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引っ越しされたyositakaさんのブログ記事で、ふと気になる記述を見付け、引っ掛かって居る。
ブルーノ・ワルター/ザ・コンプリート・コロンビア・アルバム・コレクションに関しての記事だ。

今回のボックスでは、日本のソニー・ミュージックとの共同プロジェクトとして、このステレオ録音すべてをオリジナル・アナログ・マスターから新しくリミックスおよびリマスターし、これまでのLPやCDで親しんでいた腰高の響きではなく、ワルターが志向したヨーロッパ風の重心の低い、落ち着いた格調高いサウンドをおそらく初めてお聴きいただくことができるようになりました。

ちょっと聞捨てならぬ。待て待て、これまでのLPやCDは腰高なのか?
で、新しきCDは重心が低く格調が高いとな?
心拍数が上がった。
先ず、腰高とは如何なる事であろう。高域にピークがあると云う事なのか。
重心の低いとは如何なる事か。低域が強調された音なのか。
ワルターは重心の低いサウンドを志向して居たのか?
まあ、確かめたければ買え、と云う事なんであろうが、挑発的文言ではある。

そもそも、私が餓鬼の時分から慣れ親しで居るLPのワルター/コロンビアの音は、下品な程に低域がブリブリと鳴り、恰もコントラバスの直前で寝そべって居るかの如き風情である。
ベートーヴェンの第5なんぞは、このブリブリが効いて忘れ得ぬ印象を刻み付けられたものである。
ハイドンやモーツァルトも、このブリブリが他では味わえぬ格別な存在感を醸し出して居たのである。
時はCDの時代に移り、ワルター/コロンビアも結構な枚数買い替えねばならぬ羽目に陥ったが、此の時の失望は言葉にもならない。
高域がキンキンして、音は薄く、とても落ち着いて聴いては居られぬのだ。
であるから、私は忽ちCD否定論者になった。

しかし、何度も当ブログで述べて来たが、此れはCDの所為では無い。CD製作者のセンスの無さの所為である。
次にCD再生装置製作者のセンスの無さの所為である。
そして、当ブログ最後の訴えとなったが、
レコードにせよCDにせよ、音盤再生者の怠惰の所為である。


前記事の流れで、丁度手元にワルター/コロンビアのブラ4が有ったので、最後のブログ記事としてワルター/コロンビアのブラームス/交響曲第4番をネタとする事にした。
そして此れは敬愛するgustavさんが絶大なる郷愁を以って好まれて居る演奏である。
此の演奏は比較的穏やかに開始されるが、曲が進むに連れ、例のブリブリが顔を出し、其れに従ってワルターの指揮も力が込められて行く。
ワルターにはこう云う所がある。特にモーツァルトの後期交響曲では、此の些か剛毅な指揮振りが絶大な効果をもたらして居た。時に好みの曲の場合、突如剛毅な頑固爺に変身する。BPOとのK550では、此の頑固爺と、でら上手いオケが噛み合い、乾坤一擲の名演を成して居た訳だ。
しかし、個人的志向であるが、ブラ4の演奏としては、ちーとばかり力み過ぎて居るように思う。オケの音色の所為もあるが、若干疲れる。
2楽章は流石に上手い。聴かせ上手である。しみじみと情感豊かに心の込もった音楽が流れ、引き込まれる。
3楽章は独特のワルター節で、郷愁もあろうが、他の誰でも無い「ワルターを聴いた」と云う満足感に浸る。
4楽章はオケの力量不足を感ずる部分だ。例のブリブリは出て居るのだが、管の薄い音色が如何ともし難い。表情を付けて居るのは判るが音楽の流れが淀みがちで重い。フルートも一本調子で味わいに欠ける。全体的にブツ切り感が有り、興に乗らないのである。
此の盤を聴くなら2楽章がお薦めである。此れは文句無く上手い。

音盤はCBS SONY SX -74盤 のLPと、比較の為にSONY CLASSICALのCD(MASTER SOUND DSD)盤



先ずはLP。SX -74盤をDENON DL -103SAで再生した。
イメージ 1
ステレオ初期の再生には丸針が安定して居る。落ち着いた安定感の有る音質で、ティンパニの打撃は群を抜いて居る。弦は幾分丸みを帯び刺激は少ない。ブリブリ感も適度に丸められて居るので強調はされ無い。金管は距離感を持って遠くから聴こえる。
左右方向よりは奥行方向に深い。此れを聴く限り腰高には感じ無い。





続いてDECCA針、LONDONのマルーン
イメージ 2
以前、記事内で、CBS録音にはDECCA針がマッチする、と書いた。何故か理屈は判らぬが、パッと立体感が生じ、音場が広がり、楽器音が生々しく聴こえるのである。
であるから当然、今回の試みにもDECCA針を登場させる。
ダイレクト針なのでノイズは拾う。そして意外や、左右方向は103より狭く感ずる。バイオリンの音質も硬質だ。しかし、低弦は思いの外深く伸び、低域の分解能は高い。
金管の距離感も上手く出て艶が有る。木管は適度に丸く美しい響きだ。ティンパニは距離感が有るものの、強さは減じて居ない。
全体として、ワルターの荒々しさが感じられる再生音だ。曲に依っては効果的であろうが、ブラームスとしては些か筋肉質だ。




