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承前。

音楽に取り憑かれて「三月肉の味を知らず」というのはありうることなのか?

racなどいい音楽を聴いても三月どころか三時間も持たず旨いものを食いたくなるオンチで食い中毒(チビ)だからよく分からず、
以下は台湾出身の日本人(当時)音楽家江文也さん「上代支那正楽考ー孔子の音楽論」*(1942年、平凡社東洋文庫に2008年復刊)に拠ります。

,泙差子を夢中にさせた「韶楽」とはどんなものか?

帝舜有虞氏・・大韶の楽を作る(竹書紀年)、
夔曰:「戛擊鳴球、搏拊、琴、瑟、以詠。」祖考來格,虞賓在位,群后讓。下管鼗鼓,合止柷敔,笙桧放痢D死搓m;《簫韶》九成,鳳皇來儀。夔曰:「於!予擊石拊石,百獸率舞,庶尹允諧。」(書経益稷5)
「舜帝制定の朝廷歌で9楽章を含む相当厖大な音楽、名作曲家夔(き)により、上には舜の徳・下には夔の名曲が和して鳳凰まで飛んできて一緒に舞うというめでたい風景。」

・・「天子諸侯が一同に会し、堂上には石磬や琴瑟に合わされ歌声が配され、堂下には笛や太鼓、笙や鐘などを並べて、曲の始めには柷(しゅく)を撃ち終止には敔(ぎょ)を擦って合図する。笙の形が鳥に似たり鐘の飾りに獣形のものが施されたりいかにも禽獣に至るまでみんなで韶楽を楽しむようである。」
「どこまで事実かは別問題として(⇒rac的には武帝時代に完成された朝廷楽が逆に堯舜ら聖王時代の楽のイメージに投影されて書経は書かれた部分があってまあ話半分が実態と想像します)、↑これが韶の記録であり斉に伝わり保存されていて孔子を感激させた問題の音楽である。」

■灰月とは

「聖人孔子も肉体的にはわれわれ(江文也さんら)音楽家と大して変わっていなかったようだ。われわれ作曲家がある作品を多少大形式なソナタやシンフォニーをものするときなど、3ヶ月位、肉体上の何かの欲求を感じないことはよく経験することであり、演奏家にしても同じ事・・或大曲をマスターしようと決心した瞬間から同じこと、肉味を忘れて夢中になるものである。」

「この肉味について儒者達はさまざまな解釈を試みているが、筆者(江さん)の経験では、豚肉とか牛肉とかいう生ぬるい食欲の問題でなくて、われわれの肉体に必ず付きまとう一切の欲が本当になくなったかのように忘れられて仕舞うものなのである。」
⇒江さんは、この部分に史記孔子世家の「與齊太師語樂,聞韶音,學之,三月不知肉味」(齊の太師と樂を語り韶音を聴きこれを學んだ,三月肉の味を知らず)を並べ、3ヶ月間「感動して自失」していたのではなく,「韶を学ぶ」のに3月かかりその間肉の味を忘れていたのだとの司馬遷解釈に同意しているようです。↑ならracでもわかります(笑い)。

K魂罅β犇・楽しさ・創造

「3ヶ月も肉体的な楽しみを忘れるほど音の中に没頭したら一般社会の人々は音楽家というものはなんと退屈を感じない鈍物だろうと思われるかもしれない。いやある種の音楽仲間さえそう言って揶揄うかも知れない。これが所謂時代の空気でもある。・・」

「だが他人の目に映ったこの退屈こそ、われわれ音楽家の最も楽しい時間である。リストのきらびやかなしかしつまらない一走句をマスターしようと懸命に繰り返して練習を続けるピアニストをみて傍らの目にはむしろ気の毒に映るかもしれない。ピアニスト自身も時には苦しさを感じるかもしれない。だがこの退屈こそ、苦しさこそが、音楽家たるものに必要な一種の楽しさなのだ。・・音楽家というものはそうした退屈さや苦しさを甘受して、あたかもそれらを楽しんでいるかのように少しずつ完成されていき自分を創造するものである。」


