お庭の楽園

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三島大社の彫刻物語

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神門の向って左側西側にあります。



張果仙人
は、ひょうたんから駒がでたという故事から来ています。八仙の一人だそうです。
唐の時代の玄宗皇帝の時代には、すでに数百歳と言われている年齢不詳の仙人でした。
(あの楊貴妃は玄宗皇帝の側室です)

この図は、ひょうたんからロバを出しているところです。

お話は、毎日数万里も進んだ張果老が、休憩のときは、白いろばを、ひょうたんにしまい、出かけるときに出したという話です。



張果仙人は、山西省(さんせいしょう)中条山の張果洞(ちょうかどう)に隠棲(いんせい)し、いつも白いロバに乗って一日数万里も進んだが、そのロバは紙でできており、たたんで箱にしまうことができ、乗るときは水をかけるとロバに戻ったという。また、張果老は必ず後ろ向きにロバに乗ったともいわれています。いつのまにか日本に伝わる間にひょうたんから駒を出す仙人と伝わってしまったようです。 
中国神話ミニ辞典には、風変わりなのは、ちょくちょく死んだことだ。玄宗の時代よりも前に、張果老は則天武后(そくてんぶこう)に招かれたことがあったが、よっぽど嫌だったのか、山を降りると死んでしまった。夏だったので、死体はすぐに腐ってうじがわいた。報告を受けた則天武后は会うのをあきらめたが、この後も張果老は中条山で暮らしていたという。博学で知られた静能という道士は、「張果老は人間ではなく、この世のはじめに生まれた白蝙蝠(こうもり)の精だ」と語ったという。とありました。

関係ない話ですが私は、朝ドラの白蓮さんを調べていたのですが、白蓮さんの小冊子ことたまに、白蓮さんが小説として書かれた、則天武后(そくてんぶこう)がありました。
中国では、則天武后(そくてんぶこう)は、3代悪女と言われているらしいです。ww



八仙(はっせん)は道教仙人のなかでも代表的な存在であり、中華社会のいかなる階層の人にも受け入れられ、信仰は厚い。日本における七福神のようなもので、掛け軸や陶磁器に描かれるめでたい絵の題材になるなど様々な芸術のモチーフとなっているそうです。

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司馬泉光の図

司馬光は、中国北宋(ほくそう)の学者で政治家司馬温公おんこう)1010〜1086ともいう

この図は、温公が、7歳の時のお話です。
瓶割の故事
 司馬光は、友人と遊んでいましたが、友人が誤って水瓶に落ちてしまいました。このままでは友達がおぼれてしまいます。その壺は高価な壺でしたが、司馬光は、機転を利かせて水瓶を割って友人を助ける事が出来ました。

 この話が故事として残るのは人の命の大切さを意味しているのだそうです
古く大きな水瓶は高価なもので、人の生きていくのに欠かせない水を貯蔵することで貴重品でもあったようです。
高価で貴重品である水がめを割って友人を助けることで、たとえ高価で貴重品の水瓶であっても人の命の方が尊いということです。

この彫刻は、山車やからくり人形などで現されるそうです。ちょうど司馬光が、子供を助け水瓶を割って助けているところです。
上の水がめが写っているところです。
下の図は、董奉どうほうの図です。




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 三島大社の本に、董奉(とうほうの図と書いてありました。

お話はこうです。

昔、三国志の時代起源150年から200年ぐらいの中国呉(ご)という国の話です。

董奉という仙人が廬山(ろざん)という山に住んでいました。
人を治療してもお金を取らないで、治ったら、軽い患者には一株、重い患者には5株杏の木を植えさせました数年後杏の木は10万株になりました。
杏の林には獣を飼い。下草が生えないようにしました。
杏の実がいっぱいになると、茅葺納屋を建てて立札をします。
「杏を買いたい者は、董奉とうほうに申し出ることをしなくてもよい、ただ籠一杯分の穀物を納屋に置き籠一杯分の杏をもってゆかれたし」
ときどき悪い人がいて、杏を多く持ち穀物を少なくする人がいいると、林の中から虎が現れこれを追い払い(②中の写真)
道端に杏をぶちまけてしまい、家に帰って測ると穀物の量だけの杏になっていたり。
杏を盗んだりする盗賊がいると、飼っている虎がでてきて、かみ殺してしまいます。
盗賊が、詫びを入れ盗んだ杏を返しに行くと、董奉が生き返らせてくれます。(①上の写真)
余った杏は、穀物に変えて貧しい人たちや旅人に配ったそうです。
その数は毎年はかりきれないほどだったそうです。
何年たっても年を取らず30歳から40歳ぐらいに見えたそうです。う〜んうらやましいです。ww

他にも今のベトナムに旅で立ち寄った時に総督が毒にあたって亡くなって三日たっていたにもかかわらず生き返らせたりもしたとあります。
すごい仙人だったんですね!

上の写真のおじいさんがここでいう董奉とうほうです。おじいさんに、人がすがっています。

真ん中の写真が虎が現れて、多く杏を持って行ってしまった悪い人に襲いかかっています。

③三島大社の神門の写真です。慶応3年1867年8月10日の完成だそうです。
正面の向って左が②虎の居る彫刻 向かって右が詫びを入れている様子の①です。



パソコンで調べても、童奉とは出てこず。。。途方に暮れていて、何かの拍子に、息子と娘がいるときに、こんな話があるんだけど
知らない?とダメもとで聞いてみました。
息子が。。ん?その話三国志で聞いたことあるよ。。ん。。誰だったかな?吉。。吉。。なんとか。。。。。
娘が、ウキツじゃないの?  于 吉(う きつ、?−200年)は、中国後漢末期の道士徐州琅邪郡の出身。ウイキペヂアより。于 吉の事かもしれません。ちょっとよくわかりませんが。。
私が字を見間違えていて董という字でしたのでパソコンでも出てこなかったようです。
董奉で調べたらちゃんと出てきました!仙人の名前!年代的には、于 吉と同じ年代に生きた仙人といえましょう。

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