次は私が最も古くから愛用して居るgraceのF9。此れに木管の美しいルビーカンチレバーのUS14ルビーをセット。
イメージ 3
何だかんだと言ってもクラシックの再生には、響きの美しいF9が最も聴き易い。広帯域で刺激は少ないが、確りと芯が有る。
針を下ろすと、懐かしき音楽が流れ出した。滑らかな感触で刺激は少ないものの、ブラームスのしっとり感は上手く出て居るだろう。
左右奥行共に充分な広がりが有り、決して腰高でも無ければ格調も低く無い。私には此れが最も自然に感じる。




最後は1曲通しで、SONY盤CD
再生にはvictorのXL -Z900を使用
イメージ 4
Z900はCDプレーヤーとしては図体がデカく、然もトップローディングなので置き場所に難渋するが、再生音は超一級品である。最もレコードに近い自然な再生音が得られる。此の低域の再現性に惚れたのである。低域が強調されて居るのでは無い。ウンと深く沈み込んで居て深いのである。此の手の低域はEMTのスタジオ用プレーヤー以外では聴いた事が無い。
92年当時、殆ど全てのプレーヤーを試聴し此れに決定した。5年程前に再生不能になり、中古の同じ物を買い直したので此れが2台目。ほぼ此れで満足して居る。
何時ぞや、作者の藤原さんに、改良型のZ999の方が良いですよ、と勧められた事があったが、私はZ900のデザインが気に入って居るので、依然としてZ900を愛用して居る。

ワルターのブラ4。意外やレコードより低域が厚い。バイオリンも自然に聴こえ、CD初期の様な薄っぺらい耳に付く感じは無い。ティンパニの打ち込みは見事。金管の距離感はあるがやや大人し目。クライマックスのバイオリンはやや金属質に感じられるが、此れを以って腰高とは言うまい。レコードのような余韻の美しさは無いが、格調云々と敢えて音声高く言う程の事でも無かろう。




さて、新たなCDとは如何なる仕上げに成って居るのであろうか。
上記のDSD盤を凌駕して居るのであろうか。
yositakaさんの報告に期待したい所である。


愈々最後になって仕舞った。
書くべきネタは未だ未だ多いのだが、最早体力も時間も無い。
ここ迄である。
偏執的な当ブログに、此れ迄お付合い戴いた奇特な皆の衆には、厚く御礼をば申し上げます。

此れにて、おさらば。
此の度の記事は、yahooブログで永年大変御世話になったgustav師への御礼として捧げる。

ヤフーブログ閉鎖の件で、様々な意見が飛び交って居るが、簡単に引っ越すと云う訳にはいかん。当ブログなんぞはヤフーブログの形式に沿って構成して居るので、同様の形式が通用する「村」に移住出来るか否かが目下の大問題。
このままブログ界を引退するか、或は何処ぞに移住するか、思案中である。
しかし、移住するにしても、ヤフーで蓄積して来た内容をそのまま持って行く気は無い。
過去の記事に関しては、リンク切れも散在する事から、移住すると決した場合でも、過去の内容を精査し、捨てるべきは捨て、残す場合でも内容は改訂しようと考えて居る。



Yositakaさんのブラームス記事に触発されて、今一度大好物のブラ4と好物のブラ3を聴き返し、記事にせんと音盤からの収録を開始したのであるが、捗らぬ事この上無い。
最近は収録時のモニターはスピーカーを止めてaudio-technicaのATH-W2002と云うヘッドフォンを使用して居る。
世の中、様々なスピーカーが存在して居る訳で、当方のPCに繋いで居るONKYOに合わせると、如何にしても小型スピーカーやヘッドフォンで聴く場合、高音がキツ過ぎる。であるから、大型スピーカーに近い聞こえ方がするATH-W2002をモニターで使用して居る訳である。
然し乍ら、ヘッドフォンで何時間も音に集中すると、神経も体力も相当に消耗する。1楽章毎に休憩を取り乍らの作業であるから捗る道理は無い。
捗らん其の二は、ベームの所為である。否、ベームが悪い訳では無い。DG国内盤の音の所為と言うが正しい。
当ブログ記事内で、幾度も言及して居る事だが、DG盤にせよDECCA盤にせよ、国内盤とオリジナル盤とでは全く音の作りが異なる。音楽の基盤となる音質が異なると云う事は、音楽(演奏)の印象も大幅に異なる訳で、特にDG盤なんぞは国内盤とオリジナル盤との余りの差異に仰け反る事が多い。
私は常々、ベーム/VPOのDG盤ヘルマンス録音は人類の宝である、と言って居るのだが、国内盤の出来によっては首を捻らざるを得ない事が多々出来する。捻り過ぎてヘルニアになった事もある。
音盤再生は手を替え品を替えて、否、針を替えイコライジングを替えて、録音技師の目指したイメージに近付けねばならぬ。
だに依って、捗らぬ訳である。

