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私は、ある程度お墓の写真を撮ってなんて書いてあるのか調べている。
なので、写真写りと、本物とは、多少のずれがあって申し訳ない。
本物は、苔が生えていて見えにくくなっていました。
でも写真も右から見てみたり左から見てみたりして、牛込高田とは書いてあるけど。やはりこれを穴と読むのは。。至難の業ではないかと思った。
隣のお墓は、元禄13年とあるのでたぶんその近辺じゃないかと思います。
牛込高田と言えば、高田の馬場の決闘だそうです。
堀部安兵衛は、赤穂浪士の一人で、当時から有名人だったらしい。
赤穂浪士が切腹した当時太田家と赤穂の関係といったら
太田資晴の妻が戸田氏定の娘で、切腹した主君・長矩の従弟にあたる
妙法華寺には、資晴の妻のお墓も資晴の隣にあり家紋が、九曜(大垣藩)の○のそとに八つの丸で囲んでいるような模様の家紋があるのですが
堀部安兵衛とはまったく関係なさそう?なので調査はここまでにしておきます。
牛込高田で検索すると、いろいろ出てくる。いったいこの牛込高田の石塔はなんなんだろう。
それよりも、家康の側室阿茶様が、遊間したところとあるので阿茶の局関係の方が近い気がしてきました。
松平忠輝は、高田藩の藩主でそれで高田とついた説がありました。
お万の方もお勝の方もお墓ありますから阿茶の局関連の何かがあってもおかしくない気がします。。。少し調べてみます。
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