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前々回に書いた「旅順港の閉塞作戦」の二回目のことである。 マカロフ中将が旅順港にやってきた日に、広瀬らが作戦を決行するのである。 結果、作戦は失敗し広瀬は戦死した。 広瀬は露都に駐在武官として赴任していた時期があった。 彼は三十七年の生涯の中、ずっと独身であったのだが、露都時代は社交界でたいそう婦人から騒がれた人気者だったという。 やがて、相思相愛の恋に落ちたと推測されるのが、ロシア海軍少将の娘アリアズナであった。 彼女が広瀬にロシア語で詩を書いておくり、広瀬がそれに漢詩で答え、ロシア語の訳をつけたりした。 二人の恋は、広瀬の帰国によって終わることとなる。 広瀬は閉塞作戦に出る日に、船長室で彼女に対する最後の手紙を書いていた。 * * * 敵国の男のために喪に服す。 そんなことが、本当にあったのだろうか。 私は日露戦争に関しては、教科書レベルでしか学んだことがない。 教科書レベルで歴史を学ぶということは、 まず、その戦争が起こるに至った経緯を学び、 各戦闘の結果を知り、 戦争全体の結果と影響を覚えることになる。 もちろん、そこに登場する人物は文字だけの存在でしかない。 もし、教科書レベルからもう一歩踏み込んで、 登場人物にスポットを当てた学習をしたとしても、 それら登場人物に本当の血肉が与えられるのではなく、 まるで演劇の中の登場人物のように、 我々の目の前で演じられているものを眺めているに過ぎないのではないか。 例えるなら、空調の効いたホールで観劇を鑑賞している。 そこには、血生臭い悪臭が漂うこともなく、もちろん身体的な痛みを感じることもない。 しかし、歴史は紙上の文字列ではなく、今を生きる全世界の人々に脈々と繋がっていた先祖たちの、実際の身の上に起こった出来事なのだ。 そんな当たり前のことを、改めて思ってしまう。 我々は自由に生きているようにみえて、実際は大きな時代の流れに巻き込まれている。 自分では常識と思っていることは、実は自分で考えたのではなく、時代が、世間がそう考えさせているのである。 戦争責任がないと言うわけではないが、 実際に戦争に参加している人たちには、時代に巻き込まれているという側面がある。 我々が今、パソコンの前で息をしているのと同じように。 小学生の頃、プールの授業の最後に、お遊びで「リバープール」というのを良くやった。 皆が一斉に同じ方向にぐるぐる回るのである。 最初は水の抵抗が厳しいが、やがてプールには人の流れと同じ方向に渦ができる。 こうなると、一人逆回転したところで、渦は止まらない。 しかし、この渦は、元をただせば皆で作ったものである。 最初は、水面は平穏そのものであったはずだ。 そんなことも、考えてしまう。 もし、広瀬が露都の駐在武官でなかったなら。 アリアズナは敵国の作戦失敗に拍手を送っていたかもしれない。 しかし、実際は生身の人間と生身の人間として出会ってしまった。 人間である限り、観念上は「敵国」の人間であっても、実際の心は動かされ、情が移ってしまう。 ネット上で不毛な議論を見かけることがある。 そんな議論も、実際に顔を付き合わせ、互いの表情を見ながら言えば、もっと生産的なものになるのではないか。 そんな、関係のないことまでも考えてしまう。 敵国の男のために喪に服す。
そんな悲劇を読むにつけ、 まるで、それから目を逸らすのように、関係のないことまで、 つらつらと考えてしまう。 |
坂の上の雲
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やっと3巻に入ります。
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マカロフはロシア海軍の至宝。 このとき中将の位にありながら、貴族出身ではなく平民出身であった。 帆船時代の水夫からのたたきあげであるのに、単純な実務家にはならず、欧州きっての理論家である。 かれの戦術論は世界の名著であるというように知的な側面を持ちながらも、自身の体は筋肉質であり、若い頃は誰よりもマストを早く登ることができたという。 * * * たった3年間ではあるが、大学の研究室に属していた。 大学4回生のときと、修士課程のときである。 そこで、大学の教授たち、博士課程や修士課程の学生たちを目の当たりにしてきた。 そして、そこは私のいる場所ではないと感じた。 もちろん、いろいろな物事から判断して結論を出したのではなく、ただの直感に過ぎなかったのだが。 就職してからは、企業の研究開発の場に身を起き、研究開発の現場はもとより、実務の現場、国の研究機関や委員会などを見てきた。 そして、やっと6年の経験を通じて、産官学の立場の違いと難しさが、ほんの少しだけ分かりかけてきた。 私は「学」の世界を抜け、「官」の世界を目指さずに、「産」の世界で生きている。 それは、より現場に近いところで研究開発をしたかったからだ。 