『いつか春が』執筆日記

波乱に満ちた人生。夢に向かって挑戦する男のドキュメントストーリー。

作品:「いつか春が」

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著書「いつか春が」の内容をダイジェスト版としてご紹介。
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★★★8月16日(土)17日(日)は記事の更新はお休みします。次回は最終回です★★★

【解説】
年が明けて判決まであと一ヶ月。いよいよ判決がせまり、落ち
着かない日々を送る父や母。私も一日一日が長く感じていました。
じつは本には書きませんでしたが、大晦日に大変な騒動が起き、
年明けとともに私は謹慎の身となっていました。

検察が関係者を取り調べて作った調書が、あまりにもズサンで
あることがマスコミによって全国に報道されたのです。検察の
調書に生年月日が全く同じな人が何人もいることが発覚したの
です。しかも、供述内容が一言一句同じ調書が多数存在するこ
とも。まるでヒナガタ調書に名前を書き込んだような…。
その際に、生年月日までそのまま次々とコピーしたような…
(後日、この件は最高検察庁の内部調査でも問題となりました)

それをマスコミに誰が流したのか…。
大騒ぎとなり、最高検まで動き出したのです。……記者に言わ
れました。「副島さん、あなたはもうマークされているから、
気をつけたほうがいいですよ。後ろをいつも確認してほうが
(尾行されているかも)いいよ。別件逮捕だろうが何だって
やるからね」

私は事件のことを公開していたホームページを泣く泣く閉鎖し、
国家権力という見えない影に怯える毎日でした。

いよいよ判決当日へと……

TOPページにも紹介していますが、本を読んだ方の新しい感想や
書評が届いたのでご紹介します。読み応えがありますよ。
●「ヨネヨネ日記」さんの書評 http://blogs.yahoo.co.jp/not_bricht_eisen/56179640.html#56179640
●「あおちゃんのお茶ばなし」さんの書評 http://blogs.yahoo.co.jp/pilopilo3658/24219316.html#24234973
●「よっしー道場」さんの書評 http://blogs.yahoo.co.jp/yossie_70/14334993.html
●「風の穴は何色」さんの感想 http://n0o0n.blog18.fc2.com/blog-entry-1222.html
●読者の皆様から寄せられた声 http://blogs.yahoo.co.jp/rainrain1192/archive/2008/06/26
●西日本新聞の書評 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/auther/20080630/20080630_0001.shtml

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『いつか春が 〜父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」〜』
     (不知火書房より全国の主要書店にて発売中)

 最終章 第十ニ章 空を見上げて 長かった(校正前の原稿より) 

人の人生なんて本当にちっぽけなものだと思う。
父は四十年以上農協一筋で頑張ってきたが、そうやって築き上げた
信用や地位をたった一夜にして失った。
人生なんて本当にちっぽけなものかも知れないが、それでも絶対に
捨ててはいけない。ちっぽけな人生だからこそ自分の人生は大切に
しなければならない。

あと少し……あと少しでこの闘いも終わる。

一月二十七日、判決まであと二日と迫った。
父も母も不安でそばに居てほしいようだったので、私は数日分の着
替えをバッグに詰め込むと佐賀に向かった。
同じ日、日本テレビのTさん達が判決の結果を当日報道するために
佐賀入りした。
地元のマスコミからも父に対して「判決を前にして今の心境をお聞
かせください」と事前取材の電話が相次いだ。逮捕以来、マスコミ
から取材を受けることなど一度もなかったから、半年前に三人でマ
スコミ行脚をしたことは無駄ではなかったのよと母は素直に喜んで
いた。

記者達もようやくこの事件は何かおかしいと感じ始めたようで、「
ひょっとしたら無罪判決が言い渡されるのでは……」という空気が
記者の間にも漂い始めていた。佐賀地裁で過去に無罪判決が言い渡
されたのは三件ほどしかないらしく、それもずいぶん昔のことだっ
た。歴史的瞬間を報道しようと佐賀のマスコミの間でも判決当日に
向けての準備が進められた。

判決当日は裁判所の玄関前に地元テレビ局の中継車が入り、判決の
速報をすぐさま現場のキャスターが実況中継するという段取りにな
っているらしかった。
新聞にも判決を前にしての記事が掲載された。
判決後に記者会見を行うことになり、弁護士の先生達は会場の手配
やマスコミへの対応に追われていた。裁判所では傍聴希望者の多さ
を見越して席は抽選で決める事が決まっていた。
判決を前にして、私たちの緊張はどんどん高まっていった。

一月二十八日、判決前日。
私も佐賀に入ったものの何も手につかず、父と母の話し相手になっ
てやるだけだった。裁判の話はなるべく避けたかったが父はそのこ
としか頭になくて、私たちと一緒に裁判の話をしていることで気持
ちが落ち着くようだった。

