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前回の投稿から、2年以上もあいてしまいました。
今日、久々にこのブログを見る機会があって、非常に懐かしく思いました。 ブログはすぐに再開するつもりでしたが、忙しさにかまけて、サボったままでした。 今年の初めにiPhoneを購入し、Twitterを始めました。 Twitterとブログは全然違うものですが、文書を書くという点では同じです。 Twitterは140文字の制限があるので、ブログよりだいぶ敷居が低く、忙しい時期でもなんとか続けることができ、現在に至っています。 ところが、私の場合140文字では圧倒的に足りないのです。 どんどん、ブログを再開したい熱が高まってきています。 ただ、このブログは、もともと司馬遼太郎さんの小説の中から、私が感銘を受けたり、何かを考えた文章を紹介していくということを基本コンセプトにしていたので、このブログを再開させるつもりはありません。 そこで、まだ準備はしていませんが、別のブログで再開させたいと考えています。 そして、このブログは閉鎖させようと思います。 このブログの記事も、 いくつかは、新しいブログにリメイクして再掲したいと考えています。 それでは、523本の記事と共に、このブログを訪れていただいた皆様、コメントをいただいた皆様、仲良くしてくれた皆様に感謝の意を込めて申し上げます。 ありがとうございました。 そして、さようなら。 |
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お久しぶりです。 |
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30000HITの扉絵を作ろうと思っていたのだが、 今は忙しいから・・・というような言い訳をし続けて先延ばしにしていたら、 とうとう33500HITを超えてしまった。 それから作った扉絵がこちら。 ドッツの紹介は、別の機会に譲るとして、 今回はパックマンにまつわる話を少し。 あ、まず写真の説明をしておくと、 左端の黄色いのが「パックマン」といってナムコが1980年に出したビデオゲームのキャラクターだ。 そして、そこから右へ順番に、 チェリー[ラウンド1:100点]、ストロベリー[ラウンド2:300点]、オレンジ[ラウンド3,4:500点]、アップル[ラウンド5,6:700点]、メロン[ラウンド7,8:1000点]、ボスエイリアン(ギャラクシャン)[ラウンド9,10:2000点]、ベル[ラウンド11,12:3000点]、カギ[ラウンド13〜:5000点]である。 これらは「フルーツターゲット」と呼ばれ、まあ取ると点数が入るボーナスアイテムみたいなもの。 また、ラウンド表示も右下にフルーツが出ることによって行われる。 パックマンが出た当時は、まだ僕も小さかったので、あまり思い出はない。 でも、一つだけ思い出があった。 うちの家では、阪神が勝つと父が100円を貯金するというキマリがあった。 山高帽の貯金箱に100円ずつ入れていくのである。 私は小さくて、お金の価値が良く分からなかったので、 「もし阪神がずっと勝ち続けたら、家が破産するのではないか」と心配したものだ。 良く考えれば、80勝しても8000円なのだが。 そして、シーズンが終わったときに、貯まったお金で何かをするのである。 もう一つ決まりがあった。 阪神が5連勝したら、近くの喫茶店に出かけて、フルーツポンチを食べるのである。 夜の喫茶店に行くのは、子供ごころにときめいた。 そのころの喫茶店はゲーム台というのがあって、テーブル型の筐体が置いてあり、お茶をしながらゲームに興じる若者たちがいた。 ちなみに相手が巨人だと、3連勝で喫茶店行きとなった。 さて、ある年の家族旅行のことである。 そのとき泊まった民宿のプレイスペースに、パックマンの筐体が置いてあった。 旅行当日は阪神の勝利であったが、貯金箱は家にあるので、その分のお金を僕らにくれることになった。 しかも、旅行中のボーナスということで、2倍の200円ずつくれることになった。 (※父が払うお金は僕と兄で合計400円になってしまうが・・・) パックマンの筐体の前でお金をくれたので、それはつまり「パックマンをしなさい」ということであった。 