『いつか春が』執筆日記

波乱に満ちた人生。夢に向かって挑戦する男のドキュメントストーリー。

作品:「いつか春が」

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著書「いつか春が」の内容をダイジェスト版としてご紹介。
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【解説】
人は、時には信じられないような力を発揮することがあります。
この百キロの旅もまさにそうでした。
足も腰も痛くて、もう何度もやめようと思いましたが、いつしか
あきらめることが恐くなりました。あきらめるのも自分、あきら
めないのも自分…どちらも自分次第なのです。

あきらめるのは簡単、続けるのは苦しみだけ。
「待てよ、これって裁判と同じじゃないか」…そう思い始めると
どんどん自分にプレッシャーがかかり、あとは自分との闘いでし
た。痛みをこらえて、「お前はこんくらいのことで、あきらめる
とか。情けなか男やなあ。今までの苦しさに比べたら、こんくら
い我慢せんか」

今までの苦しみ…そう思うと、不思議なチカラがわいてきて、
「あと少し…あと少しだけ頑張ろう」と一歩進む。そうすると、
また一歩進む。その繰り返しでした。
もう二度と出来ない百キロの旅でした。

余談ですが、このことは今回の執筆にあたり、初めて家族に打ち
明けました。倒れこむようにして帰ってきたことさえ、家族は
覚えていませんでした(苦笑)

判決まで、あと九ヶ月……。このあと父が倒れて大変なことに。

※音楽を止める場合は、最下部にあるグレーの「ブタの鼻」みたいな
マークを押して下さい。


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『いつか春が 〜父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」〜』
     (不知火書房より全国の主要書店にて発売中)

 第十一章 いつか春が  あきらめずに歩こう(校正前の原稿より) 

しかし、足の痛みは増すばかりで、もう足を引きずりながらしか
歩けなかった。雨はやんでいたが、私の体は汗と埃にまみれてい
た。
東の空が明るくなった頃、私は既に二十五時間あまり歩き続けて
いた。

地面に足を下ろすたびに足の裏や腰に激痛が走った。睡魔も襲っ
て、「もうやめようか」という思いが頭の中にちらついた。
福岡へ帰ろう。
最後まであきらめずに歩こう……あきらめたらせっかく願ったこ
とが消えてしまいそうな気がした。これまでもいろんな試練があ
ったが、何とか乗り越えてきたじゃないか。
その苦しみや苦労に比べれば足の痛みぐらいで……と自分に何度
も言い聞かせた。

午前十時ころになると、痛みでもうまともには歩けない状態にな
った。特に右足の痛みが激しく、自分では体を支えられなくなっ
た。国道沿いのコンビニで傘を買って、傘を杖代わりにして歩い
た。
痛みと苦しさで、もう歩くのは終わりにしようと何度も思いはじ
めた。裁判所まで願いを託しに行くという目的は達成した。
もういいじゃないかと自分に言い訳をしながら、どこでやめよう
かとばかり考えだした。

あと少し……あと少し頑張って終わりにしよう。あそこの信号機
まで歩いたら終わりにしよう。そう思いながら、やっとの思いで
信号機にたどり着く。すると、あと少しだけ頑張ってみようとい
う気になった。あそこに見える次の信号機まで歩いたら今度こそ
終わりにしようと思い直して、足を引きずりながら歩く。
足の指先の感覚は既になくなっていた。

すでに体力は自分の限界を超えていた。
膝が上がらなくなり、地面を擦るようにして足を前に踏み出す。
今度はもう片方の足を引きずるようにして前に出す。足先や太も
もの付け根の痛さに涙がにじんだ。

痛みに顔をゆがめながら一歩ずつゆっくりと歩く。
片足ずつ地面に擦りつけながら十センチほど前に動かすのが精一
杯だった。
顔をゆがませながらのろのろと足を引きずっていく私を、歩道を
すれ違う人達は避けながら通り過ぎて行った。

やっと家にたどり着いた時は午後七時を回っていた。
杖代わりに使っていた傘は先端がつぶれていた。家に入るなりリ
ビングに倒れこんだ私を見て妻や娘たちは驚いた。

「なんばしたとね! こがん汚れてさい。どこか怪我でもしたと
ね!」
気味悪そうに私の顔をのぞきこむ妻に、私はとっさに何と答えて
いいのか分からなかった。
「うん、ちょっと運動ばしようと思うて、博多駅から三時間くら
い歩いたらこのザマばい。情けなかねぇ。イタタタタ……足が足
が……アハハ……」
「まあ……普段は運動も何もしないくせに。バッカみたい」
「お父さんって本当にバカよ。アハハ」
妻や娘たちに笑われて、痛みをこらえながら私も愛想笑いをする
と、久しぶりに家中に笑い声が響いた。

這うようにしながら洗面所に行き、気づかれないようにして体を
チェックしてみると自分でも驚いた。
両足は腿もふくらはぎもパンパンに腫れ上がり、靴下の中は蒸れ
て気持ち悪いほどに真っ白にふやけていた。指先の爪は何本も内
出血して紫色に変色していた。しばらくはまともに歩けそうにな
いことが自分でも分った。
三十七時間におよんだ私の旅は終わった。
誰も知らない私だけの一人旅だった。

足の痛みや腫れが引くまでに一週間ほどかかった。その間に私は
再び裁判の現場に引き戻された。
検察側は弁護側のアリバイ主張に対して必死で反論してきた。被
告の当日のアリバイ証言は嘘だと反論する検察側と、被告のアリ
バイは確かであると主張する弁護側。両者の言い分が真っ向から
対立したまま泥沼の裁判は続いた。

