『いつか春が』執筆日記

波乱に満ちた人生。夢に向かって挑戦する男のドキュメントストーリー。

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第33話 五分間だけの記憶(前編)「求職男」〜再就職への道〜



実習最終日、今度はデイサービスの施設へと向かった。
「たしかこの辺だけど・・・おかしいな。見当たらない」
地図を頼りに何度も同じ場所を行ったりきたりするが、それらしき
建物は見当たらない。
今度は番地を頼りに探し始めた。

「ええっと・・・あっ、ここだ!」

やっと見つけた。
大きな看板がある施設と思って探していたが、そこはどこにでも
あるような普通の二階建ての民家だった。
表札と間違えるほどの小さな看板が門柱に掲げられていた。
「おはようございます。実習生の中島と申します」
「はーい、どうぞ中に入ってくださーい」
若い女性の声が返ってきた。

普通の家の玄関を開けて廊下を進むと、奥に二十畳ほどの広さの
リビングがあった。
ちょっとした教室みたいなフロアで、テーブルをくっつけると三十人ほどが
座れるようだった。フロアには『童謡』ではなく『昭和歌謡』の音楽が
流れていた。
「童謡を流す施設が多いけれど、うちでは童謡は流しません。みなさんが
親しんだ青春時代の曲をBGMに流しているのですよ。
責任者である二十代半ばの女性がこう説明した。
(なるほど、そうだよな))
前回の施設ではレクレーションの時間に『童謡』を流していたが、僕にはなぜ
童謡を使うのか理解できなかった。ここでの説明には納得した。しかも、
この前の施設ではフロアの真ん中にテレビが置かれ、一日中テレビがつけっぱなし
だったが、ここではテレビは部屋の隅に追いやられ、代わりに音楽が流れていた。
(昔のジャズを流して、リハビリを兼ねて手拍子したり足でリズムをとって
スイングしてもらうのもいいかも。美空ひばりや坂本九、石原裕次郎などの曲も
いいんじゃないかな)

僕はそんなことを考えながら周囲を見渡した。
「驚かれたでしょう。うちはなるべく自宅と同じような雰囲気でくつろげるように、
あえてあまり手を加えていないのですよ」
なるほど、奥には四畳半ほどの畳の小部屋も見える。

「うちは大手と違って、見てのとおりこじんまりとした事業所です。
スタッフ同士も仲がよくて気さくですから、今日は楽しんで、しっかり勉強して
帰ってくださいね、わからないことがあれば何でも聞いてください」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
僕は責任者の言葉に嬉しくなった。

「今日は二十名ほどの方が見えられます。全員認知症の方ですが、みなさん会話は
普通どおりおできになられますが、足が弱ったり耳が遠かったり、そんな方々
ですのでよろしくお願いします」
「今日、見えられる方のそれぞれの症状をもう少し教えて頂けませんか」
この前の施設では事前に何の説明もなかったので、今日はもっと事前に知って
おこうと思った。
「あはは、熱心ですね。いいですよ、これです」
リストを見ながら一人一人の症状を教えてもらい確認していった。

「中島さん、今日の目標は何かありますか?」
「はい、コミュニケーションについて学びたいと思います」
「そうですか、分かりました。もうすぐみなさんがお見えになられます。
見た目には普通の方と同じですが、五分前に話したことが、すぐ忘れられて
しまう方が多いけれど、そこを理解して接してくださいね」

(えっ、五分!五分前の記憶が消える・・・本当だろうか)

そうこうしている間にスタッフが次々と出勤してきた。
「おはようございまーす」
「おはようございます。今日、実習でお世話になります中島です。よろしく
お願いします」

この前の施設は五名のスタッフで同じ二十名ほどの利用者を担当していたが、
ここは七名で担当していた。三十代、四十代の女性もいた。
女性ばかりのスタッフが揃うと、フロアは一気に華やいだ空気になった。
ここでは僕のような中高年の実習生は珍しいそうで、こちらが気にしたが
彼女たちは一向に気にせず「中島さんって、実習生というよりも何だか
存在感そのものが上司って感じですよね」と冗談を言って笑わせた。