しかし、「産」の研究開発と言っても、現場からは一定の距離がある。 それでは、一旦現場に身を置いてから研究開発をすればいいと思われるかもしれないが、それも難しい問題が残る。 やはり、現場と研究開発は違うのである。 営業系の重役などは、特に「現場、現場」と連呼するが、研究開発に身を置くものが現場の考え方に染まってはいけなのだ。 もちろん、現場が大事ではないと言っているのではない。 私が目指すのは現場にも精通している開発者なのであって、現場の人間ではないということだ。 そういうオールマイティーな人物は、例えるならマカロフのような人間だろう。 実際から理論を抽出しさらに実際にもどす。 私の世界で言い換えると、 現場からヒントを得て開発をし、その開発成果を現場にフィードバックする。 そういう繰り返しが、良い商品を作っていく。 現場と「産」の研究開発について書いたが、 これを、「産」と「学」の関係に置き換えてもいいだろう。 ほとんどの人は、これらの世界をまたがって物事を考えようとしない。 自分の立場からみて、相手を批判する。 もしくは、慇懃になるだけで、相手の世界を理解しようとしない。 しかし、自分の世界でエキスパートになるためにも、
私たちが目指すべきはマカロフであろう。 |
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旅順港の閉塞作戦における有馬良橘(りょうきつ)の行動を表した言葉。 有馬は実行力に富んだ男だったらしい。 日本はロシア太平洋艦隊の拠点である旅順に奇襲攻撃をかけたが、芳しい成果は得られなかった。 その状況を打開しようと有馬が意見具申したのが、旅順港の閉塞作戦である。 老朽船に決死隊員が乗組み、旅順港口に侵入して自沈する。 その沈没船が邪魔になって、ロシア太平洋艦隊は出撃することができないし、後からくるであろうバルチック艦隊も入港できない。 というのがこの作戦なのである。 しかし、東郷平八郎も「閉塞作戦の権威」である真之も煮え切らない態度を取っていた。 その二人を尻目に着々と準備を進めたのが有馬であった。 結果は、第一次・第二次・第三次作戦とも失敗に終わった。 * * * 「うじうじ議論なんかしているよりも、さっさと行動してしまえよ」 こういう言葉は耳に気持ちいいし、多くの人の共感を得ることができる。 一人一人の意見は当然のことながら多種多様だが、ある程度の人数が集まると、やはり優勢となる意見には一定の傾向がある。 「議論よりも行動を」なんかは、その際たるものではないだろうか。 だから、もし自分は「やっぱりもっと考えたほうがいんじゃないの?」と思っていても、口に出すことはできず、さらに「行動を!」という意見が通り易くなってしまう。 そこで、敢えて「議論よりも行動を」派の失敗談を紹介させていただいた。 どんな社会、どんな集団でもそうだが、こういう「男らしい」意見を言う人は必ずいて、 そして、そういう人はいわゆる「声が大きい」ことが多く、その人の意見が採択されることも多い。 その結果、事が失敗に終わったとしても、そういう人や意見が批判されることも少ない。 そういう場面にでくわすと、嫌な気分になる。 かと言って、そのときに、自分がイニシアチブを取ることもできない。 深く物事を詰めないまま、猪突猛進するのは愚かなことである。 しかし、議論ばかりしていては、物事が一歩も前に進まないのも事実である。 では、どうすればいいのか。 一番いいのは、いわゆる「議論」の段階を前もって準備しておくことだろう。 実際に議題が目の前に突き出されてから行う議論は、実りのないことが多い。 あらかじめ自分の中で準備しておけば、考えの浅い言葉に対抗することができる。 今年は攻めの年にしたい。
だからこそ、その準備を怠らないようにしたい。 準備は一朝一夕にはできないものだから。 |
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司馬さんお得意の「余談」に入って、戦略戦術について述べた文章。 反対に、玄人だけに理解できるような哲学じみた晦渋(かいじゅう)な戦略戦術はまれにしか存在しないし、そういうものを採用すると戦いに敗れると続けている。 そして、最後に「余談が、すぎた」 と反省しておられる(^^; なお、晦渋とは「言葉や文章がむずかしくて、意味や論旨がわかりにくいさま」のことである。 * * * これは、実は当たり前のことなのではないかと思う。 戦略戦術とは、最終的に一兵卒が実行するものである。 それが、難しいものであって良い結果が得られるはずがない。 それに、「真理」と言ったようなものは、そもそも単純なものなのだろう。 しかし、何が何でも簡明なほうがいいとは思わない。 私は長らく(多少は今でも)とある専門分野の世界に身を置いていた。 その専門分野について研究し、論文を書き、学会で発表していた。 こういう世界では、皆簡易な物のしゃべり方はまずしない(ものによっては当然簡易になるが)。 