さて、そうこうして居る内、永年欲して居た音盤を入手し、急遽、これに関しての記事を先行させる事にした。
先行とは言うが、yahooでは此れにて最後になるやも知れぬのだが。

件の音盤は、ブラームスの交響曲第4番。シュミット=イッセルシュテット指揮/北ドイツ放送交響楽団(表記は国内盤表記に準ずる)
の米voxオリジナル盤。ヴァン・ゲルダーのマスタリングで、カッティングがフランスと云う、音盤愛好家にとってはこの上無く魅力的な音盤と言える。
懐寒き現下で、オリジナル盤に大枚を叩くとなると大いに逡巡するが、送料込で\1,700也では迷う理屈は無い。煙草4箱分を減らす選択に些かの躊躇いも無かった。

7種の針で聴き比べて、ベストマッチはDENONのDL -103SAであった。矢張りステレオ初期の音盤に関しては丸針が無難に再生出来る。103SAは丸針乍ら抜けが良く、ノイズも適度に低減するので、古い音盤は聴き易い。腰の強さは歴代103固有のものであり、ブラームスを聴く場合には好ましき特徴だ。良く出来た針である。
斯くして今回の収録には103SAを用いて居る。

イメージ 1


私はブラームス4番には最も執着して居るのだが、若き時分に最も繰り返し良く聴いたのは、カラヤン/BPO盤、ケンペ/ミュンヘンPO盤と、このイッセルシュテット/NDR盤である。
その後、ケルテス盤が私にとってのベスト盤になったが、兎に角、上記4種の演奏は幾度聴いても飽きる事が無く、聴く度に感動を新たにする。
イッセルシュテット盤は日コロの名曲ギャラリーから出て居た。
そのレーベルには小さなvoxのマークがあるので、何時かはオリジ盤を聴いてみたいと思って居た。
yositakaさん(fc2に引っ越された)との遣り取りの中で、vox初期盤にはヴァン・ゲルダー(RVG)のマスタリング盤がある、と云う話になり、このブラ4もゲルダーの作品かも知れぬ、と云う期待が湧き上がって来たのである。

ゲルダーのJAZZ録音は、オリジナル盤を確認すると、抜けが良く響きの絡みが美しく、単に誇張された音作りでは無い事が判る。
然し乍ら、日コロ盤は古き良きステレオ録音と云う体で、要するに抜けが悪い。1楽章最後の最強音では音が割れ、到底優秀録音とは言い難い。
60年代初頭と雖も、EMIやDECCAではもっと音場感、色彩感の豊かな録音が存在して居る訳で、この何とも魅力的な演奏を、良き音で聴きたい、と云う欲求が募るばかり。
左右のチャンネルが各々に固まっており、どうにもステレオ感乏しい。各楽器が団子になって居り、奥行きが浅い。
いちゃもんばかり付けるようであるが、この様な音質であっても、その演奏の魅力には抗し難く、此れは燻し銀の様な音質なのだ、と無理矢理納得し乍ら聴いて居たのである。
この日コロ盤は1楽章のみを比較の為に上げて置くので、参考にして戴きたい。

さて、件のvox盤であるが、針を下ろして直ぐに、個々の楽器の音が解きほぐされて居るのが判る。左右、奥行き共に広く展開される。低域も自然で日コロ盤の様な強調感は無い。何より楽器の音が自然で響きが豊かある。
此れであれば「ゲルダーの仕事」と言っても差し支えあるまい。
このvox盤を聴いて居ると、余りに自然な音楽の運びに感嘆し、一点一画を疎かにしない高密度な構成、有無を言わせぬハーモニーの作りに、ひたひたとブラームスを聴く幸福感に包まれるのを感じる。
私は今迄、イッセル親父の73年ライヴ録音がブラ4の決定盤だと信じて来たが、vox盤を熟々聴くに、どうも両者共に甲乙付け難いと思うようになった。否、録音の緻密さと云う点からは寧ろvox盤の方が優って居る。所々でスパイス的に打ち込まれるティンパニなんぞはvox盤の方が効果的で、特に1楽章最後の連打の厳しさは魂が揺さぶられる。
私の所有して居る73年ライヴ盤はPHILIPS盤で、オリジナル盤を聴くと又、評価が変わる可能性はあるのだが、現段階では、恐らく唯一のブラ4の正規録音であるvox盤の方が素直に音楽に乗って行ける感じがする。
と、言うものの、73年盤のアーティキュレーションの巧みさは、巨人の如く屹立して、深い。
最終的には、個人の好みの問題になるのであるが、vox盤のオリジナルマスターが存在して居るのであれば、新たにデジタル化する価値は大いにありと見た。

