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第34話 五分間だけの記憶(後編)「求職男」〜再就職への道〜 「では改めて中島さんをご紹介します。こちらへどうぞ」 担当者に紹介された僕は二十人の前に立った。拍手がおきるわけでもなく、 この人は誰?と、みんなの視線が僕に集中しているのが分かった。 「みなさん、おはようございます。研修生の中島と申します。今日一日 よろしくお願いします」 耳が遠い人もいるので、声量と話すスピードに気をつけた。 「私は現在50歳で、生まれはお隣の佐賀県です。佐賀には80歳の父と78歳の 母がおりますが、ちょうど皆さん方と同じくらいの年齢ですので、今日は私が 授業参観を受けているような気分です。授業参観の日は帰ってから『あんた 授業中になんばしよったね』と、いつも母に怒られていましたので今日は少し 緊張しています」 みんな、にこやかな表情だった。 「ところで、私は佐賀出身ですが、みなさんはどちらの御出身ですか?ええっと・・・ 友田さんでしたね。友田さんのお生まれはどちらですか?」 一番後ろに座っていた友田さんは、突然の質問に驚いた表情でモジモジとした。 「私は・・・生まれは北九州です」 「北九州ですか。北九州のどちらですか?」 「戸畑です」 「戸畑ですか。製鉄の町ですね。あそこは『戸畑ちゃんぽん』と言って麺が 平べったい珍しいちゃんぽんがありましたね。これがまたおいしいんですよね」 「へえー」と、どよめきがあがり、友田さんは懐かしそうにうなずいた。 「じゃあ、ええっと、お隣の・・・川崎さんですね。どちらですか?」 「熊本です」 「熊本ですか、馬刺にカラシレンコンが有名ですね。熊本では馬刺用の醤油が あって、それがまた甘口も甘口で最初はみんな味の濃さに驚きますよね」 目を細めて嬉しそうにうなずく川崎さん。 「じゃあ、お隣の・・・中田さんは?」 「シスコです」 「しすこ?・・・はて、どこでしたっけ?」 「アメリカのサンフランシスコです」 「ええー!」一同がどよめいた。 「残念ながら私は言ったことがないんですが、どんな所ですか。よければみなさんに 少しご紹介して頂けませんか?皆さんも聞きたいですよね?」 「聞きたーい!」 こんな感じで、まちづくりで得たウンチク話を交えながら、自己紹介だけでなく、 ふれあいの時間を開始した。僕が幼い頃、ここにいる人たちは二十代、三十代の 父や母だった。僕の幼い頃の思い出は、そのまま父と息子、母と息子としての 思い出として、ひとつに重ね合わせることが出来た。 息子の年代だからこそできるコミュニケーションだ。 いつしか僕は、まるで父や母と話しているような錯覚に陥っていた。 一言でもいいから全員に話してもらおうと、僕はそれぞれの話をつなげていった。 ひととおり順番が回り終えたところで今度は話題を変えた。 「さあて、せっかくですから今日はみなさんに私の趣味をお見せしたいなと思って、 こんなものを持ってきました・・・さて、これが何だか分かりますか?」 僕は用意した道具をみんなに見せた。 「マジックと画用紙!」 誰かが大きな声で答えた。 「そう、マジックと画用紙ですね。さて、私は今から何をしようとしているの でしょうか?」 「何??・・・」 全員首をかしげた。 「今から何かを書きますので、何を描いているのか当ててください」 画用紙帳を広げようすると担当者から声が飛んだ。 「あっ、せっかくですし黒板(ホワイトボード)を使っていいですよ」 全員が興味深そうに僕の行動に注目した。 「じゃあ黒板に書きますね。分かった人は答えを言って下さいね、さて誰が一番最初に 当てきれるでしょうかね」 キュッキュッ・・・僕はペンを走らせながら、ある人物の似顔絵を描いていった。 「あっ!王だ。王貞治だ!」 誰かが叫んだ。「そう、正解でーす!」 僕は王貞治の似顔絵を手早く仕上げた。 「ほほー・・・うまいもんだねー」感嘆の声が上がった。 「じゃあ、次は誰だか分かりますか?」 誰を描いているのか気づかれないようにしながら、僕は百歳になる岡田さんの顔を チラリと見た。 