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【著者より】
この物語は、冤罪事件に巻き込まれた家族の実話です。冤罪事件がどのようにして
作られていくのか。また、どのようにして無実を証明していったのかを、数々のエ
ピソードを交えながら描きました。テーマは『あきらめない勇気』。この本を通し
て、司法の正義とは何か。家族の絆とは何かを知っていただき、何かを感じていた
だければ幸いです。間もなく最終章へと…
●西日本新聞社の書評 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/auther/20080630/20080630_0001.shtml
●よっしーさんの書評 http://blogs.yahoo.co.jp/yossie_70/14334993.html
◆福岡県弁護士会の書評(平成20年7月24日付け記事) http://www.fben.jp/bookcolumn/
【解説】
全国ネットでこの事件の真相が放送されたら、きっと周囲も父が
無実であることを分かってくれる。私たちはそう信じていました。
しかし、どんなに無実を叫んでも「無罪」を勝ち取らなければ
信じてもらえない現実を知りました。
裁判で「無罪」と「有罪」は天国と地獄なのです。
裁判の流れが変わったと喜んでいましたが、現実を目の当たりにして
再び不安と孤独が私たちを襲いました。
どうしたら無実であることを信じてもらえるのだろう…。
再び苦悩の日々が始まりました。
(今日は打ち合わせで帰りが遅くなりますので早めに更新しました)
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『いつか春が 〜父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」〜』
(不知火書房より全国の主要書店にて発売中)
第十章 裁判長の異例の判断 テレビ放送の影響(未公開原稿より)
本当は父自身がテレビを通して自分の無実を訴えることができれば
いいのだが、被告の立場であり公判中ということもあって出演は自
粛した。そこで父に代わって無実への想いを家族の誰かに語って欲
しいとTさんは申し入れた。
私しかいなかった。
めでたい内容や楽しい内容でのテレビ出演ならいざ知らず、事件や
裁判という内容がテーマの番組に自らが出演するとなると、それな
りの覚悟が必要だった。
ここで問題が発生した。
顔を出すか、出さないか。名前は出すか、出さないか。
父が無実である事を私は堂々と素顔を出して実名で訴えってもいい
と考えていた。
その気持を妻や娘に伝えると二人は猛反対した。
撮影前日の夜、私と妻と長女は最後の話し合いをした。
すでに夜の十二時を回っていた。
沈痛な面持ちで私と妻と長女は向き合ったままだった。
「それは絶対にだめよ。おじいちゃんの無実を訴えるのは家族とし
て当然だと思うよ。でも、あなたが名前や顔を出してテレビで訴え
るのはやめて。絶対反対よ」
妻は猛反対した。
「そうだよ、お父さん。あたしも反対。学校の友達もお父さんの顔
や名前を知っている子もおるとよ。もし友達がテレビでお父さんを
見たら・・・私のおじいちゃんが逮捕されて裁判している事が知ら
れちゃう。そしたら私・・・」
高校受験を目前に控えた長女は泣きそうな顔をして反対した。
「でも裁判で闘っているおじいちゃんのために、他の人達が勇気を
出してテレビで証言してくれるとばい。その人達も周りから何て言
われるか分らんとよ。それでも協力してくれとる。それなのに家族
が知らん振りなんて、そがんことできんやろうもん」
私は二人に反論した。
「でもね、あなたがテレビに出たら今まで知らなかった人達も知る
ことになるとよ。世間はあなたが考えるほど甘くなかろうもん。今
までだって犯人の家族て陰口を言われて仕事だって無くしたやなか
ね。また今度も仕事がなくなるかも知れんとよ」
妻は涙声で私に訴えていた。
犯人の家族として、私が今までどれだけ苦しい思いをしてきたか妻
や娘は知っている。だから妻達が反対する気持ちも痛いほど分った。
多くの関係者も今までは逮捕された父と関わることを嫌がり、誰も
口を閉ざしたまま何も話してくれなかった。
今回、Tさん達の熱意にほだされてテレビで自分達もこんな取調べ
を受けたという事実を証言してくれた。
テレビに出て検察の取調べの実態を証言すれば、自分にも何らかの
影響が出るかも知れないと恐れながらも証言してくれた。
だから私も息子として、父に代わって話すつもりだった。
妻と娘がとうとう泣き出してしまった。
真夜中の家族の泣き声ほど悲しいものはないと思った。
私は名前は出さずに「被告の家族」とすることにした。声はそのま
ま変えず、顔は出さない代わりに、モザイクをかけずに斜め後ろか
ら撮影してもらう事にした。私を知っている人は声や顔の輪郭で分
かるかも知れない。
そうやって佐賀での収録は全て終了した。
平成十五年二月に日本テレビの『きょうの出来事』で特集として全
国に放送された。
密室での取調べ場面はテレビ局で製作した再現シーンが用いられた。
やはり放送の影響は大きかった。
放送によって状況が良い方向に変わるかと期待したが、思わぬ事態
が続出した。
放送直後から私の公開していたホームページにも変化が現れた。私
