今は私は、玄峰老師と今までにない一番近くにいる気がする。
三島竹倉温泉伯日荘
郷土研究会としてそこを調べることになったのは、NHK連続テレビドラマの花子とアンの大正天皇の従妹
白蓮が一躍有名になったからだ。
白蓮さんは、伯日荘の女将さんの歌の先生で白蓮さんが発行していることだまという雑誌にはには、女将さんの名前を出すほどの歌が残っているほど仲だったようだ
縁あって、白蓮さんが作って娘の宮崎さんが跡を継いでいる、ことだま会に電話をしたところ、宮崎さんは、
伯日荘の名前を出したところ、すぐに女将?と声をかけてくださった
娘さんにとってもおかみさんは、大きな存在だったのかもしれない。
玄峰老師と白蓮さんは、たまたま伯日荘という船に乗り合わせていた
この二人の写真が伯日荘には残っている
まあその話はまた後程にして
老師は、三島の下田瞬堂画伯と交流があったようで、下田画伯も伯日荘にあししげく通っていたようです。
伯日荘にはすばらしい菊の絵が残っていました。
そして色紙もありました。
話は、老師が調子が悪くなり外に行けなくなった時からはじまります。
女将は、タンポポの花を、外に出れない老師のために植木鉢に入れて2階のお部屋へと運んでいきました。
ふとみると、タンポポにつばがかかっていて、老師がはいたようでした。
それをみて女将は、がっかりしてしまいました。
何故ならそこら中からのお見舞い品があったからです。
ランの花や高い花がたくさん『こんな花みたくなかったかな?」女将は思ったそうです。
その姿を見た老師がいいました。
「肥料が来るまでの間ふつうの水よりもワシのつばきのほうが栄養がある」
女将は、胸をなでおろしました。
ところがそれから老師がなくなり女将は、タンポポを老師の居たお部屋のすぐ下に植え替えたそうです
すると、そのタンポポは真冬の寒い中でも咲いたそうです。
女将が、こんな寒い冬に無理して咲かなくてもいいのに。。と言っていたのをご主人がうるさく思って
咲いていたタンポポの花を全部茎から切ってしまいました。やきもち焼いたのかな?
ところが、次の日たんぽぽは一斉に咲いていたそうです。
御主人は怖くなって近ずかなくなったそうです。
そんな話を聞いた下田画伯が、その不思議なタンポポを描きに行ったそうです。
寒い寒いと言って描いていたそうです。
ところが、そんな寒い中咲いているたんぽぽに画伯は蝶々を画いてしまい
龍沢寺の次の住職さんに怒られたというエピソードがあるそうです。
これは想像ですが、私は瞬堂先生がそうしたことが、なんとなくわかります。
蝶が描きたくなっちゃったんだと思いました。
そんな雰囲気のあるところだったから玄峰老師は、ここにいたのだと思いました。
今そのたんぽぽの花の絵はどこにあるかわかりません。もしみつかったら、ここに貼り付けます。
瞬堂画伯に蝶を描かせたタンポポの絵見たいものです。
女将を写したビデオのなかにあったエピソードなのでこの話は本当のおはなしです。