『いつか春が』執筆日記

波乱に満ちた人生。夢に向かって挑戦する男のドキュメントストーリー。

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  第27話 意気地なし 「求職男」〜再就職への道〜


午前の講習が終わって、やっと昼休みになった。
「いやあ、リアルやったね。現場に入ったらこれをせんばとねぇ」
弁当を食べながら川村さんが話し始めた。

今日はオムツの替え方や排便や排尿の際の清拭などの排泄の実習だ。
介護施設や病院では、寝たきりの人や病人は自分で排泄処理が出来ないので、
誰かに手伝ってもらわなければならない。
頭では分かっている。
分かってはいるが複雑な思いだ。

「ねえ、吉田さん。あんたは看護助手として働いていたから今までやってきたとよね。
どうやったですか?」
「うっ・・・食事中にそんな話をするのはやめてよー」
女性陣たちからブーイングが飛んだ。

「そりゃあ最初は戸惑うかもしれませんが、覚悟を決めたらいいですよ。
あとは慣れますよ」
元看護助手の吉田さんはサンドイッチを口にほおばりながら平然と答えた。

「そうか・・・覚悟ね」

「私だって最初は目をそむけてしまい、便の臭いが体に染み付いているような
気がして、気になってですね。家に帰って何度もシャンプーをしてしまいましたよ」
「ほー、まるで映画の『おくりびと』やね。あはは、そんな場面があったあった」
笑いながら話す川本さんを見た吉田さんはムッとした表情に変わった。

「でも、排泄の仕事が汚いと思って目をそむけた自分が悲しくなりました。
病院では看護士や看護助手の私たちが排泄の世話から、亡くなられた患者さんの
体を清拭したりしてましたよ。だけど、これは大切な仕事ですよ」
「そう、分かっているよ。別に汚いとか言っているわけじゃないし・・・
ただ、何と言えばいいのだろうか・・・他人の排泄の世話なんてしたことないし・・・
汚いなあと思うけれど、仕事だし・・・これもしなければいけないなあと・・・」
川村さんは言葉に詰まった。

「川村さん、頭で物事を考えてしまう人がいますが、ああ言えばこう言うしですね。
いざとなったら自分はできないくせに、ウジウジとああだこうだと評論家みたいに
偉そうなことを言う人もいますが、人間は生きている限り排泄はあるし、
生きている証ですよ」
「そうよ、生きている証よ、排泄はね。俺はただ一般的にはそう思っている人も
いると言っただけで・・・」

「他人の排泄の世話をするのは、最初は誰だって勇気が要りますよ。
自分でする勇気がないならば、介護がどうのこうのと語る資格はないし、
この仕事は無理ですよ。心の中で汚いとか、俺には無理だとか、勝手に自分の
心の中だけで思うのは自由ですよ。でも、それをみんなの前で口に出すのは
止めてください。
頑張っている人たちのヤル気をそぐような発言になりますよ。みんな、
これから頑張ろうとしているわけだから・・・空気が読めないのですか。
水を差すような発言はしないほうがいいですよ。みんなも頑張っているし、
俺も負けないように頑張ろうと思うほうが素敵でしょ?そんなふうに一緒に
頑張ろうと口にするのはみんなも大歓迎です。グジグジ言わずに行動で示す。
それが大人でしょう。そう思いませんか?」

「そ、そうね・・・」
川村さんは赤面し小声で返事するのが精一杯。

吉田さんは口を真一文字に結んだまま、それ以上は何も言わなかった。

以前、彼女は資格を取りに来た理由を私に話してくれた。
彼女は三十歳ほどだが、女でひとつで二人の子供を育てていた。

以前勤めていた老人病院につい話してくれたが、劣悪な労働環境で、
朝の六時半から夕方の四時半までの激務だった。昼に十分間の休憩が一回だけ。
あわててお茶を飲むと休憩は終わり。
食事する時間はなく、一日の勤務で十分間の休憩が一回だけ。
食事は仕事を終えてからだったという。
排泄やシーツの交換などの仕事に追われ、一日に何十人もの排泄の世話をしてきた。
夜勤の時はブザーが鳴りっぱなしで一睡も出来ず、残業代は一切つかず、休憩時間も
与えられない長時間勤務。

