『いつか春が』執筆日記

波乱に満ちた人生。夢に向かって挑戦する男のドキュメントストーリー。

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最近はパソコンを開くと「求人」や「ハローワーク」のサイトばかり見ていました。
ため息をつきながら「おお、これはいいかも」と希望に胸をふくらませて応募
するものの『不採用』・・・・なんてこったい!
実際に経験して学んだことは35歳以上から40代が『中年』、50歳以上は『高齢者』。
これが企業側の考えみたいです。なるほど自分は来年は高齢者か。

高校時代の友人から電話があり「仕事してみないか?」と。
彼は心配して僕のために仕事を見つけてきてくれたのです。
ライターとして取材して文章を書くという仕事です。今までこんなふうに声を
かけられたことがなかったので正直嬉しかったですよ。
「お前はサラリーマンには向かないかも。それよりもフリーのライターとして
頑張ったらどう」・・・・僕のことを知っている人たちは皆言います。
「あんたはサラリーマンには向かない」と(笑)

そうかなぁ・・・・裁判が終わってすぐに起業しようと一人で営業を開始したものの
門前払いの連続で挫折。畑違いの業界に一人で飛び込んだものの、信用がないし
実績もない。おまけに資金もない。あるのは夢と希望と情熱だけでした。
以前、下請けで文章書きの仕事をしていましたが、名前は一切出さず黒子として
せっせと原稿を書いて裁判を闘ってきました。自分の本の執筆をしている間に
その会社が事業を縮小したので、本を出版した後は戻る場所もなくなり、今回の
就職活動となったわけです。

サラリーマンには向かない・・・・ペンで頑張ってみようか。
そんな想いも膨らんできました。迷いながら歩き続けています(苦笑)
僕にとって「いつか春が」はまだ終わっていません。

そんな中で久しぶりに自分の名前を検索してみました。
もともとやっていた「まちづくり」に関する情報はチラホラと今も残っていますが、
今は本や冤罪に関する情報ばかり。
その中で新しい書評に関する記事を見つけましたのでここに載せておきます。↓


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のんちゃん さんおすすめの本
「いつか春が」
著: 副島健一郎
この本をお勧めする理由

新聞で本の紹介がされていたので「あぁ〜あの事件ね」と買ってみましたが
一気に読み終えてしまいました。

当初はノンフィクションの事件物と思っていましたが、これは見事に期待を
裏切る(いい意味で)「泣ける本」でした。
裁判で父の無実を証明するために必死で闘う著者の揺れ動く心の葛藤や勇気
が行間ににじみ、胸が熱くなり涙がとまりませんでした。前半は冤罪事件で
無実の人がどうやって犯人にされていくのかが著者の迫力あるタッチで描か
れておりグイグイと引き込まれてゆきましたが、特に取調べの場面や法廷で
の対決シーンは余りにもリアルで衝撃でした。

中盤からは劇的に裁判の流れが変わり、家族の反撃、そしてラストの判決シ
ーンまでは涙、涙、涙の連続でした。

そこには家族の絆が繊細に描かれており、この本は冤罪事件の実態や家族の
苦悩だけでなく、感動と勇気を与えてくれる本でした。

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久しぶりにブログを更新します。
更新しようと思いながらも、今の自分の心情を伝える言葉が浮かびませんでした。
多くの方々からご心配や励ましの言葉を頂き、「今の状況から抜け出せた時に
近況を伝えよう」と思って奮闘していました。

冤罪シンポジウムを11月に開催する予定でしたが、当初告知に協力してくれる
予定だった団体が協力できないということで断念、中止になりました。
「冤罪」という言葉の重さに普通の人は引いてしまう・・・これが現実でしょうか。