父は一日中、朝から晩まで裁判の話や不安な胸のうちを私と母に話
し続けた。確かに裁判のことを話すことで父の気持ちは落ち着くよ
うだった。裁判の苦しみや孤独。父はいつも誰かに聞いてほしかっ
たのだ。
日が暮れて父と母と私の三人で食卓を囲んだ。昼間は元気そうに振
るまっていた父も、夜になると口数が少なくなった。判決前夜の食
卓は会話も途切れがちで、お互いに不安な気持ちを隠せなかった。

「お父さん、いよいよ明日になったね。泣いても笑っても明日の十
時には裁判が終わるよ」
「そうだなあ……長かったなあ。かれこれ三年だもんな。本当に苦
しかったなあ……」
どこか遠くを見るような眼差しで父は語った。
「ほんなこと……お父さん、長かったねえ。あきらめんで最後まで、
よお闘ってきたよね。最初は、お父さんが精神的に耐え切れずにつ
ぶれてしまうとやなかろうかと心配したよ……」
母が箸を持つ手を止めてしみじみと話した。父は食事には箸をつけ
ないまま母の言葉にうなずいていた。

私自身も苦しくて途中で何度もつぶれそうになった。
最初は一年、長くても二年で終わるだろうと考えていたが、三年も
かかった。途中で何度も裁判から逃げ出したいと思ったが、でも結
局は苦しむ父や母を見るとほうっておくことは出来なかった。
私は息子として何とか父を支えてきたが、家庭は妻に任せっぱなし
だった。
私は夫や父親として自分の家族には何もしてやることができなかっ
た。このままではみんなが不幸になるので別居しようというところ
まで追い詰められて、家庭崩壊の危機も何度か経験した。
そのたびに私は「苦しいからという理由で今、家族が別々に暮らし
たら、本当に家族はバラバラになってしまう。
苦しいけれど裁判が終わるまで辛抱してくれ……」と訴えた。

私が真夜中の工事現場で働いていた頃、雨や雪の夜には妻が朝まで
眠れずにいたことにも私は気づいていた。
目を真っ赤に腫らしながら妻は風呂を沸かして私を待っていてくれ
た。家族のことを思うと私はこの三年間、自分の不甲斐なさにずっ
と胸を掻きむしってきた。

会話が途切れたままの食卓……。父も母もそれぞれの中で三年間を
振り返っていただろう。
母は普段から口数の少ない人だったが、この三年間一度も泣き言を
言わなかった。
父は苛立つ感情を誰にもぶつけることができず、その吐け口を何度
も母に向けたが、母は黙って受け止めてきた。いつの間にか母の背
中は丸くなり、額には深いシワが刻まれていた。

長かった三年間の苦悩のシワが。三年間を振り返ると、母が一番強
かったのかも知れない。そして母が一番孤独だったのかも知れない。
私は父と母の顔を見つめた。

この三年間は二人にとって人生の終局にやってきた激動の年月だっ
たが、どちらか一方が欠けることもなく、こうやって最後まで一緒
に支えあってこれたのがせめてもの救いだったろうと思った。
食事を終えると父は書斎に一人こもった。
「そっとしておいてあげよう」と母が言ったので、三人は言葉を交
わすことなく静かに別々の時間を過ごした。
私も早めに布団に入ったがなかなか眠れず、夜中にトイレに立つ父
の足音が何度も聞こえた。

一月二十九日、判決当日。
「お父さん、おはよう」
「おはよう……」
洗面所で父と朝の挨拶を交わした。
父の顔を見ると、まぶたが腫れ上がっていた。ほとんど眠れなかっ
た様子だった。顔を洗って食卓についたが、食事がのどを通らない
ようだった。

        〜 中 略 〜

洋間で撮影の機材がセットされていく。

■音楽協力:「Love Songs」 さん http://blogs.yahoo.co.jp/xiong_maririn

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【解説】
そろそろ物語も最終章へと向かっています。
今日の原稿は、一番最初に書いた原稿です。弁護士の先生に実名で
名前を出す許可を、まだ頂いていなかったので、名前がイニシャル
になっています(笑)

冒頭は昨日の原稿とダブっていますが、昨日の原稿がこの後に修正
した原稿です。さらに最終的は、本ではこの部分はだいぶ書き直し
ています。このように何度も書き直して本が完成したのです。
完成版…つまり出版された本ですが、読み比べてみるのも面白いで
すよ。

