■司馬遼太郎の名文

長い間放置していて申し訳ありません。そのうち別の場所で再開するかも。twitterアカウントはoryudonです。よろしく

らぼ的日常

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親バカな日常
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前回の投稿から、2年以上もあいてしまいました。
今日、久々にこのブログを見る機会があって、非常に懐かしく思いました。

ブログはすぐに再開するつもりでしたが、忙しさにかまけて、サボったままでした。
今年の初めにiPhoneを購入し、Twitterを始めました
Twitterとブログは全然違うものですが、文書を書くという点では同じです。

Twitterは140文字の制限があるので、ブログよりだいぶ敷居が低く、忙しい時期でもなんとか続けることができ、現在に至っています。
ところが、私の場合140文字では圧倒的に足りないのです。
どんどん、ブログを再開したい熱が高まってきています。

ただ、このブログは、もともと司馬遼太郎さんの小説の中から、私が感銘を受けたり、何かを考えた文章を紹介していくということを基本コンセプトにしていたので、このブログを再開させるつもりはありません。
そこで、まだ準備はしていませんが、別のブログで再開させたいと考えています。
そして、このブログは閉鎖させようと思います。

このブログの記事も、
いくつかは、新しいブログにリメイクして再掲したいと考えています。

それでは、523本の記事と共に、このブログを訪れていただいた皆様、コメントをいただいた皆様、仲良くしてくれた皆様に感謝の意を込めて申し上げます。

ありがとうございました。

そして、さようなら。

お久しぶりです。
もう、ブログをお休みして半年になってしまいました。
久々にゲストブックを覗いてみると、何件も書き込みがありました。

書き込んでくださった方ありがとうございます。
お返事出さずに申し訳ありません。
1、2件ならコメントしようと思ったのですが、
ちょっと数が多くて今すぐにはできそうにありません。
そこで記事を書く事にしました。

ブログをお休みしている理由は、単純に書く時間が確保できなくなったからです。
仕事と私事が重なり、睡眠時間を削った時期もありました。
まぁ、そのおかげで資格が取れたり、やっと賃貸生活からおさらばして新居に引越しが決まったり、会社から働きすぎって警告受けたりしたんですが・・・。

でも、このままの生活はちょっと厳しいなぁと思いまして、
新居に引っ越すのと同時に、生活も切り替えようかなと企んでおります。
その時期くらいに、ブログも細々と復活させる予定です。

まだ、見てくださっている方がいらっしゃれば、よろしくお願いします。

紙をカッターで切るために、長い定規を持ってきた。
カッター板とカッターを用意して、いざ切ろうと思ったとき、
持ってきたはずの定規がないことに気づいた。
「定規、定規・・・」
私は、書類をのけたり、カッター板を裏返したり、横や後ろを見回して自分が「つい置いてしまいそうなところ」を探したりしたのだが、一向に見つからない。
「あ、もしかしたら、定規を取ってこなかったのかもしれない」
私はいつも定規を置いている机の左端を探ってみたのだが、やはりそこにも定規はないのである。
そこで、私はあることに気づいた。
私は今、左手だけで懸命に定規を探している。
あれ?右手は・・・。
右手は、しっかり定規を握っているのだった。
この間、約30秒。
どれ程、長い時間であったかは、理解していただけると思う。

よく、
「メガネ、メガネ・・・」
と探して見つからないのだが、
実はかけていたという話がある。
まるで、そんな感じ。
マヌケなこと、この上ない。

メガネというと、私は普段メガネをかけている。
しかし、ほんのたまにコンタクトにすることがある。
そんなときに、お風呂に入ることなんかがあって、服(アンダーシャツなどボタンのないもの)を脱ごうとすると、
必ず無意識のうちに手はメガネを外しにかかる。
私にとって「服を脱ぐ」という行為は「メガネを外す」という行為とセットなのだ。

当然メガネはないのだから、目の横当たりで手が空振りする。
無意識にしている行為なので、これでもかってくらい「スカッ」と空振りする。
そんなときは「ああ、俺ってバカだなぁ」と思いながら、苦笑してしまう。
そして、改めて服を脱ぐのだが、またそのとき手は透明のメガネに・・・