交通事故の一件はやっと片付き、今月やっと車を購入しました。
事故現場は今も通るのが怖くて遠回りしています。

さて、七年間におよぶ裁判が終わり、今度は自分の新しい人生を歩もうと決意。
裁判の間は常に恐怖と不安の緊張の毎日でした。ストレス障害による体に激痛が
走り夜も眠れない日々を過ごし、いろんな出来事がありすぎて誰を信じていいのか
分からなくなり、人と話すのが苦痛になり長い間うつ状態に苦しんでいました。
事件の舞台となった自分のふるさとに近づくだけで今でも胸が苦しくなり気持ちが
沈んでしまいます。いつも人目を避けて行動していたので未だに誰かと会うのではと
ドキドキして緊張してしまいます。これがトラウマというものでしょうか。

本の中で綴ったのは七年間におよぶ裁判のうちの三年分の出来事です。
無実が正式に確定するまでのあとの四年間、そしてその後にもいろんな出来事があり
ましたが苦しくて書けませんでした。全てをさらけだす・・・無理ですね。
家族にも言えない自分の中の心の闇。
信じていた人たちが目の前で平気で嘘をつく場面や、検察のなりふりかまわぬ証拠の
隠ぺいや捏造、権力による圧力・・・・それと平行して起きたプライベートな悲劇。
苦しみをともにした家族にも言えないことを、ましてや他人には話せません。
人間は本当に苦しい時は、誰にも心を開けなくなってしまうことを知りました。
裁判が終わったから「さあ、これですべてが終わった。これから頑張るぞ」と
気持ちの切り替えが出来ればいいのですが、未だに多くのことを引きずっていますね。

誰からも謝罪がないままですし、事件の真実が知りたいという願いは叶わないままです。
誰も真実を語ろうとしません。テレビで犯罪被害者の方々が事件から何年も経過しても
真実が知りたいと訴える気持ちが分かります。事件や事故は人の人生を狂わせてしまいます。
だからこそ自分の人生がなぜ狂ったのか、その原因となった事件や事故の真相を知りたいのです。
心に負った傷は一生消えないと思います。時間が解決してくれると言いますが、完全に
消えることなどないでしょう。一度狂った人生の歯車を元に戻そうとしても簡単には
戻せません。

ふとした瞬間に今でも忌まわしい場面や言葉が蘇ります。誰かに胸のうちを話したいけれど
「話してもこの苦しみは他人には理解してもらえない。経験した者にしか分からない」という
ドラマの台詞を聞くたびに「そうだ、たしかにそうだ」とうなずいてしまいます。

冤罪事件は無実を証明したら、めでたしとはいきません。何の謝罪や補償もないし、失った
信用の回復や社会復帰のフォローも一切ありません。すべて自分たちでやらなければなりません。
裁判に費やした長いブランクを埋めて社会復帰して、穏やかな安定した普通の生活を
取り戻せた時に、初めて冤罪事件に対しての気持ちの切りがつくのかも知れません。
私は遠回りした人生を早く追いつこうと焦り、まるで世間から置いてけぼりをくらった
ような気持ちになっていました。それに加えて真実が分からないまま放置された無念さや悔しさを
胸にしまいこんだまま・・・気持ちの整理がつかないまま、心の傷が癒えないまま本の執筆を
開始して、本が発売されるや今度はすぐさま新しい人生を歩もうと社会復帰をめざして
就職活動を開始。
しかし、最初は今までの実績や経歴ならば何とかなると私自身は世の中を甘く見ていたようです。
応募しても応募しても不採用ばかり。
かれこれ三十社以上に応募して全部断られて、面接にたどりついたのは一社だけ。

その時の面接で言われたのが「あなたの実績や経歴から察すると当社に入れば大きなギャップを
感じてしまうと思いますよ。現場のレベルや仕事の内容、処遇に対して今までと違いすぎますからね。
それでもいいですか?」
拳を握りしめながら私は言いました。「はい、分かっています。
ゼロから頑張る覚悟ですので」・・・・事件や裁判のことは言いませんでしたが「あなたは今まで
訴訟に関わったりしていませんね?」思わず心臓が飛び出しそうになった。
ここで正直に話しておくべきか・・・迷ったあげく私は言いました。
「いいえ、ありません」
入社したら十時間半の勤務で試用期間は一年。その間は一日5000円の計算で月給として給料が
支払われ年間休日は72日だけ。有給もボーナスもなし。しかも12階層別の一番下からのスタート。
こんな条件でも仕方ないと思ったが、結局不採用。

