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私がブログで音楽の記事を書こうと思い立った要因の一つに、巷間話題性の低い演奏家ではあるが、秀でた音楽性を有すると云う、所謂「通」好みの音盤を知らしめたいと云う動機があった。
顧みると、評論家連中に反旗を翻す如き文章を、随分書いて来たようにも思う。 しかし、その甲斐あってか、最近拙ブログに戴くコメントの中に、クリップスを見直すような兆候が見られるのは、何より嬉しき現象である。 1902年生まれのクリップスは、カラヤンより年上、イッセルシュテットより年下、と云う処であるが、ほぼ同年代の指揮者である。しかし乍ら、その存在の地味さ加減は群を抜いて居る。19世紀生まれの巨匠達とカラヤンの狭間にあって、長らく顧みられる事のなかった「実力派」である。
同じ地味系であっても、コンヴィチュニーやカイルベルトはもっと早くから「光」を当てられて居たと思うが、クリップスは未だに、その実力に見合う脚光を当てられて居るとは言えぬ状況である。 であるから、微力乍ら今一度、声を上げてみたいと思うのである。 モーツァルト 交響曲第35番
クリップス/イスラエル・フィル 57年録音 DECCA盤LP(MONO) クリップスのモーツァルトは、ステレオ時代のコンセルトヘボウ管との音盤が飛び抜けて素晴らしいのだが、DECCAのMONO盤のイスラエル・フィルのハフナーシンフォニーは一聴の価値があると思う。この盤はジュピターとの抱き合わせであるが、流石にジュピターの方はオケの弱さが目立ってしまい、更にコンセルトヘボウ管との圧倒的名演を知る耳には粗さが辛い。
このハフナーは勢いが良い。コンセルトヘボウ盤ではゆとりを感じさせる大らかで、美麗な音楽であるが、この曲の求める勢いと云う面では若干の物足りなさが付き纏うのであるが、この演奏はキリッと角の立 った勢いが素敵である。 木管を一切曖昧にしない、内部の強さを持った演奏である。細部を曖昧にしない強さである。 チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
クリップス/チューリッヒ・トーンハレ管 60年録音 MMS盤LP(MONO) Concert Hallのマークなんだが、レーベルはMusical Masterpiece Societyだ。
チャイコはVPOとの5番が有名であるが、私はこの6番の方が好きだ。ここでも細部を曖昧にしないクリップスの持ち味が生きている。小細工の無い堂々たる演奏だ。様々な楽器の音色が曖昧にならずに生き生きと繰り出される美演だ。そしてメロディの呼吸が実に良い。そこには暗さは感じられず、音楽の美しさに息を飲む。 3楽章のクラリネットの美しさにウットリと聴き入って居ると、何時の間にか巨大な音楽の渦に巻き込まれる高揚感が素晴らしい。大口径のウーファーであると、この恐ろしい地響きを感応出来る事であろう。4楽章も憂鬱感よりも高揚感が勝 る。実に「陽」なる悲愴である。これは大いなる歌だ。 ブラームス 交響曲第2番
クリップス/チューリッヒ・トーンハレ管 60年録音 Concert Hall盤LP(MONO) クリップスのブラームスはすべからく素晴らしい。この2番も私のお気に入りの演奏である。骨太のクリップスは木管の歌わせ方が実に上手い。であるからブラ2はピッタリとツボに嵌る訳である。角を立てずに大らかに歌う演奏は、実にこの曲の表現として的を得て居る。似たような演奏にシューリヒトがあるが、クリップスの方がより音楽が大きい。
この3楽章を聴いてウットリとしない者が居るのだろうかと思う。終楽章は歌い抜き、熱を帯びながら更に巨大化する様は師のワインガルトナーを凌駕する高みにあると感ずる。どんなに煽っても造形を崩さない恐るべき統率 力だ。これはもっと知られても良い名演である。 ブラームス 交響曲第4番
クリップス/ロンドン響 50年録音 DECCA盤LP(MONO) この盤は前々記事でも紹介したが、今回は針をエジソンに替えての収録である。矢張り古いDECCA盤を古い針で再生すると、クリップスの持ち味である木管の音色が甘くなりがちである。ブラ4マニアの私が惚れた演奏であるから、ここは再度、精細な針で入れ直した。
演奏評は前々回記事を参照戴きたいのだが、今回改めて聴き返して驚いたのは、この古い50年製の音盤が、ノイズこそ入ってはいるが、音色は些かも劣化して居ない事である。再生の難しいffrr盤であるが、コツを掴むと瑞々しく蘇るのが嬉しい。こう云う楽しみがあるからLP再生は止められない。 例の3楽章のティンパニは 硬質で、より克明に聴こえ、効果的である。 ドヴォルジャーク 交響曲第9番
クリップス/チューリッヒ・トーンハレ管 61年録音 Concert Hall盤LP これはジャケットの麦が左向きの米国プレス盤だ。と云う事は、麦が右向きのジャケもあると云う事で、其方は日コロのプレスらしい。さて、どちらを収録しようかと迷ったが、傷が少ない左麦盤を選んだ訳である。
