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2014年 02月 03日
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人気ブログランキングへ ---------- 今通常国会。 民主党の参議院の代表質問者は日教組の神本美恵子でした。 本来、表に出してはいけない純粋な反日組織の日教組の反日議員です。 これが参議院の代表質問者として出てきてしまうところに 民主党の中で旧社会党の いわゆる反日売国の系譜が最も力を持っている事の証左です。 そもそも北朝鮮の日本人拉致などの工作に協力していたという指摘すら有り、 (現地の協力がなければ「上陸しやすい場所、拉致しやすい場所」なんて日本全国で次々に探せません) 実際に北朝鮮による拉致を認めなかったのが社会党でした。 韓国で逮捕された北朝鮮の工作員シンガンスの釈放嘆願署名が有名ですが、 あれを行った社民連や社会党を中心とした議員は 反日議員の証明を行ったと言ってよいでしょう。 (北朝鮮の工作を幇助する事にしかならない署名ですから) また、南京大虐殺記念館を建てる資金を出したのも社会党でした。 金丸信や田辺誠らが大勢で訪中した際に多額のODAを申し入れ、 このときに南京大虐殺記念館建設を持ちかけました。 金丸信と田辺誠は非常に仲が良く、 当時は表向きは対立していてもがっちりと癒着していました。 お互いがODAを利用したキックバックなどで利害一致していたのでしょう。 金丸信と田辺誠はいわゆる金丸訪朝団としてともに北朝鮮へ行ってもいます。 (訪朝の際に南北朝鮮分断後45年間分の補償なんて約束も交わしていたようです) 日本の税金を垂れ流し、そのごく一部をキックバックとしてもらうこと これは中国共産党にとっても北朝鮮にとっても 実に都合の良いものだったと言えます。 なにせ金が来るうえにそのごく一部をキックバックすれば 相手の弱みまで握って言う事を聞かせることができるわけですから。 そうして自民党は最大派閥の田中派が野党では最大派閥の社会党が お互い手を組んで北朝鮮の拉致を隠蔽。 一方、国会では1988年に梶山静六が 北朝鮮による拉致を認める答弁を行っていますが、 1990年に金丸や田辺誠らが訪朝して戻ってきた後は 拉致問題について再び沈黙へと転換します。 (金丸は当時の自民の最大派閥・田中派の領袖でした) その後、小沢は田中派の領袖争いで橋本龍太郎に敗れ、 それまでは金竹小(こんちくしょう)と言われ、 金権腐敗政治の頂点にいてやりたい放題やっていました。 小沢一郎はこの時期首相になろうと思えばいくらでもなれました。 しかしながら、傀儡の首相を立て何かあればその首相を更迭するだけで 「実権は握って責任は取らず」 という事に味を占めていたため自分がなろうとはしませんでした。 宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博ら総裁候補に名乗りを上げていた 派閥の領袖を自身の事務所に呼びつけ面接を行う「小沢面接」 なんてことをやって権力に酔いしれるほどでした。 「実権は握るが責任は取らない」 小沢のこの政治姿勢は細川内閣、羽田内閣 そして民主党政権での鳩山由紀夫内閣でも踏襲されました。 しかし、自民党内での田中派の領袖争いに敗れ それまでの傲慢ぶりもあったためか党内で干され始めると これに我慢する事は当然できず、自民党を割って宮沢内閣を潰し、 細川連立内閣を作ることで再び権力を握ります。 そうした中で小沢ら金丸派閥が抜けた田中派は それでも党内で最大派閥でした。 当時の田中派では竹下派七奉行と言われた派閥の実力者が 小渕恵三、梶山静六、橋本龍太郎 羽田孜、渡部恒三、奥田敬和、小沢一郎 の7人でした。 このうち羽田、渡部、奥田、小沢が金丸系派閥でした。 (この4人とも後に民主党へ) 前述の金丸訪朝団でもわかるとおり、 北朝鮮と特に親密な関係にあった金丸系が抜けた事が大きく。 田中派が弱くなって行くことで、 また野党では社会党が崩壊することで 拉致問題が大きく表に出てこられるようになったと思います。 一方、日本社会党は細川連立内閣以降、勢いを失っていきます。 村山内閣で安保や自衛隊合憲を認めた事により 社会党は一気に崩壊へ向かっていきます。 また、阪神大震災での対応の不手際もありました。 そこで多くの社会党議員が日本社会党の看板ではやりづらいと考えたためか、 鳩山由紀夫の新党構想に党まるごと乗っかろうとします。 しかしながら当時の鳩山由紀夫の排除の論理に納得できない者も多くあり、 党まるごととはいかず、「個人の判断」という形で社民党から抜け、 多くの議員が民主党結党に合流する形になりました。 