ペンを走らせるにつれて岡田さんの笑った顔として目や鼻が描かれて出来上がっていく。 「あっ!岡田さんだ」 「そうそう、岡田さんよ」 ドッと一斉に笑いが湧き起こった。 「アハハ、似てる似てる。岡田さんよ」 耳が遠い岡田さんには、みんなの笑い声は聞こえないだろうが、体で感じるのか 岡田さんも照れくさそうに笑った。 「じゃあ誰か描いてほしい人はいますか?」 「佐々木さんを描いてよ」「吉田さんも描いてー」 「いいですよ、じゃあ佐々木さんですね。佐々木さんは笑うと目が下がるのですよ。 こんなふうに・・・佐々木さん、綺麗に描くから笑顔を見せて下さいね。はい笑って笑ってー」 また笑いが起きた。 笑いの渦が起こるにつれて、いつのまにかスタッフも全員集まってきた。 あははは・・・、アハハハハ・・・。 やんやの声援をあびながら似顔絵を仕上げると、すぐに次のリクエストがかかる。 「あのおー、でも時間が・・・」 一人でこんなに時間を使っては悪いと思い、担当者の顔を見た。 「アハハハ、中島さん、もっと続けて。このままもっと続けて下さいよ」 自己紹介だけの予定が即興の似顔絵描きから、似顔絵の描き方を教える 『似顔絵講座』へとなった。 「なるほど・・・」と、みんなを唸らせたり笑わせたりしながら、あっという間に 一時間あまりが過ぎて、僕は自己紹介の時間を終わらせた。 担当者が笑いを抑えながら駆け寄ってきた。 「あー、おもしろかった。中島さん、まるで本物の先生みたいですね。話の進め方が 慣れていますね、びっくりしましたよ」 「認知症の方でも『絵』ならばコミュニケーションが出来ると思ってですね。人間は 言葉の聴覚よりも、目に訴える視覚のほうが伝わりやすいからですね」 「なるほど・・・でも、中島さんって変わった人ですね、ヘルパーの勉強を している人には見えないですね」 担当者は不思議そうな顔で僕の顔を見た。 製薬会社に勤務していた頃、人間の体の機能を学び、講師時代に講義の余興として 似顔絵やイラストを描いたり、雑談を交えたりしてその場の空気を和ませた。 今日、その頃を思い出して久しぶりに実践してみた。 笑いはその場の空気を変え、人から人へと伝わり幸せな気分にしてくれる。 認知症の人でも五感のいずれかを刺激すれば、コミュニケーションが図れるのでは という思いがしてきた。 介護の現場は暗いというイメージを連想する人も多いと思うが、現場に癒しだけでなく、 笑いを生み出すサービスがあってもいいのではないだろうか。 スタッフもお年寄りも、一緒になって笑い転げるエンターテイメントのある現場。 可能ならば僕は紙芝居を作ったり、懐かしの昭和歌謡の曲名当てクイズや動物との ふれあいセラピー、ピエロの格好をしてマジックを披露したり、生ギターで一緒に 歌うなどアイデアは尽きない。家族向けの楽しい広報誌だって作ってみたい。 介護を受ける人もその家族も、そしてスタッフも一緒に笑いを共有したい。 さまざまな可能性を介護の現場で企画して実践して、『ここは楽しい我が家』と 思ってもらえるような施設運営に関りたいと願っている。 『介護に笑いを』・・・実習をとおしてスタッフが明るくなければならないと感じた。 介護の現場はストレスが多いからこそ笑いが必要だと思った。 暗い顔をして疲れたスタッフが、人に対して優しくできるわけがない。 他とここはどこが違うか考えた。 やはりリーダーの個性であり、明るさであり熱意だ。 リーダー次第で現場が変わりスタッフが一つにまとまる。 以前、『リーダーシップとコミュニケーション』という講座を教えていたが、 その頃の忘れていた熱い想いが体の中から湧き上がってくることに気づいた。 こうして実習を終えた僕は再び就職活動を再開することにした。 その頃、ひと足先に実習を終え、就職活動を開始したおやじ組の仲間たちに 『不採用』の通知が次々と届き苦戦していた。 介護の世界でも中高年男性の就職は厳しいという現実に打ちのめされていた。 つづく
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