この曲は名演数多ある中で、特にクリップス盤を選ぶと云うのは殆ど無いであろう。実の処は私も、クーベリックやフリッチャイやカラヤンを好む。太くシンフォニックではあるが、血沸き肉踊る感覚には至らない。兎に角、私は最初にクーベリック/VPOを聴いて居た訳で、この曲に関しては、滅多な事では驚かなくなって居たのである。 チャイコフスキー 交響曲第5番
クリップス/VPO 58年録音 米London盤LP これが巷で評判の高いクリップスのチャイコ5である。が、私にはかなり判り難い。同じVPOであれば、マゼール盤があるし、ムラヴィン盤とか、ホーレンシュタイン盤なんぞの巨大な演奏と比べると些か分が悪いと思う。但し聴き易さ、安定感は抜群で特に不味いと云う処も無い。が・・・6番のように振舞い切れて居ないもどかしさが付き纏うのも事実だ。
モーツァルト 交響曲第41番
クリップス/コンセルトヘボウ管 72年録音 PHILIPS盤LP これはもう何度も紹介して居る私の一押しの名演である。スケールの大きさは、他に及ぶ者が無い。そして美しく、深い。最初は少々判り難いと思うが、ロココの域を脱した堂々たるシンフォニーに仕上がって居る。何度も繰り返し聴いて戴きたい超名演なのである。
ブラームス 交響曲第1番
クリップス/VPO 56年録音 DECCA盤LP 私はこの演奏が好きである。ステレオでブラ1を聴こうと云う時は、真っ先にこのクリップス盤に手が伸びる。
クリップスと云う人はブラームスに適性があるとしか思えない。師匠のワインガルトナー譲りなのかも知れないが、ブラームスの音楽を完全に自分のものとしているので、ドヴォルジャークで感じたもどかしさは微塵も無い。最近の若い聴き手にはこう云う演奏を是非聴いて戴きたいと思う。これがウィーンのブラームスだ。伝統の味わいと云うものが此処にはある。 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番
ルービンシュタイン/クリップス/シンフォニー・オブ・ジ・エア 56年録音 RCA盤LP(MONO) 私の大好きなルービン爺とクリップスが、バチバチと火花を散らす演奏である。何時も言うように、RCAは音が良い。しかも50年代のMONO盤は、矢鱈と凄い音を平気で入れているので、再生する方は苦労が耐えない。MONO盤は横振幅であるから、壮大な音響がリミット無しに切り込まれていると、針が吹っ飛ぶ。恐怖心と裏腹なんであるが、生々しき音を聴きたいので、国内盤の抑制の効いた音なんぞは糞食らえで、敢えて犬影盤を取り出す。
実力派同士の三つ巴の凄まじさを実感して戴きたい生々しき演奏である。 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番
ルービンシュタイン/クリップス/シンフォニー・オブ・ジ・エア 56年録音 RCA盤LP(MONO) 火が付いたクリップスとはこう云うものである。ルービン爺を喰ってしまう程の猛烈な煽り、弩迫力とはこの事である。余りのダイナミックで、エジソン針では最早追従不可能である。拠って、2〜3楽章は急遽SPUにリリーフを頼んだ。であるから、2、3楽章は急に穏当な表現に聴こえるが、御容赦願いたい。
ベートーヴェン 交響曲第7番
クリップス/ロンドン響 60年録音 EVEREST盤CD 第7の名演数多あれど、クリップス盤を聴かずして第7は語れまい。この曲のクリップスは冷静に燃えている。例によってポリフォニックで美しき音造りなんであるが、筋金の入った図太さと安定感は聴いていて充実感がある。何より音楽を煽って迫力が増しても造形が乱れないのがクリップスの凄さだ。
ベートーヴェン 交響曲第9番
クリップス/ロンドン響/BBCcho 60年録音 EVEREST盤CD ソロは、ジェニファー・ビビアン(ソプラノ)、シャーリー・カーター(ヴァーレット、メゾ・ソプラノ)、ルドルフ・ペトラーク(テノール)、ドナルド・ベル(バリトン)と云う顔ぶれである。
これ又大きな演奏である。2楽章のティンパニの使い方は実に上手い。聴いていて実に爽快感を感ずる。地味な表現の3楽章もファンファーレ以降は巨大な音楽に変貌して、4楽章への橋渡しが実に上手い。 4楽章の聴き処は、テノール独唱の入るトルコ行進曲の処だ。これは本当にメフテルを聴いているような錯覚に陥る程野趣に溢れた軍楽的な表現で上手い。 そして矢張りコーダの煽りは格別で、トルコ軍楽ベースで爆発するが、最後までアホにならないバランス感覚は、矢張り第一級の音楽職人クリップスである。多くの人に聴いて戴きたい名演として紹介したい。 |

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