長引く裁判に父はますます不安を募らせていった。特に雨の降る
日は、不安と孤独に耐え切れずに朝から何度も私に電話をかけて
きた。
「あのな……ほんなこと裁判は勝てるやろうか? また検察がな
んか仕掛けてこんやろうか」
「お父さん、なんも心配せんでよかよ。大丈夫、必ず正義は勝つ
よ」
父は検察の取調べの恐怖がトラウマとなり、検察がどんな手段を
使ってでも自分を犯人にしようと襲いかかってくると怯えていた。

それほど父が取調べで受けた心の傷は深かった。

私は父を励ましながら、水面下で事件の聞き込み調査を続けてい
た。私がこれまで調べてきた事件に関する調査報告書は膨大な量
になっていた。
最初は誰もが口を閉ざして何も話してくれなかったが、次第に重
かった口を開き知り得た情報を話しはじめてくれる人達が現れて
きて、数十名にのぼる関係者の具体的な証言や裏づけとなる資料
も揃っていた。

それらの情報を整理していくと事件の発端には農協の運営方針に
反対するグループの存在があることが分かった。
しかも、事件直後にそのグループの一人が、告発したのは自分た
ちである事を周囲に漏らしていた事もつかんだ。
その一人とは、やはり農協の関係者だった。

「俺が告発状ば検察に持って行ったとばい。検察もマスコミも俺
が行くと特別待遇で、下っ端でなく上の者が対応してくれよった
とばい。俺が切り込み隊長で、○○がおり、○○が参謀、顧問に
○○もおるとばい。俺達はずっと前からこの準備ばしてきたとば
い。農協が俺にカネば貸してくれんやったから頭にきてくさ」
その男は告発したことを自慢するかのように同じ内容を複数の相
手に漏らしていた。

■「夕焼け」写真協力:オホーツクの詩季さん http://blogs.yahoo.co.jp/aruko26
■ 音楽協力:Love Songsさん http://blogs.yahoo.co.jp/xiong_maririn

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【解説】本のタイトルに込めた私の想いです…。

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『いつか春が 〜父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」〜』
     (不知火書房より全国の主要書店にて発売中)

      第十一章 いつか春が  ふるさと(校正前原稿より) 

一人で歩き続けていると、足の痛みや疲れとは別に、気持ちが浮い
たり沈んだりしてしまう。元気になったり落ち込んだり……その繰
り返しだ。

ふと良さんの顔が浮かんだ。
良さんとは工場の夜勤のバイトで知り合い、父の裁判の事を真剣に
聞いてくれる唯一の友だった。私は裁判、良さんはお父さんの介護
でお互いに頑張ろうと、最後に一緒に食事をして判れた。良さんが
夜勤のバイトを辞めたあと、私も夜勤のバイト生活から抜け出した。
その後はお互いに連絡が途絶えたままだった。

良さんには夢があった。新しい人生を歩むために夜勤のバイトをし
ながら、福祉の資格を取るために福祉関係の大学に通っていた。本
当は私は良さんが羨ましかった。自分の夢を叶えるために、自分の
時間が使えることが。私は明けても暮れても裁判のことばかりで、
自分の夢を叶えるための時間などなかった。

長引く裁判の中で焦る私の今の気持ちを、良さんならばきっと理解
してくれるだろう。そうな気がした。
コンビニの前で座り込むと、私は久しぶりに良さんの携帯にメール
を送った。
『良さん、お久しぶりです。元気ですか?僕は父の無実を証明した
くて今も闘っています。いつまで闘いが続くのか分りませんが何と
か頑張っています』
メールを書き終えると送信ボタンを押した。
ずっと連絡が途絶えたままなので、もう返事はこないかも知れない。
教えてもらっていたアドレスだって変わってしまったかも知れない。
それでも私は今の自分の気持ちを誰かに聞いてもらえるだけで満足
だった。
立ち上がると再び佐賀へと歩き始めた。日が落ち周囲はすでに暗く
なっていた。仕事帰りの車がライトで次々と私を照らしていく。私
が今、一人で佐賀まで歩いている事など誰も知らない。なぜ歩くの
かと尋ねられても私自身も分らないまま黙々と歩いていた。
必ずあの場所まで歩く……それだけを願って歩いた。

佐賀市内に入ったのは夜の十一時を回っていた。目的の場所まであ
と数キロ。足どりも重くなり足に痛みを感じるようになっていた。
夜空を見上げると今にも雨が降りだしそうな真っ暗な空で、星もま
ったく見えない。材木町から県庁に向けて歩いたが、人通りもなく
車の数もまばらだった。
この暗闇では私のことなど誰も気にもとめない。

佐嘉神社の前を通過した。佐賀で暮らしていた頃、初詣といえばこ
こだった。最後にここで初詣したのは、事件前に娘や甥っ子を連れ
て初詣に来たのが最後だった。偶然に境内で同級生と会って「よお!
元気か」と学生時代に戻った気分でお互いにバカ話をした。今では
それも楽しい思い出だった。

ここでお参りをしようかと思ったがやめた。
目指す場所はただ一つ。そこで願いをこめよう。
佐嘉神社を過ぎると佐賀県庁が左手に見えてきた。県庁周辺は緑も
多く、お堀に囲まれた佐賀県庁が佐賀市を象徴する風景だった。県
庁前に植えられた桜がライトアップされて、夜の闇に白く浮かび上
がっていた。私は疲れた足を引きずりながらお堀に架かる橋を渡る
と、樹の下から桜の花びらを見上げた。