メガネの空振りは、普段メガネをかけている方にとっては共感できるのではないだろうか。
いや、共感できると思いたい。
・・・誰か、共感して。

この感じは、階段の「例のアレ」と似ている。
例えば、階段を上っているとする。
一定のリズムで、上っているのだ。
考え事をしていたり、話に夢中になっていたり、そういうときに、
本当はもう最上段まで来ているのに、もう一段あると思って足は上りにかかる。
そうすると、本当はない透明の階段を踏むことになって、見事なまでに「スカッ」と空振りする。
まぁ、あまりしない経験ではあるが、誰でも一度や二度くらいはあるのではなかろうか。


もともとが、定規の下らない話だったので、この話のオチの付け方に困っている。
さて、どうしたものか・・・。
メガネ、階段と脱線し、どんどん話が下らない方向に向ってしまった。
・・・ちょっと、時間を下さい。
う〜ん。
こういうのは、どうだろう。

私たちは普段、幸せを探している。
それは、もう、みんな必死になって探している。
でも、たまには立ち止まって深呼吸でもしてみてください。
そう、もしかすると、幸せは、あなたの右手がとっくに掴んでいるのかもしれないのだから・・・

・・・こんなオチが通用する程、オトナの世界は甘くはないわな。
オチないときは、私がオチます。
それでは。
金利が比較的高いネットバンクで定期預金を組むため、
開設したネットバンクの口座に、お金を振り込まなければならなかった。
その銀行は、ネット上の操作だけで郵便局の口座からネットバンクの口座に無料でお金を移すことができる。
しかし、口座を開設したばかりでまだその手続きが済んでおらず、私の場合は自分でATMからお金を振り込む必要があった。

「確か郵便局はATMであっても、一日にいくらでも引き出せたよなぁ・・・」
とマヌケな思い違いをし、昼休みに近くの郵便局に行って、ATMで貯金を引き出してネットバンクに移そう(これも郵便局のATMで無料でできる)と思った。
しかし、ATMでは50万円までしか引き出せないのであった。
(※上限額は変更することも可能)

私は今日中に郵貯のお金を全て移そうと思っていたので、困ってしまった。
なぜなら、そのネットバンクでは「ボーナス金利」という期間限定の高金利キャンペーンをやっており、その期日が迫ってきていたからだ。
なんとしても、今日中に移し終えてしまいたい。
でも、印鑑を持ってきていない。

ダメモトで、待合席付近に常駐している係りの女性(※局員じゃないよね?パートの人?)に、
「印鑑を持ってきていないんですが、お金おろせますか?」
と、引き出しの用紙を見せながら尋ねた。
すると、
「お客様は(郵便局の)カードをお持ちでしょうか?」
と逆に聞かれた。
そこで「持っています」と答えると、
「では、あちらのATMでおろせますよ」
と言われた。
「・・・・・・。」
聞き方がまずかったか。
ATMも知らないなんて、どんな世間知らずだ。

「いや、あのATMでは50万円までしかおろせませんよね?それ以上におろしたいんですが・・・」
「ああ、ではその用紙に金額を書いて、印鑑を押してもらうことになりますね。ただ、運転免許証などお客様を証明できるものがあれば、窓口で暗証番号を確認することで、印鑑なしでもおろすことができると思いますが・・・」
「それは、助かります」
「あの・・・、お客様がおろされる金額は高額でしょうか?」

ここで、ちょっと答えるのに躓いてしまった。
私にとっては、50万円を過ぎた時点で十分に高額である。
いったいいくらからなら、高額と言うのやら・・・

「あの、いくらくらいから高額なのでしょうか・・・」
「ええっと、○○円は超えますか?」
「ああ、超えます」

なるほど○○円から高額なのか。
・・・ちょっと、違う気がする。

「では、ちょっと(正式な局員に)聞いてきます。番号札をお取りしてお待ち下さい」
結局、運転免許証があれば印鑑がなくてもおろすことができるようであった。
めでたし、めでたし。