応募しても応募しても「若年層の育成上申し訳ありませんが今回は不採用」か「35歳までを
希望しています」と断られての連続。それでハローワークに通い始めましたが、直後に
大不況が押し寄せて今は嵐の真っ只中。正社員の求人数も激減です。相談員は「この経歴や
実績がありながらなぜ求職するのですか?」と不審がられ、事件のことを正直に話したら
担当者は泣き出してしまいました。

「さぞかし無念でしょうね。私も応援しますよ。でも、あなたの年齢では今の厳しい状況では
簡単にはいきません。でも、みなさんも同じです。過去の経歴や実績が企業側から逆に
「使いづらい」と思われているのかもかもしれないし、なぜ求職をと不審がられますよ。
あまり詳しくは書かないほうがいいかも・・・」

事件や裁判のことは自分からは言わないほうがいいとアドバイスされて、それは納得しましたが、
今まで自分が一生懸命に頑張ってきた仕事の足跡でさえも、逆に「(理論で考える)使いづらい
人物」と誤解されてしまう現実。今まで頑張ってきた自分の人生そのものが否定されるような
悲しみでした。自分は何をしてきたのだろうと自信をなくし、次々と届く不採用通知を見て
「やはり正社員は無理かな」と弱気になったり。

不採用の通知が届くたびに落ち込んだりしますが、それでもまだ人生をあきらめたくない。
頑張ればきっと道は開ける・・・そう信じたいですね。
あきらめるのも自分、まだまだと歩き続けるのも自分です。

今の状況から抜け出して普通の穏やかな生活に戻りたいと願うだけです。
裁判の苦しさに比べたらこんな苦しさなんて屁のツッパリにもなりませんからね(笑)
そうは言うものの実際問題として正社員だけにこだわらずにアルバイトでも仕方ない。
そんな経験や想いを執筆にぶつけよう。
まだまだ人生修行は続きます。過去は捨てても胸を張って歩こう。

楽しさや懐かしい話題で盛り上がる輪の中には今は入っていけない・・・居場所がないような
気がして辛くなります。自分が楽しいことを語れないからなのかもしれません。
今年もクリスマスも忘年会も無縁の生活ですが、いつか社会復帰して普通の生活に戻れたら
酒をあびるほど飲んで騒ぎたいですね(笑)
楽しみはそれまでおあずけです。

父の無実を証明するという目標がなくなり、本を出版するという夢を実現して、あとは
社会復帰するだけです。今は希望の光は見えないけれど、いつまでも今の状況が続くわけでは
ないし、あきらめない限り必ず道はひらけるはずです。
人生のレールを一度外れてしまったけれど、がんばって新しいレールを走れるように頑張りますよ。
今は本当の意味で自分を見つめなおさなければ前に進めないようです。
過去のプライドや見栄を捨てて、それをバネして頑張れば新しい人生に出会えるかも知れません。

不況の嵐が吹き荒れる中で新しい人生のスタートを切ろうとしている自分。
こうゆう時こそ燃えないとですね。

がんばります!今度も人生の決断の時です。
※皆様からのコメントや励ましの言葉に感謝しています。
全部目を通させて頂いておりますが、今はまだ返事の言葉が浮かばない
ことが多くて申し訳ありません。落ち着いたらまた書いていきますので、
よろしくお願い申し上げます。なんとか前に進もうと頑張っています。
まだまだ、人生をあきらめていません。必ず社会復帰しますよ。

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「副島さん、お久しぶりです。本を読ませていただきましたよ。
もうビックリですよ!」
Yさんからの電話は興奮していた。
「ふだんは本を読むときは何日もかけて読むけれど、この本は
一晩で読んでしまいましたよ。さっき読み終えたばかりで、とにかく
居ても立ってもいられなくなり電話しました」

