火のある暮らし

織りが面白くなってきたと思う今日このごろ・・・。

南三陸支援プロジェクト

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今回の南三陸町応援ボランティアに参加して、たった二日間の滞在でしたが
そこで出会った何人かの人たちのことを紹介します。
 
 
語り部の佐藤かつよさん
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町を訪れる人たちに町の歴史や地形、産業などを踏まえて震災の状況を伝えてくださいました。
高台に住む佐藤さんは直接の被害は免れましたが
我が家に避難して来てくれると待ち続けた友人の死を震災翌日聞かされたそうです
 
 
 
 
 
岡山県笠岡市から南三陸へ支援に行くきっかけとなった
「ぼうさい朝市ネットワーク」の提唱者の藤村望洋さんにもお会い出来ました。
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千葉商店の千葉公子さん
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全てのものを震災で流されて、ゼロからまた海苔店を復活させた逞しくも魅力的な女性。
「着の身着のまま」とは着ているものだけで、という意味だけではないと・・。
モノは流されても、それまでに身につけた「知識・スキル・資格」などは絶対に流されない。
おにぎり一つ握るスキルでも身につけておくことは非常時にどれだけ役に立つか。
・・・生きていくための力について教えてくださいました。
 
 
 
観光グッズのショップで働く梓ちゃん
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初日に私が着付けをさせていただいた人の一人で、
翌日たまたま訪ねたこのショップで働く彼女に再会、「あら!昨日は・・・」と話が弾みました。
彼女は震災の年の3月1日に地元志津川高校を卒業したばかりで
震災当日は隣町にある入社予定の会社に行っていたとのこと。
全ての交通手段がなくなり家族とも連絡が取れないまま3日後にやっと帰宅。
幸い家族は皆無事で自宅も津波の被害は免れたものの、生活は一変。
車の免許もあと少しで取れるはずだったのに・・・と。
 
 
 
 
気仙沼本吉消防署特別救助隊隊長 及川孝さん
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私たち一行のために2時間近くも震災当日のこと、その後の救助活動のことを話してくださいました。
当日は非番だったので家族と自宅にいたが、それが却って良かった。
勤務していたら出会わなかったであろう、多くの近所の人たちを誘導避難させ命を救うことができた。
地震直後に大津波を予想し、川の水が大きく引いていくのを見た及川さんは
いっときの猶予もならないと近所の人、道行く人に避難を呼びかけ続けた。
防波堤で海を眺めている人さえいて、高台へ逃げるように叫んで回ったと。
おそらく消防士の及川さんの言葉だからこそ
近所の人たちも危険を察知して高台へ迎えたのではないでしょうか。
同僚も亡くし、消防署も機能をなくしてしまったけれど、
東京消防庁など全国から何百台もの消防車、レスキュー車が駆けつけてくれた時は感動で涙が出たと・・。
 
本当に精悍で頼もしい及川さんですが、
同僚の死や、命を助けられなかった人たちのことに話が及ぶと
声が途切れ話が続かなくなり、どんなに過酷な状況にあったか想像に難くないのでした。
 
及川さんの当時の救助活動の様子は
東日本大震災 消防隊員死闘の記 という本にも取り上げられています。
 
 
 
 
着付けに来てくださった女性
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こんなに満面の笑顔の彼女ですが、たくさんの病気を抱えていて
震災当日も志津川病院に入院中で、しかもその瞬間は入浴中だったといいます。
浴槽の中でまるで海に放り出されたように大きく揺さぶられながら死を覚悟したそうです。
揺れが収まったのでバスタオル1枚をまとって津波が押し寄せる中逃げ惑っていると
「患者さんが先だ!」という職員に手を引っ張りあげられて屋上に逃げることができた・・。
そう、私たちも映像で何度か見たあの時病院の屋上で
助けを求めていた人たちの中に彼女もいらっしゃったのですね。
着付け後に彼女のお店で作っているうにご飯や海鮮丼を差し入れしてくださいました。
 
本当に美味しくいただきました、これからもずっと元気でいてくださいね。
 
 
 
震災後いち早く営業を再開し                                                  
復興の先頭にたった「かまぼこ屋及善」さんの
看板娘?3人も着付けに来てくださいました
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溢れんばかりの笑顔を見せてくれているのは
ヤマウチ鮮魚店のおかみさん。
着付け屋店開きして一番に来てくださった
ヤマウチの皆さんです。      
 
 
 
今回南三陸町を訪れて、一番に思ったのはショックというより余りにも何もなくなっていて
元々そこには何もなかったんじゃないかと思う程の町の様子でした。
現地の方々の心の深い部分にまでは踏み込むことはできませんが、
着付け、というスキンシップに近い形でお一人お一人に接したことで、
少し気持ちを許して頂けたのか、当時のことを話して下さる方も何人か・・。

被災された全ての方がそうであったと思いますが、
聞けば本当に壮絶なドラマのような形で命拾いをした人ばかりで、
今元気でいらっしゃることへの敬意を感じずにはいられませんでした
 
今回の支援ツアーバスの中で言い交わされたのは、
「被災地に行ったということだけで満足してはいけない」ということ。
私に今できるのはこうして見てきたこと聞いてきたことを皆さんに伝えること。
そして「忘れないこと」
 
 
一人の力は小さいものですが、ひとりでも多くの人が
被災地に想いを寄せ忘れずにそれぞれの形で支援を続けることが大切なのだと思いました。
 
 
 
笠岡からの支援隊は毎月復興市の度に南三陸町へ行っているので、
またいつか私にできる形で参加できる日のあることを願っています。
 
 
*南三陸の人たちの「忘れないでいて欲しい」という想いを広く皆さんに伝えるために
敢えて、顔出し・全公開にしています。

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