だいたい予定では、あと二回ほどで今回公開できる分は終了とさせ
て頂く予定ですのでご了承下さい。今まで公開してきた原稿は初期
の原稿や最終校正前の原稿ですので、実際に出版されている本と微
妙に文章が違ったりしています。
実際に出版されている本の約3割強を、今回ダイジェスト版として
公開してきましたが、ここでご紹介出来なかったいろんな出来事が
描かれていますので、本のほうもよろしくお願い致します。

冤罪がどうやって作られていくか。今まであまり知られていなかった
実際の取調べの方法や、裁判の様子。無実の人間が犯人とされてい
く恐怖や精神状態などを知って頂こうと思い、ダイジェスト版として
公開してきました。裁判の場面があまりにもリアルだとおっしゃる
方が多いので、その理由を知りたい方はこちらをご覧下さい。
このようにして自分で記録していたのです↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/rainrain1192/8648337.html#14483485


では、最終回まであと少しですが、最後までお付き合いください。
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『いつか春が 〜父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」〜』
     (不知火書房より全国の主要書店にて発売中)

 第十一章 いつか春が  憤死(校正前の原稿より) 

私が急いで福岡から駆けつけると、父は確かに様子がおかしかっ
た。ソファにグッタリしたように黙ってもたれかかったままだっ
た。視線は宙をさまよい、何かを話そうとしても、ろれつが回ら
なかった。

先日までの父とは全く別人のようだった。

「お父さん、何したとね?」
「おお・・・お前か・・・新聞にな・・・書いてある・・・嬉し
かったばい・・・」
「新聞?新聞に何て書いてあるとね?」
まだ父は私の話すことは理解できるようだった。
父は口を半開きにしたまま、胸元のポケットから何かを取り出そ
うする仕草を見せたが思うように手が動かずもたついていた。
胸元のポケットに手を持っていくのもやっとだ。
私はあっけにとられて不安になった。

「何ね?俺が取ってやるからよかよ」
私は父の胸ポケットに手を突っ込むと何かの紙切れをつかんだ。
「何ね、これは?」
丁寧に折りたたんだ新聞の切り抜きだった。
何だろうと新聞を広げてみる、地元紙の先日の結審の記事だった。
父は赤鉛筆で記事に線を引いていた。

『告発が事件の発端』という部分に赤線が何度も引かれていた。
「これがどうしたとね?」
「・・・嬉しかった・・・ばい。初めて記者が・・・告発のことば
書いてくれたばい・・・嬉し・・・かったあ・・・」
父はかすれた声で途切れ途切れにつぶやいた。

今まで何者かによる告発からこの事件がスタートした事は世間に
は一度も報じられていなかった。父は何度も何度も、いや何百回
も「いったい誰が、こんな恐ろしいことを企んだのだ」と悔しさ
をぶつけてきた。

その想いが記事となった事がよほど嬉しかったようだった。
裁判が結審したということで、今までの疲れと自分の想いが記事
として世間に報じられた喜びが重なり、父の中に異常が起きたよ
うだった。
事件は父の心に深い傷を残し、長引いた裁判は精神力の限界に達
するまで父を苦しめていた事を改めて知った。

父の様子が気になり私は黙って父を観察した。
どんどん症状が悪化し、私が到着して二時間後には自分で歩けな
くなり、床を這いながらトイレに行った。箸も自分で持てなくな
り、持たせてもポトリと落としてしまう。仕方ないのでスプーン
で口元まで食事を持っていった。

おかしい・・・胸騒ぎがした。

脳梗塞ではないかと不安になり病院に電話した。医者はすぐに父
を連れくるよう指示した。
電話を終えて父のそばに戻ると驚いた。父はソファにもたれかか
ったまま口を空けながら大きないびきをかいていた。

危ない!

私は、すぐに母に帰ってくるようにと電話した。
「お母さん、すぐに病院に連れて行こう」
母も事の重大さがすぐに分かったようで、あわてて帰ってきた。

母は父の名前を呼んだ。
「お父さん、聞こえるね?大丈夫ね?」
返事はなく、ゴーゴーといびきをかいたまま父は眠っていた。
なるべく頭を揺らさないように気をつけながら私は父を負ぶった。

生まれて初めて父を負ぶった。

背中に負ぶった父は、私が思っていた以上に軽かった。
逮捕される前に比べると父の体重は十キロ以上も落ちていたが、
こんなに軽いとは・・・。

小さくなった父が、あまりにも可愛そうで、私は涙がにじんでき
た。一夜にして人生が大きく変わり、長引く裁判で心も体もボロ
ボロになってしまった父が不憫でならなかった。
こんなふうに父をボロボロになるまで苦しめ、父の人生を奪った
者達が憎く思えた。

父を誰がこうしたんだ!