どこもきちんとした経営をしているが、どこの世界にでもこのような悪質な企業が
存在する。これも現実だ。

彼女は耐えて働いた。
資格さえあれば・・・何度も悔しい思いをしながら生きてきた。
愚痴をこぼしても世間を妬んだりしても誰も助けてくれない。
このままではいつまでも今の現実から抜け出せない。今の人生を変えるためには
ヘルパーの資格を取るしかない、と彼女は決断したという。

今回の養成講座に参加するために以前の病院を退社し、次はヘルパーとしての
資格取得を条件に、介護施設での就職が内定していた。
「私は子供を養っていかなければならないし、就職が決まらず何ヶ月も過ごすなんて、
私には死活問題です。この仕事は嫌だ、あの仕事は嫌だと選ぶ余裕なんてありませんしね。
私が一家の主ですし、二人の子供を養わなければならないのですよ」
彼女は修了証書を手にすると、それを持って翌日から働くと言っていた。

私は何も言えなかった・・・。

彼女は講義の休憩時間になると喫煙所に飛んでいき、そこでタバコをプカプカ。
タバコをうまそうに吸う。

そんな彼女がどんな施設で働くか、気になったが聞かなかった。
ひょっとしたら職場環境や給与待遇も恵まれていない施設かもしれない。
でも、どんな場所であろうと、彼女は自分の意志で就職先を決め、
新しい職場に夢と希望を託して懸命に生き抜こうとしている。
彼女には彼女の人生があり、夢や希望があるはずだ。
彼女が懸命に頑張っていることは事実。
彼女の頑張っている人生に、私が横から口を挟んではならない・・・そんな気がした。
彼女の生き方を否定したり批評するのは失礼だと思った。

彼女に負けないように自分も頑張ろう。
何かを感じたならば自分も行動すればいいだけだ。
他人の生き方を、さも悟ったかのような顔して語ってはならないことを学んだ。
人の生き方や価値観を否定したり批評したりすることは、その人を傷つけることと同じ。
それが人を想いやる心であり、人としての大切な礼儀だと。
これも介護の精神で学んだことだ。


その日の帰り、歩きながら川村さんが打ち明けた。
「いやあ、今日はまいりました・・・吉田さんが言うのが確かですよね。みんなが
頑張ろうとしている気持ちは十分に分かっているのに・・・恥ずかしかったですよ。
『みんなのヤル気をそぐような発言はしないで下さい』って・・・あの一言は効きましたよ。
もうすぐ実習で現場に出ると思うと、やっぱり不安になりますよ。中島さんは大丈夫?」

「うーん、不安がないと言えば嘘になりますよ。今日の排泄の実習・・・たしかに
現場で自分が実際にやるとなれば、ちゃんと出来るかなと不安になったりもしますが・・・
たぶん、それを乗り越えたときに、人間として一皮向けると思いますよ。
目からウロコというか・・・自信につながるとやないでしょうかね。あはは、
もう怖いものはないとね」
「そうかもね・・・」

川村さんだけでなく私も不安はある。
介護の世界を知れば知るほど大変な仕事であり、人間としての高い志がなければ
出来ない仕事であることが分かってきた。
同時に、思っていた以上に人に喜んでもらえる仕事であることも分かってきた。

喜びと不安・・・これが正直な気持ちだ。
吉田さんの言葉に私もガツンと一撃をくらわされた。

「川村さん、男と女って、どっちが意気地なしだと思いますか?」
「うーん・・・男のほうが意気地なしだと思うよ。男は人の出世や成功を妬む気持ちが強いし、
男は自分に意気地がないのを理屈をこねて正当化しようとするけど、女性は思いついたら
行動だもんね。なぜ介護や看護の世界が今まで女性によって支えられてきたのが、改めて
分かったよ。ここでは理論理屈でなくハートと度胸だね。やっぱり女性は偉大だよ」

