|
一昨日やったかな、確か4チャンネルの番組。トキオ国分太一君が出てたと思います。
大リーガーの交渉人のひとが出てて・・・・
翌日調べてみました。
沿革
現在の選手会が結成されたのは1965年で、結成から間もない1年後にアメリカ鉄鋼労働者合同組合からマービン・ミラーを起用する。当時は保留事項が存在し、いったん選手は球団と契約を結ぶと半永久的に球団に拘束されるという仕組みになっていた。これは、選手のオーナーに対する立場の弱さにつながっていたと考えられたため、選手側は組合を結成して対抗しようとしたのである。
目次
1.1 フリー・エージェント制導入まで
1.2 労使交渉とストライキ
1.3 共同謀議
1.4 史上初のストライキによるワールドシリーズの中止
1.5 2002年の球団解散騒動
フリー・エージェント制導入まで
1972年には開幕から13日におよぶ最初のストライキが起きている。その後、選手会側は、年俸調停制度、トレードの拒否権(テンアンドファイヴルール)を勝ち取った。
1974年、オークランド・アスレチックスのキャットフィッシュ・ハンターがオーナーの契約不履行を訴えた。ピーター・サイツを委員長とする調停委員会はハンターの主張を認め、ハンターは球団に拘束されない選手であると認定した。ハンターは、1975年にニューヨーク・ヤンキースに移籍し、複数年契約を結ぶことになった。
そして、1976年についにフリー・エージェント制度が導入される。きっかけは、デーブ・マクナリー(モントリオール・エクスポズ)とアンディー・メッサースミス(ロサンゼルス・ドジャース) が1975年の球団の契約に不満でサインを拒否したことにある。結局1975年のシーズンは契約なしのままプレーすることになる。球団は、オプションとし て契約を1年延長する権利を行使した形を取っていた。しかし、メッサースミスは「オプション年としてプレーしたのだから、もはや球団には拘束されない」と 主張したのだった。
再びピーター・サイツ委員長の調停委員会による裁定が行われた。1975年12月に裁定を発表し、「契約の期限が切れたら、選手は他の球団を自由に交渉できる」とし、フリー・エージェント制度に関する仕組みを基本条約に盛り込むことを勧告したのである。
オーナー側は憤激し、選手会との基本協約の交渉は暗礁に乗り上げ、1977年の春のキャンプをロックアウトするなどしたが、結局1977年7月に、大リーグに6年以上在籍した選手に対してフリー・エージェントの資格を与えることで合意した。
こうして、選手たちは移籍の権利を獲得したが、当然のことながら、これは選手の年俸の大幅な上昇をもたらし、オーナー達は悲鳴を上げることになる。 基本協約の期限が切れるその都度、オーナーと選手会は交渉を行うことになるが、フリー・エージェント制度の廃止を目論むオーナーと、それを維持したい選手 会との間で交渉は大きく揉めることになる。
労使交渉とストライキ
これ以後、オーナー側は、フリー・エージェント選手を獲得した際に、元の球団に「見返り」と称してドラフト会議での選択権の譲渡を盛り込んだが、オーナー側はこれをさらに踏み込んだ仕組みにすることでフリー・エージェント制の「骨抜き」を目論んだのである。
結局1981年に大規模なストライキが行われて、6月12日から8月1日に 及び、713試合が中止になった。オーナー、選手側双方とも多額の損失を出したが、オーナー側はロイズ社に対してストの保険金をかけていたのだった。スト ライキが解除になったのは、オーナー側への保険金支払いが尽きたこととも関係がある。シーズンも前後、後期の優勝チームを1試合のプレーオフで戦うことに なった。
1984年12月に基本協約が切れ、新たな基本協約を結ぶことになった。当時コミッショナーはピーター・ユベロスに交代していたばかりで、ユベロスは強力に指導力を発揮した。このときも交渉が決裂しやはりストライキになったが2日中断だけで済んだ。のちに5年の新協約に合意した。
共同謀議
だがユベロスは、舞台裏でオーナー側に対してフリー・エージェントした選手と契約しないようにひそかに働きかけていた。これは共同謀議(en:baseball collusion)と呼ばれるもので、全球団のオーナー、ゼネラルマネージャーらが結託してフリーエージェント選手を獲得しないよう申し入れたものである。これは、1985年から1987年のオフシーズンにかけて起こり、またしても選手会は調停委員会に持ち込むことになった。
結局、選手会の主張どおり、共同謀議の存在がみとめられたことになった。1990年12月に和解が成立し、共同謀議による選手の損失は2億8千万ドルと算出され、1991年、1992年にかけて支払うことになった。オーナー側は、球団毎の年俸総額に上限を定め、違反した球団にドラフト指名権の剝脱や制裁金等の厳しい処分が行われるサラリーキャップ制導入を目論んでいたが、選手側がこれに納得するはずもなく、球界の労使交渉はずっと不安定なままであり、オーナー側、選手会側双方ともそれぞれが混乱が収拾すると思っておらず、ストライキに向けて下準備するという異常事態となった。フェイ・ヴィンセントは1990年に「次回の交渉で対立が起きないだろうと約束するということは、ナンセンスである」とまで言っていた。
史上初のストライキによるワールドシリーズの中止
1990年に締結された労使協約が1993年12月31日に失効するので、新たな労使協約が必要となった。だが、ここでオーナーと選手の話し合いはなかなか行われなかった。最初に話し合いがあったのは1994年の3月である。選手会は、オーナー側が労使の話し合いを遅らせることで、交渉の余地を狭めているのではないかと警戒した。
選手会は1994年7月28日に、ストライキ突入の最終期限を8月12日に設定した。これはレギュラーシーズンの終盤にあたり、一番収入の見込める時期に設定してオーナーたちに圧力をかけようとした。だが、オーナー達は1994年9月14日に以後のシーズン、ワールドシリーズの中止を決定した。
2002年の球団解散騒動
2002年の労使交渉に先立って、2001年11月にMLB機構は経営不振を立て直すと称して数球団の解散を目論んだ。[1]名 目は大リーグの経営不振を掲げたが、メディアの報道は専ら「球団の解散によって選手会に属する選手の数を減らし、選手会の力を減じることを目論んだもの」 と指摘するものばかりであった。結局チームの解散は地元自治体の訴訟などの動きなどによって事実上断念された。労使交渉はやはり大きくもめ、ストライキも 不可避という見方が大半であったが、2002年8月期限切れ寸前のところで合意され、奇跡的にストライキは回避された。
その後2006年に協約切れする時期よりもはるか前に合意がなされた。それ以降は大リーグの労使交渉は安定しているといえる。
・メジャーリーグ選手会や日本プロ野球選手会でも労働組合をつくっている。でも、待遇が違うのは何故??日本人の場合よくTVでやっているが、嘗てのスター選手が怪我をしてただのおっさんになっている。何が違うのか??裏切り者、団結力がない、根性なし・・・??
|