父を負ぶったまま玄関を飛び出すと静かに車に乗せた。
後部座席で母が父を抱きかかえながら病院へと車を走らせた。
私も母も言葉を交わそうとしなかった。言葉に出さなくても同じ
不安を抱いていた。
このまま・・・もしかしたら・・・・

病院に着くとすぐさま父を車椅子に乗せて検査室へ運んだ。
脳の検査が始まった。
母と私は検査が終わるのを黙って待ち続けた。
検査が終わり医師から父の状況が説明された。
「おかしいですね・・・検査ではどこも異常は見当たらないので
すよ。今は意識もおありのようですし・・・不思議ですね」
医者は首をかしげた。
検査の結果、脳波にも異常はなかった。外が暗くなって病院を出
る頃には父も少し話せるようにまで回復していた。

その日は父の事が心配だったし、母も一人では心細いようだった
ので、私は実家に泊まる事にした。
父は相変わらず視線が定まらず、意識がもうろうとしていた。

「お父さん、聞こえるね?俺の言う事が分るね?」
私が問い掛けると父は軽くうなずいた。
「明日また別の病院で検査してみようね。何かしてほしい事はあ
るね?」
「先生達・・・に会いたか・・・」
「先生?弁護士の先生に会いたかとね」
父はまたうなずいた。

翌日、県立病院に母と二人で父を診察に連れて行った。
父のPTSDでお世話になっている先生のもとへ連れて行った。
相変わらず父の足元はおぼつかなかったが、昨日よりは少し自分
で歩けるようになっていた。
診察を終えた先生は私たちに診察結果を説明した。

「おかしいですね・・・ひととおり検査をしましたが、どこも異
常はありませんでした」
「先生、でも父は昨日本当に意識がなくなり普通じゃなかったん
ですよ。なぜでしょうか?」
私は医者に昨日見た父の様子を詳しく話した。
先生は首をかしげながら黙って私の話を聞いていた。

私の話を聞き終えると、先生は言葉を選びながら話し始めた。
「う〜ん・・・私も副島さんみたいなケースは初めてで戸惑って
います。副島さんにとって裁判の心労は、我々の想像をはるかに
越えたものなのかも知れません」
先生はそういうと父を見た。
意識はだいぶ戻ってきたようだが、相変わらず父の視線は定まら
ず宙をさまよっていた。

「人間の体というのは、まだまだ分からない事がいっぱいありま
す。特に精神的な傷の深さは本人しか分りません。今の医学では
うまく説明できませんが、敢えて言うならば副島さんは命を削っ
て闘っておられるようなものだと思います」

先生が話した言葉の意味が、私と母にはよく分った。
「今の副島さんの心の状態を説明するには、医学的には適切な言
葉で説明できませんが・・・このままでは憤死されますよ」
「憤死?どういう意味ですか」
「つまり怒りや悔しさを心に抱えたまま、命を削って闘っておら
れるわけです。自分は無実だと心の中で叫びながらボロボロにな
って闘っておられます。そんな状況だと思います」
母と私は何も言葉が出なかった。

先生が話した事はまさにそのとおりだった。
「できれば一日も早く心を休め、穏やかな日々を過ごせればいい
のでしょうが・・・そういう訳にはいかないでしょうしね・・・」
先生が言われるように今はどうする事も出来ない。
裁判のことを忘れたくても忘れる事が出来ない毎日だった。

早く裁判を終わらせてやらなければ父は本当に壊れてしまう。
父だけでなく私も母も裁判のプレッシャーに押しつぶされそうに
なりながら暮らしている。

あと少しの辛抱だ。
あと少し辛抱したら必ず春が来る。そう信じるしかなかった。
病院を出た後、弁護士の先生のもとへと向った。
Y先生もH先生も父を心配してくれた。

「副島さん、裁判ももう結審したし、あと少しの辛抱だからね。
大丈夫ですよ、きっと副島さんの無実は証明されますよ」
H先生がやさしく声をかけると父は嬉しそうにうなづいた。
Y先生も父の顔を覗き込むようにして励ましてくれた。
「そうですよ、副島さん。我々はベストを尽くしたし、これで副
島さんが有罪になるならば日本の司法はおしまいですよ。必ず無
罪を勝ち取れますよ。あと少しの辛抱だから頑張りましょう。ね
っ、頑張りましょう」

H先生を何とか父を励まそうとやさしく声をかけた。
「副島さん、無罪判決の瞬間を自分の目で確かめんと今まで何の
ために闘ってきたか分からんでしょう。正義を信じましょう」