※何時も述べて居るが、再生にあたり、大型スピーカーを用いる場合、高域が充分に抜けるように調整して戴きたい。
youtube音源は、あくまでヘッドフォン及び小型スピーカー向けに調整して居ります。

シュミット=イッセルシュテット/北ドイツ放送交響楽団/61年頃録音/米vox盤LP
1楽章のテンポは73年盤より心持ち速く感ずるが、虚飾を排した厳しさ、確固たる造形は、緻密な録音と相俟って自然に音楽に引き込まれる。寧ろキリリと引き締まった減り張りが北ドイツ風味で好ましい。イッセル親父の気力が充実し、眼光が背腹まで行き届いて居るのである。終結部は一段ギアが入り、「ウン」と気迫に満ちた煽りは、血圧が上昇する事この上無い。73年盤の玄妙な表現と比較するのも面白い。
2楽章の出だしのホルンからして横溢した生命力を感ずる。相対する木管もキリリと引き締まり音楽そのものに語らせる。弦も強調するで無く引き締まっては居るが、所々で絶妙なビブラートを掛けて聴き手の心を揺さぶる。実に模範的な表現である。73年盤の柔らかく包み込む様な表現と比較すると、一聴するにアッサリした感じを受けるのは、実は迷いの無い自信から来る正攻法だからである。聴きたい所が聴ける、痒い所に手が届いた演奏なのだ。
3楽章も早目のテンポで迷いが無い。ホルンの力加減が絶妙である。こう云う音楽になると俄然ゲルダーの表現が力を発揮する。左右の弦の掛け合いなんぞは、成る程これはゲルダーだな、と思わず納得する。イッセル親父の表現とすれば、73年の溜めの効いた表現の方が良く練れて居ると思うが、スタジオ録音のvox盤の方が細部の描写が効いて居て色彩的である。
さてクライマックスの4楽章であるが、堂々とした呼吸の深い73年盤に対してvox盤はキリリと力感に溢れて居る。あくまで73年盤との比較だが、イッセル親父の気持ちが昂り、力が入って居るのが判るが、音楽としては小振りだ。しかし後半の盛り上がりは録音効果も相俟って実に見事である。ティンパニがピリリと効いて、聴いて居て気持ちが良い。最後は呆気ない程の幕切れで、物足りなさを感ずるが、気合いの流れであるから致し方無い。
4楽章に関しては73年盤の巨大な造形と彫りの深さに軍配が上るが、細部の彫琢を愉しむのであればvox盤だ。
しかし何れにせよ永年の溜飲が下がるに足る名盤である。広くお薦めしたい。






シュミット=イッセルシュテット/北ドイツ放送交響楽団/73年演奏会録音/PHILIPS国内盤LP
この盤の収録にはgraceF9カートリッジにUS14ルビーをセットしたものを使用して居る。広帯域で高音が滑らかに再生出来る。






シュミット=イッセルシュテット/北ドイツ放送交響楽団/61年頃録音/日本コロムビア盤LP(第1楽章)
この盤の収録には、上述したようにDENONの103SAを使用して居る。その他設定はvox盤と統一して居るので、音質を比較して戴きたい。




今回は上級者向けである。
次なる記事は如何にせんと思案して居た処、gustav師よりヒントを戴いた。
オーマンディのブラ4が気に掛かると。
更に別方面から「私も気になります」と。これは貴重な女性の意見である。
男子たる者、何時如何なる時でも女性は大事にせにゃいかん。
と云う事で急遽記事を認めて居る訳である。
しかし、オーマンディのブラームスのみでどのような記事を書くと云うのか。コイツは中々に難しい。
と、苦慮して居たところ、師のカラヤンのチャイコフスキー第5交響曲の記事が目に留まった。
成る程。カラヤンとオーマンディを比較してみようではないか。

カラヤンは解り易い。解り易いから大方の聴者に受け入れられる。反面、解り易いが為に、突つかれる事も多いのだが…
そしてオーマンディはもう少々解り難い。
オーマンディはカラヤンよりは少し先輩であるが、同時代にスーパーオケを駆って壮麗な音響美を競って居た存在である。
では、何故解り難いのかと云う事を探ってみたいと思う。

1に、欧州偏重から来る偏見があるように思う。
私がガキの時分、昭和一桁の音楽聴きは、「フィラデルフィアなんぞは伝統が無い」であるとか「金に糸目を付けずに作り上げた金満オケじゃ」とか、兎角音楽がら離れた部分で批判が多かった。音楽を聴け!と言いたい。