外灯の光に映し出された花びらは、さらに白さを増して、まるで空
に浮かぶ真っ白な雲のように見えた。
幻想的な満開の桜の美しさに私は息をのんだ。

ここが私の生まれ育ったふるさとだ……。

佐賀で生まれ育った私にとっては、三十代半ばまではふるさとへの
特別な想いなど何もなかった。結婚して子供が出来て、ふるさとを
離れて福岡で暮らすようになって、佐賀が大好きであることや、ふ
るさとのあたたかさを感じるようになった。
友達に囲まれて一緒に酒を飲み、他愛もない話題で盛り上がる。そ
んな当たり前の場面が嬉しくて楽しかった。
そして、それがふるさとの魅力だと気づいた。

まちづくりの仕事に関わるようになった私は、さびれていく佐賀の
商店街を見て何とかふるさとを元気にしたいとの思いから、佐賀の
行政のまちづくりにも積極的に関わるようになった。その真っ只中
で事件は起きた。

事件以来、私は裁判や証拠探しのために頻繁に佐賀を訪れていたが、
人目を避けるように用事が終わるとすぐに福岡に戻った。
父親が逮捕されて裁判で闘い続ける苦しみなど誰にも分ってもらえ
ないと、頑なに心を閉ざしたまま、誰とも会わなくなった。でも、
本当は裁判の話を聞いて欲しかった。
父が無実である事をみんなにも信じてほしかった。

桜は春が訪れれば毎年美しい花を咲かせ、人々の心をなごませてく
れる。満開に咲きほこる桜。私は事件以来、季節の移り変わりや春
に咲く桜のことなどの日常の生活を忘れて、裁判という闘いの日々
を過ごしてきた。
心の中では春が訪れる事を誰よりも願っていたのに、桜の美しささ
えも目に入らないほど私の心はすさんでいた。
世間に背を向けながら過去を引きずって生きている自分。桜の清ら
かな美しさは、私に心の狭さや人を憎んで生きることの愚かさを教
えてくれているようで、今の自分がちっぽけな人間に見えた。

佐賀県庁を過ぎると、めざす場所まであと二百メートル。その場所
が近づくに連れて私は自分の足で一歩ずつ確かめるかのようにゆっ
くりと歩いた。もうすぐだ、あと少し……。やっとの思いで私は目
的の場所に到着した。

真っ暗な夜の闇に、その建物の黒い陰が浮かんでいる。
佐賀地方裁判所。

私は裁判所をめざして十九時間あまり歩いてきた。願いを叶えるた
めに私はどうしても裁判所まで自分の足で歩いてきたかった。ここ
で父の裁判が始まり、ここで判決が下される。父が無実であること
を裁判所に、裁判官に私の願いを届けたかった。
裁判所を見上げた。三階の大法廷。いつも裁判が行われている法廷
だ。ここで判決が言い渡されるはずだ。目を閉じると私は静かに両
手を合わせた。
どうか父の無実が証明されますように……そして……父や私たち家
族に、いつか本当の春が訪れますように……。真っ暗な裁判所の門
の前で私は祈った。
祈りを終えて裁判所から立ち去ろうと後ろを振り向くと、目の前に
検察庁があった。
「……」
今、私は正義を信じて祈ったばかりだ。怒りや雑念は捨てよう。
願いは託した。
さあ、家に帰ろう。

帰り道はシャッターが下りた真っ暗な駅前通り歩いた。佐賀駅の横
を抜けてさらに歩くと国道に出た。足に痛みを感じながら、私は神
埼町をめざして真っ暗な道を東に向って歩いた。

真夜中の二時を過ぎた頃、とうとう雨がポツリポツリと降り出した。
ここは民家もなく周囲は田んぼで、外灯もない真っ暗な一本道だっ
た。道端の自動販売機の前だけが明るく照らされていた。そこまで
たどり着くと私はリュックをおろした。リュックからレインコート
を取り出していると、携帯電話のメールの着信音が鳴った。ポケッ
トから電話を取り出してメールを確認した。

良さんからだった。
良さんの笑顔を思い出しながら懐かしい思いでメールを開いた。
『頑張っているようだね。今、大学のレポートを書いていました。
僕も大変だけど自分で選んだ道だから頑張るよ。副島さんも頑張っ
て下さい』

連絡が途絶えた後、良さんのことが気になっていた。
お父さんの病気はどうなったのだろう。大学はどうしたのだろう。
いくら通信制といっても大学はスクーリングやレポートにテストだ
ってある。仕事と大学の両立は難しくて途中で辞めていく人も多い
と聞いていた。
自分と同じように今この瞬間、人生をやり直そうと頑張っている良
さんがいる。良さんが今でも大学を辞めずに頑張っていることが、
私は自分のことのように嬉しくなった。
雨が本格的に降り出した。携帯電話が雨に濡れないようにしゃがみ
こむと、私は良さんに返事のメールを書いた。
良さんのお父さんの病気のことが気になったが、私は敢えてそのこ
とにはふれなかった。

『ありがとうございます。良さんが今も仕事と大学とを頑張ってい
る事を知り、本当に嬉しくなりました。お互いに夢が実現した時に
会いましょう』
送信ボタンを押した。

春の雨が降りしきる中、体は冷えきっていたが、現実の厳しさと闘
っているのは自分だけじゃないという連帯感が私の心を温めてくれ
た。孤独が勇気へと変わっていく。あきらめないことの大切さを良
さんに教えてもらったような気がした。
雨に濡れて光るアスファルトの道を福岡に向かって私は歩きつづけ
た。