H先生の言葉を聞いて父の目から涙がこぼれた。

          〜 中 略 〜

父はここに来るまでの三日間の記憶がなくなっていた。新聞の記
事を見て嬉しさのあまり頭がボーとなり、そのあとの記憶はなく
なったと父は話した。病院に担いで行ったことも全く覚えていな
かった。
今の父の心を元気にするのは、家族の励ましや医学的な治療より
も、何よりも救われるのは弁護士の先生達の励ましであることが
分った。もはや依頼人と弁護という関係ではなく、父にとっては
弁護士は神様のような存在に映るのだろう。

家族の励ましが届かないほど父の心の闇は深く、傷ついた心は裁
判で無実を証明するしか癒されることがない事が分った。

■音楽協力:Love Songs さん http://blogs.yahoo.co.jp/xiong_maririn
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■■■前回の番外編「検証」…あなたは真実を見抜けますか?
前回、実験記事を掲載していますので、そちらもご覧下さい。
逮捕直後の報道記事を見て、この事件はおかしいとお気づきに
なられる方はおられるでしょうか?

冤罪事件はここからスタートしてゆきます。
次第に取調べの実態が明らかになってゆき、マスコミも
裁判所も少しずつ事件について「おかしい」と気づいていく
までに、二年もの時間がかかりました。

↓この記事を見て、あなたは真実を見抜けますか?
http://blogs.yahoo.co.jp/rainrain1192/14466984.html
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【解説】
いよいよ裁判も最後。「結審」の日を迎えました。
この結審が終わると、あとは判決を待つだけとなります。
この日は裁判長に最後に自分の気持ちを伝える日でした。
父は前日、なかなか眠れないようでした。

裁判長に向かって何と話そうか…父は自分なりにあれこれ
考えていました。私と母はそんな父をそっと見守っていま
した…。
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『いつか春が 〜父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」〜』
     (不知火書房より全国の主要書店にて発売中)

 第十一章 いつか春が  結審(校正前の原稿より) 

熱い夏が終わりを告げる頃、田んぼには黄金色の稲穂が揺れていた。
裁判もいよいよ大詰めを迎えた九月二十六日。この日が最終弁論だ
った。
これが最後の裁判ということで、傍聴席は多くの人たちで埋まって
いた。一社ずつ訪ねて話を聞いてもらった地元のマスコミの記者達
も顔をそろえていた。この日の裁判で結審すると、あとは判決を待
つだけとなる。

日野弁護士が最終弁論書を読み上げていった。
最後に、あらためて父の無罪を主張して弁論を終えた。
「では被告本人より、最後に何か言いたいことはありますか」
裁判長が父に尋ねた。

「はい、裁判長殿。一言私のほうから言わせて頂いてよろしいでし
ょうか」
「はい、いいですよ」
父は証言台の椅子を後ろにずらして、ゆっくりと立ち上がった。
法廷全体が父の背中に注目した。
「では私の今の気持ちを述べさせていただきます……」
緊張しているのか、息を吸いこんで「ふー……」と大きく吐く音が
こぼれた。
少し間をおいてマイクに向かって父が静かに話し始めた。

「私は今年の八月十五日を持って満七十四歳に相成り、その間、農
協の職員として、また役員として約四十五年以上にわたり、農協一
筋に生きて参りました……そして、この度このような事件に相遭遇
し、農協ならびに組合員の皆様に大変ご心配をおかけ致し、申し訳
なく思っております」

最後の公判ということもあり、傍聴席には父や母の兄弟のほかにも
父の旧制中学の友人たちも福岡から駆けつけて、無実を訴える父の
姿を見つめていた。

「しかし、今回の私の逮捕事実は真実と大きく異なっております。
私は取調べでも何度も検事に真実をお話ししようとしましたが、最
初から私を犯人と決め付けて聞き入れてもらえませんでした。どん
どん真実と違う流れに変えられていく恐怖や、検事が何度も恐ろし
い形相で力の限り私を恫喝し、脅迫する場面が頭から離れず、今も
夢にまでうなされる日々を過ごしています……」

うつむいたままの母はハンカチを握りしめながら、静かに父の言葉
を噛みしめていた。

「今まで組合員や……家族の幸せを願って生きてきた結果が……身
に覚えの無い突然の逮捕に続き、私は『被告人』としてこの法廷に
立っていることが耐えがたく残念でなりません……逮捕から今日ま
での二年半余りの間、今まで築いてきた世間の信用も一夜にしてす
べてなくし、私だけでなく家族も……」

父の声が震えだして途切れた。

「すみません……家族も世間の偏見と辛い試練に耐えながら、弁護
士の先生方と真実が明らかになることだけを願って……今日の日を
迎えた次第です」

傍聴席のあちこちからすすり泣く声が聞こえてきた。

「本日、今の私の心境をお話させて頂こうと思って法廷に臨みまし
たが……この二年半を振り返ると、一生忘れることが出来ないし、
言葉ではお伝えできないほどの憤りと苦しい日々でありました……
そして、もっと検察が適正な捜査をしてくれていたらと思うと残念
でなりません……」