2に、オケの音が凄過ぎて録音では捉え切れて居ないように感ずる。
オーマンディは主にRCAとCBSで録音されて居るが、これが大いなる問題だ。
60〜70年代の主流はキングのLONDON盤、独グラモフォン盤、そしてEMIである。更に言えば東芝EMIの音は劣悪なんであるが、この話は置いておく。
要するに上記3社はスターを揃え、クラシック界の大手である。からして、聴手はどうしてもLONDON盤とか独グラモフォン盤が良く聞こえるように機器を調整して仕舞う。
何時も云うように、上記3社は録再特性がバラバラである。どれかを聴き易くすると、どれかが聴き難くなる。特にキングのLONDONレコードに合わせると、他は概ね痩せた音になる。
しかし、RCAは元々Hi-Fiである。そしてRIAA規格の元祖であるから、DECCAやグラモフォンに合わせると途端に音楽が遠のく。
余りに精緻過ぎる音響と、録再特性の御蔭でオーマンディの良さが体感出来難い訳である。
更にもう一つ指摘して置くと、一時期のビクター盤は盤の材質が悪い。よって、折角の良き音質なのに要らぬノイズが多く、良い音で再生するにはそれなりのウデを要する。ビクター盤は丸針再生が無難である。

3に、オーマンディの音楽が「通」向きである。
これが一番難しい問題だ。フィラデルフィア・サウンドとかオーマンディ・サウンドと言われる独特の音調であるが、これは単に高価な楽器を揃えれば出せると云うものでは無い。単純に言えば音のブレンドであり、高度な技量を要する。また、音楽の運びも極めて精緻に考え抜かれて居て、アゴーギク、デュナーミクと言われると言われる表現法も巧みである。これのみでも音楽に引き込む力を有するのだが、加えて刺激感が無く見事に整った弦楽器群の音色、大音量でもけたたましさを感じさせないブラス群の絶妙なハーモニー等、相当に音楽を聴き込んで居る者で無くては反応しない類の音楽技量である。
従って、大音量であるにも関わらず、角が立たず、感触が柔軟なのである。
しかし、良く聴くと各楽器は充分に鳴り切って居り、時には言語に絶するような重厚な迫力で圧倒される。
詰まり、「通」向きの音楽作りなのである。



チャイコフスキー 交響曲第5番 第4楽章
カラヤン/ベルリン・フィル 71年録音 EMI(ELECTROLA)盤LP
DGのチャイコ5番は私にはキツ過ぎる。若い時分でさえキツいと思って居たのに、今となっては心臓に悪い事この上無い。
Shuさんより折角送って戴いたエレクトローラ・オリジナル盤があるので、これを聴き直してみた。
例によってギューリッヒ録音である。以前の記事で比較検証した通り、エレクトローラ盤は楽器の音色が正確である。その分ヘルマンス寄りの音だが、この曲でこの演奏だと強烈だ。痛い程の迫力と、心乱される程の細部の彫琢が刺激感満載と云う感じだ。
確かにこの演奏を聴くと、私も疲れる。オケが鳴り切って居るのも然る事ながら、先を急ぎ過ぎて居るように思えてならぬ。聴手に安息を与えまいとするような、息を吐かせぬ音楽である。
この時代のカラヤン/BPOにしか成し得ぬ激烈な音楽である。




チャイコフスキー 交響曲第5番 第4楽章
オーマンディ/フィラデルフィア管 74年録音 RCA盤(ビクター)LP
私が若き時分に最も頻繁に聴いて居たのがこの音盤である。
何せ音が美麗である。単に美麗と云うのみならず勇壮であり重厚である。シルキーな弦と力強く輝かしいブラスが巧みな遠近感を以て描かれ、聴き疲れしない。自然と音楽に引き込まれる力がある。
これを聴くとカラヤンの壮麗感と雖も一本調子に聴こえる。鳴り切って居る力感では互角であるがコンポジション(構成)が巧みなんだわ。
特にティンパニの活かし方は一級品と言える。
これを聴いて居た時分、「何でオーマンディよ」「矢張りムラヴィンだろ」なんぞと散々貶されて来たが、今聴き返しても素晴らしい演奏であると断言出来る。私はこの演奏が好きである。




ブラームス 交響曲第4番
カラヤン/ベルリン・フィル 63年録音 DG盤LP
この演奏には最初から惚れて居る。私はカラヤンのブラ4としては、この盤が最良最高の出来と思う。
1楽章の柔らかなフレージングと重厚な響き。各奏者の技量も然る事ながら、ハーモニーの作りが実に見事である。深い呼吸もブラームスの湿った世界を表出するに適したものだ。
2楽章は若干センチメンタルに傾いたが、しみじみとした情緒が聴き飽きしない音楽となって心を癒す。木管の技量に脱帽する部分でもある。
こう云う美しさはカラヤンならではで、得意中の得意と言って良いであろう。
3楽章は頭から力が入って引き込まれる。快調なテンポだが重量感を伴って聴き応え充分である。後半のティンパニの持続連打は控えめだが、オケ全体の勢いがあるので物足りなさは感じない。
4楽章は誰しもが多少構える「名曲」であるが、この演奏も出だしから圧倒的な重厚感で音楽に引き込む。古風な楽想であるから、ゴツゴツとした演奏も多い中、カラヤンは角の立たない巧みなフレージングで感情豊かに音楽を運ぶ。
重厚壮麗な後半の盛り上がりも、テンポを煽る事無く、分厚いハーモニーを充分に響かせ、最後は安定感充分な見事なランディングを見せる。