足の痛みが増し、歩くスピードはかなり落ちていた。
また良さんからメールが届いた。
「まだ起きていたんだ……」
レインコートを被ったままメールを読んだ。

『こちらこそありがとう。副島さんは裁判だけでなく、自分自身の
人生も大切にして下さい。僕はいつも遠くから応援しているよ。
がんばれ!がんばれ!がんばれ!』

自分自身の人生を大切に……。

この一言が私の心に突き刺さった。

事件以来、今まで誰からもそんな言葉をかけられた事はなかった。
以前、良さんに検事に対する憎しみや怒りを語った時に、良さんが
寂しそうにつぶやいた事があった。

「副島さんを見ていると、裁判だけが人生のように見えてね……こ
のままでは自滅するのではと僕は心配になるよ。大切なことを見失
っちゃいけないよ」

 最後に会った夜も良さんに同じようなことを言われた。私は父の
無実を証明するという執念だけで生きてきた。そんな私を見て良さ
んは心配してくれていたのだろう。私自身もこのままでは自分が自
滅するのではという不安がいつも心の片隅にあった。
それでも私は裁判の事しか頭になく、自分の人生なんて考える余裕
などなかった。

私は自分自身の人生を見失っていた。
妻や娘の人生も背負いながら、私は自分自身の人生を大切にして生
きていかなければならないということを見失っていた。どんなに春
を願っても私自身の人生を取り戻さなければ、いつまでも春は訪れ
ない。

いつか裁判は終わる。
裁判が終わったら人生をやりなおそう……。

裁判ですべてが終わるのでなく、私の人生はまだまだ続く。
良さんの一言で、自分にも大切な人生があることに気づいた。良さ
んの言葉に胸が熱くなった。良さんからのメールの文字を何度も読
み返すうちに涙があふれてきた。

どんなに辛い事や悲しい事に出会おうとも、必ず春はやってくる。
今は苦しくても、あきらめない限り願いは叶うはずだ。父の無実が
必ず証明されると信じ、私も自分の新しい人生を歩む日が必ず訪れ
る。
あきらめない限り、いつか春が……。

私は再び歩いた。

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【著者より】
司法の正義とは何か。家族の絆とは何かを知っていただき、何かを感じていた
だければ幸いです。間もなく最終章へと…
●西日本新聞社の書評 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/auther/20080630/20080630_0001.shtml 
●よっしーさんの書評 http://blogs.yahoo.co.jp/yossie_70/14334993.html
◆福岡県弁護士会の書評(平成20年7月24日付け記事) http://www.fben.jp/bookcolumn/



【解説】
人は苦しい時、どんな行動に出るのでしょうか。

じっとしているのはつらい。かといって何をする…。
泥沼化した状況の中で、この状況を打破するために、何かを成
し遂げて自信を持ちたかった…これが当時の私の気持ちでした。

ふと24時間テレビの「愛は地球を救う」を思い出したのです。
芸能人が100キロ走る姿に視聴者は感動し元気や勇気をもらう。
そう、あの番組をふと思い出したのです。必死で足の痛みをこら
えながら走る姿…自分だって出来るかもと。もちろん百キロなど
歩いたこともないし、どれくらい時間がかかるかなども考えたこ
ともありませんでした。

何かを成し遂げれば自分にも自信がつく。普段は神や仏など信じ
ない私が、頑張った褒美に神様か仏様が願いを叶えてくれるかも
と思うようになったのです。衝動的に思いついたようなものです。
「百キロ」自分も歩いて願いを叶えようと。
無謀なことを考え、トレーニングも一切しないまま、気合で歩き
始めたのです。

私も長引く裁判に疲れていましたが、父や母が苦しむ姿を見てい
ると、とにかく何かをしなければ耐え切れなくなっていたのです。
それほど精神的に追いつめられていたのかも知れません。
こうして福岡から佐賀(片道50キロ)の往復百キロの道のりを
一人で歩き始めたのです。
あの場所をめざして歩き始めました…あの場所へどうしても行っ
て想いを伝えたかったのです。43歳の誕生日でした。

物語も全12章のうちいよいよ11章へと。
著書のタイトル「いつか春が」に込めた私の想いが明らかになります。
ちなみに表紙絵はこの想いを、絵の作者に描いてもらったものです。
このあたりは著書では、カットしたり修正したりしていますので
本とは一味違ったバージョンとなっています。


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『いつか春が 〜父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」〜』
     (不知火書房より全国の主要書店にて発売中)

 第十一章 いつか春が 泥沼(未公開原稿より)


裁判はだんだんと終盤に向けて動いていた。アリバイが争点と
なっていた。
弁護士の先生達は今まで集めた証拠や証言をもとに父のアリバ
イは立証できたと自信を見せていた。

私も当日の父達が車で走った同じコースを同じ時間帯に実際に
走り、時間や距離などを計測した。約二十キロの道のりを三回
ほど計測したが、その時間帯では四十数分かかった。

それでも検察は反論した。
「そこまでなら普通のスピードでゆっくり走って三十分で十分
に行けるはず」
証人まで出してきた。

検察は本当に調査したのか私は疑問を感じ、検察が主張した同
じコースを走って計測した。
やっとの思いで真実を暴くと、次の事実と異なる争点が法廷に
出される。それを突き崩すために証拠探しや証人探しの調査を
行う。その繰り返しだった。