K検事は表情を変えないまま父をじっと見つめていた。

「私は検察の申されるように、不正を知っていながらあえて指示し
たということは、天地神明に誓って致しておりません……」

父は、裁判官席に向かって涙をこらえながら訴えていた。
母は不安そうな顔で、今にも泣き崩れてしまいそうな父の背中をじ
っと見つめていた。
声がつまった父は三人の裁判官たちの顔を確認するかのようにゆっ
くりと見渡し直立の姿勢で、腹の底から搾り出したような声で訴え
た。

「私は司法の正義の元に、本当の真実が必ず明らかになる事を信じ
ています」

それまで表情を変えずに聞いていたK検事の顔が、苦渋に満ちたよ
うな複雑な表情に変わった。日野弁護士と山口弁護士は二人とも目
を閉じたまま父の声を聞いていた。

「司法の正義が……司法の正義が、必ずや真実を明らかにしてくれ
ることを私は信じています」

静寂な法廷に父の声がひときわ大きく響いた。それは母や私や兄弟
たちの叫びでもあった。

「私は、裁判官の公正な裁きを固く信じ、お願い申し上げる所存で
ございます……以上です」

父は裁判官席に一礼して、弁護士席にも一礼した。
座る瞬間にK検事を見たが、検事は父の視線を受け止めずに下を向
いた。
父の裁判が結審した。

裁判長から判決公判の日程が告げられた。判決は年が明けた平成十
六年の一月二十九日、午前十時となった。
判決まで約四ヶ月……私には判決を待つ四ヶ月という時間がとても
長く思えた。

母から私に電話があったのは結審から二日たった日の午後だった。
「あのね、お父さんの様子がおかしかとよ。朝からボーとしてね。
話しかけてもほとんど何も話さんとよ。心配だから、すまないけど
こっちに来てくれんね」
慌てて私は福岡から駆けつけた。

父の様子は確かにおかしかった。
ソファアにグッタリともたれかかったままだった。視線が定まらず、
私に何かを話そうとするがろれつが回らなかった。二日前とは別人
のようだった。
「お父さん、何したとね?」
「おお……お前か……新聞にな……書いてある……嬉しかったばい
……ほんなこと嬉しかったばい」
私に何かを伝えようとしていた。
「新聞? ……新聞に何て書いてあるとね?」

父は口を半開きのまま、胸元のポケットから何かを取り出そうする
仕草をしたが、手が思うように動かず、胸元でモソモソしていた。
私は変わり果てた父を見て不安になった。

「何ね? 何を取り出そうとしているとね……俺が取ってやるよ」
そう言って父の胸ポケットに手を入れると何やら紙切れのようなも
のが入っていた。
「何ね、これは?」
それは丁寧に折りたたんだ新聞の切り抜きだった。折り目を返して
広げてみると、地元紙の記者が書いた父の裁判が結審したことを伝
える解説記事だった。
「告発が事件の発端」という箇所に何度も赤鉛筆で線が引かれてい
た。
「これがどうしたとね?」
「……嬉しかった……ばい。初めて記者が……告発のことば、書い
てくれたばい……嬉し……かったあ……」
父は目に涙を浮かべながらかすれた声でつぶやいた。

それまでは、この事件が何者かによる検察への告発から始まったこ
とは世間には一度も報じられたことがなかった。
父は「いったい誰が、こんな恐ろしかことを企てたとやろうか」と、
何度も何度も、いや何百回も悔しさをぶつけてきた。その想いの一
端がやっと記事となって出たことが、父にはよほど嬉しかったよう
だ。

裁判が結審したことで緊張がゆるんだところに、長かった裁判の疲
れや自分の言いたかったことが記事として報道された喜びが重なっ
て、父の体に異常が起きているようだった。
事件は父の心に深い傷を残し、長引いた裁判は父の精神を限界まで
追いつめていた。

             〜 中 略 〜

母を送り出してから父の様子を観察していると、二時間くらいたっ
た頃から父に異変が起きはじめた。昼食の箸を自分で持てなくなり、
私が父の手に箸を持たせてもポトリと落としてしまった。自分で立
って歩けなくなり、床を這いながらトイレに行った。そしてソファ
アにもたれたまま、口を半開きにしてゴーゴーといびきをかきはじ
めた。

おかしい……胸騒ぎがした。     
                      つづく

■音楽協力:Love Songs さん http://blogs.yahoo.co.jp/xiong_maririn
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【お願い】……お手数ですが音楽を止める場合は下の「ブタ鼻」のようなボタンを押してください。