ブラームス 交響曲第4番
オーマンディ/フィラデルフィア管 67年録音 CBS盤(ソニー)LP
この演奏も私が好んで聴いて居る音盤である。何せ音が美麗で誠に宜しい。
前記事で、何気無く「オーマンディの爆演」と書いた処、gustav師が反応した。「気になるだろうが」と仰るので、近々御紹介致します、と返したのだが、全く別の方からも「私も気になります」との連絡を戴き、急ぎ収録した訳である。
オーマンディの爆演と言っても、オーマンディと云う指揮者が甚だしきデフォルメで音楽を歪めたり、奇面人を驚かす如き怪演や奇演をする筈も無く、それらを期待の向きには当てが外れる事となる。
1楽章の出だしは少々硬い印象を抱くが、音楽が進むにつれ次第に持ち前の滑らかさ、上質なシルキートーンが支配するようになる。リズムの刻みはカラヤンよりは減り張りがあるが、重厚なハーモニーは刺激が無く美しいので音楽を滑らかに感じさせる。力一杯鳴らし切る演奏は、充分に爆演の域に達して居るが、そうは感じさせない処が美点なのだ。
2楽章は情緒豊かな美しいクラリネットに惹かれる。そして、合いの手のホルンが又美しい。
言い出せば限が無い。何処を切っても美しいのだから仕方が無い。
3楽章が又、実に見事な出来栄えだ。早目のテンポで大音量、強靭なリズムであるが、肌理が細かく丁寧な音楽の運びであるから粗が見え無い。
そして、後半のティンパニの持続連打の表現が見事である。立体的なコンポジションの妙である。
4楽章は最大の聴き処だ。金管は容赦無く目一杯吹き鳴らされ、弦の滑らかさと見事な対比である。対位法処理が巧みで各パートが埋没しないのでブラームスの見事な構築性が如実に炙り出される。
後半の盛り上がりも金管群が見事だ。爆演と言って良い程の強奏だが、それでも破綻しない凄味がある。カラヤン盤が予定調和に感じられる程のエネルギーだ。狂気さえ感じさせるエネルジコ・エ・パッショナートだ。






体調の事も有り、暫くは昔から私が聴き馴染んで居る、好みの音盤をアップしつつ、記事に絡めて行こうと考えて居る。

音盤の話となると、他人とはちょいちょい食い違う事がある。
まあ、再生環境によってそれぞれ違う音を聴いて居る訳で、自身が甚く気に入って居る音盤の音質であっても、他者の評価の低い場合があり、奏者には気の毒としか言いようが無い。
JAZZでも、昔の御粗末なる装置で聴いて居た時分は、ベタっとしたドンシャリ音であったものが、最近の機器では、成る程なと腑に落ちる程アコースティック感を聞き取れたりもする。
音盤に刻まれた情報が変化して居る筈は無いので、再生環境が変わると音楽の印象も変わるのである。

当ブログでは繰り返し何度も述べて居る事だが、レコードの録再特性はバラバラで、RIAAで統一なんぞはされて居らぬ。変な音だな、とか、下手糞な録音だわい、と感ずる場合、殆ど特性が合って居ない事に由来する。
前記事では態と音盤毎の調整を行わず、RIAA一本槍で収録し、我が寝ながら鑑賞の為にヘッドフォンで調整したのであるが、皆の衆が聴く場合、各々好みに合わせて音質調整(高域)して戴きたい。


今回の鑑賞に取り出したのは、フリッツ・ライナー指揮のRCA盤を2枚。
ブラームスの交響曲第4番とレスピーギのローマの松である。
ワシはライナーのファンだぞ、と云う御仁には御目に掛かった事は無い。ステレオの初期に早々に亡くなって仕舞ったので、ステレオ再生装置が遍く日の本に行き渡った頃には影の薄くなった人である。
イメージ 1
若き頃の写真を見ると、中々にカッコ良い。しかし、指揮姿がどうかと云うと、カラヤンのように神秘的でも無ければバーンステインのように躍動的でも無い。何事かやって居るのかと、首を傾げざるを得ぬ程に詰まらぬ指揮振りなのである。
バーンステインの師匠とは言うが、弟子にはこの指揮スタイルは全く踏襲されて居ない。
何かの映像で、バーンステインが佐渡に「ライナーは手首だけでフォルティッシモを出した」と云うような事を言って居たのを見た事がある。
眼力と手首の動きのみで、強靭なるフォルティッシモを引き出した稀有な指揮者であった。
強引なマネージメントや頑固一徹な性格から、武勇伝の類には事欠かないのだが、ルービンシュタインがミスタッチをした時に、冷淡な態度に切れたルービンシュタインが、「貴方のオケはミスをしないのですか!」と言った処、「しない」と一言。
それ程にオケをシゴき上げたと云う事であろう。

