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北海道に梅雨は存在しない。大雨は滅多に無く、しとしと降るだけ。しかし、今日は大雨だった。見学に来ようとしていた人たちに申し訳ない気持ちで居た。
今日も一日が終わる。そう思って彼はベッドへ潜った。その時電話が鳴った。電話の主はキョウエイマーチ。パールと同期でライバルだった馬だ。
「シャトル君・・・パールが・・・死んじゃった。」
開口一番。シャトルは飛び起き、インターネットで調べた。しかし、何処にもそんなニュースは無い。
「ねえ?どこから回ってきたのこの情報?」
「・・・んっとね、向こうの牧場から直接電話で。」
「・・・英語で適当に聞き取ったんじゃない?」
「違うもん。アメリカから来たママ(繁殖牝馬)が通訳して聞いたから間違いない。」
シャトルは思考が止まった。まさかのまさかである。つい3日前に電話した時、彼女は至って普通だった。病気だなんて聞いてなかった。
「死因はなんなんだよ。」
「・・・落雷だって。」
シャトルは思わず聞き返した。
「・・・・・・・は?」
受話器の向こうからマーチの嗚咽が漏れていた。マーチは「じゃあね」と涙声で電話を切った。
彼はそのまま呆然としていた。
翌朝の新聞のスポーツ欄に小さく彼女の死亡が報じられていた。それもたった2行。彼は何時にも増して、上の空だった。いつも彼はボーっとしている馬だが、今日はさらに磨きが掛かっていた。
食欲も湧かなかった。何もやる気が出ない。取るものが、手につかない。地に脚が着いていない感じだった。
遠い国での出来事であり、死んだ彼女に目の当たりにした訳でもない。だから彼女の死に実感が沸かなかった。西の空を見上げて、嘘なのでは、と思った。これが彼が最後にすがる事できる物でもあった。
だがその期待は打ち砕かれた。
さらに数日後の出来事である。この日は雨降りだった。そんな中で、マーチとドーベルは彼女の遺品を持ってきた。大きい箱の中には少しだけ遺品が入っていた。数日前まで愛用していたと思われるパソコンやらなにやら。細かい物ばかりだった。そして箱の隅に、ポツンと一個。寂しそうにしている見覚えのあるもの。
それはあの時箱一杯に作って送った照る照る坊主だった。安田記念の後、捨ててしまった。と彼女は言っていたが、一個だけとって置いたのだった。その笑顔は全く変わらなかった。種付けや見学の合間を縫って、一つ一つ心を込めて作った物。それは彼女への想いも込めて作った物だ。それを見つけた途端、急に彼女の死が現実味を帯びてきた。
涙がとめどなく溢れ、切なさが心の底から込み上げて来た。彼女がどんなに辛かったかと思うと胸が張り裂けそうだった。寂しがり屋の彼女が言葉も分からない国で生活していたか姿を思うと悲しくなった。そして自分の引退レースで美しい黒いタテガミを靡かせて追い抜いてく姿が思い出された。
「・・・君はそうやって僕を追い抜いて・・・いくんだね。」
大粒の雨が屋根を叩いている。いつも好きな雨が今日は好きになれなかった。
それから、彼はその照る照る坊主を握り締め、固まっていた。気がつけば日は既に昇っている。スタッフから朝食を貰ったが、体調が悪いと言って放牧地に出ることを拒んだ。そして彼は便箋とペンを机に出した。
彼は冷蔵庫に残っていた缶チューハイを開けた。酒の力を借りなければ思いを綴れそうになれなかった。その手紙の内容は、感情を書き殴った物だった。便箋も5枚近くになった。初めて出会った時の事、一緒に海外G1を勝った時の事、そしてアメリカに渡ってからの事、そしてずっと大好きだったのに言えなかった事。想っていた事を全て込めた。そして最後に「ずっとお元気で、さようなら」を書いた。涙をこらえて、外へ出た。夕焼けが綺麗だった。もう牧場の営業時間は終了して、放牧地には誰も居ない。自分の放牧地へ軽々と作を飛び越えて入った。
そして封筒に入った手紙と照る照る坊主をじっと見詰め、夕焼けに染まる空を見上げる。きっと彼女はこの空を眺めていたのだろう。そしてこの空の中に彼女は居るのだろう。そう空に思いを馳せた。
そして手紙を牧草の上に置き、盗んできた箱マッチを出す。ライターは蹄ではつけられまいと思ったからだ。
あの空に手紙を届けるには、煙にして風に乗せる外無いと考えた。そして照る照る坊主を燃やして想いを断ち切ろうと、マッチを擦っていた。その時、
「燃やしちゃったら、私が読めないじゃない。」