■「冤罪事件」がどのようにして作られていくかを検証すると、最初は
必ず犯人視した報道から始まります。真実が隠されたまま、被告とされた
本人や家族の無実の叫びは届かず、誰も信じてもらえない状況の中で犯人
とされていく恐怖。
この一連の報道を見て、あなたはどのように感じますか。
報道だけを見ると逮捕された容疑者は、罪を認めているという形で報道
されています。

検察が考えたシナリオが、そのまま記事になっているので、「なるほど
こんなことしていたのか。ひどい奴だな」と誰もが思う内容です。しかも
関係者の話というのも告発状を出した者たちからの情報をもとに記事が
書かれているので、なおさら真実のように見えてしまいます。
もし、このような報道を目にして、あなたが裁判員になった時、あなたは
報道のウラに隠された真実を見抜くことができるのでしょうか?

私は、冤罪を防ぐためには「取調べの完全可視化」が絶対に必要だと思います。

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【解説】
このことは本にも書いていませんが、今だから話します。求刑を受
けた翌日、父は新聞を見てさすがに落ち込みました。「懲役二年六
月求刑」という文字が、まるで判決を受けたような気になったので
しょう。しかも、その求刑に対して被告側の言葉は一切載っていな
いので、すっかり落ち込んでしまいました。どうしたものかと思案
の末に、知り合いになった記者に電話をかけました。

「こんなことお願いできる話ではありませんが、父が今朝の新聞を
見て落ち込んでしまい…今回は検察側の「求刑」だから、副島さん
(被告側)の反論は載せていませんが、次回の最終弁論では副島さ
ん側の主張を必ず載せますので、と父に電話してもらえませんか。
お願いします…」

電話の向こうの記者は、突然の私からの申し入れに戸惑い、しば
らく無言のままだった。
「…分かりました。私のほうからお父様にご説明しましょう」
「ありがとうございます。私が頼んだことは父には内緒にして下さ
い」
「もちろん分かっています」

記者から電話をもらった父は大喜びでした。
「おい、○○新聞の記者から電話があって、今度はこちら側の主張
を記事として書いてくれると言うてくれたばい!記者は検察の味方
をしていると思っていたけど、まだ俺の言うことも信じてくれると
ばい」
検察と被告の両者の主張を公平に報道するのは当たり前のことですが
父には嬉しくて仕方なかったようです。



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『いつか春が 〜父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」〜』
     (不知火書房より全国の主要書店にて発売中)

 第十一章 いつか春が  真夏のマスコミ行脚(校正前の原稿より) 

平成十五年七月四日。この日は論告公判で、法廷は多くの傍聴者と
マスコミで埋まった。開廷が告げられるとK検事が立ち上がり、用
意してきた文書を読み始めた。

検事は論告では父に対する不当な取調べには一切触れず、「被告は
自分の保身のために罪を犯した、卑劣極まりない人物である」と父
を厳しく非難した。

「被告は反省の情が全くなく、社会に与えた影響は大きく厳罰に処
するべきである」

父は正面を向いたまま静かに聞いていた。
K検事は最後にひときわ大きな声で求刑を告げた。

「よって、被告に懲役二年六月を求刑する」

法廷に検事の声が響くと傍聴席がざわめいた。
「最後に、二度とこのような事が起きないように厳罰を求める……
以上です」

自信に満ちた表情で言葉をむすんだ検事は裁判長に一礼して着席し
た。父はと見ると先ほどと同じように正面を向いたままだったが、
握りしめた拳が震えていた。

次回期日は九月で、弁護側の最終弁論で結審となることが決定した。
梅雨が明けて夏本番となり、毎日うだるような暑さが続いた。
長引く裁判でこのまま事件のことが世間から忘れさられてしまい、
父が無実を訴えていることを誰も知らないまま裁判が終わってしま
うのでは……。そんな焦りと不安が膨らむばかりの毎日に苛立ち、
私は行動を起こすことにした。

いずれ裁判は終わる。
その時にきちんと真実を世間に伝えるにはマスコミの力を借りるし
かない。私は父と母を連れて佐賀のマスコミ各社の扉を叩くことに
した。検察の強制捜査や逮捕の時はあれだけ大きく報じられたが、
こちらの言い分はまだ一度も聞いてもらっていない。
それでは余りにも不公平ではないかと各社に訴えてみようと思った。
三十分でいいから父の話を聞いてくれと……。