思えば孔子には論語以上に孔子世家に音楽の話題があります。

師襄子の話。

再出ですが(↓参照)、
http://blogs.yahoo.co.jp/raccoon21jp/38312081.html

改めて江さん本より引用。
孔子學鼓琴師襄子,十日不進。師襄子曰:「可以益矣。」孔子曰:「丘已習其曲矣,未得其數也。」有痢ほ:「已習其數,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其志也。」有痢ほ:「已習其志,可以益矣。」孔子曰:「丘未得其為人也。」有痢ぁ麟]有所穆然深思焉,有所怡然高望而遠志焉。曰:「丘得其為人,黯然而遏ぱ楞骸長,眼如望羊,如王四國,非文王其誰能為此也!」師襄子辟席再拜,曰:「師蓋云文王操也。」(史記孔子世家34)
「この一節は孔子が文王作の「操」を勉強したときのお話;師襄子とは魯の琴師というより本職は磬師、論語の中で(海に去った)撃磬襄といっているのがこの人。孔子が魯にいたころには魯の音楽長官にとの話もあったが孔子が魯を去ったあとは海上の無人の孤島に退いたと伝わる人」(⇒流れ流れて日本あたりに来たかもしれません、笑い)

「この先生に孔子は琴を学んだのだが、10日過ぎても一向に次へ進もうとしない。先生のほうから逆に注意したら、孔子が言うには、自分は大づかみにその旋律の輪郭は覚えたが、「拍子(あるいは曲全体の節奏)」がまだはっきりしないという。

それから暫く経ってまた先生のほうから,もう拍子も正しくなったからと注意すると孔子がまたいうに、まだ「表情(エクスプレション)」がなっていないという。また暫く経って先生のほうからもう表情も十分つけれている、さあもう好いでしょうと注意すると、孔子は更に言った。自分はまだその作曲家の「人となり」を感じうるまでに至っていない。・・こういう調子で曲を念入りに研究しているうちに、色の黒い丈の高い眼が羊のように優しく心が天下に君臨する偉大な人物、それは周の文王でなければとても作曲しうるものではないとの結論に達した。すると先生はこれを聞いて席を立って再拝したという。」

「われわれ(江さんら)からみると神がかりでまた多少滑稽じみた物語だが、一面、孔子はいかにして音楽を勉強したか、その方法と態度などを知りうる。」

「孔子のほうが先生よりも音楽的感性を持っている・・普通は先生が止めても自分の方から先へ先へと勝手に新曲をやりたがる、だから音楽家が多すぎるといわれるのだが・・孔子の精密な態度、知ることが深ければ深いほどその何かをいよいよ深く愛する。・・孔子はなにかあるとすぐ琴によせて一曲弾かないでは済まされなかったようだが、われわれ音楽家にとっては彼が弾いた曲は何であったかをまでも追求せずにはいられない。・・」

孔子という人は、音楽家にして初めて深く同感できるほどに音楽的であり精密であり、音楽演奏家でありおそらく音楽作曲家でもあったろう、と江さんは強調します。



     *江文也さん。1910〜1983、李登輝とも近い貿易商の息子、20歳代から歌手として日本で活躍、作曲もし1936年にはベルリンオリンピック音楽祭で佳作となり、1938年には北京師範大学教授として招聘され移住。上記本は、北京入りして5年目で若くしてその名声と気合が頂点のときの作品;いい本です、日本語で書かれ、はしがきには皇紀2602年と年号を入れています。戦後文革の被害者でもあります。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%96%87%E4%B9%9F





⇒なお連想備忘まで、師襄子関連・・

音楽だけではない、中国古典群を読んできて同じことを感じます。読み込んでいくと、孔子とか司馬遷とか呂不韋とか淮南王とか・・どんな「人となり」であったか何となく見えるようになる、少なくとも思いは相当にわかるようになる、そうすると書中のある一文章は本当に彼が書いたり指示したりしたものかわかるようになる、一人で書いたか複数で書いたか彼らは纏まっていたかどうかも見当がつく、後にアホ儒家がどう手を入れたかも見当がつくようになる

これまで「rac流意味論文脈論」としていってきたことの一部はまさにこの孔子や江さんの言い方に符合します。「きわめて当然な読み方感じ方」なのですが必ずしも科学的学術的な方法や態度ではないのかもしれません。しかしポストモダンの方法論としてこれでいいのだと感じています、そうでないと人間としての統一的な豊かさ広がり等が十分見えず感じられないからです。



(つづく)

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