Yさんと私はかつて一緒に挑戦した仲間だ。
Yさんと私の出会いは今から12年前だった。

Yさんは離婚後、子供を育てながら苦労を重ねてクリーニンゲ店を大きくして
いった頑張り屋の女性だった。当時、Yさんは女性経営者同士の新しい交流の
ネットワークを作りたいという夢を実現させたくて、いろんな人に相談して
いたが「それは無理だよ」と断られ続けていた。

私の恩師が福岡市主催の「博多商人塾」の講師をつとめていたことから、研修に
参加したYさんらが恩師に相談して「よし、じゃあうちの副島君に手伝って
もらえるように私からも言うよ」と。

店の経営や家事、子育てにと頑張っている、九州のおかみさん同士の
新しいネットワークを作りたいというのが彼女らグループの夢だった。
そのスタートとして九州のおかみさんたちを博多に集めてイベントを開催したい。
でも、何から始めていいのかわからない。活動資金もなく予算はゼロ。
しかもメンバーは全員素人のおかみさん。
それなのに博多駅前の大きなホテルのメイン会場を貸し切って、九州一円
からおかみさんを集めて交流イベントを開催するという無謀な計画だった。
準備期間は半年。それを私にプロデュースしてほしいと。
しかもボランティアでノーギャラ。
誰もが断るのは当然だった。

恩師からの頼みでもあったし、私は彼女らの熱意にほだされて引き受けた。
こうして16名おかみさん有志と私の奮闘が始まった。
Yさんたちの女性グループとは、福岡市内の商店街で店を切り盛りする「おか
みさん」たちだった。当時、私は三十代半ばを過ぎ、彼女らは五十代
半ばを過ぎていた。おかみさんたち十数名の中に男性は私一人。
奇妙な組み合わせだった。

お互いに仕事があったので、仕事を終えた夜の九時くらいから毎晩のように
私の事務所に集まり深夜まで話し合いは続き、準備に取りかかった。
しかし、メンバーは素人で作業はいっこうに進まず、互いの意見はたびたび衝突し
焦りと苛立ちを感じながら刻々と時間が過ぎていった。みんな苦しかった。

何とか計画を練り上げて参加者の募集を開始したものの、開催まであと一ヶ月に
迫った段階で、三百名の予定に対して参加者はまだ数名。市や県が後援に協力して
くれたが補助金もなく、すべて自分たちでやらなければならない。
それなのに「店が忙しくて知り合いなどに声をかける時間がなくて・・・」と。
このままでは開催は無理だ。私は全員を集めて最終確認をした。

「ここで決めましょう。やるかやらないかを。私は皆さんの熱意に感動して
お手伝いをしてきましたが、私は黒子です。主役はあなたがたおかみさんです。
私はあなたがたの夢を実現させようと、今日まで本気で取り組んできました。
あなたがたが本気で燃えてくれなければ無理です。このままでは会場費さえも
捻出できないし大赤字ですよ。やめるならば今しかありません。どうしますか」
「・・・・・・」
おかみさんたちは黙り込んだ。
16名いたメンバーも今では10名になっていた。

「今頑張らなくていつ頑張るのですか・・・今頑張らなかったらきっと後悔しますよ」

この日を境におかみさんたちの目の色が変わった。
ラストの1ヶ月は全員が燃えた。
イベント当日、会場は熱気に包まれていた。九州各地から参加したおかみさんたちで
会場は埋め尽くされ、通産省や県、市のお偉いさんたちの挨拶から始まり、女子マラ
ソンの有森裕子さんのお母さんが広島から駆けつけてくれて基調講演をしてくれた。
私は会場の片隅で盛大に繰り広げられるイベントの様子を眺めていた。
この出来事は新たなムーブメントとして、マスコミ各社が取り上げて大成功に終わった。