私は良く、RCA盤は音が良い、と言って居るが、それはトスカニーニとライナーに負う処が大きい。
音楽が厳しい。
厳しくて辛くなる事が多いのも事実であるが、音楽のツボに嵌った時の壮絶度合いも又大きい。



レスピーギ ローマの松(アッピア街道の松)
ライナー/シカゴ響 59年録音

ローマの松の聴き処は当然「アッピア街道の松」である。
私は未だにライナーのアッピアに心惹かれ、その壮絶な音響に圧倒される。ショルティの春祭や展覧会の絵なんぞ、その比では無い。




ブラームス 交響曲第4番
ライナー/ロイヤル・フィル 60年録音

ライナーのブラ4を始めて聴いた時、その余りの速さ、素っ気無さに驚いた。しかし、元来が好きな曲である。ジックリと聴くと、音の良い事も有り、少々厳し過ぎる第1楽章にも慣れ、次第に引き込まれるようになった。
2楽章では打って変わり、情緒纏綿と歌い込んだ音楽で心が満たされる。
3楽章ではもっとティンパニが打ち込まれるのかと思いきや、然に非ず。見事なトライアングルと強靭なコントラバスに耳が引かれる。
4楽章は絶品で、深く抉った音楽が感動をもたらす。オーマンディの爆演には及ばぬが、トロンボーンの咆哮等、ドッシリとした中々の迫力である。
録音エンジニアは、あのウィルキンソンである。






4月1日のyositakaさんの記事を拝見し、ムラムラと種火が燻って来た。神のお告げである。
https://blogs.yahoo.co.jp/izumibun/40482907.html

ブラームスとなればワシも一言弄せねばなるまい。
記事中、ワインガルトナーの2音源が紹介されて居た。であらば、最後の37年盤も聴かねば、何とも落ち着かぬではないか。
折角なので、久々にお気に入りのブラ1を収録し直して居た処、事件が勃発した。yositakaさんに種火を着けられたと思って居たら、どうも自然発火的に他方からも放火されたようである。
ブラ1を収録し始めた折も折、前触れも無く米国から大量のLPが届いた。
Shuさんからである。
ネタはベートーヴェンの5番、コンヴィチュニー/ゲヴァントハウス管のETERNA盤3種。チャイコ6番、カラヤンの71年盤6種。
これらの驚くべき内容に関しては、近々記事に上げて行く事にするが、今はブラ1。


ワインガルトナーの37年盤を取り上げるついでに、私の愛聴盤も5枚程上げる事とした。
私はブラームスの4つの交響曲の中では1番は余り好みとは言えない。
ビューローの言った如くベートーヴェンの第10とも思えぬし、形式的に「新古典主義」とも思えぬ。本来は、暗黒から光明へ、と云う単純な一言では片付けられない意義深い内容である。暗黒とはキリスト教であり、光明とはアフラ・マズダである。それが為にブラームスは1番の作曲に時間を要した。
同じプロットでもシューマンの第2では分かり難い。要するに音楽は分かり易く、思想的内容は分かり難くしたのがブラームスの1番である。更に、もっと大掛かりな仕掛けの中の序曲的位置付けでもある。
このような緻密で入り組んだ仕掛けが、私を遠ざける一因となって居る。
ブラームスの交響曲の仕掛けに関しては、過去記事に書いたのでここでは詳しく触れない。https://blogs.yahoo.co.jp/quontz/54868528.html
1番はベートーヴェン風に言えば「英雄(プロメテウス)の登場」と云う事になり。プロメテウスは堕天使(ルシフェル)であるから、あくまで表面上からは隠さねばならぬ対象なのである。
最近のyoutubeは、肝心の音声のみを消すと云う新手の技を使うようになって居るので、今回も早めの御視聴を御薦めする。尚、カラヤンとベームは最初からスマホでは再生出来無いようである。



ワインガルトナー/ロンドン響 37年録音 Artisco盤LP
ワインガルトナーは当初、ブラームスの音楽は人工的、科学的であるとして、距離を置いて居たようである。しかし、1896年にウィーンでのベルリン・フィル演奏会で、ブラームスの交響曲第2番を演奏するに当たり、ブラームスの許を訪れて以降、ブラームスの音楽への理解度が飛躍的に深まって行ったのである。
この時、二人の間にどのような内容の会話がなされたかは知る由も無いが、ワインガルトナーが著作内で記して居るような社交辞令的なものだけではあるまい。ブラームスも、この時のワインガルトナーの第2の演奏を褒めて居たと云うから、相当に深い話がされて居たであろう事は想像に難く無い。
詰まり、ワインガルトナーのブラームス解釈は、ブラームス直伝と言って差支えはあるまい。
36年に英国に亡命したワインガルトナーの貴重な演奏記録である。
ここに収録したArtisco盤LPは、残念乍ら原初のキレや抜けが無く、若干もどかしくはあるが、スケール感やハーモニックは確認する事が出来る。
下記で触れるベーム/ベルリン・フィルの演奏も、このワインガルトナー盤の延長にあると言える。




