|
※本日、記事の更新を5回まとめて行っていますのでお見逃しなく。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ダイジェスト版の公開を終えて 著書「いつか春が」の一部を、ダイジェスト版として35回にわたり公開してきましたが、 いかがだったでしょうか。 出版したばかりの、実際に販売している本の内容をここまでお見せすること自体が異例か もしれません。しかし、どうしても司法の現実をみなさんにお伝えしたかったからです。 そのままを公開することが出来ませんので、著者の特権を利用して校正前の原稿や新たに 修正を加えて書き下ろしたりして、ギリギリまでお見せしました。 ここまでしなければ、著者としてこの本に込めた想いをお伝えできないと判断したから です。本を出版して読者の方から、いろんな声が寄せられました。もちろんすべてが好意 的な意見ばかりでなく、反論意見もありました。刑事裁判と民事裁判の違いが理解しても らえず、冤罪事件の本質を理解してもらえない方もおられました。どちらも裁判であり、 苦しみを強いられます。 民事裁判では逮捕はありません。手錠もかけられないし、密室での取調べもありません。 独房での勾留や裸の身体検査もありません。裁判が終わっても有罪や無罪という判決もあ りません。ところが刑事裁判は、まず逮捕から始まり、その時点で社会的信用を失い、保 釈されなければ裁判が終わるまで拘置所での独房生活となります。実刑になればそのまま 今度は刑務所に収監されるのです。 ましてや無実の人間が、そのような苦しみを強いられる……それが恐怖なのです。 私はこの本を通して、冤罪の恐怖と苦しみを伝えたかったのです。冤罪事件がどのように して作られていくのか。冤罪事件で無実を証明することの困難さ。冤罪事件の裁判によっ て、被告とされた本人や家族にどのような影響を及ぼすのか。心にどれだけ深いダメージ を与えるのか。例えば私の場合は被告とされた当事者ではありません。それでも未だにさ まざまな後遺症に悩まされています。 自分のふるさとである佐賀に行くと、それだけでドキドキとして胸が苦しくなるのです。 裁判は終わりましたが、未だに事件の舞台となった佐賀に近づくだけで、胸が苦しくなる のです。たぶん誰にも理解してもらえないと思いますが、今の私には佐賀に近づくことも、 佐賀で人と会うのも苦しくなるのです。私にとって佐賀という場所そのもがトラウマに なっているようです。たぶん、権力という恐ろしい影に怯えながら、人目を気にしながら 誰にも気づかれないように証拠探しや証人探しをしていたせいかも知れません。その時の 緊張や恐怖が蘇るのかも知れません。 冤罪事件はこのように心に深い傷を残し、人生をも狂わせてしまうのです。 著書のあとがきにも書いているように、冤罪事件を防ぐには取調べの可視化は絶対に必要 です。しかし、その前に「犯人ありきの捜査」でなく慎重な捜査こそが一番大切です。 人を人が裁くという前に、人が人を権力を利用して捕らえる…つまり逮捕することは、逮 捕される相手だけでなくその人の家族の人生も変えていくということを認識した上で、逮 捕に踏み切らなければならないのです。そのための慎重な捜査こそが、冤罪を防ぐ最も効 果的な防止策であると思います。 裁判員制度を控えた今、裁判について、司法について、今までみなさんが知らなかったこ とを、難しい言葉でなく分かりやすい言葉で伝えよう。これがこの本の基本でもあります。 私が経験したことを本という形で、物語としてみなさまに読んでいただくことで、何かを 感じ、考えていただくきっかけになればと願っています。 全国には多くの方々が冤罪事件に苦しみ、0,1%の可能性に人生を賭けて闘っておられます。 人が人を裁く、人が人を捕らえるのだから、冤罪事件は他人事ではなく、誰にでも起こり 得る悲劇なのです。 この本を冤罪事件に闘うすべての人たちに捧げます ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ※「佐賀市農協背任事件」で検索してみると、この事件が衝撃の事件であったことが分かります。 |

- >
- 芸術と人文
- >
- 文学
- >
- ノンフィクション、エッセイ






このブログでは、いろんなことを考えさせられます。あまりにも平然と憲法が無視されている現実に、そしてその現実が疑問ももたれず多くの日本人に受け入れられていることに、憤りを通り越してややもすると諦めの気持ちが頭をもたげそうになります。国家権力の圧倒的な力にため息が出ます。
Fightさんが佐賀というところにトラウマを感じているとのこと。その気持ち、よく分かります。私の場合、職場で受けたパワ・ハラから立ち直るのに6年もかかりました。その間、そのときの職場に関係したあらゆる人物に会うのが怖かったです。おまけに正体不明の奇病に侵されて何のために生きているんだろうと凄く弱気になっていました。それが、パーキンソン病と分かった瞬間から逆に自分と向き合う勇気が湧いてきたのですから、人生って分かりませんね。
いつの日かこのモヤモヤした思いが整理されて、自分の行動の道筋が見渡せる‥‥そんな日が必ず来るでしょうから、あせったり極論に走ったりしないことでしょうかね。それにしても、コンチクショウですね。
2008/8/23(土) 午前 1:04
自分では裁判も終わり、気持ちの整理がついたつもりですが、やはりトラウマでしょうね。時間がかかるでしょうが、少しずつ気持ちの整理をしていくしかないですね。ありがとうございます。
2008/8/23(土) 午後 10:28