さて、いざお金を受け取る段になった。
私はてっきり窓口で渡されるのかと思ったが、
窓口の人に、
「では、応接室にお入り下さい」
と言われた。

さすがに、○○円を超える、高額取引者は扱いが違う。
応接室に通されて、何をするのだろうか。
なんか、中小企業の社長になった気分だ。
なんとなく。

応接室に通された理由は、
お金の枚数を確認する必要があったからであった。
ちょっと、違うものを期待していたのに・・・。
応接室には、札束数え機とでも言うのだろうか、そういう機会が据えてあった。
札束をセットしたら、ものすごいスピードで数えてくれる。
それで、わざわざ渡すお金をカウントしてくれるのだ。

そして、お金は封筒ではなく、紙袋に入れてくれる。
いつも思うのだが(・・・というほど、高額のお金をおろしたことはないが)、
この紙袋って、パンを買った紙袋みたいで、結構ショボい。

応接室から出てきた中小企業の社長は、あたりをキョロキョロ伺いながら、すぐ近くのATMに駆け込み、
無事にネットバンクに入金できたそうな。
振込み手数料をケチるあたりがショボいぞ、この社長。

なお、数週間前に、小さな郵便局で同じようにお金をおろしたときは(これもネットバンクに移すためなのだが)、札束は数えてくれなかった。
もちろん、枚数は合っていたのだが。
この週末、大学時代の友人の結婚披露宴に列席してきた。

私は結婚披露宴が嫌いだ。
・・・と書くと語弊があるので、ソフトに「苦手だ」としておこう。

それには理由がある。
私は、とある中途半端な芸を持っている。
友人の結婚式となれば、まずその芸をやらされる羽目になる。
学生時代は、例えば友人の従兄弟の結婚式など自分に直接関係のない披露宴にまで出向いて、芸を披露したものだ。
もちろん謝礼をいただいて芸をするのではあるが、「謝礼はいらないからやりたくない」というのが本音だ。
しかし、どうしてもお願い・・・と頼まれると、なかなか嫌とは言えない。

友人たちは気軽に頼んでいるのだと思う。
(まさか、頼まないと私に失礼なんて思ってないよね・・・?)
でも、引き受ける私としては、かなり気を遣う。
披露宴とは、一生に一度の晴れ舞台なのである。
・・・・・・まぁ、一度ではない人もいるかもしれないが。
そんな、大事な晴れ舞台で、もし私が失敗したら・・・。
もちろん、友人は「別に失敗してもいいよ」と言うだろう。
しかし、私としては、そういうわけにもいかない。

私の芸の出番が、披露宴の最後のほうなら、なお悲惨な状況になる。
まず、自分の出番までお酒が飲めないのだ。
せっかくの披露宴なのに・・・。
それに、やはり出番が終わるまでは緊張するので、せっかくの食事もあまりすすまない。
自分の出番の直前には、仕込みのために退席しないといけない。
そうして、やっと出番が来るのだ。
なんとかその芸をやり終えたら、やっと披露宴を楽しめる時間が来るのだが、
その頃には、新婦が手紙を読んでいて・・・なんて状況である。

今回も、芸の依頼は覚悟していた。
その友人は、私の結婚披露宴で友人代表のスピーチをしてくれたことがある。
そのときに、何度も私のその芸のことについて触れていたのだ。
そんな彼が、自分の結婚式のときに頼まないはずがない。

しかし、事態は好転した。
彼は会社の人をかなり披露宴に呼んでいたため、スピーチも芸も私には回ってこなかったのだ。
友人のスピーチや芸というのは一切なかった。

今回は、楽しめた。
披露宴って、こんなに「気楽」なものなんだなぁ。
これからも、こういう披露宴に参加したい。

さて、前置きがだいぶ長かったが、本日書きたかったのは、
私が披露宴で「涙が出そうになった場面」「感慨深かった場面」が、他の人と少しずれていたのではないかと自分で感じたことである。