一番先に到着されたのが七十代後半の男性。
背筋を伸ばして「みなさん、おはよう」と挨拶しながら椅子に座った。
どう見ても普通の紳士で品があり、どこか気難しそうな雰囲気を漂わせていた。
「あの方は元司法関係のお仕事をされていたんですよ。みなさんと溶けこみ
にくいようで、いつも一人であそこの席に座られます・・・どうですか、
少し話されてみますか?」
責任者の彼女は私の表情を確かめるように見た。

「はい・・・やらせてください」
僕はその男性の前に座った。
「田中さん、おはようございます。実習生の中島と言います。今日一日
よろしくお願いします」
「おはようございます。珍しいですね・・・男性のあなたぐらいの年齢の方が
見えられるのは」
「はい、遅咲きの新人です」

男性は一言だけ言葉を交わすと目をそらして、音楽に合わせてリズムを取りながら
小さな声でメロディを口ずさんだ。
(ありゃりゃ・・・どうしよう。何を話せばいいのだろう)
「私の父は今年八十歳ですけれど、田中さんは父よりお若いようですね」
「えっ、僕。僕は七十八になりますよ」
そう言うとまたメロディを口ずさみ始めた。

「田中さんは司法関係のお仕事をされていたとお聞きしましたが・・・大変な
お仕事ですね」
『司法』という言葉を聞いた瞬間、田中さんは僕のほうを見た。
「ああ、大変だよ、裁判って本当に大変だからね」
「そうですね、裁判は人の人生を左右するし、裁判の裏側で本人や家族が
どれだけ苦しむかなんて、普通の人には分かりにくいですからね」
「そうなんだよ。裁判の裏側でね、本当に苦しむんだよ。裁判は本当に大変だよ」
私は自分の経験を素直に話したが、それを機に田中さんは裁判に関る思い出を
堰を切ったように語り始めた。

「いやあ、普通の人にはなかなかこんな話は理解してもらえないけれど、君はよく知っているね」
「ええ・・・少し司法について勉強したことがありますので」
「ほほー、そうかい。いやあ久しぶりに有意義な話ができたよ。ありがとう。うん、ありがとう」
誰かに聞いて欲しかったのだろうか、田中さんは嬉しそうに笑った。

送迎の車が到着すると、七十代前半から上は百歳を超えた『利用者(介護業界では
本来、老人とかおじいちゃんなどとは呼ばずにこう呼ぶ)』のみなさんが次々と
車を下りてきた。

「あれ?普通は○○サービスとか施設名が車に書かれているけれど、ここは
普通のワゴン車ですか?」
「ええ、以前はうちも施設名を載せた車で送迎していましたが、『隣近所に施設に
通っていることを知られたくない』という声が本人さんやご家族から寄せられたので
今は普通の車で送迎しています」
なるほど・・・感心した。

「おはようございます」
スタッフの明るい声に出迎えられて、嬉しそうに笑みを浮かべる老人たち。
車椅子や杖をついた二十名がフロアを埋め尽くし、各々がは自由に席についた。
まずはお茶が運ばれていく。
「おはようございます。研修生の中島といいます。よろしくお願いします」
僕は一人一人に声をかけて回った。見慣れぬ男性がいることに対して、特段
気にもとめずに「おはようございます」と挨拶が返ってくる。
なごやかな一日のスタートだった。

お茶の時間が終わり、みんなが落ち着いた頃、今日の当番の女性がみんなの前に立った。
「みなさん、おはようございます。今日は中島さんという方が研修で見えられています。
みなさんにご紹介したいと思います。中島さん、こちらへどうぞ!」
(えっ!紹介・・・今なの?何も聞いてないよー。あれれ、どうしよう)

自己紹介か・・・何を話そうか。そうだ、あれを使おう。
「すみません、用意するものがあるので、ちょっと待ってくださいね」
「はい??・・・みなさん、ではちょっと待ちましょうね」
全員の視線が僕の背中に注がれるのを感じながら、事務室に置いているバッグの
元へ道具を取りに行った。

「よし、これを使おう」

後で使うつもりだったが、今ここで使うことにした。
前回のコミュニケーションの失敗を教訓に自分なりに別の方法を考えた。
自分の過去の経験を振りかえりながら、人と人とがどうすれば
響きあうことが出来るのか・・・バッグに道具を用意してきた。

(こんなことする人なんていないだろうな・・・責任者に何も言っていないし、
大丈夫かな。あとで言おうと思っていたけれど・・・まっ、いいか)

僕はバッグから取り出した道具を持って、みんなの前に戻った。

                            
                           つづく

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