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ヤフー・ブログでの最後の投稿にふさわしい録音を選ばれましたね。
ブラームスの4番で、幼い日のわたしが聞き込んだのはDG60年代録音のカラヤン盤でした。
このCBSワルター盤は、前にも書いたとは思うのですが、海外出張で1か月ほど一人旅でヨーロッパをウロウロしたときに、懐かしのカセットのウォークマンで、ほぼ毎日聞いておりました。
話す相手もいないホテルの部屋で、その日の報告メモを作成しながらイヤホーンで聞くブラームスは、ひときわ身に沁みたことをこの良い音質の音源で思い出します。
わたしも、とりあえず先に開いていたライブドアに引っ越す手続きを、これから始めます。
http://blog.livedoor.jp/gustav_genchan/
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> yositakaさん
早々とコメント戴き何時も乍ら有難う存じます。
私もモーツァルトは日コロ盤とSONY盤を揃えて居ますが、ブラームスは其処迄やり切れて居りません。
とは言ってもセルのブラ4はCBSオリジ含め4枚有りますから、ワルター/コロンビアの4番に対する執着心は薄いのだと思います。
何れにせよ、yositakaさんレヴェルの場合、CBS6つ目は必聴であると思いますよ。全く別次元ですから。
後攻めで色々な努力をすれども、所詮ウブいテープから切ったレコードを凌駕する事は叶いません。此れが結論です。
私は6つ目盤の方への背中を押したいと思います(笑)
貴ブログには又お邪魔致しますので、今後共宜しく御指南の程御願い申し上げます。
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「おさらば」とは縁起でもない。どこかに引っ越して継続してくださいよ。
ワルターのLP、CDは実にいろいろな音がして、重複買いを引き起こすもとになっています。今回試されたLP、CDは各メディア最後期のものと思われますが、わたしが好んで聞くのはもっと古いものが多いです。ブラームスのステレオ盤では、ごく最近聴いた日本コロムビア初出の全集盤LPなんか、腰の強い低音が利いていて聴き応えがありました。
新しいボックスセットの宣伝文句は過去のものがみな腰高みたいに書いていますが、私にはDSD盤との違いを述べているように思えます。DSD盤はぱっと聴きには鮮明ですが、なぜか、だんだんと聴き疲れしてくる音のように感じます。その理由は不明ですが、SACD用にマスタリングしたものをそのまま転用していることに関係があるのかもしれません。
新ボックスを購入すると決めたわけではありませんが、こう言われると背中を押される気分になります。[ yositaka ]
2019/8/30(金) 午前 7:30
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quontzさん、
久しくヤフー・ブログから遠ざかっておりましたが、音源をアップされたことをYoutubeからの通知で気づき、拝読させていただきました。
私がイッセルシュテット/NDRsoのブラームスをCDの全集で聞いたのは、自分のブログを検索してみると2011年、もう8年も前になります。
執念でオリジナル盤を入手された、その気力・体力の持続には、素直に羨ましさを感じてしまいます。
また、冒頭に過分のお言葉をいただいたこと、誠にありがたく感じております。
少しはまともな音質で聞けるPCになりましたので、体力に合わせてゆっくり、じっくりと聞かせていただきます。
ブログの移行、多くの記事を捨て去るには惜しいし、さりとて…と、私もまだ迷いながらそのままにしております。
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待望の米Vox盤を入手されたquontzさんの歓喜が伝わって来る記事ですね。私はイッセルシュテットのブラームスは未聴でしたので、このような音で聴けたのは幸運でした。こういう発見があるから、同演異盤につい手が出てしまうのです。もちろん、懐具合と相談の上ですが。さてイッセルシュテットのブラ4、さっぱりとした進行の中に、彼らしい、見通しの良い構築美が聴かれ、まさしく「痒い所に手が届いた」演奏と感じます。
比べて国内盤は音が前に出てこないため、演奏の美点がやや伝わりにくくなっています。マスタリングより使用テープ自体がよいダビングではないのでは、と感じました。
引越し後のご活躍も期待しています。[ yositaka ]
2019/8/27(火) 午前 11:15
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東アジアの音楽は全く違います。楽譜は単なる符丁で、奏者に調律や長さの決定が任されているという。宮内庁の雅楽ですら、入りから高さからずれてるんですね。でも雅楽はそれでいいし、そうじゃないといけないらしいんです。中国の音楽も演歌も同じです。
そういうのと比べると、西洋音楽では楽譜の拘束度がはるかに高く、音楽の在り方において演奏の比重ははるかに低いといえるでしょう。レコ芸は、たいして重要でないものをあたかも最重要のようにあげつらうわけで実におかしいです。カラヤンやクイケンがどうしたなんていうのより、バッハだってべーやんだって「謎の音」がいっぱいあるわけですが、そういうのをどう理解するのかってのをやってほしいなあ。
最後、おんなじ曲をいろんな人が演奏するのですから、「楽譜通り」「作曲家の意図通り」なんて言う権威主義は取り除いたほうがいいんじゃないかと。音楽なんて言うのは、それで人が死ななければ何をやってもいいと思うんです。聴衆が喜べばね。余計な権威を振りかざすと、すぐに飽和して、早晩需要は先細りますよ。[ gkrsnama ]
2019/4/12(金) 午後 10:40
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> gustavさん
私もカラヤンの63年盤を殊に好んで居ります。カラヤンは何度も此の曲を録音して居りますが、矢張り63年盤が最上の出来であると思います。
セル/クリーヴランド管、ケンペ/ミュンヘンPO、ケルテス/VPO、イッセルシュテット/NDRと、此れら5枚を飽きずにグルグルと聴いて、何時の間にか半世紀近い時が流れて居りました。
ワルターも早い段階で聴いては居ましたが、上記5枚には敵せず、寧ろ録音の悪いNPO盤の方が聴き易いと感じて居ます。
ただ、此の2楽章の情緒は格別ですね。此れを聴くと矢張り大物だと思います。
gustavさんの膨大なブログ記事を移行するとなると、気が遠くなりそうな気が致します(笑)
無理をなさらず、そろそろと気長にお励み戴きたく存じます。
2019/8/31(土) 午前 0:48