あれから十二年・・・・いつしか連絡が途絶えていった。

Yさんは噂で私の本のことを知り、近くの書店で購入したという。
読み終えた後、知人にも本を薦めたところ「ぜひ本人に会ってみたい」という声が
あがり、Yさんの提案で先日『読者の集い』称した食事会に招かれた。
本を出版したものお祝いなど何もしていないし、素直に嬉しかった。
本を読んで感銘を受けたという方々が十名集まり、私を温かく迎えてくれた。
その中には、かつてのおかみさんメンバーもいた。

「あの頃の副島さんは見るからにボンボンでしたからね」
「そうですか。あれから12年ですか・・・お互いに歳を取りましたね」
ここに集まった方々には今の自分を話した。
冤罪は無罪を勝ち取ればそれで終わりでなく、そこから社会復帰して普通の
生活に戻らなければ、冤罪との闘いは終わったことにならないと、正直な
自分の気持ちを話した。そのために就職活動をしていることも話した。

みんな悩みを抱えながら頑張っている。だからこそ私の本を読み共鳴できるのかも。
自分の悩みを互いに語り合ううちに元気が戻ってきたようで、会場は笑いが響き、
人と人との温かさに包まれた時間が過ぎていった。

帰り際にYさんが言った。
「今は大変でしょうが、副島さんならばきっと乗り越えられると信じています。
私はあの時、副島さんが言った『今頑張らなくていつ頑張るのですか』の言葉で
奮起したのですよ。これからも応援していますよ」

自分でも忘れかけていた言葉だった。

事故の相手が代車を用意してくれた。小さなボロボロの軽自動車で、スピードも
出ないしギヤも入りにくい。走っていると軽自動車からも「早く走れよ」と
後ろからせかされる。示談交渉は今も継続中だが、相手も誠意を持って対応して
くれるという。

就職活動は相変わらずサッパリで連戦連敗の記録を更新している。
ネット上にも登録して企業からのスカウトを待つ準備も出来た。
たとえ採用の募集などしていない企業でも、気になる企業にはこちらから
飛び込んで自分を売り込んでもみようと思う。
断られたらそれはそれで仕方がない。張るだけ頑張って、それでもダメならば
その時考えよう。

あとで後悔したくない。
「今頑張らなくていつ頑張る」
自分の言葉を思い出した。

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今は不定期の更新しかしていないのに、いつも訪問して下さる
みなさん・・・本当にありがとうございます。なかなか返事も
書けなくて申し訳ありません。でもちゃんと読んでいますよ。
あたたかい励ましに感謝しています。
頑張っていますが、落ち着いたらまたいろんなことを書きます。
今はペンが湿っています。


さて、私の著書の中で接見(面会)や独房の様子を描いていますが、
年に一度だけ刑務所の中の様子が一般に公開されます。
先日、父が勾留されていた佐賀少年刑務所の見学会に行って
きました。

普段は敷地内での撮影も禁止されていますが、「撮影していい
ですか?」と職員に尋ねると「禁止という規則はないからいい
んじゃないですか」との返事。この日だけは特別なようでした。
塀の中は撮影は禁止です。コンクリートの塀の中へは予め見学
希望の手続きをすませて、カメラなどの私物はロッカーに預けて
40人づつくらいがゾロゾロと一列になって中へ入っていきました。
列の前と後ろには職員がつき、各作業場で説明がなされて次へ
次へと歩いていく約30分の見学ツアーでした。

清潔で広々とした作業場。運動場も少し見えましたが、とにかく
広い、広い。まるで工業団地の中を見学しているような感じでし
た。高い塀の内側の上部には針金みたいな線が張り巡らされており
センサーだそうです。普段は静かな佐賀少年刑務所で、少年という
名称がついていますが、実際は三十代までが3割。あとの七割は
四十代から七十歳くらいまでの受刑者および未決囚(拘置所に勾留
されている容疑者や被告)。未成年者は2〜3名。