裁判から二年余りが過ぎているが、どこまでこんなことが続く
のだろう・・・・
私も不安と焦りを感じ始めていた。
やりきれない想いで胸が締めつけられた。

父は不安や苛立ちを母にぶつけた。苛立ちや不安の中で二人き
りで孤独な毎日を過ごす父や母のことを想うと、そばにいてあ
げることが出来ない自分が情けなかった。
長期化する裁判に私も父も母も、そして家族も疲れていた。

私は父や家族の前では決して弱気な態度は見せなかった。内心
は私自身もワラにもすがりたい思いだった。
このままでは私自身も裁判を闘いぬく気力を失い、自分自身が
現実の厳しさにつぶされてしまうような焦りと苛立ちを感じ始
めていた。
ここまできたら自分自身との精神力の闘いだと思った。
自分の中の弱気との葛藤だった。

もう一度、最初の頃のように絶対にあきらめないという強い信
念を取り戻そう。迷いや不安を打ち消すために、もう一度初心
に戻ろう・・・・
私はそう考えるようになった。

私は願いを叶えるためにあることを実行しようと決めた。
自宅
から佐賀まで往復約百キロ・・・絶対に無罪を勝ち取るという
願いを込めて歩く事を決意した。

なぜ歩くのか?
特別な理由など何もない。願いを叶えるための神頼み。そんな
決意だった。
百キロ最後まで歩きとおせたら必ず願いが叶うような気がした。
そう信じたかった。
じっとしているのが辛くて何かを成し遂げるという自信が欲し
かった。

桜が満開の四月始め。
私は一人で計画を実行した。

この計画は家族にも誰にも告げなかった。
こんな計画はバカバカしくて、誰も理解してくれないだろう。
神頼みだろうと、願いを叶えるためならば、私は何だってやっ
てみようと思った。

その日は私の四十三歳の誕生日だった。
リュックにレインコートとタオルを詰め込むと博多の事務所を
スタートした。

真夜中の午前四時。
春と言えども朝方は寒かった。首にタオルを巻きリュックを背
負って外に飛び出したた。

外はまだ真っ暗で空には星が輝いていた。
「どうか父の無罪が勝ち取れますように・・・」
私は夜空の星に向って両手を合わせて祈った。

さあ歩こう。

国道に出ると大型トラックが目に付いた。上り車線も下り車線
もトラックがゴオーと地響きを立てながら私の横を走っていく。
こんな真夜中に、こんな格好で歩いている人など誰もいない。
夜空の向こうにある佐賀市をめざして歩いた。ひたすら歩く、
歩く、歩き続ける。寒さなど感じなかった。

一人で歩く寂しさを紛らわそうと自分に問いかけながら歩いた。
もし父がこんな事件に巻き込まれなかったら、今頃自分はどう
していただろう。

もし検事が父にあんな取調べをしなかったら今頃父はどうして
いただろう。
なぜこんな事になってしまったのだろう。
なぜこんなにも人生が変わってしまったのだろう。

いくら考えても答えなど見つかるはずがない事は分っていた。
車のライトに照らし出される真っ暗な風景を眺めるよりも空を
見上げるほうが楽しかった。私は星座や星の名前なんて知らな
い。
でも夜空に散らばる無数の星達を眺めていると「がんばれよ」
と私を励ましてくれているような気がした。
星は私がどこを歩こうが、早く歩こうが、ゆっくり歩こうが、
どこまでも私をしっかり見守ってくれた。建物の陰に隠れて見
えなくなっても、建物が途切れると再び天空の空から私を見守
ってくれた。
私という存在を認めてくれて、そっと見守ってくれているよう
で嬉しかった。

夜空の星を見あげながら私は黙々と歩き続けた。

いくら過去を振り返っても元に戻る事はできない事も分ってい
る・・・でも、過去を振り返ってしまう。

いつまでこの裁判は続くのだろう。

いつまでこの孤独は続くのだろう。

真っ暗な道を一人で歩いていると悲しいことばかり考えてしま
う。

考えるのはよそう。
気を取り直して私は黙々と国道三号線を佐賀に向って歩き続け
た。
歩き始めて四時間。
夜が明け、朝日を見ながら佐賀県の鳥栖市内に入った。通勤や
通学の車や自転車が私の横を次々と通り過ぎてゆく。朝早くか
らリュックを背負い黙々と歩く私の姿を不思議そうな顔をしな
がら通り過ぎていく。

私はひたすら歩き続けた。

鳥栖を抜けると久留米方面へと向った。久留米と佐賀県の県境
を流れる筑後川の土手を歩きたかった。ここは佐賀への行き帰
りによく通った道だ。土手の下には整備された河川敷が広がっ
ている。辛い時はここに車をとめて一人でよく空を眺めていた。

誰にも打ち明ける事ができない心の中の真っ黒な闇。それは不
安や葛藤だった。
私はよくここに来て、気持ちを整理した。私はこの場所を家族
にも話さなかった。ここは私だけの特別な場所だった。

河川敷の公園のベンチに腰をおろして私は休憩した。
筑後川の春は土手沿いに菜の花が一面に咲きみだれる。まるで
黄色い絨毯を敷き詰めたように美しかった。菜の花の甘い香り
が私の疲れた体を癒してくれた。

再び私は佐賀に向って歩き始めた。
日が暮れかかった頃、私は佐賀の三根町を歩いていた。

                         つづく
(「月」の写真:Mikan)
やさしさいっぱいの胸にしみる写真と言葉のMikanさんのブログ。
    「風の吹くまま・・・気の向くままに…」
http://blogs.yahoo.co.jp/mikanti18/archive/2008/08/05