まず、「涙が出そうになった場面」であるが、定番は新婦の両親への感謝の手紙だろう。
今回は、新婦は両親に手紙を書かないと宣言していたのにも関わらず、サプライズで実は用意していたという、
涙ポイントが20%くらいアップするような設定だったのだが、私にとってはイマイチ涙ポイントではなかった。
その代わり、普通は退屈してしまうはずの、新婦の主賓挨拶で涙が出そうになった。

新婦は幼稚園の先生である。
主賓は、その園長先生。
園長先生のスピーチというのは独特である。

園長先生というだけあって話し慣れているのか、非常に滑らかな口調で話される。
でも、何かおかしいのだ。
なんというか・・・感情を込めすぎるというのか・・・。
さすが、幼稚園の先生である。
スピーチ自体は、まぁありきたりだったのだが、
最後に「メッセージをお預かりしておりますので、それをご紹介したいと思います」と言った。
メッセージをお預かりだから、誰か事情があって列席できなかった方からのメッセージかと思いきや、全く違った。

新婦が受け持つクラスの幼児(年長組)からのメッセージだった。
それを、i-Podのようなもので披露宴会場で再生したのだ。
言わされ感たっぷりのメッセージだったのだが、これにホロリと来てしまった。
ときどきずれて違うセリフを叫ぶ子供がいて、そういうセリフに真実があるのだと思えた。
素直にいい先生なんだろうなぁ・・・と思えた。
そして、多くの子供から祝福してもらえる「先生」という職業を、少しうらやましくも思えた。
きっと、学生時代の私なら、注目もしなかった場面に違いない。
私も、オッサンに、二児の父に、なったということか。

「感慨深かった場面」は、新婦の弟が作ったという、『新郎新婦の生い立ちスライド』である。
いや、スライドの内容にではない。
身内の自慢になって申し訳ないが、私の仕事仲間はその中の誰かが結婚するとなると、その披露宴や二次会に向けて、普通の人なら度肝を抜かれるような良質の(?)DVDを作成する技術と演技力を持っているので、
まず他の人が作ったそういうものに感動することはない。
私が感慨深かったのは、そのときかかっていた音楽にである。
おそらく、出席者の誰もが、披露宴でかかっていた音楽なんか覚えていないだろう。

スライド上映中に流れた音楽の一つに、
The BeatlesのHere There and Everywhereがあった。
これは、私の学生時代の思い出の一曲である。
それを、学生時代の友人の結婚披露宴で聞いたのだから感慨深い。
友人と全く関係ないのは、甚だ失礼ではあるが・・・。

大学2回生の頃だったか。
私が彼女と別れて落ち込んでいたときのこと、サークルの集まりがあった。
(※ちなみに、披露宴で依頼される芸に関係するサークルである)
サークル活動が終わると、めいめいが夜中の校舎の雰囲気を楽しむ。
とある先輩は、ギターを片手に歌を歌っていた。
この先輩は、大学近くの繁華街で「流し」をしていたほどの腕前の持ち主であった。
私が別れたばかりであることを知っているその先輩は、何度もミスチルの「ゆりかごのある丘から」からを歌った。
歌詞を知っている人はご理解いただけるかと思うが、単なる嫌がらせである。
その先輩は飄々とした、独特の雰囲気を持つ人だった。
そして、散々嫌がらせをした後に弾いたのが「Here There and Everywhere」だった。
私は時が止まったかのように聞き入った。

先輩は、特に意味もなく歌ったのだと思う。
歌詞の意味を考えると、何か意図があったのかもしれないが、
私の拙い英語力では、聞き取ることも、理解することもできなかった。
それでも、私はそのメロディーにとりつかれてしまった。
それ以来「Here There and Everywhere」は、私にとって大事な曲となった。

書いていて収拾がつかなくなってしまったので、ここらで筆を置こうと思う。
たまにはブログを書かないと、下手な文章がいっそう下手になっていくなぁ。
何が言いたかったのだろう。
まぁ、そういう発散するような雰囲気が、学生時代というもので・・・という事で。

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