別の世界の人が聞いたら、何を言っているのかチンプンカンプンだろう。 もちろん、格好をつけているわけでもなんでもない。 そのほうが話が早いからだ。 そして、残念ながら算術程度で物事は済まずに、普通の人なら見るだけでも頭が痛くなるような数学の記号やら英語やらと格闘することになる。 では、できる人は素人にでも簡単に説明することができるのだろうか? これも、必ずしもそうではないと思う。 私の兄は、ある分野では一流の研究者であると思うのだが、素人への説明はお世辞にもうまいとは言えない。 この前、あるテレビ番組に出演し、自分の研究の内容について説明していたが、 あまりにも難解だったためか、早送り処理されていた。 テレビ局もリポーターもプロである。 できるだけ視聴者に伝わりやすいような聞き方をするし、編集のときにもうまく処理するはずだ。 それでも、処理できないほどよっぽど難解だったのであろう。 世の中には、簡単に説明できないものがある。 そして、それは簡単に説明すると、必ず嘘になるのだ。 もちろん、説明するのがうまい人と下手な人はいるが。 では、そういう研究分野ではなくて、一般企業に勤めている私の場合はどうだろう。 これは、必ず「素人でも分かる簡明さ」を常に頭に置いて仕事をしないといけないと思うのだ。 研究とは何が違うか。 それは、目的が違うのである。 目的とは、もちろん商品が売れて儲かることである。 そして、商品が売れるということは、お客様が商品を買いたくなるよな気持ちにさせないといけない。 そのためには、その商品の優れた点を素人に理解していただかないといけない。 すなわち、簡明さが必要となるのである。 最終目的がそこにある以上、どのような複雑に見える仕事でも、専門的な仕事でも、必ず素人でも理解できるレベルに落とし込まないといけない。 そして、それは時として複雑なことをするよりも、難しい作業となる。 私の場合は、社内で他の人に説明するときの、簡明なレベルまで落とすことが必要になってくる。
そして、うまく簡明なレベルに落としこめないときほど、自分の理解も浅いことを知ることになるのだ。 |
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伊藤博文は書生時代に米国留学を経験したことのある金子賢太郎に対して、「ロシアとの開戦が決まったので米国に行き、大統領と国民の同情を喚起し、ほどよいところで米国の好意的な仲介により停戦講和へ持っていけるように工作して欲しい」と頼んだ。 返事をためらう金子に対し、伊藤が言った言葉がこれ。 「事ここにいたれば、国家の存亡を賭して戦うほか道はない」と、日露協調論を押しすすめてきた伊藤が言うのである。 * * * 通常の作戦であれば、成功の可能性があるからこそ決行するものだ。 成功の糸口があれば、それをたぐり寄せて努力をすることができる。 暗中模索なのであれば、それは作戦ではなくただの空想に過ぎない。 しかし、場合によっては、成功の可能性は全く分からないけれど、 その作戦を成功させなければ、どちらにしろ未来はないというような事態があるかもしれない。 そんなときに、 「成功・不成功などと言っているヒマはない。やれ!」 というセリフが生まれるのだ。 このセリフには悲壮感が漂い、自己陶酔するのに十分である。 そして、もし奇蹟が起これば、それは英雄譚として語り継がれることになるだろう。 それは、国家の存亡をかけた戦いであればなおさら、企業の存亡と言ったレベルでも美学となり得る。 また、このような発言が出る背景には、すでに味方陣営がヒステリックな状態に陥っていることが想像される。 果たして現代の我々の生活の中で、このような状況が起こるとすればどのような場合だろうか。 残念ながら、適切な例が思いつかない。 ニュアンスは異なるが、中学生が酷いイジメに遭っている場合などはどうだろうか。 イジメはどんどんエスカレートしていく。 このままだと、命の危険に晒されるような事態になりかねない。 もう、あいつを殺すしか・・・ (もう、自分が死んでしまうしか・・・) 子供にとって、学校−家庭生活という狭い範囲の生活が人生の全てを締めるので、つまり視野が狭いので、追い詰められるとそれしか解決方法がないと思ってしまうこともある。 しかし、広い視点から見れば、引越しして学校を変えるというように、全く別の解決方法があるはずだ。 そもそも、 「成功・不成功などと言っているヒマはない」ような作戦は、その作戦を含む大きな戦略事態が間違っている可能性を疑うべきだろう。 答えがない問いならば、問いそのものを変えればいいのだ。 少なくとも、「不成功」になった場合に起こりうる最悪の状態を考えて行動しないといけないと思う。 追い詰められたときこそ、冷静にならないと、
取り返しの付かない惨禍を招く事となる。 「追い詰められたから仕方なくやりました」じゃ、言い訳にはならないのだ。 |