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【著者より】
この物語は、冤罪事件に巻き込まれた家族の実話です。冤罪事件がどのようにして
作られていくのか。また、どのようにして無実を証明していったのかを、数々のエ
ピソードを交えながら描きました。テーマは『あきらめない勇気』。この本を通し
て、司法の正義とは何か。家族の絆とは何かを知っていただき、何かを感じていた
だければ幸いです。間もなく最終章へと…
●西日本新聞社の書評 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/auther/20080630/20080630_0001.shtml 
●よっしーさんの書評 http://blogs.yahoo.co.jp/yossie_70/14334993.html
◆福岡県弁護士会の書評(平成20年7月24日付け記事) http://www.fben.jp/bookcolumn/


【解説】
全国ネットでこの事件の真相が放送されたら、きっと周囲も父が
無実であることを分かってくれる。私たちはそう信じていました。
しかし、どんなに無実を叫んでも「無罪」を勝ち取らなければ
信じてもらえない現実を知りました。

裁判で「無罪」と「有罪」は天国と地獄なのです。
裁判の流れが変わったと喜んでいましたが、現実を目の当たりにして
再び不安と孤独が私たちを襲いました。
どうしたら無実であることを信じてもらえるのだろう…。
再び苦悩の日々が始まりました。

(今日は打ち合わせで帰りが遅くなりますので早めに更新しました)

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『いつか春が 〜父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」〜』
     (不知火書房より全国の主要書店にて発売中)

 第十章 裁判長の異例の判断 テレビ放送の影響(未公開原稿より)


本当は父自身がテレビを通して自分の無実を訴えることができれば
いいのだが、被告の立場であり公判中ということもあって出演は自
粛した。そこで父に代わって無実への想いを家族の誰かに語って欲
しいとTさんは申し入れた。

私しかいなかった。

めでたい内容や楽しい内容でのテレビ出演ならいざ知らず、事件や
裁判という内容がテーマの番組に自らが出演するとなると、それな
りの覚悟が必要だった。
ここで問題が発生した。
顔を出すか、出さないか。名前は出すか、出さないか。
父が無実である事を私は堂々と素顔を出して実名で訴えってもいい
と考えていた。

その気持を妻や娘に伝えると二人は猛反対した。
撮影前日の夜、私と妻と長女は最後の話し合いをした。
すでに夜の十二時を回っていた。
沈痛な面持ちで私と妻と長女は向き合ったままだった。
「それは絶対にだめよ。おじいちゃんの無実を訴えるのは家族とし
て当然だと思うよ。でも、あなたが名前や顔を出してテレビで訴え
るのはやめて。絶対反対よ」
妻は猛反対した。
「そうだよ、お父さん。あたしも反対。学校の友達もお父さんの顔
や名前を知っている子もおるとよ。もし友達がテレビでお父さんを
見たら・・・私のおじいちゃんが逮捕されて裁判している事が知ら
れちゃう。そしたら私・・・」
高校受験を目前に控えた長女は泣きそうな顔をして反対した。

「でも裁判で闘っているおじいちゃんのために、他の人達が勇気を
出してテレビで証言してくれるとばい。その人達も周りから何て言
われるか分らんとよ。それでも協力してくれとる。それなのに家族
が知らん振りなんて、そがんことできんやろうもん」
私は二人に反論した。

「でもね、あなたがテレビに出たら今まで知らなかった人達も知る
ことになるとよ。世間はあなたが考えるほど甘くなかろうもん。今
までだって犯人の家族て陰口を言われて仕事だって無くしたやなか
ね。また今度も仕事がなくなるかも知れんとよ」

妻は涙声で私に訴えていた。
犯人の家族として、私が今までどれだけ苦しい思いをしてきたか妻
や娘は知っている。だから妻達が反対する気持ちも痛いほど分った。
多くの関係者も今までは逮捕された父と関わることを嫌がり、誰も
口を閉ざしたまま何も話してくれなかった。

今回、Tさん達の熱意にほだされてテレビで自分達もこんな取調べ
を受けたという事実を証言してくれた。
テレビに出て検察の取調べの実態を証言すれば、自分にも何らかの
影響が出るかも知れないと恐れながらも証言してくれた。
だから私も息子として、父に代わって話すつもりだった。
妻と娘がとうとう泣き出してしまった。
真夜中の家族の泣き声ほど悲しいものはないと思った。

私は名前は出さずに「被告の家族」とすることにした。声はそのま
ま変えず、顔は出さない代わりに、モザイクをかけずに斜め後ろか
ら撮影してもらう事にした。私を知っている人は声や顔の輪郭で分
かるかも知れない。
そうやって佐賀での収録は全て終了した。

平成十五年二月に日本テレビの『きょうの出来事』で特集として全
国に放送された。
密室での取調べ場面はテレビ局で製作した再現シーンが用いられた。

やはり放送の影響は大きかった。
放送によって状況が良い方向に変わるかと期待したが、思わぬ事態
が続出した。
放送直後から私の公開していたホームページにも変化が現れた。私
のホームページを、どうやって調べたのか分らないが、アクセス数
が急激に増え、アクセスカウンターが振り切れてしまった。

パソコンには謎のメールが次々と送られてきた。佐賀地検から姿を
消した後のI検事の近況が詳しく報告されたメールも届いた。明ら
かに検察内部の関係者にしか分らない情報を含んだメールも送られ
てきた。
「すべての検察官がこうだとは思わないで下さい。ぜひ無罪を勝ち
取られる事を祈っています」との言葉が添えられていた。