七十歳を超えていた父は、ここではやはり最高齢だったようです。
そんな父を敷地内のどこかにある取調室で、あの検事は拷問的な
取調べ行ったのだ・・・ここの静けさから察すると、検事の怒声や
机を叩きつける音は、かなり周囲にも響き渡っていたはずです。
職員や受刑者の耳にも聞こえていたはずだろうなと思いながら
塀の中を歩いていました。

拘置所は同じ敷地内にありますが、さらに別のコンクリートの塀で
仕切られているようで、どこにあるのかさえ分かりませんでした。
受刑者用の作業場を案内してもらいましたが、ここでは木工製品や
墓石などが生産されていました。きれいに整頓された作業場は、
工場そのもの。もちろんこの日は誰も居ないガランとした光景
でしたが、平日は各作業場で七百人以上の人たちが働いているそう
です。刑務所はどこも収容人員をオーバーしており、ここも昨年は
120%だったけれど、今は改善されて110%だそうです。

写真の説明をします。
最初の写真は接見の順番を待つ「待合室」。ここで自分の番号が
呼ばれるのを静かに待ちます。なんともいえない空気が漂っています。
番号が呼ばれたら金属探知機を通って接見場へと向かうのです。
携帯電話や貴金属は待合室にはロッカーに預けてですね。

接見場となる建物に向かう途中に「差入窓口」があります。
ここの小さな窓越しに差入れの衣類や本などを差入れするのです。
窓に張られた規則には、紐のついた衣類やベルトは禁止と書かれて
います。自殺防止のためです。

実際の独房を再現したモデルルーム?が公開されていました。
畳部分は二畳半。あと一畳分くらいのスペースにトイレや洗面台が
設置されており、やはりかなり狭いですね。ここでは二段ベッドが
設置されていましたが、受刑者の場合は今はすし詰め状態で、この
狭い空間で二人で生活するそうです。拘置所の場合は一人です。
受刑者の場合はテレビが見れるのでテレビ台がついています。
テレビは服役態度の評価などによって見る時間や曜日が決められ、
なにか問題をおかしたらテレビは禁止となるそうです。
気が合わない者同士が三畳の独房で一緒に生活すると、ストレスが
たまって大変なようです。

拘置所の独房にはテレビがありません。誰とも
会話をしないまま一日中この狭い空間に勾留されるのです。
正座か胡坐の姿勢で朝から夜の六時ま小さな机の前に座って、
じっとしていなければならないそうです。するとだんだん
精神的にまいってきて精神状態がおかしくなり、ひどくなると
自殺を考えたりするわけです。
家族とも会えない、誰とも会話もできない状態で一日中壁に
向かって座っている・・・気が狂いそうになほど孤独と不安になり、
精神的におかしくなってしまうそうです。取調室でも精神的に
追いつめられ、独房でも精神的に追いつめられる。
だから、苦しさのあまり、やってもいない罪を自白させられて
しまう・・・。父もこんな狭い独房で苦しい拘留生活を強いられて
いたのかと思うと、モデルルームを見て悲しくなりました。

食事は一日2400キロカロリー。意外と見栄えがいい食事で驚きま
した。すべて受刑者の人たちが朝の五時半から800人以上の食事を
作るそうです。麦三割、コメ七割・・・これが俗に言う「くさいメシ」。
起床は朝の六時半。食事は七時から10分くらいで食べなければ
ならなくて朝はバタバタと忙しいそうです。

拘置所での生活は本ではこのように描いています。
  ↓
連載3話★涙の再会…「接見室」
    http://blogs.yahoo.co.jp/rainrain1192/12467918.html
 
連載6話★「15分間の幸福」…父への手紙
    http://blogs.yahoo.co.jp/rainrain1192/12660178.html

連載8話★「さっ、家に帰ろう」…保釈の瞬間
    http://blogs.yahoo.co.jp/rainrain1192/12792958.html



説明をしてくださった職員のかたに「テレビや本で見ましたが、
佐賀市農協背任事件のあの取調べはここで行われたのですよね」と
尋ねてみました。職員は驚いたような困惑したような表情で
「さあ、私は何も知りません・・・」と一言。
「聞いたことないのですか」
「さあ・・・」
父はここの刑務官には良くしてもらったと言っていました。
刑務官たちの礼儀正しい対応が嬉しかったと。