聞き覚えのある声にハッとして振り返った。そこには死んだはずのパールが居た。白いワンピース姿、風に靡く黒髪、あの時と何も変わらない彼女が居た。
「その手紙、私に宛てたんでしょ?だから私にちょうだい。」
彼はおぼつかない足取りで近づき、手を震わせながら手紙を渡した。パールはその手紙を読み始めた。ゆっくりとは読まず、ざっと見る感じで。そして大事そうに封筒へ仕舞い直した。パールは少し微笑んで目を閉じた。幸せを噛み締めているように見えた。
「ありがとう・・・これ、ずっとずっと大切にするから。」
彼女は大事そうに手紙と照る照る坊主を胸に抱えた。
「・・・死んだんじゃなかったの?」
「・・・手を触ってみる?」
彼女は片手を彼に差し出す。彼は恐る恐る、触った。
「・・・ああ・・・」
その手は冷たかった。
「・・・ね?死んでるでしょ?」
彼女は俯いて呟く。
「・・・死んでるじゃ、ねえよ・・・。」
彼は怒るように言ったつもりだが、そう聞こえなかった。正直、嬉しかった。最後に会えた事が本当に嬉しかった。
「あなたに想いを伝えないまま死ぬのは嫌だから、神様にわがまま通して貰って、ここに来たの。」
パールは沈み行く夕日を背に立った。
「俺も伝えたい事があるんだ。笑わないで聞いてくれる・・・よな?」
パールはシャトルを見つめた。
「うん。」
「俺は」
シャトルは深呼吸をしてから言った。
「パールの事が大好きだ!たとえ君が天国に行っても!何処に居ても、何があってもこれだけは変わらない!君が誰の物でも構わない!それでも俺はパールが好きだ!!!!」
万感の想いを彼は叫んだ。
「私も・・・シャトルの事大好きだよ!」
彼女の目から真珠のような涙が、ポロリ、ポロリと零れ落ちた。そして彼女は彼の元へ駆け出す。
「えい!」
彼女は彼の首へ抱きついた。彼はかなりガタイが良かったのでよろける事なく彼女を受け止めた。そして抱きしめた。やっぱり彼女の体は冷たかった。だけど、冷たいと言う事はこれは夢なんかじゃないと言う事を証明させた。彼女は今、腕の中で「生きている」と感じさせた。
「今度、生まれ変わっても、私はシャトルのそばに居たい。」
「できればしばらく生まれ変わってくれないで頂けませんでしょうかね?生まれ変わったらあなたかどうかわからないから。」
「ん〜〜〜じゃあ!シャトルが死んだら私が迎えに行くわね。」
「それはある意味嫌だなあ。」
「私がさらってあげる!」
「そういう意味で俺はこの前電話したんじゃないぞ!ただ、なんとなく・・・。」
そんな風に馬鹿な事を喋っていた。夢のような時間を過ごしていた。シャトルはずっとこれが続くのではないかとさえ思えた。
「そうそう。私、お日様が沈んだら帰るように言われてた。」
急に現実に戻された。段々と辺りは暗くなってきた。急にシャトルから笑顔が消えた。そんなシャトルを見て、体を離した。
「でもね。風が吹いたら私のこと思い出して。ひょっとしたらその風に乗って会いに来るかもしれないから。」
彼はこれが、あの時の電話のお返しだった事に気付いた。
「じゃあ風が吹いたらパールの事を思い出すよ。でも雨が降っても思い出すかも。」
「そうしたら、私は来ないわよ。私が雨嫌いなの知ってるでしょ?だから、はい。」
彼女は彼にさっき燃やそうとしていた照る照る坊主を返した。
「これを吊るして置けば、私が来れるかもね。」
照る照る坊主の表情は変わらないままだった。しかし、首の辺りに真珠が一個ついていた。
「これを君だと思って大切にするよ。」
そして大分日も傾いた。そろそろパールが帰らねばならない時間が来た。
「それじゃ今日の締めって事で。」
彼女は背伸びをするように彼に口付けした。
「それじゃ、またね。」
「うん。」
その瞬間、パールの背中に翼が生えた。常世の物とは思えない物を彼は見た。
「今までありがとう!」
彼女はそう言って空へと飛び立った。彼もそれを笑顔で見送った。
ふと思う。あの日の出来事は夢だったのではないかと。昨日の事のように思い出せる夢を見ていたのでは?とか考えた。
そんな事を考えながら、今日も朝を迎えた。カーテンを開けると、気持ちいいほどの青空。そして吊るしておいた照る照る坊主を見る。
「お前やるなあ。」
そう言いながら照る照る坊主の頭を優しく撫でる。真珠が朝日で輝いていた。
いつもそれを見る度、あの出来事は夢じゃない。と思う。そんな光景を毎朝繰り返す。
そして今日も日が暮れるまで風を待つ。
また君に出会える事を信じて。
〜END〜
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