 別のメールには、これも明らかに検察内部の者にしか分からない
内容が書かれていた。
「I検事はそんな検事ではありません。あなたが息子としてお父様
を支えて助けようとしていることは立派なことです。しかし、たっ
た一度だけ暴言を吐いた検事を、あなたが追い詰めようとしている。
これは立派なイジメです」
私のことを厳しく非難するメールだった。

 良くも悪くもテレビの与える影響力は大きかった。ほかにも、こ
の放送直後から不審なメールが届き始め、その数は日増しに増えて
いった。
テレビ放送から一週間が過ぎた頃には毎日三百通あまりのメールが
次々と届くようになった。パソコンに送られてくるメールは形態電
話へ転送するように設定していたので、私の形態電話はこうして一
日中メールの着信ランプが点滅するという異常な状態になった。あ
まりのメールの多さに私はアドレスを変えた。
こんなふうにテレビの反響は大きかったが周囲の反応は何も変わら
なかった。私たち家族には何も伝わらないままだった。

一番恐れていた仕事への影響も現れた。
定期的に私に仕事を依頼していた役所から連絡がテレビ放送を境に
完全に途絶えてしまった。なぜ連絡が途絶えたのか察しはついた。
もう私のほうから連絡する気持にはなれなかった。その役所からは
二度と連絡はなかった。

父もこの放送によって世間との溝が埋まるだろうと期待していたが、
現実は何も変わらなかった。
検事調書が棄却されるという事実や取調べの様子がテレビによって
放送されれば、自分の無実が世間にも信じてもらえると期待してい
た。
周囲との関係が何も変化がなかったことで父は、今まで以上に不安
を抱え込むようになってしまった。
「テレビで放送されても、やはり世間は信じてくれんのか・・・こ
のまま自分は有罪にされてしまうとではなかやろうか・・・」
父は弱音を吐くことが多くなり、すべてを悲観的に考えるようにな
っていた。そんな父を見守る母もどうすることも出来ず私に電話を
かけてきた。

父は誰にも分ってもらえない悔しさや不安を誰かに聞いてほしくて、
私に毎日朝から何度も何度も電話をかけてきた。
何度も同じ事を電話してくるなど異常かも知れないが、父は誰かに
苦しみを受け止めてもらいたかった。
「裁判はどうなるとやろうかのお。このまま俺は有罪にされてしま
うとやなかろうか・・・」
「お父さん、なんば言いよるとね。しっかりせんね。最後まであき
らめたらいかんばい」

私は父から毎日かかってくる電話に、そう答えるしかなかった。
せっかく裁判の流れが変わったと喜んでいたが、父の心は不安に包
まれ、闇の中を一人でさまよっていた。

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イメージ 1

イメージ 2

【著者より】
この物語は、冤罪事件に巻き込まれた家族の実話です。冤罪事件がどのようにして
作られていくのか。また、どのようにして無実を証明していったのかを、数々のエ
ピソードを交えながら描きました。テーマは『あきらめない勇気』。この本を通し
て、司法の正義とは何か。家族の絆とは何かを知っていただき、何かを感じていた
だければ幸いです。間もなく最終章へと…
●西日本新聞社の書評 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/book/auther/20080630/20080630_0001.shtml 
●よっしーさんの書評 http://blogs.yahoo.co.jp/yossie_70/14334993.html
◆福岡県弁護士会の書評(平成20年7月24日付け記事) http://www.fben.jp/bookcolumn/


【著書の解説】
日本テレビが「この事件はおかしい…冤罪事件だ」と気づいた
時には、裁判が始まって間もなく三年目を迎えようとしていた
一月でした。
マスコミ報道…めでたい内容ならばいざ知らず、被告という立
場でテレビに出て、無実を訴えることは賭けと同じでした。

二年間、私たちは世間やマスコミに対して父の無実を懸命に叫
びつづけてきましたが、検事調書がすべて棄却されたという事
実があっても、まだこの時点でも周囲は半信半疑という状況で
した。「本当に検事がそんなことをするのか?…検事がたった
一度だけカッとして言った言葉を利用して、うまく言い逃れし
ているんじゃないのか」

ネット上にも心ない言葉が飛びかっていました。
「あのジイさんは、検事を怒らせるようなことを何かしたん
じゃないのか。でなければ検事がそんなことを言うはずないじ
ゃないか」「一度しか言ってないと検事は言っているのに、被
告はそれを大げさに言っているんじゃないのか」
この放送直後はすごかったですよ。嫌がらせの迷惑メールが一
日に三百通ほど届くようになりました。

父のマスコミに対する怒りは、本人にしか分からない心の闇で
あったと思います。父が取材の最中に人目をはばからず声をあ
げて嗚咽をもらした時、言葉をかけることが出来ませんでした。

テレビに出るということ…まだまだ問題が発生します。
この本の物語は、間もなく最終章へと突入。最後までお付き合い
下さい。


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『いつか春が 〜父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」〜』
     (不知火書房より全国の主要書店にて発売中)

 第十章 裁判長の異例の判断 殺すことも救うことも(未公開原稿より)


父とTさんがソファアのテーブルをはさんで向き合った。
リビングでの父への取材が始まった。
カメラが回り始めた。

「では、取調べの時の様子をお伺いします。取調べが行われた
部屋には誰がいましたか?」
「取調室にはI検事とK事務官、そして私の三名でした。最初
から最後までこの三名だけでした」
「三名だけですか。では副島さんはどのような位置に座ってお
られたのですか?」
「はい。窓を背にI検事が座り。私が向き合う形で座りました。
その向き合う二人の真横に事務官が座り、記録していくのです
よ」