のホームページを、どうやって調べたのか分らないが、アクセス数
が急激に増え、アクセスカウンターが振り切れてしまった。
パソコンには謎のメールが次々と送られてきた。佐賀地検から姿を
消した後のI検事の近況が詳しく報告されたメールも届いた。明ら
かに検察内部の関係者にしか分らない情報を含んだメールも送られ
てきた。
「すべての検察官がこうだとは思わないで下さい。ぜひ無罪を勝ち
取られる事を祈っています」との言葉が添えられていた。
別のメールには、これも明らかに検察内部の者にしか分からない
内容が書かれていた。
「I検事はそんな検事ではありません。あなたが息子としてお父様
を支えて助けようとしていることは立派なことです。しかし、たっ
た一度だけ暴言を吐いた検事を、あなたが追い詰めようとしている。
これは立派なイジメです」
私のことを厳しく非難するメールだった。
良くも悪くもテレビの与える影響力は大きかった。ほかにも、こ
の放送直後から不審なメールが届き始め、その数は日増しに増えて
いった。
テレビ放送から一週間が過ぎた頃には毎日三百通あまりのメールが
次々と届くようになった。パソコンに送られてくるメールは形態電
話へ転送するように設定していたので、私の形態電話はこうして一
日中メールの着信ランプが点滅するという異常な状態になった。あ
まりのメールの多さに私はアドレスを変えた。
こんなふうにテレビの反響は大きかったが周囲の反応は何も変わら
なかった。私たち家族には何も伝わらないままだった。
一番恐れていた仕事への影響も現れた。
定期的に私に仕事を依頼していた役所から連絡がテレビ放送を境に
完全に途絶えてしまった。なぜ連絡が途絶えたのか察しはついた。
もう私のほうから連絡する気持にはなれなかった。その役所からは
二度と連絡はなかった。
父もこの放送によって世間との溝が埋まるだろうと期待していたが、
現実は何も変わらなかった。
検事調書が棄却されるという事実や取調べの様子がテレビによって
放送されれば、自分の無実が世間にも信じてもらえると期待してい
た。
周囲との関係が何も変化がなかったことで父は、今まで以上に不安
を抱え込むようになってしまった。
「テレビで放送されても、やはり世間は信じてくれんのか・・・こ
のまま自分は有罪にされてしまうとではなかやろうか・・・」
父は弱音を吐くことが多くなり、すべてを悲観的に考えるようにな
っていた。そんな父を見守る母もどうすることも出来ず私に電話を
かけてきた。
父は誰にも分ってもらえない悔しさや不安を誰かに聞いてほしくて、
私に毎日朝から何度も何度も電話をかけてきた。
何度も同じ事を電話してくるなど異常かも知れないが、父は誰かに
苦しみを受け止めてもらいたかった。
「裁判はどうなるとやろうかのお。このまま俺は有罪にされてしま
うとやなかろうか・・・」
「お父さん、なんば言いよるとね。しっかりせんね。最後まであき
らめたらいかんばい」
私は父から毎日かかってくる電話に、そう答えるしかなかった。
せっかく裁判の流れが変わったと喜んでいたが、父の心は不安に包
まれ、闇の中を一人でさまよっていた。
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何もしないでいる事が一番楽なんですよね。
だからこんな例は沢山あると思います。
世間は権威に逆らう人には冷たいです。
2008/8/9(土) 午前 1:05
私も最初に福迫君の精神状態を心配しました。国内でもこんな状態なのに・・・
2008/8/9(土) 午前 6:33 [ hannreinakinisimo ]
恐ろしい。冤罪というのはこんなに人をまわりを追い詰めていくものなのか・・・冤罪と言うのがよくあるとは聞いていたし、もし巻き込まれても自分なら意志が強いから大丈夫と言う妙な自身はあったが。こりゃあ考えがあまかったようだ。
2008/8/9(土) 午後 11:49 [ たくま ]
冤罪の苦しみは犯人にされていく恐怖と
誰も信じてくれない孤独だと思います。
それが何年も続きますからね。
気が休まることはないし、信用もなくし
精神的にも経済的にも追いつめられていきます。
その状態で国家権力を相手に闘い続けなければ
ならないから、気が狂いそうなほど追いつめられて
いくのですよ。
絶対にあってはならないこと…それが冤罪です。
2008/8/10(日) 午前 0:35
人が人を裁くっていう事は極めて難しいことであると思わされました。黒澤映画に羅生門という作品があるんですが、あの映画があんまし娯楽性が無いのにグランプリが取れたのは、根本的な人間同士の裁く、裁かれるの難しさを問うたからなのかもしれないです。
意志の強さすら圧殺される尋問。
恐ろしいです。
2008/8/10(日) 午後 10:29 [ sat*ky*20*6 ]
sat*ky*20*6さん、コメントありがとうございます。
娯楽性というと、この本は淡々と事実を語っていくスタイルです。
羅生門の背景にはそのようなことがあったのですね。
勉強になりました。ありがとうございます。
2008/8/12(火) 午前 0:22
お父さんもファイトさんも無罪を訴えるために必死で取材に答えられたのに....
激励よりも黙殺のほうが多かったんですね...
冤罪というのはあってはならないことということがよくわかります。
2009/4/27(月) 午後 0:03