そういう事にお金を使うことは堅く禁止されていたので、僕はとても興奮した。 今思えば、父も一回くらいやってみたかったのだろう。 私は小さい手を、憧れの赤いレバーに置き、パックマンを操作した。 ゲーム内容までは覚えていないが、もちろん散々であったのだと思う。 でも、モンスターたちが追いかけてくる緊張感が、とても面白かったのだけは覚えている。 ドッツでパックマンを作って、久々にパックマンをプレイしてみたくなった。 私はごそごそと「ナムコミュージアムvol.1」を出してきて、プレステ2でパックマンを始めた。 アップル(ラウンド5)の面までしか行けなかった。 妻に(無理やり)やらせてみたら、 「怖い、怖い・・・」 と言いながらプレイしていた。 そうなのだ。 怖いのだ。 確かに、昔のゲームなので単純である。 でも、この独特の緊張感は今のゲームでは楽しめない。 「怖い、怖い・・・」
という妻を横目に、 幼い日に2回だけ握った、あの赤いレバーを思い出していた。 |
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紙をカッターで切るために、長い定規を持ってきた。 カッター板とカッターを用意して、いざ切ろうと思ったとき、 持ってきたはずの定規がないことに気づいた。 「定規、定規・・・」 私は、書類をのけたり、カッター板を裏返したり、横や後ろを見回して自分が「つい置いてしまいそうなところ」を探したりしたのだが、一向に見つからない。 「あ、もしかしたら、定規を取ってこなかったのかもしれない」 私はいつも定規を置いている机の左端を探ってみたのだが、やはりそこにも定規はないのである。 そこで、私はあることに気づいた。 私は今、左手だけで懸命に定規を探している。 あれ?右手は・・・。 右手は、しっかり定規を握っているのだった。 この間、約30秒。 どれ程、長い時間であったかは、理解していただけると思う。 よく、 「メガネ、メガネ・・・」 と探して見つからないのだが、 実はかけていたという話がある。 まるで、そんな感じ。 マヌケなこと、この上ない。 メガネというと、私は普段メガネをかけている。 しかし、ほんのたまにコンタクトにすることがある。 そんなときに、お風呂に入ることなんかがあって、服(アンダーシャツなどボタンのないもの)を脱ごうとすると、 必ず無意識のうちに手はメガネを外しにかかる。 私にとって「服を脱ぐ」という行為は「メガネを外す」という行為とセットなのだ。 当然メガネはないのだから、目の横当たりで手が空振りする。 無意識にしている行為なので、これでもかってくらい「スカッ」と空振りする。 そんなときは「ああ、俺ってバカだなぁ」と思いながら、苦笑してしまう。 そして、改めて服を脱ぐのだが、またそのとき手は透明のメガネに・・・ メガネの空振りは、普段メガネをかけている方にとっては共感できるのではないだろうか。 いや、共感できると思いたい。 ・・・誰か、共感して。 この感じは、階段の「例のアレ」と似ている。 例えば、階段を上っているとする。 一定のリズムで、上っているのだ。 考え事をしていたり、話に夢中になっていたり、そういうときに、 本当はもう最上段まで来ているのに、もう一段あると思って足は上りにかかる。 そうすると、本当はない透明の階段を踏むことになって、見事なまでに「スカッ」と空振りする。 まぁ、あまりしない経験ではあるが、誰でも一度や二度くらいはあるのではなかろうか。 もともとが、定規の下らない話だったので、この話のオチの付け方に困っている。 さて、どうしたものか・・・。 メガネ、階段と脱線し、どんどん話が下らない方向に向ってしまった。 ・・・ちょっと、時間を下さい。 う〜ん。 こういうのは、どうだろう。 私たちは普段、幸せを探している。 それは、もう、みんな必死になって探している。 でも、たまには立ち止まって深呼吸でもしてみてください。 そう、もしかすると、幸せは、あなたの右手がとっくに掴んでいるのかもしれないのだから・・・ ・・・こんなオチが通用する程、オトナの世界は甘くはないわな。
オチないときは、私がオチます。 それでは。 |
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ネットで見かけた、情報。 |