私は川村さんの言葉に素直な気持ちでうなずいた。

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めぐむさん、私も間違えてました。コルセットでなく腰痛防止ベルトですね(笑)でもズボンの上からですが、講習で私もオムツもはいてみました・・・目からウロコでしたよ。介護を受ける人の気持ちが分かりました。だからこそさりげなく手際よく処理しなければならないのですね。こちらが恥ずかしがることは相手に失礼なことですね。なるほど・・・実感です。

2009/4/29(水) 午後 11:38 Fight

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物事を頭で考えたり計算することも大切ですが、実際に体験してみなければわからないことのほうが多いと思います。これからの道のりはまだまだ長いです!がんばってください!!

2009/4/30(木) 午前 2:21 れいん

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頭でかんがえるよりやはりやらないとだめですね。がんばっている様子がわかります。

2009/4/30(木) 午前 6:03 park090623

私もヘルパーの資格ありますそして少しの間、有料老人ホームで働きました。


仕事だと思うと大丈夫ですよ


私はお年寄りとコミュニケーションとるのが好きでしたから、楽しかったです。←楽しかったのは、お年寄りとのふれあいという部分です。


もちろん、仕事は生易しいものではありません。

直接、命に関わっているから。


でも、ここまできたら案ずるより産むが易しですよ

2009/4/30(木) 午前 7:05 ☆いとしの☆フィート

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記事を読んでいまして、ふと思いました。見当違いのことかもしれませんが・・・。
介護って、子育てににているのかもしれないなぁって。
育てる母親の心境の境地にいくことで、介護される人の心に添うことができるのかもしれないって。
私に介護の経験はありません。父親が癌の手術をした後の病院で付き添いをした時のことを思い出しました。排出物の処理も、私はできることがうれしかったのですが、父は恥ずかしそうにしていた事を思い出します。

2009/4/30(木) 午後 1:03 Kayomi

kayomiさんのおっしゃる通り、子育てに似てるかもしれません。>>私は育てたことはないのですが^^;
最初は不安が私も続きました。
慣れるまで時間がかかったように思います。
川村さんの発言は素直だと思いますよん^^
就職すると繰り返し繰り返しなので、大きな心配はいりません。
ただ、私は『利用者さんの命を預かってる』と思って取り組んでました。

2009/4/30(木) 午後 6:06 [ めぐむさん ]

「何かを感じたならば自分も行動すればいいだけだ」、なるほど。「何かを感じた」ら、「行動」する、ですねぇ。分かりました。学ばせていただきます。

2009/5/1(金) 午前 9:57 Mine

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出会いによって、いろんなことを学びますね。元気や勇気、自分の愚かさや小ささ・・・いろんなことを教えられます。心で何かを感じたら自分も行動してみよう・・・それが人間の生きる原動力かもしれませんね。

2009/5/1(金) 午後 9:45 Fight

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寝たきりの父が我家に来たときに、私より先に二十歳過ぎの息子が父のオムツを変えてくれました。

息子に負けた!と思いました。
汚いというより父にオムツを替えることがちょっと気後れするというか・・・

考えるより行動ですね。

2009/5/3(日) 午後 10:28 kyoko3723

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kyoko3723さん、みなさんがおっしゃるように子育ての経験があるかたは、子供のオムツを交換したりした時の経験が生きてくるのかも。もちろん経験したことのない女性の方もおられるかと思いますが、それでも母性本能が働くのかも。私も子供が小さい時、オムツを替えたり、子育てを手伝ったつもりですが、仕事にかこつけてほとんどは妻任せでした。反省しています。父が倒れてから介護の必要性を考えるようになりました。まだまだ意識も行動も伴っていません。すべてこれからだと考えていますが、まずは現場に入って頑張るつもりです。
みなさんのご意見をお聞きし、なるほどと気づかされることしきりです。ありがとうございます。

2009/5/4(月) 午後 4:42 Fight


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