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頭の中を整理するために トトノエマショー
STANDINGPINE-cube 企画トークイベント
「なぜ今、アート写真なのか?」
大畑祐子 展〜時を泳ぐ〜 を据えて
2011/1/25(火)18:00〜
京都造形大ASP学科教授 後藤繁雄
あいちトリエンナーレサポーターズクラブ トリ勉
Vol.10 「写真の捉え方 〜志賀理江子〜」
2011/1/25(火)19;45〜
愛知県美術館学芸員 中村史子
いつもカメラを携えて 街角の路地に入り、「見えない何か。置き忘れた何か。」の瞬間を撮りたくってぶらぶらしているものが、今回の「あいちトリエンナーレ」と「森村泰昌ーなにものかへのレクィエム」ぐらいから、アートとしての写真を考えるようになりました。風景写真のアートの範疇しかなかったのです。
今回の勉強会で、やっと「整理」が「トトノイマシタ」はじめました。
そうか。
ストレートフォト と
コンセプチャルフォトの違いがね〜〜。
写真の評論として
写真史的評価
コンテンポラリーな評価
ビンテージとしての評価 ふ〜〜NN
プライベートな写真から「写真がないと生きてゆけない。」
非物語性と物語性
「記録」「決定的瞬間」ではない メタファーを信じること。
アーティストは
こだわりに徹する。 自分が満足できる自分の表現 継続してやり続ける。
写真することに救済力がある。
悲劇と写真は別だ。
私がミタイ色が真実だと信じる。
写真家は弧絶したほうがいい。
文化は 分母(共有性)と分子(時代性・思想)でできている。
写真史 目の前のものをいかに正確にとらえるか?
アンリ・カルティエ=ブレッソン 回る目線の構図 ええの〜〜 決まったね。
リアルをねつぞうしてゆく。
{限られたからだから飛び出す。}
レジデンスへの疑問
代々 そこにしか生きていくことしかできない人々と コミニュケーションをとりながら
過去 秘密すらも掘り起こしてゆく。 地図をつくる。
和気あいあいでない シャーマンのように住む。−−−−−北釜
何層もの写真?
人々と時間が追い込まれている。
世界に対して不感症になっていた。
写真はうそをつくことができる。
そもそも写真はうそだ。
カメラはわたしたちの救いになる。
死の影の中から 生がみえてくる。
破壊があって 自分と世界の折り合いをつける。
奉納 木の根っ子がつらぬかれている 動けない人々
明るい農村 ⇒ 限界集落
志賀理江子 (あいちトリエンナーレ HPより
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2011年01月26日
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