こんなふうに取調べの模様を父が家族や弁護士以外に語るのは
今日が初めてだった。
Tさんのインタビューは続いた。
カメラが回っているので、私や母も声を押し殺しながら静かに
父を見守った。

「では今回問題となった検事の『この野郎、ぶち殺すぞ!』と
いう言葉についてですが、どのような形でそうゆう言葉が飛び
出したのでしょうか?」
「それはですね・・・検事が無理やりに自分の考えたシナリオ
を押し付けて私に認めろと迫ってくるのですよ。例えば彼は私
が理事会を騙したと決め付けるんですよ。それで私は騙してな
んていませんよと反論する。
するとですね・・・ちょっと立って説明しますね」
父は立ち上がった。

「するとこんな風にですね・・・」
父は手刀を頭上に振り上げ大声で叫んだ。
「こんちくしょう!ぶち殺すぞ!」
手刀を一気にテーブルに叩きつけた。
「ドンッ!」

テーブルの上に置かれていたミカンが衝撃で吹っ飛んだ。ミカ
ンが床に転がっていく。
初めて取調べの様子を目の当たりにしたTさんやスタッフは驚
きのあまり言葉を失った。

「・・・あっ、はい・・・そうでしたか・・・他にどんな場面
がありましたか?」
カメラが回っている事を思い出したのかTさんは慌てて質問を
続けた。
父は冷静だった。
「他にもですね・・・私が言っていないことを隣の事務官に私
が言ったように書き留めさせるのですよ。こんなふうに腕を後
ろに組みながら天井を仰いで『私は本日まで嘘をついてまいり
ました』ってですね」
父が検事の仕草を真似て、後ろに腕を組みながら天井を見上げ
た。

「こんなふうにですね。それで私は、こんなのデタラメだと思
い『検事さん、私はそんなことは言ってないでしょうが』と必
死でやめてくれと訴えたのですよ。すると・・・」
再び父は手刀を振りかざして、その手刀を振り下ろしながら大
声で叫んだ。
「この野郎!ぶち殺すぞ!」
「ドン!」
Tさんはさっきと同じように驚きのあまり動かない。
「・・・・・」
「こんなふうに何度も何度も検事は迫ってきたのですよ。何を
言っても耳を貸そうとしないし、どんどん自分のシナリオを押
しつけてくるんですよ。そして無理やりに署名しろと脅すので
すよ・・・私はね、本当にね・・・検事に殺されると思いまし
たよ・・・許せません」

父の声が次第に途切れてきた。
取調べの場面を思い出し、悔しさがこみあげてきたようだった。
「私はですね、今までこんな屈辱や恐怖を味わったことはない
ですよ。今の平和な世の中で、密室で検事がこんな取調べをし
ているなんて国民は・・・誰も知らんでしょう・・」

父の言葉が途切れ途切れになった。見ると父の目には涙があふ
れていた。
涙を拭こうともせずに父は悔しさを話し続けた。

「今まで家族には心配をかけまいと、ここまでは見せませんで
した・・・実際の取調べは本当に言語に絶する取調べでした。
こんなもんじゃなかったです・・・私は死ぬまでこの悔しさは
一生忘れませんよ」

もうインタビューどころではなかった。
Tさんはインタビューをやめて父の話しに耳を傾けた。
逮捕から二年余り、父にとっては初めて家族以外の人に話しを
聞いてもらっているという喜びと、今まで抑えていたマスコミ
への怒りも語り始めた。

「Tさんは関係ないけど、私を犯人のような報道をしたマスコ
ミに対して、私は今も怒っているんですよ。私の言い分を一度
も聞いてくれないまま、なぜあんな報道が出来るのですか。私
を失脚させようとする関係者や犯人に仕立てようとする検察の
言葉だけを信じて報道するなんて・・・不公平じゃないですか。
悔しいですよ・・・」
父は大声を出したために声が枯れ、搾り出すような声で話して
いたが、感極まってしまい、これ以上言葉を続けることはでき
なくなった。

父を見ると今にも泣き崩れそうだった。こんな父の姿を見たの
は私も初めてで戸惑ってしまった。父は必死で自分の感情を抑
えようとしていたが、もう抑える事はできなかった。父はソフ
ァアに腰を下ろすと、うつむいたまま「ううっ」と嗚咽をもら
した。


父に何と言葉をかけていいのか誰も分らず黙って父を見守った。
しばらくすると、父は気持ちが落ち着いてきたのか静かに顔を
上げた。
Tさんが静かに父に語り始めた。
「副島さん・・・副島さんが言われるように私たちマスコミは
人の人生をメチャクチャにしてしまう事もあるし、社会から殺
してしまう事もあります・・・」
父は静かにうなづいた。
「でもですね・・・でも・・・私たちマスコミは人を殺す事も
出来ますが、人を救う事も出来るんですよ・・・・私たちを信
じて下さい。私たちは真実を伝えることで副島さんの無実を証
明するお手伝いが出来ると想います。どうか私たちを信じて下
さい」
Tさんの声は静かだったが、その言葉にこめた強い決意が伝わ
ってきた。

Tさんが話し終えると父は何も言わずに下を向いて黙り込んだ
ままだった。
Tさんはそれ以上は何も言わずに父を黙って見つめていた。
父はうなだれたまま、今度は小さく何度も「うんうん」とうな
ずいた。
父にとってマスコミへの怒りが消えた瞬間だった。それ以降、
父はマスコミに対して怒りの言葉を語ることはなかった。

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