「もしもし、○○新聞ですか。事件報道の担当記者をお願いいたし
ます」
「はあ? ……どちら様でしょうか」
「佐賀市農協背任事件で逮捕された副島の息子です」
「えっ……それで……どういうご用件でしょうか」
「逮捕当時、御社も逮捕の報道をされたわけですが、まだ一度も私
どもの話を聞いて頂いておりません。それで一度お話しを聞いて頂
きたいと思いましてお電話した次第です」
私はそう用件を伝えた。
「でも……そういうことを言われましてもですね……」
電話の向こうは困惑した声だった。
「報道は公平な立場でやるのが原則でしょう。それならば検察側の
主張だけを報道して、父の主張については一度も話を聞かないまま
というのは公平とは言えないのではないでしょうか。時間はとらせ
ませんので一度会ってください」

私は佐賀のマスコミ全社に電話をかけて有無を言わせない口調で強
引に時間を作ってもらった。真相を知らないままの彼らに一方的に
報道されるのは二度とごめんだった。
少し強引でも、そうでもしなければ事件の真相を佐賀の人たちに知
ってもらう機会はないだろう
と私も必死だった。

私と父と母の三人は、新聞社やテレビ局を一社ずつ回り始めた。事
件後、記者と話をするのは父も母も初めてだった。
年老いた被告と、その妻と息子。逮捕されて公判中の被告が、家族
を連れて自ら自分の無実を訴えに新聞社やテレビ局に押しかけるな
んて通常では考えられないだろう。記者達には「おかしな一家」と
思われたはずである。しかし何と思われようと、私は一度でいいか
ら記者達に父の話を聞いてもらいたかった。

面談に応じてくれた記者達は私たちの話を黙って聞くだけだった。
何か質問でもしてくれればこちらももっと絞って話せたが、一方的
にこちらの主張を述べて話すしかなかった。
「ざっと今、話したように、これが事件の真実です。父はまったく
の無実です」
「うーん……そうですか」
話し終えても、目の前の記者が私の話を理解したかどうかさえ分か
らなかった。表情を見ても何の反応もなかったし、感想の言葉もな
かった。あまりにも無反応な相手の態度に苛立って、帰り際に私は
記者に悔しさをぶつけた。
「記者としてこの話を信じるか信じないかは、おたくの自由です。
本当はもっと早く話を聞いて欲しかったのですが……。どうしても
一度、父の話を聞いて欲しかったのです。お忙しい中、お邪魔して
すみませんでした」
「どうも……」
最後まで素っ気ない記者の態度に虚しさだけが残った。

話を終えて外に出ると、真夏の太陽が照りつけて汗が噴き出した。
額や首筋から流れ出る汗がポタポタと地面に落ちて黒いシミを作っ
ていく。
父は長引く裁判で体重も八キロ落ちて、拘置所で痛めた足を引きず
りながら汗だくになって歩いていた。
そんな父の姿を見るのは辛かったし、人目にもさらしたくなかった。
見かねて私と母が手を差し出すと、父は父で手を借りながら歩く姿
を人に見られたくないのか、私たちの手をはねのけた。

「お父さん、大丈夫ね? 歩けるね? 手を貸そうか」
「いいや、よかよか。何とか歩ける。それよりも、さっきの記者は
俺の話した事ば信じてくれたやろうか」
私は返事に困った。信じる信じないの前に、記者が理解したかどう
かが私には分らなかった。
「大丈夫、きっと分ってくれたはず。そう信じるしかなかよ」
「そうだなあ……信じるしかないな」
「お父さん、あなたが弱気になってどうするとね。元気ば出さんと
いかんよ」
母と私は、事件以来、すぐ弱気になってしまう父をそう励ますしか
なかった。

信用を失うということが、どれだけ大変で辛いことか……事件の前
まで私は何も考えずに生きてきた。
世間の信用を一度失ってしまうと、どれだけ人生に重たくのしかか
ってくるか……。
この時は父も私も失ってしまった信用を取り戻そうと必死になって
闘っていたのかもしれない。信用を回復するためには一人でも多く
の人たちに真実を知ってもらうしかなかった。

そのためにマスコミの記者に話を聞いてもらったのだが、事件から
二年半の間に異動になったりして当時のことを知らない記者も多か
った。そういう記者は、自分たちがどんな報道をしたかさえ知らな
かったのかも知れない。

正義を信じよう。
人は信じることで目の前の不安や苦しみを乗り越えることができる
はずだ。信じるものが何もなければ不安や悔しさを、つい口にして
しまう。だから正義を信じよう。
止まらない汗を手で拭いながら空を見上げると、夏の青い空に入道
雲が湧き上がっていた。
「お父さん、頑張ろう。さあ、もう一社行くよ」
私たちのマスコミ行脚は続いた。

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■音楽協力:Love Songs さん http://blogs.yahoo.co.jp/xiong_maririn

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