私は父が逮捕されて勾留されて、どのような生活を強いられていたのか
ずっと気になっていました。初めて見た独房の様子・・・なぜこんな独房に
勾留されなければならなかったのか。無実なのにこの敷地内のどこかで
すっ裸にされて写真を撮られて、取調室では検事に殺されると思うくらいの
拷問的な取調べを受けて心身ともにボロボロにされた。
それでも必死に闘って無実を証明したけれど誰からも謝罪もないし、
あとは知らんぷり。

いったい何だったのだろう・・・。

複雑な心境で佐賀少年刑務所を後にしました。
 
     「続・いつか春が」

第12話 聞き込みリスト

健一郎の携帯電話の着信音が響いた。
健一郎は誰からだろうと画面を覗き込むと困惑の表情を浮か
べた。
電話の相手は某役所の担当者からだった。
「副島さん、今度うち(役所)へいつ見えられますか。この
プロジェクトは今までにない事業ですし、私たちも楽しみに
していますよ」
先日、健一郎は裁判に専念するために、このプロジェクトを
自分から降ろさせてもらった。
担当していた役所には、そのことがまだ伝えられていないよう
だった。

健一郎は自分が仕事を途中で放り出したことで、事務局だけでなく
役所の担当者にも迷惑をかけていることが分かり胸が痛んだ。
「○○さん、じつはですね・・・」
健一郎は裁判のことを話そうかと思い、「裁判」という言葉が喉まで
出かかったが話すのをやめた。
どうせ理解してもらえないだろうし、自分を選んでくれた事務局に
これ以上迷惑をかけてはならないと思った。

「申し訳ありません。じつは、今度いつ行けるかまだ計画が決まって
いないのですよ。申し訳ありませんが事務局に聞いてみて下さい」
健一郎は拳を握りしめながら、感情を押し殺して素っ気なく答えた。
「そうですか、分かりました。でも楽しみですよ。これからも
アドバイスをお願いしますね」
「そうですか・・・。分かりました」
役所の担当者が自分を必要としてくれていることが嬉しかったが、
心苦しさと申し訳ない気持ちで何も言えなかった。

健一郎は再び裁判という闘いの世界に引き戻されていく現実が悔し
かった。せっかく三年ぶりに自分のフィールドに戻ることが出来た。
しかも、知事の肝いりでスタートした重要なプロジェクトの一員に
選出されて、何としてでもこのプロジェクトを成功させようと燃えて
いた。
健一郎はこの三ヶ月あまり、空白の三年間という時間を埋めるかの
ように仕事に没頭していた。せっかくのチャンスを途中で投げ出す
結果になり、健一郎にとっては後ろ髪を引かれるような想いで悔し
かった。
「検察が一審に続き、今度もこんなでたらめなことをしなければ、
俺だってこの仕事を続けることができたのに・・・」

健一郎は年老いた両親のことを思うと、やはり裁判という闘いの場に
戻るしかなかった。

控訴審裁判の初公判に向けて、健一郎、勘三、静子の三人は、福岡
高検が出してきた裁判資料の内容を慎重に確認していく日々が続いた。
同時に私たちは検察の動きを探るために、検察に関する情報収集を
誰にも気づかれないように開始した。

佐賀地裁での一審無罪判決の直後から、検察の動きがおかしいとの
情報は既につかんでいた。融資に関係した当時の理事や職員が再び
次々と検察庁に呼び出されて事情聴取を受けているという噂を耳に
していた。
検察が判決に事実誤認があるとして、最初はいったい何を調べている
のか分からなかったが、趣意書の内容を見てアリバイを調べている
ことが分かった。
今回、無罪判決の後に検察から取調べを受けたとして、名前があがった
関係者の数は既に五十名近くにのぼっていた。
しかも、関係者への取調べは今も続いているようだった。
逮捕から三年、検察は無罪判決を受けて初めて勘三の当日のアリバイ
捜査を開始した。