クリップス/ウィーン・フィル 56年録音 Decca盤LP
私は事有る毎にクリップスの演奏を声高に紹介して居る。クリップスがナメられて居るのか、感性の低い者が多いのか、はたまた意図的に無視されて居るのかは定かではないが、このブラ1もでりゃー名演だと言わずには居れない。
クリップスの師匠と言えばワインガルトナー。ここで、ちゃんと繋がるように出来て居るのだわ。殊にこの世にも美しき第2楽章に反応せぬようでは音楽ファンを名乗ってはいかん。
クリップスの演奏は野太く恰幅が良い。更にオケがVPOであるから、何処を切ってもVPO、と云う有難い響きに満ちて居る。
棚の片隅につくねて置くにゃ余りにも勿体無き名盤なのである。





カラヤン/ウィーン・フィル 59年録音 LONDON盤LP
私はカラヤンのブラームスを早くから評価して居たが、中でもカルショウと組んだブラ1、ブラ3、悲劇的序曲は何れもが絶品である。評論家の言なんぞに騙されてはいかん。若い衆はこの3曲を繰り返し聴きなされ。この味わいを理解せずに死ぬ事は無い。ここでは詳しくは触れないが、悲劇的序曲はこのカラヤン盤以外は聴けない、と思わせる程の絶品である。
本題の第1であるが、聴き処は終楽章、ホルンソロ以降の切々と心温まり涙を誘う郷愁は滅多に聴ける代物では無い。
終結部はどれ程に畳み掛けるのかと身構えて居ると、何とも堂々と微動だにせぬ指揮振りに、逆に「やられたわい」と呟く事であろう。




ベーム/ベルリン・フィル 63年録音 DG盤LP
これぞ鉄板と言われ続けて居る名盤である。大したもんである。
名匠ヘルマンス録音であるから言う事は無いのであるが、この大したもんである感は、良く聴くとBPOの音響に由来する事、大なのである。
全方位に亘って誠に申し分無き出来栄えなんであるが、先にカラヤン盤を聴いて仕舞うと、これはどうにもクールな演奏である。
ブラームスはクールでも一向に構わんが、ウエット感は欲しい。ベームのブラ1はドライなクールで、これが聴き飽きしない大きな理由でもあるが、この曲はブラームスの中では多少賑々しい序曲的な音楽である。もう少し煽って欲しいと思うのは我一人であろうか…



ケンペ/ミュンヘン・フィル 75年録音 BASF盤LP
ケンペのブラームスも侮られて居る名演の一つと言える。私は最初にこれを耳にした時、愕然とした。今まで何を聴いて来たのかと思った。これ程迄に一節一節に丁寧に愛情の籠った演奏を聴いた事が無かった。簡単に「上手い」の一言では済まされぬ、実に心の籠った演奏だ。単調な部分など一つも無いのである。ウィーン風の暖かいブラームスも好きではあるが、矢張りこれ位涼しく哀愁を訴える方が正調ブラームスと云う感じがする。
ケンペはブラームスが見えて居た。同じようにブルックナーも見えて居た。と、云う事はその更に先にあるロマン派の本質も見えて居たに相違無い。師のカイルベルトから受け継がれたものがここには確かに有る。
終楽章終結部の煽り。ケンペは時折誰もが追い付けぬ程のアチェレランドをかけて煽り捲る事が有るのだが、その一端が垣間見える瞬間である。しかしその直後には確りとテンポは戻る。絶妙なバランス感覚である。
ケンペは、光り輝くカラヤンに隠された月のような存在であるが、私はこの月も好む。




ベイヌム/コンセルトヘボウ管 51年録音 LONDON盤LP
ブラ1と言うと必ず登場させるので、良い加減辟易とされて居る御仁も居られようが、この盤は幾ら聴いても飽きないのである。今回は最初期の国内盤、LONDON盤からの収録である。国内盤と雖もこの盤は侮れない。DECCAオリジナルと同等の音質であると言って良い。厄介なのはイコライジング特性がffrrと云う事である。この盤はどうであろうと悩む必要は全く無い。堂々とffrrで再生しなさい、と明記してあるのだ。
50年代のコンセルトヘボウ管は全く隙が無い。この完璧な合奏力、ソロ楽器の美しさに加えて、ベイヌムの鬼気迫る熱血振りと豊かな歌いっぷりが凄まじい。態とずらす弦の裏技はメンゲルベルク譲りだ。終楽章では余りの爆発振りに名匠ウィルキンソンも追従出来ない場面さえ出来する。
終結部はケンペも真っ青なアチェレランドで、そのまま最後迄突き切って仕舞うのである。聴手をも巻き込んで仕舞う猛烈な嵐である。
かかる名演を風化させてはならないと思う。






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