なお、排除の論理とは 当時の住専問題の処理から逃げ出した事で新党さきがけが求心力を失い、 それによって新党結成で誤魔化そうというものでしたが、 新党さきがけにおいての汚名を全て武村正義に押しつけるためにも 新党を結成する際に「排除」するというものでした。 こう考えれば民主党は結党の当初から政策で集まったのではなく 「看板隠し」を企図して作られたものだったとも言えます。 民主党になってからは松下政経塾上がりの連中など 若手ばかりをTVに出す事で 旧社会党を意識させないようにすることで 新たな票を集めることに成功したとも言えます。 さて、ずいぶん回り道しましたが、 こうした経緯を考えれば 日教組の神本美恵子が参議院の民主党の代表質問に堂々と出てくる事は 民主党がもはや社会党隠しをする事すら考えなくなった と考えて良いと思います。 しかしながら「看板隠し」が元々のスタート地点だった民主党は 地方に於いても初心を忘れてはいません。 民主党、静岡県議の橋本かずみ議員のブログの 2014年1月31日の記事です。 【会派名を変更します。新会派名称は、静岡県議会『ふじのくに県議団』】 1月30日、午後1時30分の会派臨時議員総会において、今まで議論されてきた会派の名称についての決議が行われ、新名称が『ふじのくに県議団』と決まりました。私たち会派は、県議会第2会派として、川勝平太知事与党を標榜し、「民主党・ふじのくに県議団」名のって参りました。 昨年秋から会派名変更の議論が上がり、会派名変更検討委員会を設置し協議し、会派名から「民主党・」を削除した新たな会派名とすることを先般決定し、30日の議員総会で正式決定しました。 総会で決定後、直ちに川勝知事に報告し、報道記者会見をおこないました。 私は現在、会派の副幹事長として、この名称変更にも一議員とともに事務局の立場としてかかわってきましたが、20人の議員が集まると色々な意見があるなかで、やはり最後は、統一地方選も来年控え、基本に立ち返り、中央政治にとらわれない、真の地方の時代にふさわしい県民本位の議会運営を目指す政策集団と14.1.30民主党・ふじのくに県議団臨時議員総会①して、知事の公約でもある「オールサイド」を基本スタンスに進むこととしました。 今までの「民主党・ふじのくに県議団」の会派名は平成22年に「平成21」と「民主党・無所属クラブ」が合流したことで変更され、その際に「民主党」を付しました。(合併の当時の条件ということでした) 現在、所属議員のうち民主党籍は15人、無所属は5名です。 党派を超えて、来年の統一地方選挙に向けた政策活動を積極的に進め、結果を残さなければなりません。 新名称は、2月10日から変更となります。 ----- 民主党政権になる前は「民主党・無所属クラブ」でした。 民主党政権になってからの2010年に 「民主党・ふじのくに県議団」となりました。 そして民主党の看板を隠して「ふじのくに県議団」ということになりました。 この民主党県議のブログ記事でも 「やはり最後は、統一地方選も来年控え」 とあるとおり、選挙対策というのが最も大きい理由なのでしょう。 スタート地点から「看板を誤魔化す・隠す」事が目的だった民主党 その理念はむしろ地方でさらにはっきりと出ているようです。 2011年4月25日の岡田克也幹事長会見の際の岡田克也の発言から ----- 三重県では、推薦候補や、推薦にもならないが会派を同じくする人々をくくって地域政党として増やしてきた。今回も全員が当選した。過半数には若干届かなかったが第1党だ。このように必ずしも公認にこだわらない方式もある。どういうやり方が地方組織を強固にしていくのか、いくつかのパターンを考えていくべきではないか。 ----- と発言しており、当時民主党政権のあまりのひどさに 統一地方選挙では民主党は大惨敗をしていましたが そんな中で三重県では早くから「新政みえ」として 民主党を意識させない会派名を名乗ることで議席を維持できたので そのことを挙げてこの手法を肯定的に、 戦略として推奨するような言い方です。 このあたりは「販売社:イオン」とだけしか書かず 製造メーカーや産地隠しを行う実家のイオンを真似しただけかもしれません。 何度もこのブログで書いていますが 気をつけよう その候補者は 民主党 あらためてご自身の地元の議員について少しだけチェックしてみてください。 http://img.mynippon.jp/100blog/banner05b.jpg 転載元
「パチンコ屋の倒産を応援するブログ」
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