「あなた、検察はやはり八年前のあなたのアリバイを調べている
みたいね」
「ああ、そがんのごたるな。趣意書でも検察は俺のアリバイは嘘だと
書いているし、ほんなこと頭にくるばい。まったく、どっちが嘘を
ついているとか」

趣意書を読めば読むほど、私たちは検察への怒りがこみ上げてきた。
「お父さん、お母さん。とにかく検察の嘘を暴かんと大変なことに
なるよ。判決がひっくり返されてしまうよ。このままではどうする
こともできないし、取調べを受けた人たちに話を聞いてみよう」

健一郎は冷静だった。
この三年の間に息子は探偵顔負けの証拠や証人探しの方法を身に
つけていた。
「これが今回、検察に取調べを受けたと思われる人のリストばってん、
よく見て。まず最初にこちらに協力してくれる可能性が高い人に印を
つけてよ。その人たちから聞き込みを開始するよ」
息子はいつのまに作ったのか、既に関係者のリストを作っていた。

「お父さん、この人はどうね。協力してくれるやろうか」
健一郎はリストに書き込まれた一人一人を
「うーん・・・彼は事件を仕組んだ告発グループのメンバーと裏でつながっ
ているかも知れん。接触をはかるのは危なかばい」
「じゃあ、この人はどうね」
「ダメダメ、検察に協力して嘘の証言ばしとる。危なかばい」
慎重に聞き込み対象者を絞り込んでいく息子と夫。
私たちの検察との控訴審の闘いは、こうして始まった。

                つづく

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

久しぶりのブログの更新です。
交通事故のあと疲れがたまり体調がすぐれませんでしたが、それでも
破損した車を整備工場へ運んだり、私のほうの保険会社と連絡を取ったり
していましたが、あとは保険会社に任せるしかありません。
車の事故のほうは、相手側が保険がないので代車も自己負担となるとのことで
今は車がない状態です。本当に不便ですね。

某ラジオ局の記者から取材の依頼がありました。
本を読んだとのことで、冤罪が家族の人生や人権にどんな影響を及ぼすのか
取材したいとのことです。
事前に電話での取材がありました。
「無罪判決のあと周囲はどう変わりましたか」
「別に何も変わりません」
「良かったねとお祝いの連絡が殺到したのでしょう?」
「私自身には特に何も。数名から電話がありましたが静かでしたよ。私が裁判に
ここまで関わっていたことは誰にも話していませんでしたからね」
「なぜですか?」
「罠を仕組んだ連中がそのままだったし、何をするか分からないので危険でした
からね。それに検察もどんな圧力をかけてくるのか分からなかったので、他の人を
巻き込むわけにもいきませんし、誰にも気づかれないように秘密裏に証拠探しや
証人探しの調査をしていました」
「そこまでしてですか・・・」
「皆さんは権力の怖さを知らないからですよ。恐怖でしたよ。黒でも白にして
しまう権力の恐ろしさ・・・どんな危険があるのか分からなかったし。だから誰にも
言わずに単独で秘密裏に行動していました」

記者は驚いているようだったが、権力と闘うことは恐怖であり、人生をかけて
闘う覚悟がなければ権力と闘うことなどできません。それに権力との闘いに
人権など存在しません。権力で人権を奪うことで、黒を白にしてしまうことが
できるのです。
「副島さんにとって人権とは何でしょうか」
「人間として普通の暮らしができる権利・・・それが人権ではないでしょうか。
人権が踏みにじられると偏見や差別が生まれ、孤独と人間不信だけが膨らんで
いきます。誰を信じていいのか分からなくなりますよ」
こんな感じで記者との電話越しの会話が続きましたが、続きは今日の午後
直接に記者と会って話すことになりました。

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