
ひたすら自分を磨き続けるタイプだった。
私は養ってもらおうとは思ってなかったので
全然気にならなかったが
事情を知らない人にはいろいろ言われた。
前の彼氏は教師で安定してたから、
余計言われた。
でも一緒にいて心から楽しかったから
別に気にならなかった。
一緒にいた35年は
私のもらった最大のプレゼントだと思ってる。
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昔の夜勤のパートに勤しんでます。
とりあえずつなぎです。
生活の糧です。
いろいろやって
成果を出し
それを余生の生活の中心に置かなければなりません。
うちの旦那は
小銭稼ぎはしなかったし、
できなかった。
家事もできなかったし、しなかった。
ゴミ出しとお風呂の水張りはやってくれたけど。
良くも悪しくも
いろいろやるのは苦手でした。
それを甘やかしていると
前の会社の派遣の女性に言われたけど
それはそれぞれの家庭の事情だから仕方ないでしょう。
彼女は旅館の朝食並みの料理を夫が作れるようになったと
教育した自分を誇示してたけど、だからそれがなに?
国立大学を奨学金で出て
自分は仕事ができるという
アピールをしながら、旦那の扶養を受けている矛盾。
通っているジムの代金も旦那に出させて、夫婦生活はストレスという
傲慢さ。
私はそんな話聞くに耐えなかった。
パートでも
力仕事を外れて、受付などに配置換えされ
偉くなったと勘違いする人がいる。
そういう人は面白いことに、最初は愛想がいいのに
配置換えになって制服組になると挨拶もしなくなる。
旦那はとにかく悪い意味で裏表がはっきりしてる人と
どんな業界でも
上から目線の態度をとる人を
それが自分の兄弟でも嫌った。
そういう人たちが
生き残るんですよね。
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ダンナは才人だったが
生活能力は低かった
私は
月並みな
幸せにすると言われたことはなく
一緒に何かやろう
そのためのパートナーに
なってほしいと言われました。
今おたがいに
最高のパートナーだったかは疑問ですが
経済力以外では
本当に楽しい夫婦生活でした。
だから
今はどうしてこの先
暮らしていっていいかわからなくて
困ってます。
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今日は月命日
3日続けて旦那の夢を見た。
一緒に
なぜか北海道旅行をしていた。
北海道の友人とある駅で待ち合わせているのに
旦那は私に
「いいから先に行こう」と言った。
そこで目が覚めた。
旦那がほとんど着ないワイシャツ姿で部屋に座っていた。
「佐川急便か」と言った。
横浜からローカル電車に乗るために2人で急いでいた。
何か会話をしているのだが何を喋ったか覚えていない。
場面が変わって
食べたものが胃もたれでも起こしたのか
寝ていた。
「気持ち悪い」と言ってたような
父も出てきたような
朝の目覚めは切なかった。
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