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先週実家に帰った。 一ヶ月ほど前にチューリップの球根は買っていた。 赤、白、黄色といったシンプルなもの80球に加え、アンジェリカと呼ばれるピンクのかわいいチューリップを25球買った。 (※セリ科の植物のアンジェリカではありません) 私の父親は家の傍の遊歩道沿いの緑地に、 市のボランティアの一環として、 (という名目で自分の趣味の一環として、) 花を植えていた。 毎年、春には花壇の中にチューリップの場所を作り、 その場所にはチューリップを中心に、周りにムスカリを植えていた。 次の春で、父が亡くなってから二回目の春となるが、 今年もまたチューリップを咲かそうと、 球根の植え付けを行った次第である。 球根を植えるというとのどかな感じがするが、 ところがどっこい、これがなかなか大変な仕事なのだ。 まず、終わった夏(初秋)の花を抜く作業から始まり、 土を掘り起こさないといけない。 これが一苦労である。 夏の花の根がはびこっているし、近くの樹木のひげ根が進出して来ている。 それをスコップで切断しながら、掘り起こしていくのだ。 その後は、それらの根を花壇から除去する。 すると、こんもりと一山できるから、びっくりする。 それから球根を植えるのだが、 105球も植えるとなると、 「楽しいお遊び」ではなく「作業」という感じになる。 105球なので、5段21列に植えることにした。 まず、位置出しをする。 そして、端から順に土を掘っては植えるの繰り返しをするのだ。 まん中の5列はアンジェリカにして、私が植えた。 それ以外の16列は、妻にやってもらった。 どういう配色になっているかは私も知らない。 チューリップは色によって、開花時期や背の高さが異なる。 それは、咲くまでには全くわからない。 そのことを考慮しながら、配色を考えるのがコツである。 基本的には同色は固めたほうがいい。 そうすると、同じ時期に咲くので綺麗だ。 しかし、数が多くなると、花壇の左端だけ花が咲いているというような状態になるので、 やはり適当にばらすことも必要となる。 妻はそこらあたりも理解して植えているので、来年の春に、どのように咲くかがいまから楽しみだ。 さて、こういった一連の作業をしていると、遊歩道を通るひとが声をかけてくれることがある。 立ち話が好きな母がいるし、私の小さな二人の息子もいるからだ。 午前に土を掘り起こしていると、 70代くらいの女性が話しかけてきた。 しばらく、私の作業を見た後で、 「お父さんはどうされたの?」 と言った。 その人は、うちの父が去年の夏に亡くなったことを知らなかったのである。 話しかけてくれる人は、いつもだいたい決まっていて、もちろんその方々は、うちの父が亡くなったことを知っている。 そのことを知らないとは、あまり話をしたことのない人なのだろうか? 母がその女性に、父が亡くなったことを告げた。 すると、その人は、 「実は、私の散歩するコースはこの裏の通りなんです。でもあるとき、こちらの歩道を歩いていたら、道端にきれいな花がいっぱい咲いていて、それがこの花壇だったんです。それからは、年に何回かは、結構回り道にはなってしまうんですけど、こちらの道を通って、花を鑑賞させていただいていたんですよ」 と言った。 私は父の力を、その静かだけど揺るぎない、大きな力を改めて感じた。 私の父は、いろいろな面で能力のある人間だったと思う。 しかし、進んだ道は平凡そのものであった。 高校は地元では有名な進学校に進んだ。 しかし、大学は地方の国立大学にしか受からなかったようだ。 機械の設計技師として就職するときも、聞いた話によると誰もが知っているとある大きな会社に内定が決まったそうである。 ところが、祖父が知り合いの人がやっている会社に父を就職させた。 それは、小さな会社であった。 やがてその会社はつぶれ、父は無職となり、一時はフリーの設計士をしていた。 その後、入った会社もそんなに大きな会社ではなかった。 その会社も、さらに大きい会社に吸収合併された。 つまり、父は2回会社を変わっており、その都度退職金をもらっているので、退職金の総額としてはとても少なかったそうである。 また、父が最初は「腰掛け」程度に考えていた今の小さな家に、晩年まで住むことになった。 もちろん、その家には今も母が住んでいる。 こういう父の人生を、 私は学生の時から平凡だなと感じていた。 父も満足をしていたわけではないようだ。 しかし、厳しいようだが、 もし満足していないとすれば、 その原因はすべて父にあるのである。 若くして独立し、すぐにマンションを買って暮らしている、私の兄とは好対照だ。 私はそういう父に、何か物足りなさを感じていた。 そして、私は父を越えようとずっと思っていたし、 大学に入った時点で、父を越えたと感じていた。 しかし、その女性の言葉を聞いて、改めて思うのである。 私に「人を動かせるほどの力」があるのかと。 父の花壇は、一人の女性の散歩コースまで変えてしまう程の力があるのだ。 簡単なようで、簡単でない。 球根を一つづつ植えながら、そんなことを考えていた。
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亡き父へ捧ぐ
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今日は、父の一周忌と初盆の法要があった。 父が亡くなってから、もうすぐ一年が過ぎようとしている。 早い。 というのが、正直な感想だ。 法要というのはある意味で形式である。 もちろん、形式だから軽んじるわけではない。 形式は形式で大事なことだし、一つの節目としてはそれに救われることもあろう。 母にとっては、大きな一つの節目だったのだと思う。 しかし、今日の法要は父のためというより、残されたみんなのためと言えるのかもしれない。 だから、本当の命日である8/27には、また母の実家に戻り、ひっそりと父を偲ぼうと思う。 そして、私の喪が明けるのだ。 父の事をブログに書こうと思ったときに、まずは葬式当日までを書こうと思った。 そして、第二部として、仏壇や墓を買うまで、第三部として思い出を書こうと計画していた。 ところが、去年の9/15の記事を最後に投稿を終わっている。 父が亡くなった日まで書いて、どうしても続きが書けなくなった。 なぜだろう。 自分の心の有り様さえも分からないのが、人間と言ったところか。
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私は、しっかりしなければいけないと思った。 |
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目覚めた。 |
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私が寝ている間に兄が帰ってきた。 |







