|
第22話 なすがままに 「求職男」〜再就職への道〜
私の50歳からの新しい挑戦。いよいよ来週からヘルパー養成講座に通う。 この新たな決意の裏側に、心の奥に閉まっていた過去の想い出が蘇る。 駐車場の隅の一本の桜。 見上げると、すでに花びらは散り若葉が色づき始めている。 この桜の下で、私は仲間に別れを告げた。 平成十三年三月、父が逮捕されたニュースが広まるや、キャンセルが相次ぎ 仕事がなくなり、スケジュールボードはすべて空白になった。 その年の六月十九日、博多駅近くに構えていた事務所を引き払い、市内はずれの 安アパートに事務所を引っ越した。 引越当日、荷物を部屋の中に運び込む作業を終えると、この樹の下に仲間を集めた。 「みんな、今日はありがとうございます。いろいろ考えた末、今のままでは 仕事のメドも立たないし・・・それで事務所をここに移しました。俺は親父の無実を 証明するために検察と闘います」 うなだれたままの六人。 「今まで一緒に頑張ってもらったけれど・・・この先どうなるのか、俺にも分かりません。 申し訳ないけど、これからはお互いに別々の道を歩いてもらいたいと思います。 今まで本当にありがとう」 私は断腸の思いで仲間に『解散』を告げた。 予期していた言葉だったのか、全員下を向いたままだった。 「ありがとう、元気でね」 仲間全員の顔を見たのは、この日が最後だった。 私はこの日を境に世間から姿を消した。 八月から夜の工事現場に立ち、昼間は父の無実を証明するための事件の調査。 翌年の三月、北九州の役所からまちづくりの講師の依頼が舞い込んだ。 役所の担当者は、幸いに父の事件のことは知らなかった。 私は以前の仲間だった小林さんに、この仕事を手伝ってくれないかと連絡した。 小林さんは私と同年代で多彩な資格と才能を持つ女性だった。 しかし、小林さんは既に別の会社で働いていた。 「うわー!ホント?よかったね。いいよ、手伝うよ」 「今の仕事はどうするの?大丈夫?」 「大丈夫、大丈夫。何とかするよ」 こうして小林さんを加え、北九州某地区の活性化事業がスタートした。 私は三つの仕事を掛け持ちした。夜の工事現場での警備の仕事、休みの日を利用した 北九州での講師の仕事、昼間の事件の調査。 「そんなことしても無駄。何も変わらんよ」 「自分は忙しいので出来ん。他の人にやってもらえばいい」 やる前から無理だとあきらめている人。 屁理屈や言い訳ばかりが飛び出す。 「なぜ変わろうとしないのですか!変えたいならば、まず自分を変えなければ 一歩も前に進めませんよ!」 なかなか地元住民の意識が変わらず作業は難航した。 どうしたら住民の意識を変えることが出来るのか、私と小林さんと役所の担当者とで 何度も協議を重ねた。まちづくりは人づくりと言われる。その壁にぶつかった。 ある日、会議が終わった後、彼女が私を呼び止めた。 「何とかこの仕事を成功させて、中島さんにはもう一度カムバックしてほしいのよ。 主人も『何があろうと俺たちは中島さんを応援してやろうじゃないか』と話しているんよ。 だから頑張ってね」 工事現場で働く俺を今も応援してくれる人がいる。 「・・・ありがとう。この事業を成功させて、親父の無実も証明して。そしたらもう一度 会社を再開させるよ。そん時はさ、また一緒に仕事しよう。また以前のようにワイワイ 頑張ろうね」 「あはは、うん、また頑張ろう。期待しているよ」 夏、事業が計画の半ばを過ぎ、その日も打ち合わせが始まったが、小林さんは 最後まで姿を現さなかった。 「小林さんに何度連絡してもつながらないのですよ。変ですね、彼女が無断で 休むなんて今までなかったけれど・・・何かあったのでしょうか」 私が口にした不安は的中した。 小林さんのご主人からの電話だった。 受話器の向こうにご主人の動転した声が響いた。 「家内が倒れて・・・くも膜下出血で。緊急手術が行われましたが、今夜がヤマで・・・」 「・・・・・・」 私は言葉を失った。 彼女は奇跡的に一命を取りとめた。 ご主人の説明では、彼女は過労とストレスが重なり、自宅で脳天を直撃するような 激痛で、一瞬で意識を失い倒れたという。救急車で運ばれ、すぐに頭蓋骨を切り開き 手術が行われたが、病院に運び込まれるのがあと数分遅れていたら助かって いなかっただろうと。その際に神経が絡み合っていたので感情の神経が切断されたという。 今後、後遺症が残るかもしれないが、今は何も分からないという状況だった。 彼女がこれほど無理をしていたことに、私は気づいてあげることができなかった・・・ 心が痛んだ。 二週間ほど経った頃、彼女の面会謝絶がとけた。 ベッドに横たわる彼女は頬がこけ痛々しかった。 私は彼女に何と言葉をかけていいのか分からず立ち尽くした。 小林さんは何か言おうとしているが、記憶が消えて言葉が出ない。 「・・・・・・」 彼女は感情の神経が切れているので、喜びや悲しみの表情もない。目を大きく 見開いたまま、じっと私を見ていた。私が知っている小林さんとは別人だった。 私は思わずベッドの横にひざまずいて彼女に言った。 「悔しさを忘れちゃいかんよ!このまま人生を終わっちゃいかん!必ず元気に ならんといかん。何クソ!と悔しさを忘れちゃいかんよ。元気になったら また一緒に仕事しよう。また一緒に頑張ろう。だから・・・だから、あきらめんで・・・」 涙で声がつまり、それ以上言葉が続かなかった。 小林さんが抜け、彼女の担当も引き受けた私は目が回るほどの忙しさに変わった。 一人で二人分を頑張る・・・出来るだろうか。 私はスーツを脱ぎ捨てて、ジーンズに首にタオルを巻いて、一人で商店街の すみずみを何度も歩いて調査した。私の姿を黙って見つめる商店主たち。 次第に事業に参加している人たちの意識に変化が現れ始めた。 頑張る想いが通じ始めた。 事業のフィナーレを飾る地域イベント当日。 今まで閑散としていた商店街に、大勢の人たちが押し寄せて活気がみなぎった。 地域の活性化は住民の意識が変わることがカギであることを実証できたと思った。 後で分かったが、このとき、小林さんがご主人に付き添われて、車の中から会場内を 走り回る私の姿を見ていたことを知った。 あれから七年・・・。 私は小林さんに介護の世界に進むことを報告した。 「そうね、うん、よかったよ。やっと見つけたね・・・人生は転んでもやり直せるね」 「うん、ありがとう・・・」 (一緒に頑張ろうという約束を果たせなくてゴメン) 再び会社を再開させることは出来なかった・・・。 しかし、別の道を見つけた。 人の心の痛みや優しさ、頑張ることの大切さ・・・いろんなことを教えてもらった。 この経験を新しい人生に活かすんだ。 小林さんは懸命のリハビリを経て、今は自宅で母親を介護している。 あの桜の樹の下で誓ったように、お互いに別々の道を見つけて 新しい人生を歩んでいる。 百キロの道のりを歩いた時、裁判所の門までの道のり・・・ 私はさまざまな想いを背負いながら歩き続けた。 たとえ歩む道は変わっても、あの時の想いは変わらない。 |

- >
- 芸術と人文
- >
- 文学
- >
- ノンフィクション、エッセイ





